〇〇〇体質の選挙応援のながーーーい、陰謀の女優たち?

 この手紙には具体的な日付がある。このタレント・女優が重宝される理由が、国民的タレントコンテストかなんかで頭角を現し、創られた〇〇〇の強力援護者として、位置づけられていることでも明らかだ。

 7月14日、WEBのページではこのタレント・女優の記事が一斉に掲載された。
彩のエプロン姿にドキッ 「実は寂しがり屋」(中日スポーツ

2009年7月14日 紙面からhttp://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2009071402000155.html

この記事を見て奴は思い出した。彼女と奴はちょっとした仲である、なにしろ、一時期は四六時中同じように移動し、同じように、動き、同じ環境ただし(残念ながら密室ではない)の空気を吸う仲だった。と、いっても知らない者には何のことかはもちろん、わからない。わからないように書いているのは、「さくらんの原型パートⅡ」として、大事な秘密をどうのように書くかが、ポイントになり、うまくいけば、この短編小説は〇〇〇の陰謀を暴く小説として画期的なモノになるかもしれない、という読者の期待をもたせるための前章になっているのだから、軽々しく扱ってはならない。


 
 しかし、この物語も読むものが読めば、なかったことにしたい、と思うのも確かだ。何しろ奴の姪のひとりは、奴のことを「飲み、打つ、買う」の三拍子揃った叔父さんと思っているのだが、内実はしょぼい。風俗好きは認めるがそれは、早い話、内需拡大? いや、最近はフィリピーナや、韓国、台湾風俗も入り混じり、複雑になっているようだが、基本は、外国へ行って「買う」という行為はしたことがないので、実は健全(?)なのだ。また、「飲む」の方なのだが、誰を基準に姪がしているのかで、その見方はガラリと変わる。もともと奴など酒は飲めない。タバコも健康上の理由で吸えない。それを、環境の影響、初めて務めた会社では、飲めないより飲める方がいい、と思ったので、コップ一杯のビールで全身が茹蛸のように真っ赤になるというのに、無理やり飲まされた結果だった。そのうち、飲んだらすぐに酔うけれども、先輩たちのいやがらせやからかいも気にならなくて、遊びにつきあうことで、仕事も覚えられるよになるという、副次的効果があった所為で飲めるようになった程度だ。
 


 したがって飲み屋通いといっても高がしれている。確かに、金まわりがいいときは、使ったとはいえ、その高もしれている。姪が詳細に現実を知れば、自分の夫のサラリーマンとの比較程度が基準であれば、それは、参考にはならない。しかし、その夫(医療系のプロパー)が接待で高級クラブや料亭に行っていたとしたら、その高と使う頻度も含めて、そっちの方が勝っていることになる。じゃー、「飲む」というイメージがなぜひとり歩きしたのか、と考えるに、それは口伝である。叔父さんはそういう奴だというイメージを誰かが吹聴し、それを増幅してイメージしただけのことである。
 だいたい、奴程度の人間が「飲む」などといったら、本当に「飲む」人間に対して失礼だ。まぁ、身内の連中はほとんど会ってもいないのに、憶測でモノを考え見る者であるという、典型だ。


 「打つ」に関していえば、奴ほど健全な人間はいない。確かに、手持ちの金は全部使う傾向にあるが、マージャンは下手で、すぐに止めた。その理由は簡単で、タバコ攻め、当時、ギャンブルには徹夜がつきもの。奴は喉が弱い。どれほど弱いかというと、高校生のときに、肺門のリンパをいかれて、一年間パスを飲んで治した経験を持つ。そのときに、赤嶺という町医者に診てもらったのだが、「キミは喉が弱いね」と言われて、それが澱のように、のどにつっかかっているほどなのだ。したがって、徹夜がだめ。タバコにむせ、二時間もすると、のどがゼイゼイとしてきて、今度はその喉にタンがからまるようになり、微熱がでる。マージャンはだめ。習いかけた碁もタバコでダメ。さて、競馬は? 確かに凝ったことがある、しかし、買う馬券は可愛いもので、若いときでも数万円の有り金を単勝一点張りする程度だから、大したことない。しかも馬そのものが好きになり栗東まで厩舎を訪ねるという、健全な馬ファンであり、これも評判とはかけ離れている。


 本当の博打好きは何にだって賭ける。しかも、厩舎まで行く奴などあまりいない。競艇はどうか。奴は競艇を始めたのは27ぐらいだ。仕事の暇なときに、尼崎競艇に行った。彼は何の予備知識もないので、予想屋の小さな紙切れの数字を参考にして、本命から中穴を三点張りぐらいして、買った。それが6レースすべて的中というビギナーズラックになり、以後、暇をみつけては競艇に通った。すると当然ながら知らなければならない、知識が増える、だれがどんなエンジンを操り、どう整備していくるかとか、展示のエンジンの伸びがどうだとか、あの野中というのは、今一番強いとか、いろいろな知識が入ってくる。そうすると、奴得意の直勘がなまった。


 広辞苑にはさんだ軍資金がみるみるうちに減ったのは、年明けの住之江競艇の太閤戦だったかだ。本命の野中は真ん中からスタート。内と外の艇が強烈に本命の野中の艇を挟んだ。するとスタートしてわずか数秒で野中のボートがホタテ舟の帆のように立ち、後ろへ転覆した。あっけない、本命の脱落。これ以後、競艇も止めた。いま、美人競艇選手もでているらしいが、知らない。あの、スタートの位置争い、ワンマークでほとんどのレースが決まることに、いまは魅力を失った。
 競輪はどうだ。競輪場は幼いころには長居公園にもあった。地方競馬場もあり、我が家の前も馬糞にまみれていたが、東京オリンピックの誘致が決まり、競輪、競馬場は廃止となり、長居競技場が整備された。したがって、競輪もだめ。だいいち、人に賭けることに興味はない。時間つぶしでやったこともあるけれども当てたためしもない。
 トトカルチョはどうだ。結論からいえば、野球賭博などと無縁な生活環境だった。ゼロだ。


 ここまで書けば奴など「打つ」などど言う言葉に無縁墓地のように誰も相手にしないことがわかるだろう。そう、まったくのでたらめなのだ。姪も馬鹿だから噂話を本当にしているとしか思えない。薬剤師で数学的感覚は鋭いらしいが、どこをみてるんだか、まったく困ったもんだ。
 ただし、人生を「一か八か」といった横山やすしには、どこか共感するところもあった。実際に、奴は人生の大芝居を打ち、賭けにでたことは確かだ。


 前置きの長さに最初の女優、国民的美少女アイドルは誰やねんということを読者は忘れているかも知れないので、そのタレントに書いた手紙を披露しておく。内容は二人にしか成立しない内容もあり、彼女がここまで露骨に〇〇〇の広告塔になっていなければ、幸いだったのだが、時代は不幸の方向へ触れた。日付は付すが彼女はわかっているし、奴の姪はこのアイドルのひもになると思っていた時期もあったのだから、笑わせてくれる。



200〇年〇月〇日

一筆啓上

U.A様

(前略)
 私の思うところでは、昨夜、竹中労さんの本(注『芸能の論理』)を再読していたこともあり、U.Aさんのような俳優としての仕事を主になされる場合は、自分のプライベートはいわれない方がよろしいかと存じます。ファンにはいろいろ知りたいと思う方も多々あるかと思いますが、「私は歌と女優とC.Mで演技を見せます」つまり、「芸」を見せます、で、いいのではないかと思えてなりません。

 ご存知かどうかわかりませんが、私は若い時に吉永小百合さんの熱烈なファンで“サユリスト”の団塊世代のおっさんです。私はスターの私生活は公開する必要がない、また知る必要がない、という考えの旧人間です。
 いま、あなたが主演された「インストール」?の映画で描かれた世界がどんどん進み、2チャンネルその他では、トンデモない書き込みも多々見受けられます。そのような時代だからこそ“秘すれば花”の世阿弥の言葉が説得力を持つのではないか、と竹中労さんの本を再読し、改めて感じていたので、あなたの私生活の一部を話されるのを見て、別にいうことないんじゃないかァ!と。思ったわけです。

 そういうこといわなくても「芸」で見せればファンは納得するでしょうし、そうではないファンは成長し別の対象を見つけるでしょう。

 私はあなたのファンですが(注、この時点では、身内とうまくやるためにも、こう書かなければならない事情が筆者にあった)CD持ってませんしドラマや映画もまだキチンと観たこともありません。しかし、大きな可能性持った役に取り組んでいらっしゃる様子は報道等で少しは知っております。
(中略)

 下北沢?「サンデーズ」? パターンの「道楽者にあちきはなりたい!」。まだ、『さくらん』状態が続いておりやす。その「日暮」(ひぐらし)アンナにはまって林檎にはまった。
 林檎食べても、ハなしは辛い。(以下略)


 
 もっとも、こんな手紙を書いたからといって、この国民的アイドルを手篭めにしようなどという、『さくらん』は起こしていない。しかし、時期が東京知事選前であり、参議院議員選挙の年だ。私が自由の船出をして、どう着岸するかも模索しているときであり、できれば、私に関わったスターたちとすべて良い関係にしたい、という配慮もあった。しかし、時代のベクトルはそうはならなかった。
(続く)