【反戦】について

どーも。
お疲れ山です。


今日はちょこっとだけマジメなハナシをしてしまおうと思います。
薄い知識による的を得ない内容になると思うので、忙しい方はスルーでお願い致します。


反戦”について。
ボクが大好きな場所として、沖縄県があります。
今年の2月には念願のチャリで本島一周をしましたし、海洋生物好きでダイバーでもあるボクは
ザトウクジラに会う為に何度も座間味島へ行ったり、同じ慶良間諸島で潜ったりもしています。
西表島イリオモテヤマネコを探しに行って当然全く会えなかったり、東海岸側から登る朝日を拝んだりもしました。


そんな美しい沖縄ですが、沖縄を語る上で避けて通れないのが戦争のハナシです。
ボクが沖縄に初めて訪れたのは高校の修学旅行です。ベタな沖縄本島観光バスツアーでしたが、
その時立ち寄った平和記念公園ひめゆりの塔の印象は強烈でした。


その頃から、戦争って一体何なんだと、ある程度マジメに考えるようになりました。
ボクが大好きな座間味島沖縄戦アメリカ軍が初上陸した場所であり、
当時、島民の皆さんが集団自決をした歴史があるという衝撃的事実は後に知りました。



(ザトウクジラ 座間味島沖にて)


又、ボクが18歳くらいの時、ボクの母方の祖父は突然、ボクを海外旅行に誘いました。
行先は中国。それがボクの初海外旅行でした。
小さい頃から海外とか異文化に憧れがあったボクは、
祖父の後について万里の長城関羽雲長を祀った寺、
拳法で有名な少林寺等へ行き、完全に観光気分でいました。


そんな旅行の何日目かに、寝台列車に乗って移動する日がありました。
祖父は、夜中に列車が止まる何とかという駅をしきりに気にしておりました。
ボクは始めて乗る寝台列車に興奮しつつも、夜は爆睡していました。


翌朝起きたら、祖父はすでに起きており、
「全く面影がなかったな」とつぶやいておりました。


祖父は戦時中に兵隊として中国へ行っていたそうです。
その何とかという駅近くには、戦時中に祖父が配属された隊が駐屯していた村があったのだそうです。
祖父は50年以上の時を経ても、当時の村をもう一度見たかったのだそうです。


祖父は少年時代から機械いじりが好きで、車の運転や修理もお手のモノだった様です。
戦時中はその能力により、将校の乗る車の運転手をしていたそうです。
食べるもの等も将校と同じ様なものを食べれたりと、恵まれていたそうです。


祖父は4年くらい前に86歳で亡くなりましたが、戦争の話をする様になったのは晩年です。
それまではあまり話したがらなかった様です。


ボクが聞いた話では、中国で駐屯していた村の村人と仲良くなった頃、その村が山賊に襲われ、
山賊と銃撃戦をして戦った話や、戦争中の混乱で生き別れになっていた戦友と終戦直後の引き上げ船の乗り場で偶然再会した話等です。
又、祖父の弟(ボクの大叔父)は南方へ派遣され、乗っていた戦艦が沈没し、
海を泳いで島に流れ着くまでに戦友が次々とサメに食べられてしまったというショッキングな話もありました。
50年以上を経て、中国を再訪した祖父は何を思っていたのだろう。


こういった事を思い起こすと、ボクらはどれだけ恵まれた時代で暮らしているかがわかります。


一言に反戦といっても資本主義と社会主義、宗教対立や民族対立、核拡散等、様々な側面があり、
カンタンには議論できない問題です。
でも、ボクらは恐らく「第二次大戦を体験した人から直接話を聞いた最後の世代」でしょう。
ここ、重要だと思います。
反戦と言う言葉を聞くと捨ておけないというか、何か反応してしまいます。
でも単純に考えて、理由はどうあれ自分と同じ人間の頭上に爆弾を落とす行為は間違っていると思います。


全然まとまってないんですが、
今のところの“反戦”に対するボクの思いです。



沖縄本島北部東海岸からの朝日)
(自然は人間の愚かな行為と関係なく美しいですね)


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