B型肝炎訴訟個別和解の準備と馬込第二小学校

 6月28日に国との基本合意ができたB型肝炎訴訟は、いよいよ個別和解が始まった。どういう人が、どういう場合に和解金を受けられるかについては、厚生労働省のホームページの「B型肝炎訴訟について」に詳細が説明されている。
 
 「和解金等の支給を受けるための要件」は下記のとおりである。
(1)一次感染者であることを証明するための要件
集団予防接種等により、直接、B型肝炎ウイルスに持続感染した方(一次感染者)の
認定については、以下の要件をすべて満たすことが必要です。
B型肝炎ウイルスに持続感染していること
② 満7歳になるまでに集団予防接種等※を受けていること
※ 予防接種およびツベルクリン反応検査
③ 集団予防接種等における注射器の連続使用があったこと
④ 母子感染でないこと
⑤ その他集団予防接種等以外の感染原因がないこと
(2)二次感染者であることを証明するための要件
一次感染者である母親からの母子感染によりB型肝炎ウイルスに持続感染した方(二次感染者)の認定については、以下の要件をすべて満たすことが必要です。
① 原告の母親が上記の一次感染者の要件をすべて満たすこと
② 原告がB型肝炎ウイルスに持続感染していること
③ 母子感染であること

 「一次感染者が救済要件を満たすことを証明するための資料」は下記のとおりである。
要件1.B型肝炎ウイルスに持続感染していること 
以下の①または②のいずれかの場合であること
① 6か月以上の間隔をあけた連続した2時点における、以下のいずれかの検査結果
・HBs抗原陽性
・HBV−DVA陽性
・HBe抗原陽性
② HBc抗体陽性(高力価)
※ その他、医学的知見を踏まえた個別判断により、B型肝炎ウイルスの持続感染が認められる場合があります。
(例)1時点の検査結果しか残っていないが、診療期間が6か月よりも短い間に死亡してしまった場合 → 医学的知見を踏まえた個別判断が必要となります。

要件2.満7歳になるまでに集団予防接種等を受けていること
以下の①から③のいずれか
母子健康手帳
② 予防接種台帳(市町村が保存している場合)
厚生労働省ホームページに、各市町村の保存状況の調査結果を公表しています。
母子健康手帳または予防接種台帳を提出できない場合は、
・その事情を説明した陳述書(親、本人等が作成)
・接種痕が確認できる旨の医師の意見書(医療機関において作成)
・住民票または戸籍の附票(市区町村において発行)
※ 該当時期の予防接種台帳を保存している市区町村に居住歴がある場合で、予防接種
台帳に記載がない場合は、その証明書(当該市区町村において発行)も必要です。

要件3.集団予防接種等における注射器の連続使用があったこと
要件2の証明資料として、①「母子健康手帳」または②「予防接種台帳」を使用する場合
母子健康手帳または予防接種台帳の記載により、昭和23年7月1日から昭和63年1月27日までの間に集団予防接種等を受けたことを確認します。
要件2の証明資料として、③「陳述書」および「接種痕意見書」等を使用する場合
昭和16年7月2日から昭和63年1月27日までの間に出生していることを確認します。
(その場合、満7歳になるまでの間に集団予防接種を受けたことがあると推認します)

要件4.母子感染でないこと
以下の①から③のいずれか
① 母親のHBs抗原が陰性 かつ HBc抗体が陰性(または低力価陽性)の検査結果
※ 母親が死亡している場合は、母親が80歳未満の時点のHBs抗原陰性の検査結果のみで可。80歳以上の時点の検査の場合は、HBs抗原の陰性化(持続感染しているが、ウイルス量が減少して検出されなくなること)が無視できない程度に発生することが知られているため、HBc抗体も併せて確認することが必要です。
② 年長のきょうだいのうち一人でも持続感染者でない者がいること(母親が死亡してい
る場合に限る)
③ その他、医学的知見を踏まえた個別判断により、母子感染によるものではないことが
認められる場合には、母子感染でないことを推認します。
〈例〉原告が双子の兄であり、母親は死亡しているが、双子の弟が未感染である場合

要件5.その他集団予防接種等以外の感染原因がないこと
① カルテ等の医療記録
※ 集団予防接種等とは異なる原因が存在する疑いがないことを確認するために必要
② 父親がB型肝炎ウイルスの持続感染者である場合
→ 父親と原告のB型肝炎ウイルスの塩基配列を比較した血液検査(HBV分子系統解
析検査)結果
※ 父親からの感染でないことを証明するために必要
③ 平成8年以降に持続感染が判明(初診)した場合
→ 原告のB型肝炎ウイルスがジェノタイプAeではないことを証明する検査結果
※ 平成8年以降の感染ではないことを証明するために必要

 和解金を受けるには裁判所に提訴しなければならない。たまに被害者から相談を受けるが、基本合意ができたので直ぐに和解金をうけることができると勘違いしている人がいる。裁判所を通さずにもっと簡便な方法があればよいのだが、残念ながらそうはなっていない。したがって、面倒でも書類を整備して裁判所に提訴しなければならない。私の場合も担当の弁護士から和解条件を満たすための何点か追加資料を提出するよう指示があった。私のようにキャリアで発症していないものには、それほど困難はないが、発症している人、特に肝がんなどで重症の方にとっては日常生活の中でも自分の体を持てあましているのに、追加資料を集めるのは大変なことだ。
 私には母子手帳がない。当時は発行していたのか解らないが、7歳当時小学校に在籍していたことを証明するものが必要とのことだった。通知簿でも良いというのだが、60年近く前の小学一年生の通知簿を保存しているのは、よほど成績がよかったか親が教育熱心でなければ保存していないだろう。やむを得ず、入学した東京都大田区立馬込第二小学校に電話してみた。ホームページがあって電話を調べたのだ。私が入学した当時は木造二階建てで一年生の頃は二部授業だった記憶がある。今では立派な校舎の写真が掲載されていた。校長先生が電話口に出てきたので、B型肝炎訴訟の趣旨を簡単に説明し、学籍簿が残っているか聞いてみた。「永久保存と思うので多分あるだろう。調べて返事をする。」と言ってくれた。


 上の写真は東京都大田区立馬込第二小学校 1952年4月に入学した。

 ホームページに校歌の項があったのでクリックしてみると、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。せっかくなので、歌詞を記載する。

  白石省吾  作詞
  弘田竜太郎 作曲
1 あさひが丘に みどりこく
  東京わんを のぞみみて
  かがやき立てる まなびやは
  明るし清し また楽し
  馬込第二は 我等の誇り

2 桜の花と さききそい
  やたの鏡と くもりなく
  正しき心 ひとすじに
  朝な夕なに つとむべし
  馬込第二は 我等の力

3 われらの窓は 日の本に
  世界に向かい 開くなり
  足なみ そろえつつ
  希望の道を いざ行かん
  馬込第二は 我等の光

 馬込第二小学校は1929年4月1日に開校している。校歌は1938年9月18日に制定されている。大仰なこの歌詞も、日本が軍国主義にまっしぐらに進んでいった頃のものであるからだ。懐かしくはあるが、変えたほうがよいだろう。



上の写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品の版画


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●来るか来るかと 浜へ出て見れば 浜の松風 音ばかり
  ●箱根山をば 暗しと通り 花の小田原 星月夜
  ●春の鶯 何を着て寝やる 花を枕に 葉をかけて