まだまだB型肝炎訴訟は続く

 2月16日・17日と、またB型肝炎訴訟問題で東京に行った。15日の札幌地裁で行われた和解協議でも、国は相変わらず民法724条に基づく20年の除斥期間を主張し、被害者の切り捨てを図ろうとしている。そして、札幌地裁に再度の所見を求めた。原告団弁護団は国の政治決断を求め、裁判所による再度の和解所見を拒否して国の姿勢を批判した。
 先にも書いたように、裁判所に和解所見を求めると、裁判所は法を越えた和解所見を出すことはできず、結局20年を越えた被害者の切り捨てになるだけである。厚労省財務省法務省はかたくなに被害者全員の救済を拒んでいる。官僚の杓子定規で心の通わない論理よりも、国民の常識的な目線で政治決断をしてほしいものである。加害者は国、被害者は国民と言う、大事な点を忘れては困る。今こそ、政治決断で全員救済・全面解決の実現を菅総理はしてほしいものだ。
 16日は首相官邸前での宣伝行動ののち、参議院議員会館の会議室で「B型肝炎訴訟の早期全面解決をめざす集い」を行った。集会では15日の和解協議の内容の報告、民主党自民党共産党みんなの党の議員から激励のあいさつを受けた。
 原告団代表の谷口さんはあいさつで、「15日は何の進展も無かった。国の姿勢は裁判所任せで、積極的に動いて欲しい。注射器の使い回しを40年間も放置してきて、誰も責任を問われないのはおかしい。発症して20年以上の人は除斥の名のもとに放り出される。法律とは、正義とは何なのか。命のともしびが短くなった人がいる、20年以上苦しんでいる人を何とかしてほしい。関係各大臣は一日も早く被害者と面談してほしい。昨年の細川厚労大臣との面談は20分。これでは被害者の実情がわかるはずがない。全員救済のための政治決断をしてほしい。除斥期間の壁を打ち破るために、国会議員の先生方、よろしく。」と訴えた。
 また、除斥期間に該当する被害者、我が子に二次感染させた被害者が実情を訴えた。
 さらに、弁護団から「慢性肝炎除斥問題のポイント」「議員立法による解決について」説明があった。
 集会の後、国会議員要請を行った。私たち大阪原告団が訪問したのは、仁木博文議員(衆議院・徳島・民主党・厚労委員)。高井美穂議員(衆議院・徳島・民主党)は廊下で出会ったので、要請をおこなった。
 17日は、参加者で手分けして衆参の厚労委員を訪問した。大阪原告団弁護団と2班に分かれて要請行動を行った。今回は、「『発症後20年』以上を経過した慢性肝炎患者を含めた、B型肝炎被害者の『全員救済』を求める国会議員賛同署名」を持って、協力をお願いした。午前・午後にかけて私の班が訪問したのは、後藤田正純議員(衆議院・徳島・自民党)ここで最初の賛同署名を頂いた。今村雅弘議員(衆議院自民党)・大谷啓議員(衆議院・大阪・民主党)・市田忠義議員(参議院・京都・共産党)・中村博彦議員(参議院・徳島・自民党)・再度仁木博文議員・井上さとし議員(参議院・京都・共産党)・長尾敬議員(衆議院・大阪・民主党)・鳩山邦夫議員(衆議院・福岡・無所属)らであった。何人かはほかにもいたが失念した。
 後藤田議員からは署名だけでなく、国会の質問でも取り上げるので資料をそろえてくれと要請された。


 賛同署名の内容は、下記のとおり。
【要請の趣旨】
 本年1月11日札幌地方裁判所から和解所見が示され、国は、同月28日、その受け入れを表明しました。全国原告団も、発症して苦しんでいる患者の早期救済のため、苦渋の判断で、被害者の全員救済を前提条件として、所見受入を決定しました。
 ところが、国は、慢性肝炎の発症後20年を経過した被害者を「除斥」という法律を理由にして、救済から排除しようとしています。しかし、「20年以上の長きにわたり苦しんだ被害者を、長く苦しんだが故に救済から排除する」という国の姿勢は、著しく正義に反するものであり、原告らとして到底受け入れることは出来ません。
政府や司法が「除斥」という法律によって、正義にかなう解決が出来ないのであれば、立法を含めた解決を図ることが、政治の役割ではないでしょうか。
 国の真摯な謝罪と、恒久対策のための協議機関設置の問題等も残ったままです。

【要請事項】
1 国は,集団予防接種における注射器の使い回しによりB型肝炎に感染した被害者に対して、真摯に謝罪すること 
2 国は、慢性肝炎を発症して20年以上経過した被害者も等しく救済すること
3 国は、B型肝炎患者に対する差別・偏見のない社会実現のための施策、本件の真相究明・再発防止策、恒久対策の各施策実現のため、原告団弁護団と国との間で協議機関を設置すること



 集会で報告された「慢性肝炎の発症者『除斥』問題について、裁判所の所見を求めない理由」は下記のとおり。
1 原告団の苦渋の決断と、政府の不条理・不正義な対応

(1)本年1月11日の札幌地裁の和解所見は、キャリアについて極めて不十分な内容ではあるが、既に発症して苦しんでいる被害者の早期解決が必要ということで、原告団は、苦渋の決断でこれを受け入れることにした。
  ところが、政府は「除斥」という法律(民法724条)を理由にして、「既に発症した被害者で、しかも20年以上苦しんでいる患者」を、長く苦しんでいるが故に救済から排除する(一律救済の対象にしない)という対応を一切変えようとしない。
(2)しかし、何の落ち度もなく集団予防接種によって感染させられ、20年以上もの長期間、何の救済もうけることなく苦しんできた被害者の被害は深刻である(「私たちを取り残さないで!」のパンフ・ビラ参照)。
 しかも、国は集団予防接種時の注射器使い回し継続という加害行為を40年間(昭和23年〜同63年)継続し、さらに平成元年の先行訴訟の提訴後も平成22年5月の和解勧告受け入れ表明まで20年以上裁判で争ってきた。このような本件の事実関係からすれば、「20年以上もの間、国から救済の道を閉ざされていた被害者」に対して、加害責任の所在と救済を「放置・隠蔽してきた当事者である国」が、「20年以上前に発症していたから除斥期間が経過した」として、法的責任を負わない=一律救済から排除すること=は、誰が考えても不条理であり、著しく正義に反する。
(3)全国原告団は、同じ肝炎患者として、このような20年以上発症期間が経過した被害者を救済(一律救済)から排除することは、絶対に、受け入れることはできない。

2 裁判所の「限界」と、政治の役割

(1)行政府と同様に、裁判所は今ある法律に従わなければならないという司法府としての「限界」がある。今回の札幌地裁のキャリアに対する所見は、残念ながら、この裁判所の限界を示していると率直に言わざるを得ない(但し、深刻な被害と加害の正確な事実について十分な審理のうえ判決となった場合は別であるが、それを本件においてとることの問題は後述)。
(2)20年以上の慢性肝炎発症者を救済から排除するという誰しもが不条理・不正義と考える結果を導くその原因が、今ある法であるならば、その原因は、司法府の判断ではなく、立法を含む政治によってこそ克服・解決されるべきである。現に、薬害肝炎救済法やハンセン病補償法では、議員立法による支給金という形式でこれが実現されている(「政治決断・議員立法」に関する説明書参照)。
 菅首相は所信表明で、「不条理をただす政治」「最小不幸社会の実現」を国民に約束したが、それが実行できるかどうかがまさにこの問題で問われている。

3 政府の意図と、裁判所の所見を求めるべきでないこと

(1)このように、政府が、立法解決を含む自らの政治決断によって解決すべき課題であるのに、その政治決断をしないことの合理化として、今ある法にいわば「縛られている」裁判所を利用して、不正義で不条理な結果を被害者に押しつけようとしているのが、「発症者除斥について、裁判所の所見を求める」という現在の政府の態度である。
(2)従って、ことこの発症者除斥の問題については、裁判所の所見を求めることは、1月11日の裁判所所見を苦渋の決断で受け入れることにした原告団の決断(発症して苦しんでいる患者の早期解決)に反し、何よりも、未提訴を含む何の落ち度もない集団予防接種被害者の中で、とりわけ20年以上も前から長く苦しんでいる患者を、長く苦しんでいるが故に救済(一律救済)から排除されるという理不尽な結論を押しつけるものであるから、原告団弁護団としては、絶対に、受け入れることはできない。

4 20年以上苦しんだ被害者に、今から更に最高裁判決を求めよというのか

(1)「除斥」という法律(民法724条)は、不法行為事案(例えば、交通事故等)で20年以上前の行為については法的安定性等を優先して、訴訟により請求することは出来ないことにしたものである。しかし、「除斥」の法律については、かねてからその弊害が強く指摘され、現在法改正も具体的に検討されている(民法改正論議)。
 しかし、除斥を形式的に適用することが著しく正義に反する場合は、これを適用すべきではなく、この法理については、最高裁判決でも認められている(平成21年の女性教師殺人事件判決)。上述のとおり、「20年以上もの間、国から救済の道を閉ざされていた被害者」に対して、「放置・隠蔽してきた当事者である国」自らが、被害者の発症から既に20年以上経過したことを理由にして法的責任を負わない=一律救済から排除すること=は、まさに著しく正義に反する。

(2) 従って、発症者除斥の対象となる具体的な原告被害者についてその被害の事実と、国の上記放置・隠蔽の事実関係を、訴訟上の審理によって主張・立証することによって、除斥不適用の判決を将来的に得ることは十分に可能であると弁護団としては考える。
 しかし、このような判決を確定するためには、さらに長い審理期間と、最高裁判決までの長い年数がかかることは必定である。既に20年以上前から発症して苦しんで来た被害者に、これ以上このような負担をかけさせるべきでない。このことは、国民の誰しもが理解出来るはずである。

(3) また、発症者除斥について今所見を求めようと国がしている札幌地裁原告のなかにはそのような発症者除斥対象者はおらず(未確認である)、そのような原告のいない裁判所において、上記具体的な事実関係についての審理をしないまま、形式的な法律の適否の判断についての所見を求めることは適切でない。

(4) また、平成18年最高裁判決は、発症時をもって除斥の起算点としたが、これは、被害者救済の観点から加害行為(感染時)を起算点とした控訴審の判断を発症時に変更して原告全員を救済したものであり、発症時を起算点にすることによって救済をうけられないことを積極的に判示したものでは決してない。

(5) 以上の理由からも、この発症者の除斥問題は、裁判所の所見を求めて適正な和解解決を図る問題では全くなく、まさに、政治の役割によってこそ正しく解決されるべき課題である。



写真は署名する後藤田議員。秘書の方に大阪の参加者と一緒に入った写真を撮ってもらったのだが、シャッターがきちんと押せてなかったのか、残念。



写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 鯛抱き犬 92歳


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●鮎は瀬につく 鳥は木に留まる 人は情けの 下に住む
  ●わしは浜松 寝入ろとすれば 磯の小浪が 揺り起す
  ●こなた思へば 千里が一里 逢はず戻れば 一理が千里