今日は8:30に起きてから、奥さんが出かけたので子守りをしていました。こどもを前のイスに座らせてママチャリであちこち走り回って疲れました。
昨日に続いてスキー部の思い出を。
私が大阪府立高校教諭に採用されたのは昭和59年4月でした。
多くの人が何回ものチャレンジの末に合格するのに比べ、私は幸いなことに一発合格でした。
最初の赴任校は3学区の泉尾高校でそこでスキー部と出会いました。
正式名称は「山岳スキー部」といい、春夏は登山、冬は競技スキーをやるクラブでした。
そのときすでに顧問だったのが「シープさん」こと高畑先生と、スキー部のない学校に転勤したにもかかわらず今も高体連スキー部の常任委員を続けている笠井先生でした。
シープさんは泉尾高校に30何年ずっと勤めていた先生で、2年後に退職され今も八尾の高安で奥さんと2人(娘さんは嫁がれ今はシンガポールです。)でご健在です。
私が住んでいるのは八尾の恩智で近鉄の駅では一駅違いなだけのご近所なのでたまにこどもを連れて遊びに行くと歓迎してくれます。
笠井先生は温厚実直な方で、確か私より一回りほど年上だったはずです。奈良の大和小泉にお住まいです。
笠井先生に誘われて何の気なしに顧問を引き受けたのですがやってみるとハードでした。
春は岩湧山高体連登山部の大会が一泊二日であり、それに備えての予備登山が5月の連休あたりにありました。
夏休みは夏合宿。大正駅で団券を取り、7月の天神祭りの夜、大阪駅11番ホームから急行「きたぐに」で出発です。
「くろよん」が走っているときは「くろよん」で行きましたがだいたい「きたぐに」でした。
糸魚川大糸線に乗り換え、南小谷へ。
南小谷の駅から1時間ほど歩いて上がると白馬乗鞍スキー場です。
泉尾高校山岳スキー部は白馬乗鞍に小屋を持っており夏合宿は春からずっと無人のその小屋、泉嶺ヒュッテの補修が主な目的です。
畳を全部出して干したり。ふとんの破れをつくろったり、たまっているトイレのくみ取りをしたり、OB、現役は休む間もなく作業があります。
5日ほどで補修のかたがつき、それから白馬登山です。
メインは冬の競技スキーのためそんなにハードなコースへは行きませんでした。
最初の年は栂池から大池へ上がり、大池泊。
翌朝空荷で頂上へ、その後大池へ引き返しまた栂池へ下りるというコースでしたがこのコースはヒュッテからすべて徒歩だったためけっこうハードでした。
翌年からはヒュッテからわらび平山荘のマイクロで猿倉まで送ってもらい、猿倉から大雪渓を上がり村営宿舎泊、翌朝は頂上を経て大池から栂池へ降りるか蓮華温泉へ降りる。というコースが多くなりました。
白馬登山が終わるとヒュッテの後かたづけをして大阪へ帰ってきます。
2学期は昨日書いたように中間考査までは平穏なのですが、以後は一気にあわただしくなります。
羽曳野高校でのクロスカントリー大会(当時は羽曳野高校でやっていたのですが、いまは会場が変わっています。)が終わると冬合宿、大阪大会に備えての準備をそろそろ始めなければいけなくなってきます。
冬合宿は、大きな声では言えないのですが冬休みいっぱいやります。
大阪の府立高校では合宿は1回あたり4泊5日と決まっているのですが、12月24日の夜に出発し、最初の4泊5日だけが合宿でそれ以後は現役が個人的にヒュッテに残留し練習するという形を取っています。
とはいえ顧問が現役をおいて大阪へ帰るわけにいきませんので我々もずっとヒュッテにこもります。
また若いOBが「ヒュッテ管理人」として同行するのですが彼らはご飯の用意と技術指導の両方をやってくれます。
28日頃から古いOBがやってきて大みそか、元日のあたりは戦争です。
むかし80人泊まったことがあると聞きましたが私がいた頃は30人くらいでした。
ふだんの夜はOBも現役の消灯時間10:00を過ぎると静かにしてくれるのですが大みそかは例外。
みんなで管理人の作った年越しそばを食べながら紅白を見、どんちゃん騒ぎが遅くまで続きます。
みそかの夜ヒュッテ総出で松明滑降をやることもありました。わらび平のゲレンデが明々と染まりそれはそれはきれいでした。
翌年1月5日からの最後の4泊5日は大阪大会に出場します。
これは合宿と同じく「公式行事」です。
大阪大会は白馬のみねかたというところで開催されていました。(途中から妙高の池の平に変更になりました)宿舎は高体連が部員数によって振り分けて決めるのですが、最初の年は大門荘(こういう字だったか?)だったのですが次の年からはみねかた館になりました。
古びた宿で私は掘りごたつが好きでした。プライベートでも何度かお世話になりおじいちゃんが亡くなったということを聞いてこないだの新ヒュッテ完成式の折、寄ったきりです。みなさんお元気でしょうか?
試合種目はアルペンがSL(回転)とGSL(大回転)、ノルディックが個人とリレーでした。
最初の年37期生の香山君がSL優勝、GSL2位(順位は逆かもしれません、なにぶん記憶の彼方なので)でインターハイ出場を決めたのが印象的でした。
泉尾は伝統的に女子のノルディックが強く毎年大阪大会でよい成績を収め、インターハイに出場していました。
大阪大会が終わるといったんヒュッテに戻り後かたづけをしてから1月9日に大阪に戻ります。現役は1月8日の始業式、1月9日の実力テストは公欠です。