「加志の和都賀野」考(その3)

「阿我山」で検索して見つけた記事
伊賀市上神戸我山 単立 戸世山 蓮明寺

千古の容姿を留める背景は、御殿山と称し、我山の地名は和歌山、阿我山ともいわれ日本略記永閑記等に記され、日本歴史に名高い壬申の乱の舞台となった処で天武天皇浄見原御所跡等があり、特に寺からの景観は四季を通じてその艶麗さは格別で年間を通じて多くの人々が往来されご満足いただける所以であります。

ここになぜ壬申の乱が出てくるのかというと、『日本書紀』に「伊賀の中山」とある。この「伊賀の中山」がどこかについて、
4.伊賀の中山
によれば、吉田東伍氏は「阿保村大字岡田に在り」とする。一方、佐々木弥四郎氏は「これは今の神戸村村上神戸の西方、阿我山或は和歌山と称するものである」とする。三重県のHP内にある
3 壬申の乱と伊賀の古代遺跡
には

 次いで、「即ち急に行して伊賀郡に到りて、伊賀の駅家を焼く。伊賀の中山に逮る」とあります。この伊賀郡衙については、上野市古郡地内に所在していたとされていますが、現在のところは不詳です。ただ、上野市上神戸の高賀遺跡は、街道筋を見下ろす立地の良さと古代の優秀な掘立柱建物跡や円面硯が発掘されていて、郡衙かどうかはわかりませんが、当時の有力な遺跡として注目されます。

との解説あり。「風土記逸文」によれば、伊賀が伊勢から分離したのは、天武天皇の御代となっている。壬申の乱の時点ではまだ天皇に即位していないけれども、「伊賀の中山」と風土記逸文とどちらも天武天皇に関わりがあるのは気になるところ。「風土記逸文」が書かれた時にも「中山=阿我山」説があった可能性がある。『日本略記』『永閑記』に何と書いてあるのか知りたいところだがネットでは確認できず。


また、上記「伊賀市上神戸我山 単立 戸世山 蓮明寺」によると、

本尊秘仏一寸八分薬師如来倭姫命の作と伝えられ、檀信徒の手厚い信仰によって今尚秘蔵され、三十三年毎に御開扉されます。

我山の蓮明寺の本尊は倭姫命の作とされている。なぜ、ここに「倭姫命」が出てくるのかと調べてみたら、『倭姫命世記』で倭姫が巡行した地に「穴穂宮」があり、「穴穂宮」の候補地の一つが伊賀市上神戸の神戸神社であった。
元伊勢 - Wikipedia
おそらくは上神戸が倭姫命ゆかりの地ということで、本尊が倭姫命作という伝承が生まれたのだろう。


もし、これらのことが「風土記逸文」と関わりがあるのだとしたら、吾娥津媛命(あがつひめのみこと)の所在地は「阿我山」だという設定で書かれたものであろうと思われる。