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2008-10-14 それはノイズでも例外でもない

死刑制度とフリーライド


先日のエントリの追記において再追記でブクマコメに応答すると予告していたけど、思っていたより多くのコメント欄コメント・ブクマコメ・トラバがついたので、独立したエントリで応答しますにゃ。個別の応答はパスね。


死刑願望による他殺の存在はガチだろ

まず、死刑願望に基づく犯行について、毎日新聞と朝日新聞の記事の全文引用が載っているブログから記事を引用


2月に東京都新宿区にある神社のトイレでタクシー運転手の頭を金づちで殴ったとして殺人未遂容疑で逮捕された無職の男(31)も、昨年9月に広島・平和記念公園で男性を刺殺したとされる無職男(63)も「死刑になりたい」と動機を語ったとされる。

 いずれも容疑者たちは「死にたいが死にきれなかった」などとも供述したという。特定の人に殺意を抱いたわけではなく、死刑制度を使って間接的に自殺を図ったというわけだ。


http://s19171107.seesaa.net/article/96350509.html

ふむふむ、今年だけで死刑願望に基づく殺人は3件ね。確か、2007年には殺人事件件数は戦後最低の1199件だそうだから、1%にも満たにゃーとはいえる。



米国では、以前から死刑願望者による事件が起きている。「死刑の大国アメリカ」(亜紀書房)の著書がある宮本倫好・文教大学名誉教授(米国近代社会論)によると、州ごとに死刑制度の有無が異なる米国では、わざわざ死刑制度のある州で、無差別に殺人を犯すケースがいくつも存在するという。


http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/3d4b26f1194c00d36d07da63d614e544


「死刑願望」でぐぐってみたところ、「本当に死刑になりたいのなら、その前に自殺しているはず」とかいう底の浅い論調をいくつかみたけれど、死にたくても自分では死ねない、なんてのはアタリマエにありえることだろにゃ。

こういう想像力のまるで足りにゃーことを言う連中は、軍の関与はなかった? よろしい、ならば洗脳カルトだね - 地下生活者の手遊びの金城証言でも読め。


死ぬ手法を見せてくれた区長さんは、妻子を殺したあと自分の首を木の枝にヒモをかけて死のうとしたが、どうしても死ねないとウロウロしていたことを強烈に覚えている。


死を決意して自分の妻子を木の棒で叩き殺した者すら、なかなか自殺はできにゃーのだよ。


死ぬまで3食昼寝つき


ではブクマコメに応答していきますにゃ。

  • 終身刑だって、死ぬまで3食昼寝つきだからそれを求めて殺しをするんじゃね?

というコメントがありましたにゃ。


ふむ。

こうしたコメントをしたヒトタチに聞きたいにゃんね。

「自死を決意した者と、あくまで自分は死ぬ気のない者とどちらが危険だと思う?」

資料として

を挙げておきますにゃ。紹介したこの研究において、殺人を起こすのは「希望なきもの」であることであることは統計的にほぼ立証されていると見てよいと考えますにゃ。


戦後の日本が数十年にわたって一貫して殺人事件の発生率を減少させてきたのは、

  • この社会の一員となって生きていたいと思わせるような社会であった
  • この社会の一員となって生きていくという具体的な見込みがあった

逆に言えば、これらの希望が失われれば他殺・自殺の可能性は高まるわけだにゃ。



人間としてみなされていない人は、他の人も人間としてみなさない。凶行の背景には、凍えるほどの孤独が生み出す負のスパイラルがある。


【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式 - 何かごにょごにょ言ってます


自分がニンゲンとして見なされていると思っていたらなかなか自殺はしにゃーんでにゃーのか? 僕はいろいろと楽しくてしかたにゃーので死のうと思ったことがにゃーからよくわかんにゃーけどな。

自殺と破滅型の他殺は心理的には同じことなんでにゃーの?


しかも、ここ10年ほど連続して自殺者は3万人以上なんだろ? 死にたくても死ねないニンゲンは少なくともその数倍。自分がニンゲン扱いされていると考えてにゃーから他人の痛みにも無関心で、そのうえ死刑なんて何の脅しにもならにゃーどころか死刑制度こそが犯罪を促進しかねにゃー連中が10万人単位でいるわけですよ。

これでも死刑願望による犯行は無視すべき稀なただの特異例でありノイズにすぎず、終身刑でも3食昼寝つきを求める輩がいるだろうから危険度は同じで、死刑は抑止効果以外にも更生の余地のない基地外を始末するのに役立ち、前回のエントリは猫をかぶった権力の犬*1のポジショントークなのかい?


フリーライドと死刑制度

僕がいいたいのは、死刑制度にはフリーライド(ただ乗り)の余地があり、将来にまるで希望のにゃー者にとってはそのコストがゼロであり、社会がニンゲンをニンゲン扱いしにゃーほど人命というコストは低くなるということですにゃ。そしてこのフリーライドは、不可避的に人命を生贄にするものにゃんね。


先ほども述べたとおり

  • この社会の一員となって生きていたいと思わせるような社会であること
  • この社会の一員となって生きていくという具体的な見込みがあること

この2点を実現する社会、具体的にいえば望むものには高等教育が保証され格差が少なく民主的なコミュニティが機能している社会であれば、自殺も他殺も激減するわけだにゃ。犯罪を減らしたければこれが王道。理路もしっかりしているし統計的にも明らかだにゃ。


しかし王道にはカネがかかるという声が聞こえてくるようですにゃ。

然り、カネがかかる。

カネがかかってアタリマエだろ?


犯罪のない安心して暮らせる社会というのは、まっとうな者なら誰でも望む社会であり、古今東西その実現は為政者の目標とされていますにゃ。こういう社会を実現するためにカネをかけずに、いったい何にカネをかけるんだ?


死刑で凶悪犯罪が減り、厳罰化で犯罪が減るとしましょうにゃ。

にゃんとカネのかからにゃー犯罪対策であることか!

格差にも社会の不公正にも目をつぶってほっかむりして、ことをおこせばすべて個人の責任であり、すぐに吊るしてしまうことで犯罪が減るならば、これぞ金持ち様にとってのパライソ! 自己責任だから厳罰なんですよ。


裏社会のニンゲンでもにゃーかぎり、犯罪発生率の少ない社会は誰にとっても望ましいものであることは論をまたにゃー。富んでいるものほど、その恩恵を受けていると一般的にはいえるでしょうにゃ。

厳罰化で犯罪が減るのなら、金持ち様あるいは中産階級はコストを負担することなく犯罪の少ない社会の恩恵を手にすることができるわけですにゃ。

おお、これはフリーライドだ!

犯罪抑止のコストは低所得者層に負担させることができるぞおおおおお!


それに、厳罰化によって被害者・遺族の報復感情を満足させれば、その生活補償にカネもかからにゃーわけだ。現行の犯罪被害給付制度では、殺されても1500万ちょっとしかでにゃーからな*2

犯罪被害者や遺族には、長期にわたる心理的経済的その他のさまざまなケアが必要であり、それにはもちろんカネがかかるにゃ。被害者や遺族が報道においてとりあげられるとき、報復感情にしかスポットがあてられていにゃーようなのは、実に意図的なものを感じておりますにゃ。報復より生活だという被害者・遺族もいくらでもいるだろうに。

  • 厳罰化を求める動機の背景には、中産階級〜富裕層が犯罪抑止においてコスト負担を忌避し、フリーライダー化したいという欲求がある

と僕は考える。


つまり、死刑制度に代表される厳罰化要求の裏には犯罪抑止ならびに犯罪被害の補償にカネをださずにフリーライドしたいという欲求があり、そこにさらにつけ込んでフリーライドしにくるのが死刑願望の犯罪者なのではにゃーのか?


言い換えるにゃ。

犯罪を抑止するための王道ははっきりしているのに、そのカネを出すのを惜しみ、厳罰化などという効果の実証されてない方法*3を用いて利益だけをむさぼろうとした必然的な帰結として、死刑願望の犯罪という奇形的で醜悪なことが行われるのではにゃーのか? ノイズでも例外でもにゃーだろ。


嫌なら出てけ

格差の少ない社会では、貧しいものだけでなく金持ち様も健康状態が改善されるという研究結果もあるんだよにゃ。

参考:fromdusktildawnが正しすぎて屁が出る - 地下生活者の手遊び

参考:医学書院/週刊医学界新聞 【〔対談〕「社会疫学」とは何か(Ichiro Kawachi,近藤克則)】 (第2566号 2004年1月5日)

というわけで、応分の負担をするのが嫌な金持ち様は、日本から出てってもらって構わにゃーと思う。税率の低く犯罪率の高い社会で、高いコストかけて安全を買い、ストレスをためて早死にしてくださいにゃ。自己責任でよろしく。


ほそく

言いたいことはだいたい言ったけど、補足をしておきますにゃ。

まず、死刑制度に反対する最大の論拠は、一般的にいえば冤罪可能性だろうにゃ。

死刑判決がでた後に冤罪だと認められた例が何件かあるのは、死刑大好きクンたちももちろん知っているよにゃ? ニンゲンがすることには必ず間違いがあり、よって原理的に冤罪が避けられにゃー以上、冤罪での死刑の可能性は死刑制度の必然的なコストとなる理路は誰も否定できにゃーよね?

つまり、

死刑制度を支持するということは、自分が冤罪で死刑にされる可能性を受容することが前提となりますにゃ。死刑制度大好きクンって、すんごく勇気あるんだね・

といいたいところだけど

その実、冤罪死刑囚って知恵遅れとか被差別部落出身とかいう社会的弱者が多いようだにゃ。コストは弱者に負担させればいいんだよね?


僕自身の考えは、自分の手を汚せ - 地下生活者の手遊びで表明したとおり、死刑反対派ってことに形式上はなるかにゃ。生き死にや復讐を国家に委ねるつもりはにゃーです。

血は血でしか償えない、っていうテーゼは信仰に属することだと思うけど、だからこそ支持しますにゃ。

ただし

それは自分の手を汚す覚悟のある者だけが言えるセリフであるとも考えますにゃ。

*1:ブクマコメには笑かせてもらった>id:Midas。チミはがんばってバスチーユでも網走でも襲撃してくれ

*2:まあ、改正の動きはあるようだけど

*3:死刑で凶悪犯罪が減るという統計的な事実もにゃーし、厳罰化で犯罪が減るという統計的調査もにゃーわけだ。軽犯罪を厳罰化すれば確かに軽犯罪は減るらしいが

いつどこ名無しさんいつどこ名無しさん 2008/10/14 07:18 んん?論旨に不明な点があったので教えてください。

> 死を決意して自分の妻子を木の棒で叩き殺した者すら、なかなか自殺はできにゃーのだよ。

「だから死刑願望の犯罪者が出てくる」という論旨と理解しましたが、

> ふむふむ、今年だけで死刑願望に基づく殺人は3件ね。確か、2007年には殺人事件件数は戦後最低の1199件だそうだから、1%にも満たにゃーとはいえる。

死刑願望があるかどうか不明の数値も含めての殺人数字が上記の件数(1199件)ですが、

> しかも、ここ10年ほど連続して自殺者は3万人以上なんだろ?

実際に自殺した人は「3万人以上」と挙げていらっしゃいます。

この2つの数字を比較すると、「死にたいと思っていて、それを何らかの手段で実際に行動に移した人」の内訳は、死刑を目指して犯罪を犯した人よりも、自殺を選択した人の方が有意に(少なくとも1桁以上)多いことになります。

本当に「なかなか自殺はできにゃー」のでしょうか。死刑が、自殺せずに死ねる逃げ道なのだとしたら、それより苦しいはずの自殺より多くの人が逃げ込むのでは
ないでしょうか。

よくわかりませんでした。

NANoNANo 2008/10/14 08:58 殺人願望を持つ人間がそれを行動に移す場合、自殺であれば障壁となるのは「自分を殺す手順」だけに
なるけれど、死刑と云う刑罰による「間接的自殺」を望む場合、極刑に値する「他殺/他者障害」を
相当数繰り返す/積み上げるという、甚だしく知力・体力・技術を求められるハードルがあるんだが
分からないものかな>いつどこ名無しさん

死刑が「自殺せずに死ねる逃げ道」であることは間違いないけれど、その恩恵にあずかるには
それなりの「力」が必要なんだよね。ところが、自殺実行者の大半は、孤独や苦悩、絶望による
磨り減った精神状態によって、他者を殺傷するに至る力が枯渇している→ゆえに自殺の苦しみを
超えてしまう面がある、というスパイラルも存在するだろう。

いつどこ名無しいつどこ名無し 2008/10/14 19:28 NANo さん、レスありがとうございます。

おっしゃる通りです。
現世に希望をなくした自殺したい人にとって、有形無形の障壁によって阻まれている「死刑と云う刑罰による間接的自殺」は、実際にはとても困難な行為であると、私も思います。そのため、本エントリの論旨について違和感を感じ、コメントさせて頂いた次第です。
NANo さんは、どのようにお考えですか?


もう1点。

> 死刑願望による他殺の存在はガチだろ

という点は、実例を挙げて頂いているのでその通りだと思うのですが、これを死刑制度に対する賛成・反対に絡めるには、「死刑制度がなく、死刑にならないからこそ殺人を犯す」という反対事例についても着目し、それぞれの数字を差し引きした結果をもとに論を展開する必要性を感じました。

全体的な論旨としては、「死刑制度の有無による犯罪率、特に凶悪犯罪の上下動は統計的には確認できない」という大前提がありつつ、「しかし死刑があることで、死刑願望から殺人を犯す人が実際にいる事は確かだから、死刑制度はあるべきでない」という論理展開が一つの柱だと理解しています。
しかしこの論法をそのまま用いると、2段落目において「しかし死刑がないことで殺人を犯す人が実際にいることは確かだから、死刑制度はあるべきだ」という結論を述べることもできます。
2点目の意見が空論で、1点目の意見が正鵠を射ているとするならば、「死刑願望に起因する他殺の実現数」が「絶対死刑にはならないことによる他殺の実現数」を上回っているはずです。そうでなければ、この論点は1つめの大前提を突き崩す特異点にはならず、せいぜい「どっちにしたところで大して変わらない」という結論にしかなりません。

「死刑制度の有無による犯罪率の上下動は統計的には確認できない」という大前提を用いる以上、「死刑制度の存在に起因した、死刑願望による他殺=間接的自殺」の実在をもとに死刑を否定するなら、その間接的自殺の実行数が、反対の環境下における反対の意図による他殺の実在数を有意に上回っていることも同時に示す必要があります。
でなければ、「死刑願望による他殺」の存在も、犯罪率に統計的に有意な差をもたらす要因ではないことが明確になり、「しかし死刑がないことで殺人を犯す人が実際にいることは確かだから、死刑制度はあるべきだ」という論が、同等の説得力をもって反論に用いられてしまいます。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/10/14 21:37 >いつどこ名無し

例えばインフルエンザの予防接種を考えてみましょうにゃ。

ここに、予防接種をすれば完全に予防できる悪性のインフルエンザがあったとしますにゃ。母数が一万人としとこうか。
予防接種をしなかったら100人死に、予防接種を行ったら副作用でX人死ぬと仮定しますにゃ。
ここで、X>100 だったらもちろんお話にならにゃー。
しかし、X<100 であれば予防接種を行う意味があるかというと、そう簡単ではにゃー。
Xをゼロにすることは不可能だとしても、わざわざ労を取りコストをかけて予防接種を行うわけですからにゃ。
X>10 もあれば、その予防接種は危険だから行うべきではないと大騒ぎになること請け合いにゃんね。

ニンゲンの心性の一般的傾向として、「自然」「偶然」におこるリスクには許容度が大きく、人為的な行為におけるリスクには許容度が小さいのですにゃ。で、このあたりは倫理学でも議論されていることにゃんね。サバイバル・ロッタリー でぐぐってみてくださいにゃ。
この観点からすると、死刑制度が犯罪抑止において圧倒的なパフォーマンスをもたらしてすら、その制度によって無辜の者が殺されるというリスクを事実上おっているのだから、その存続は疑義に付されることになりますにゃ。

気が向いたらこの論点で追加エントリをあげますにゃ。

いつどこ名無しいつどこ名無し 2008/10/14 22:51 コメントありがとうございます。

> ニンゲンの心性の一般的傾向として、「自然」「偶然」におこるリスクには許容度が大きく、人為的な行為におけるリスクには許容度が小さいのですにゃ。で、このあたりは倫理学でも議論されていることにゃんね。サバイバル・ロッタリー でぐぐってみてくださいにゃ。
> この観点からすると、死刑制度が犯罪抑止において圧倒的なパフォーマンスをもたらしてすら、その制度によって無辜の者が殺されるというリスクを事実上おっているのだから、その存続は疑義に付されることになりますにゃ。その存続は疑義に付されることになりますにゃ。

ご指摘頂いた通り、サバイバル・ロッタリーをググって拝見いたしました。しかし、法治国家において死刑制度がないという「自然でも偶然でもない人為の行為」によって、(死刑が無いから殺人を犯すという無法者の存在により)無辜の者が殺されるというリスクがある点に関して、何らの言及があるとは思えませんでした。

この観点からすると、法治国家における死刑制度の廃止が犯罪抑止において圧倒的なパフォーマンスをもたらすとしても、その制度によって無辜の者が殺されるというリスクを事実上負っているのだから、その存続は(死刑制度の存在による犯罪抑止効果の主張とともに)疑義に付されることになります。

殺人は病死でも老衰でもないのですから、「自然」「偶然」におこるリスクではなく、本件に対して演繹すべきでない論理であると考えます。

udud 2008/10/15 00:14 安楽死制度の代替としての死刑制度という意味では、存在を認めても良いのでしょうか。

NANoNANo 2008/10/15 09:16 「死刑願望による他者傷害」と「死刑が存在しないことによる他者傷害」という対比は、なるほど
興味深い考察点かも知れませんね>いつどこ名無しさん。

しかし「死刑願望による犯罪」が「たった一例でも」存在するということは、統計以前に憂慮すべき
問題であると考えられないでしょうか。逆に、死刑に絶対ならないのだから犯罪を犯すという心理は
果たしてあるのだろうか?という問題も根深いでしょう。どちらにせよ、国家による殺人許容の是非を
検討する際には、統計以前に、それがノイズや特異点であろうと一例でも「実害」が現存するのであれば
顧みるべき点は非常に大きいだろう、とするのが私の立場です。

いつどこ名無しいつどこ名無し 2008/10/16 17:37 NANoさん、レスありがとうございます。

うーん。死刑という罰に理不尽さがあるとして、それは殺人という罪が他人にもたらす理不尽さを上回るものなんでしょうか。。

どういう動機で実施されようが、他殺という行為自体、そもそも殺される側から見るとどうしようもなく理不尽な侵害行為だと思うのです。

死刑願望を持つ人にある日突然サックリ殺される自分を想像すると確かにアホらしいですが、異なるシチュエーション、例えばヤクザの銃撃戦に巻き込まれて死んだと想像したところで、意図せず人生を断絶させられるアホらしさに差などありはしません。殺された側にとっては等しく無限大の理不尽さがあるだけで、自分を殺した奴がその後どうなるか、例えば死刑になるかどうかなんて些末な話です。それで死者が生き返るわけでもありませんから。

この他殺という行為の理不尽さをいささかでも和らげようとするなら、他殺の発生件数そのものを抑え込むしかありません。死刑制度がある日本で「死刑願望による殺人」という理不尽さがいくつか実在していることに異議はありませんが、その他のケースの他殺が持つ理不尽さより重く見るべき理由もないでしょう。

したがって、「死刑願望による殺人」という事例に類する他殺予備軍の動機を取り除くために死刑を廃止したとしたとき、他殺という理不尽さの総量である殺人件数(死刑=国家による殺人とするなら、ここに合算されるでしょう)がどう影響を受けるか。「実害」が増えるのか減るのか。ここが重要な論点になるはずです。1を得るために10を失う可能性がないとは言えません。

「死刑願望による他殺の実在」は、死刑を廃止すればこういう類の他殺は防げる可能性がある、という一つの事例ではありますが、死刑の有無で統計的な差異がみられない前提を用いている以上、これを起点にして死刑制度の改廃に言及するのはいささか無理筋ではないでしょうか。

NANoNANo 2008/10/18 16:18 いつどこ名無しさん

私の表現が悪いのですが、私自身は死刑制度に「反対な雰囲気」ではありますが、確かな信念として
反対しているほどではありません。賛成するにせよ、反対するにせよ、どちらにしても理不尽なのだけど
とりあえず死刑制度に反対する「サイド」に理がありそうな気配を感じている、というスタンスです。

統計にもとづいた論証を行うには、信憑性の高いデータが(専門家が探してでさえ)ないようなので
この問題を論じると思弁的にならざるを得ないのですから、それぞれのスタンスがあって当然です。

>これを起点にして死刑制度の改廃に言及するのはいささか無理筋ではないでしょうか。

同意します。
ただし「これだけでは」と云う点についてです。
死刑制度の改廃については、もっと多面的な考察と、できれば根拠となるデータ、さらには
主権者の総意が必要になるでしょう。

いつどこ名無しいつどこ名無し 2008/10/21 23:42 NANoさん:

なるほどです。わたし個人も、極刑=死刑である必然性があるとは、実のところ思いません。死刑をはじめとする刑罰は、手段であって目的ではありませんから。

基本的に、犯した罪より受ける罰が明らかに軽い現代においては、他人を殺す以上の罪を犯す人がいなければ死刑になる人もいないわけなので、罪を犯す側の心情と人生設計をも思いやれば、罪を犯そうと思わない(≒自暴自棄にならないような)環境作りが、死刑制度の有無よりもよほど重要度が高いことだと思います。これは、ブログ主様の以下のご指摘の通りです。

> 具体的にいえば望むものには高等教育が保証され格差が少なく民主的な
> コミュニティが機能している社会であれば、自殺も他殺も激減するわけだ
> にゃ。犯罪を減らしたければこれが王道。理路もしっかりしているし
> 統計的にも明らかだにゃ。

しかし、こういう着眼点に気付いていながら、それを厳罰化賛成派(文中では「死刑大好きクンたち」と表現していると思いますが)の社会的コストに関するフリーライドの方便だと揶揄するのは、あまりに牽強付会だと思うのです。

この論点は、反対方向にこじつけることも可能です。

死刑制度に賛成でない方々が、こうした窮地にある人たちを救うカネを惜しむからこそ、死刑に処されるような行為を行う人たちが現実に現れて(増加して)しまい、かといって、そういった人たちを死刑とするのは非人道的なので、ならば死刑のほうを廃止せよ(死刑制度の廃止によってコストをかけずに人道的な満足感を得たい=フリーライドしたい)、と主張するしかなくなるのではないですか?
(罰の非人道性を唱える方が、罪のとばっちりを喰らった被害者がどのような非人道的な被害を被ったかまでを考慮に入れて頂いているのかどうか、少々心配ではありますが)


こうやってネット上で気まぐれかつ好き放題に方言しているような私のような人種にとっては、市井の一国民として、自分自身が被害を受ける可能性を極力押さえる方向に論を誘導したいという誘惑に駆られます。しかしながらその観点では、死刑制度の有無というのはかなり優先順位が低い問題です。その理由は、犯罪率の増減に対して死刑制度の有無が与える影響度が低いからです。こうした、あまり本質的でない論点だからこそ、各人の主義主張というスタンスが明確になるのかもしれませんね。

ただ、それと気付きながら本質に触れず、中立的な事実をもとに一方の論点に有利なロジックを展開して他方を論難し、ご自身の展開する論点が優先度が高く理に適った問題であるかのように振る舞う手法は、フェアなやりくちではないと思います。>ブログ主様

NANoさんとのやりとりを経て、なんだか自分自身の考えを整理することができたような気がします。ありがとうございます。

free_jamalfree_jamal 2008/10/23 00:56 死刑廃止絶対賛成!
意見を述べさせてもらいます。
1.死刑制度は誰のため、何のためあるのでしょうか。
支配権からごく一般人までは、死刑制度は凶悪犯罪を防止するためでありしかたがない、とかんがえています。支配権と一般人の考えを区別するべき事はともかくです。さて、問題なのは本当に凶悪犯罪者は摘発・処罰されているかどうかです。ご存じにように、自公政権の小泉劇場の様々な悪政策によって多くの人々は職を失ったり、非正規社員は300%あまりを示して苦しい生活を押し付けられたり、福祉に削減、そして、8年あまりと言う年間の自殺者(戦争中のイラクよりも多い)が続けたり、などになりました。民衆の財政の不正獲得と無駄扱いの問題もこれに含まれます。不動産業界とマンション作りの手引きと他業界の不正問題もまたともかくです。では、これらの凶悪犯罪者を誰が捕まえて、処罰しているのでしょうか。それはあり得ない事、考えられない希望ではないでしょうか。それは、これらの連中には権力者と金がついているいるからです。では結論的に言うと、死刑制度は単に弱い者の摘発のためにあるのではないかと思います。
2.死刑制度を無くした場合は社会の安全はどう確保される。あるいは、社会の負担は増える事について
そもそも資本家・構造的政権は社会の安全を考えていません。検察の存在はその事実の証です。警察の役割は単に支配階級と企業・大金持ちを守る事である。
忘れてはいけない事は、単純な事実である、銀現誰でも犯罪・人殺しをするため生まれて来る訳ではない事です。この単純な事実はマスコミの洗脳によって被されています。個人・集団は人間を殺してはいけません!社会犯罪の存在は支配権の政治・経済的な政策の失敗の証である。当然、その中で責任は個人にではなく支配権にあります!人類の望みは自由・平等・人間らしい社会です。そんな社会目標の実現のためそれなりのシステムを作るべきです。そんなシステムを明日からでも実現出来なくらい素材は今でも多いに存在していますが。

あ 2009/12/04 01:05 廃止論はオナニー

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