エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

自由意志、局所性、決定論

もみじはわからないが、銀杏は関東の方がきれいかもしれないと最近は思う。


筒井泉の「量子力学の反常識と素粒子の自由意志」を読む。

量子力学の反常識と素粒子の自由意志 (岩波科学ライブラリー)

量子力学の反常識と素粒子の自由意志 (岩波科学ライブラリー)


EPRパラドックスベルの定理→コッヘン-スペッカーの定理→自由意志定理という話。
これらの全てをスピンを例にとることでコンパクトにうまく説明している。


ベルの定理の解釈のひとつである「量子力学の示唆するタイプの非局所性」はメッセージを伝えるわけではないので、相対性理論と矛盾を起こさない、ということで納得していたのだが、どうもそういう平和な話では終わらないらしい。その契機となった「ベルの問題提起」が紹介されている。

「我々は、現代の理論物理学の基本的な因果的構造を表すものとして、『超光速通信の禁止』なるものに依りかからなければならないのだろうか。私にはとうてい受け入れることができない。その理由の一つは、相関が説明できるという考えを失ってしまうことであり、少なくともこの考えについて今後の再考を待つべきだからである。しかしより重要な理由は、『超光速通信の禁止』という概念がきわめて漠然としたものであり、また漠然としか適用できないからである。『我々は光速を超えた通信ができない』という主張は、直ちに、我々とは誰のことか?という疑問を呼び起こす」

ここから、局所性と実在性のどちらをとるか、実在性を破綻させて潜在的な存在を認めれば、光速を超えた移動が可能なのか、などなどの疑問が生じてくる。


コッヘン-スペッカーの定理は、量子力学的な実在性とは状況に依存する実在であるというものだが、その状況依存性は非局所的な場合でも成立するということなので、どうにも逃げようがないことがわかる。


2006年に発表された自由意志定理というのは全く知らなかったが、こういうものらしい。

「前章までの考察と、量子もつれ状態によって実現される完全相関を用いて、もし我々が測定の方法に関して自由意志に基づく選択が可能であって、かつ局所性が満たされているとするとすれば、我々と同じ意味での自由意志が測定の対象でもある物理系にも存在することを、論理的に示すことができる。物理系はスピンを持つ粒子であれば何でもよいから、電子や光子のような素粒子でも構わない。言い換えれば、自由意志の存在境界は、非生物である素粒子にまで拡張されるというわけである」

ただし、ここで問題とされる自由意志とは、先行する出来事によっては物事は決まらないという非決定性を指すので、心とか何とかの曖昧さは入らない。

当面の結論として見えてくるのは、量子力学を受け入れるならば(自由意志定理はより一般的に適用できる形にかけるらしいが)、自由意志、局所性、決定論のどれかひとつを否定しなければいけなくなるということになる。やはり量子力学は悩ましいし、面白いと思う。