4年目の東日本大震災と「泥塑」

 昨日は、寒く風の強い一日であった。わが家でも粉雪が時々ちらついた。家から見える高越山(阿波富士と言われている 1,123m)にも雪が積もっていた。 
 今日は東日本大震災が発生して4年目の日になった。4年前のあの日、私たち夫婦は東京にいた。B型肝炎訴訟の運動で国会議員に支援と協力のお願いをするためで、大阪原告団の一員としての行動であった。議員要請を済ませ、私は徳島え、連れ合いは長女のいる水戸に向かった。
 飛行機の出発まで少し時間があるので、御茶ノ水の本屋に立ち寄ることにした。御茶ノ水駅から神田に向かって歩いていると、急に地面が大きく揺れだした。周りのビルからはたくさんの人が飛び出してきた。バスや車も停止した。あわてて御茶ノ水駅まで引き返し電車に乗ろうとしたが、これも停まっている。駅舎の入り口のひさしが壊れていた。しかたがないのでタクシーでも拾って、羽田まで行くことにした。しかし、なかなか空車の車が来ない。待つこと数十分。ようやく目の前で客をおろしたタクシーに乗ることができた。高いタクシー代を支払って飛行場に着いたのだが、今度は飛行機が飛ばない。飛行場は客でいっぱいであった。どの人も慌てた顔をしていた。携帯電話で連れ合いに連絡しようとしたが、全くつながらない。この日は飛行場のイスで一夜を過ごした。食べ物もない。
 連れ合いは地下鉄で東京駅まで行き、水戸の長女の家まで行く予定にしていた。水戸も大変な揺れで娘の家も瓦が落ちたという。しかし、地下鉄も止まり、地下道を歩いて上に出たが常磐線も不通になっていてどうすることもできない。東京駅の地下で一夜を過ごした。
 翌日、私はようやく手配のついた飛行機で徳島に戻った。連れ合いも何とか飛行機で徳島まで疲労困憊した顔つきで帰ってきた。東京で仕事をしている息子も会社から長時間歩いてマンションまで帰ったそうだ。
 大阪原告団の議員要請で残った人たちは、丁度議員会館にいた時に大地震にあったという。ここは安全、食料も寝る所(ソファ)があり、それほど心配はしなかったようだ。なるほど、国家のために働いている(?の人もだいぶいるようだが)議員が負傷して国の機能が麻痺してはならないということで、議員会館はしっかりした作りになっているのだと、改めて感心した。

 8日(日)は守大助さんを支援する徳島の会のの役員会と徳島駅前での宣伝行動があった。


 「泥塑」は昨年1月に北京に行った時に購入した本のうちの一冊。「泥塑」は土人形のこと。中国の土人形は写実的なものが多いようだ。また、三国演義水滸伝紅楼夢封神演義などの歴史上の人物や小説上の人物が多く作られている。表紙の土人形は、「大阿福」というもの。この「大阿福」は無錫の惠山の人形で、童子の形をして、邪を鎮め幸せをもたらすという。



わが家の郷土玩具  京都・伏見土人形 土倉

どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
◯肌のさわぎをくるんだ帯を まじめにほめてるいやな奴
◯洗いざらしをきちんと着てる 嫁も夜にはしびれてる
◯あつという間のきれいな虹を よけて干してる縞の服

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