気になる

 
 
 「この木 何の木 気になる木〜」
 
 という日立の歌。
 
 
 
 
 
 何代目かが、豊頃にあるという旅行案内を見て
 
 
 北海道に住んでいたこともあり、
 
 大学時代、北海道の豊頃町へ行って見てきました。わざわざ豊頃駅から歩いて…。
 
 
 そ、そ、それが偽物だったなんて…。
 
 
 がっかり
 
 まだしっかり覚えています。確かに、たいした木じゃなかった。その木の付近の看板の説明では、昔は立派だったが老木でダメになってきているなどと書いてあった。
 
 豊頃の町がつくった看板だったと思う。
 
 うそつき
 
 豊頃町のうそつき 
 
 90年代初めだけど、その頃、豊頃町は大宣伝してたぞ。
 
 ちなみに 豊頃の偽物の木は ハルニレ(エルム)です。
 
 本当にたいしたことなかった、北大にあるのとそんなに違いがなかったように思えた。
 
 
 
 
 

ショウコー

 
 なぜか、ショウコー(麻原)マーチを手に入れたので聞いてみた。
 
 宗教家としては最悪のようだが、作曲家としてはそれなりにイケルのではないかと思った。
 
 始まりの

 「しょうこう しょうこう しょこ しょこ しょうこう・・・」
 
 のところは洗脳されそうだった。
 
 
 
 
 
 
 中国に紹興(しょうこう)という町があります。
 杭州の近くにあり、魯迅のふるさと、紹興酒で有名です。
 
 ここへ旅行に来た日本人で、
 
 
 
 「しょうこう しょうこう しょこ しょこ しょうこう・・・」 と
  
 
 おもわずこの歌を口ずさんでしまった人がきっといるんじゃないかと思っています。
 
 少なくとも日本人、年間1000人は行っているでしょう。10年はたっていますから、1万人は行っていると思います。1万人いれば1人や2人は歌っているんじゃないかと考えられます。声に出さなくても、頭の中でそのフレーズを思い出した人は必ずいるでしょう。
 
 コレって何の意味があるかって?何もありません。
 
 そんな、バカなことを真剣に考えているのは私だけでしょうか。
 
 

クリンゴン語

 
 「クリンゴン」って知っていますか?
 
 以前、友人の茶屋さんにそう聞かれました。
 
 「クリンゴン」ってあのスタートレックの?
 「そう、ほらこれクリンゴン語のサイト」
 「???」
 
 おいおい、そんなのあるのかよ。確かにクリンゴン人は変な言葉で話していたけど、学習サイトまであるとは…。
 
 さらに
 
 「クリンゴン語を話す仕事もあるよ、ほら」
 「???」
 
 
 な、な、なにー
 
 どうやら、病院のようだ、具体的な病名は分からないが、クリンゴン語しか話さない病人のために通訳が必要らしい。
 
 中国でも不思議なことはたくさん見てきたけど。
 世の中不思議なことはたくさんアルノネ。

 

自分ではどうにもならないこと

 
 世の中、誰も悪くないのに、悲しいことが発生する。
 自分では何もしていないのに、どうしてこんなことになるのかということもある。

 大学のときに、後輩が交通事故で死んだ。
 後輩といっても、同じ寮に住んでいた後輩で、口を聞いたことはあるがそれほどよくは知らなかった。
 
 酒を飲みに行って、帰りに交通事故で死んでしまった。
 即死だったそうだ。

 犯人は見つからなかった。
 ひき逃げだった。
 
 私はそのとき酒を飲みに行っていない。
 
 ただ、彼は前日に私たちの部屋にビデオデッキを借りにきた。
 先輩は、軽い冗談のつもりで貸さなかった。
 「誰に借りて来いって言われたんだ?」
 「○○さんです」
 「○○か、じゃあ貸してやらない」

 私は、そばで壁に寄りかかりながら畳の上に座っていた。何も言わなかった。
 
 別に私が悪いのではないが、「もし」ということがあるのであれば、私が何かひとことでも言っていたら、違う結果になっていたのではないかとよく考えた。
 
 そうやって、誰も何も悪くはないのに、何かの弾みでこういう結果になってしまうことがあることを、本ではなく身をもって感じた。小説では、こんな内容は、いくらでも読んだことはあったが、実際に目の前で起こった、なまなましい事だった。

 
 それ以来、その場にいて、分かっていて、もし自分にできることがあるなら全力で助けよう、がんばろうと思った。
 
 これらを見て昔のことを思い出しました。

http://www.tim.hi-ho.ne.jp/mamoru/index.html
http://www.ne.jp/asahi/masashi/world/index.htm
 

先生

 先生といっても私のことではありません。もう廃業ですから。
 
 中国語を勉強していたときの先生は、いろいろな人がいましたが、
その中でも、やはりかなり歳をとられていた先生を思い出します。
1人は60代で、もう1人は50代の先生でした。

文革や三年辛苦の話を自分の経験だけを、ただ淡々と語ってくれました。
たぶん、生徒が私一人だけだったからだと思います。
やはり、歳をとると、ものすごい経験も単なる過去の一部分として語れるんですね。おそらく、そのような個人がそれぞれの経験を綴った記録は無いはずです。政府の方針ですからね。

私もここでは語れない大事件に何度か遭遇しています。
さすが中国、大きすぎて何が起こるかわかりません。というか何でも起こります。
 

よっちゃん

 今日、日本のよっちゃんから電話がありました。
よ 「よー」
私 「また、携帯でかけてるの?」
よ 「そう」
  (…恐るべし、この人すごく金稼ぐんですが、使うのもすごいんです)

よ 「わかんねーことがあるんだけどサー」
私 「なに?」
よ 「調べ物してもらって中国からメール送ってもらったんだけどサー、字が変なになって、読めねーんだよ」

 (…さ、さらに恐るべし、そんなの国際電話で聞くなー!)

 …そして
 
私 「じゃ、その人にワードの添付ファイルで送ってもらうように俺から言っとくね」
よ 「何だそれ?」
私 「うーん、今度はメールが着たら日本の誰かに電話して添付ファイルってどう見るの?と聞けば大丈夫」
よ 「そっか、ありがと」

 私は本当に彼を尊敬してます。感謝しています。
 この前もパソコン持ってきてもらったし。
 彼は大物って感じなんです。
 私はかないません。