あけまして・・・

おめでとうございます。

【今年の干支】


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さて、タイガーの神業が最近見られないのも悲しいですが、これもちょっと悲惨なニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091229-00000419-reu-spo

フィンランドでは、それこそタイガーというより、マラドーナクラスの「神」でしょう。

まだ買ってません/なんか・・・

tmymy2008-11-24

 「買えば、本当に終わってしまう不安」
焦点は、作品が呈示する世界観(あるいは作品を受け取る我々受け手の感受性)が「過去に過ぎないのか」、「現在や未来を感じさせるのか」である。
 迷う!べきときだ。


 しかし、ヤバイ感じの事件が多いです。かなり、嫌な感じの年末になっていってます。
 もちろん、気にしなければよいのですが、そういう訳にもいかない・・・


 

ついに終わる・・・何が?

いやあ、ついに出ましたよ、Guns N' Rosesの新譜『チャイニーズ・デモクラシー』!
http://www.barks.jp/news/?id=1000044344

もはや誰も出してくれとは言ってないのに!、こんなに笑える〈祭り〉はそんなには無いのであって、とにかく今の世の中、こういう事をブログで書いたりするのが、どうやら最も面白いことなんでしょう。とにかく笑える事件だ。

まず第一に、「ガンズ」って跡形も無いじゃん、デブってヒッキーになったアクセルだけじゃん、って基本の話し。
次に、制作期間14年って、「ほとんどの時間、創ってないだろう」って話し、権利関係でゴタゴタしただけじゃん。
それから、「中国の民主主義」って何や!、意味不明・文脈なし!、天安門事件?そんなのいつのことよ、今や「息も絶え絶えのアメリカ vs オリンピックな中国」って図式じゃん。

まあ、14年というタイムラグは、社会変化・時代変化を人に感じさせるのに十分な月日だ。

そもそもガンズというバンド自体が、「ポストロックの音楽シーン」に突然と古典的ロックンロールスタイルを復古させることで登場し、圧倒的な存在感とセールス実績を獲得したバンドだった。もともとはLAメタルの流れを汲むバンドだが、それもデビュー作くらいの話しで、すぐに「アメリカン・ハードロック」とでもいうようなアメリカ的国民バンドになっていった。それは、『ユーズ・ユア・イリュージョン』のアルバムやライブなどを見れば分かるように、ロックというより、音楽というより、エンターテイメント大大会という趣きだ。ボブ・ディラン、ポール・マッカトニー、ストーンズのカバーは、今も【You Tube】で見れば楽しさ溢れるエンターテイメントだ。何せ、スラッシュによる「ゴッドファーザーのテーマ」のソロなど、というものすらあったくらいだ。要は、もはや「古典的でしかなかったロック」というスタイルを、エンターテイメント空間として拡大させて、大きな支持を得た。それは時代の徒花だったのは言うまでもなく、すぐにニルバーナのような「暗く不景気なバンド」が出てきて若い層の支持を集めたし、音楽的にはオルタナティブロックが「他の選択肢を提示する」動きを活性化した。ガンズはロックの終わりを象徴するバンドだった、そして今、その「ガンズ神話」が終わろうとしている、まさに「バンド活動の実態」はなく、無意味な新譜制作告知を14年間続けながら、その神話を垂れ流し続けたプロセスが終了するのだから。

「ロックの終わり」がやっと終わった



PS しかし、流石はアメリカ、〈祭り〉を知っている、と言えるようなところも発見できた、
  それは企業のマーケティングにおいて。
  こういうのこそ最良の企業コミュニケーションです。http://www.barks.jp/news/?id=1000044357

「尊厳」の問題

ニクラス・ルーマンは、『制度としての基本権』の中で、以下のように記述している(木鐸社、P101、133)。

制度としての基本権

制度としての基本権

  

 自己の尊厳が喪失された場合、それに対する自然な反応は、従って、当事者が社会的交通から自らの人格性を引き上げてしまうことである。そのような場合、彼は自らのコミュニケーション的活動をとりわけ同様の状況にあるパートナーに限定し、狭いサークルの中で、特殊な表出条件の尺度に従って自らの尊厳の回復に努める。彼はコンタクト選択の自由を断念し、自らの自由を、いわば自らの尊厳にふさわしい程度にまで引き下げるわけである。彼は家庭において休養する。尊厳喪失という状態は、しばしば、花柳界というエキセントリックなサークルへの通路を彼に開く。この世界はコンタクトの限界を制度化することによって、そしてまた言語や身振りに風変りな行為態度様式をもたせて貫徹することを通して、破綻した実存に新たなる尊厳を与えることができるのである。

 喪失された社会の中での自由が社会からの自由として静態的モメントとして形成されていくということは、十分に特徴的なことであり、このサブカルチャーの補償機能を明確に表現している。


下記URLの議論の捕捉となるか?
http://www.hirokiazuma.com/archives/000434.html

0801ロフトプラスワン

PLUSONE パネルディスカッション
秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/schedule/lpo.cgi

【出演】宮台真司社会学者)、東浩紀(哲学者/批評家)、切通理作(評論家)、雨宮処凛(作家)、月乃光司こわれ者の祭典)、タダフジカ(ギタリスト)、他
【司会】藤井良樹ルポライター


行ってきました、このイベント。一部のみ見た。

いや、しかし東浩紀さん大変だ。
宮台さんを相手に何とか争点創ろうとして。
まず、宮台さんとの相違点を指摘して、
そこから何とか差別化を果たそうとしていくけど、
ベーシックな部分での一致もあるから、マイナーな点での争点の違いに留まってしまう。
大きな違いに広がらない。しょうがないねえ、現状では。。。

それでも、言説空間を維持していくためには、必要な振る舞いだ。

頑張れ!!

オバマ氏リード

しかし、ブッシュ父、クリントン夫、ブッシュ子と、ここ20年で、大統領には2つの姓しかない。と思って、任期を見ると、ブッシュ父:1期、クリントン夫:2期、ブッシュ子:2期なので、クリントン妻=ヒラリーが当選すれば、24年は確実に2つの家族が、大統領の座を占有したことになる。それはあまりにも、停滞した様相だ。

オバマ氏の「変革」メッセージに、期待が持たれるのも頷ける。いくら女性初とは言っても、過去の大統領夫人では変わり映えしないのだ。
そして、何よりも、ここ数年、世界情勢のなかでのアメリカの位置づけは変わっているのだから・・・