「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだよ

新作が出る度に,良くも悪くも話題になってしまう村上春樹
もう一種の呪いのごとき毎度のパターンで,賛辞と罵詈雑言が飛び交う話題の新作を読みました。
なんでしょうね,この毎度の騒ぎは。
よく比較対象にされる村上龍では,賛辞はあっても,ここまでの悪意をもった意見は聞こえてこないんだけど。
別に文体が合わないなら合わないで良いと思うんだけど,なんでおしゃれ気取りで読んでるだけとか言われなきゃいけないのさ。
ほっとけよって思うね。ほんとに。

私自身は社会人になってから(もう9年前!),初めてこの人の本を読みました。
それ以来,世に出ている作品を読みあさり,ついには新作を待ちわびるようになった感じです。
奥様ともよく村上春樹の本の話しをするのですが,この人を「村上おじさんorおじさん」と呼んでいるので,ここでもそうさせてもらいます。
("村上春樹"って書くとなんか真面目に書かないといけないんだっていう脅迫観念があるのよね)


ではでは,本作。
まず,読後の感想としては,『好き!!』です。
数多の作品中でも,ここまでメッセージがしっかりと出ている作品も珍しいと思います。
特にエリ(クロ)とのフィンランドでの会話には,震災を経験した日本の人々に宛てられた手紙のようにも思えました。
「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」
そして,最後の文章もまた同じように感じました。
最後のは,震災というよりは今の時代に生きるということに対してな気もするけど。


村上おじさんの作品といえば,『ある物事を表現する』という共通する大きなテーマがあって,それを,それぞれの作品ごとに表現や環境を変えて書いていくというのが,特徴だと思います。
(要はやってることが大体同じ)

自分なりに考えれば,それは単純に『死』であったり,人間が本質的に持つ『集団性と暴力性』という理解になるんだけど,作品中では,それが,
 直子が囚われた世界(ノルウェイの森)
 背中に星形の斑紋のある羊(羊をめぐる冒険)
 世界の終わりとやみくろの住む世界(世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド)
 井戸と繋がる世界(ねじまき鳥クロニクル)
 ナカタさんの見る夢と森の奥(海辺のカフカ)
などなど色々な形をもって表されていますが,最もわかりやすい表現は『壁と卵(エルサレム賞授賞式スピーチ)』に現れてると思います。

■以下参照
村上春樹エルサレム受賞スピーチ | 書き起こし.com

というか改めて読んでみると,それが小説を書く理由だって言ってましたね。
にしても,おじさん,良いスピーチだと思います。

そして,物語中の主人公であるところの『僕』は,大体においてそれらと上手くやっていくことが出来ない人間であって,だからこそ,それに抗い,場合によっては闘うことになります。
その闘いには,勝つこともあれば,決着がつかないこともありますが,主人公はそれらにギリギリの所まで近づくために,長い道のりを必要とします。

前述のように,この,主人公が闘うことになる物事は大体において抽象的に描かれているんですが,今回の主人公であるところの多崎君はそんな摩訶不思議ワールドに飛び込むことをしません。
しいて言えば灰田君(ミスターグレイ)と過ごした時間がありますが。
だからといって、本作がそのテーマを全く扱わないかというとそうではないと思います。
むしろ,より具体的な事例として,アオ・アカの住む世界があり,そこから離れたクロと,囚われてしまったシロがいます。
そして,多崎君は一度は失った彼らと再び向き合うことで,その世界の中で生きていく自分を見つけていく。
そんなお話だったと思います。



長編とは言え比較的短い作品となった本作。
他の長編よりもぐっと身近な物語でした。
しいて言えば短篇集「神の子どもたちはみな踊る」あたりに近い雰囲気を感じました。

いやいや,とにかく良いお話でした。