「アイヌ伝説が実は創作だった」件について(その3)マリモ伝説と雪女

創作だったものが伝説と考えられるようになったものとして有名なのが小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の雪女。雪女の伝説自体は存在するが、ハーンの作品のような雪女伝説は現在のところ確認されていない。


ウィキペディアには

小泉八雲の描く「雪女」の原伝説については、ここ数年研究が進み、東京・大久保の家に奉公していた東京府西多摩郡調布村(現在の青梅市南部多摩川沿い。調布市は無関係)出身の親子(お花と宗八とされる)から聞いた話がもとになっていることがわかっている(英語版の序文に明記)[8]。この地域で酷似した伝説の記録が発見されていることから、この説は相当な確度を持っていると考えられ、秋川街道が多摩川をまたぐ青梅市上長渕の「調布橋」のたもとに2002年、「雪おんな縁の地」の碑が立てられた。表は碑文が刻まれ、、裏側には「雪女」の和英両方の序文と小泉の肖像が刻まれた銘板が嵌め込まれている。19世紀当時は気候が非常に異なり、中野から西は降れば大雪であったことから、気象学的にも矛盾しない。
雪女 - Wikipedia

などと書いてるが、民俗学者がそれを認めているとは思えない。


「雪女はどこから来たか Where did YUKI-ONNA come from ? 」(大澤隆幸 2005)に

宗八がハーンに原話を語った可能性はあるだろう。

とあるが「この地域で酷似した伝説の記録が発見されている」ということは書いてない。それが一体どんなものなのか不明だが、
雪女伝説 | 青梅妖怪
を見ると、「赤ん坊を抱く雪おんな」「雪おんなに見入られた娘」「平の沢の雪女郎」などは、「赤子を抱いていた「凍死する」といった要素が類似しているといえるが、それはせいぜい話の元ネタになった可能性があるというだけのことだ。しかも、それさえハーンの雪女からの影響の可能性だってある。



さて、この「雪女」の原話に関して面白い話がある。昭和になってハーンの「雪女」にそっくりの話が信州地方で採集されたというのだ。『自然の精霊(日本の民話02)』(瀬川拓男・松谷みよ子)・『信濃の民話』。

信濃の民話 ([新版]日本の民話 1)

信濃の民話 ([新版]日本の民話 1)

しかしながら、これはハーンの「雪女」が、土着化したものだと考えられている。


ところが、それよりも前に「雪女」そっくりの話が収録された本があるというのだ。巌谷小波編の『大語園』「白馬岳の雪女」。
国立国会図書館デジタルコレクション - 大語園. 7


で、これを根拠として八雲研究家の村松眞一という人がハーンの作品には原話があると考えたらしい。それについて
「雪女」の"伝承"をめぐって : 口碑と文学作品(牧野陽子)
という論文に

(前略)と同時に、村松にとって残念だったことは『大語園』所収のその物語の出典を見落としたことであった。「白馬岳の雪女」の最後には、はっきりと『山の伝説』と出典が記されており、最終巻末の長い文献リストのなかにも当然ながら、『山の伝説』があげられているのである。
 だが村松は『山の伝説』を書名だと思わずに、普通名詞だと勘違いした。だから、「山の伝説として伝えられる」と説明したのである。

と書いてある。これはアイヌの伝説と其情話』(青木純二著)に「山の伝説と情話より」と出典が明記されているけれども、「山の伝説と情話」が公募小説集ではなく普通名詞だと勘違いされやすいだろうというのと極めて類似している。


で、実に面白いことに、この『大語園』所収「白馬岳の雪女」の出典の『山の伝説』の著者も青木純二なのであった。
国立国会図書館デジタルコレクション - 山の伝説. 日本アルプス篇


※ なお牧野陽子氏の論文は村松眞一説を論じるためのものではなく論点は別にある。この論文非常に面白いのでおすすめ。ただし横書きを縦書きに機械的に直したのか読みにくいのが玉に瑕。