郵送した履歴書が返送されるたびに自意識が色褪せ、面接を重ねるたびに積み上ってゆくくだらない嘘。いつか小指が上がらなくなったりしないかとびくびくするものの、そんなことで体がいちいち不自由になっていたら、肢体が完全に自由の人間なんて世の中からいなくなりはしないですかCLAMP先生方。
amazonで予約注文していたアイテムが、さっき届きました。
 
アキバblog取り上げられ、一目惚れして購入してしまった坂上智代フィギュア。実はフィギュアというものを初めて買ったのだけれど(祝3次元)、意外とすんなり受け入れられるものですね。元々2次元の存在を3次元に貶めるなんて不埒だとかなんとか、とはいえ僕はどうしたって3次元のイキモノで。そういう意味で健全ではあるのですね。ミニスカートを下から覗いたりして、うはは、僕ってなんて健康だ。でも黒いぱんつはアダルトすぎるなあ。黒ストッキング装備だけにやむをえないのだろうけれど。
坂上智代に特別思い入れがあるわけではなく、肌の露出の少ないのが、このフィギュアを気に入った理由。ポリ塩化ビニルの肌色はどうにも軽薄で、工業的で、人を馬鹿にしています。平面的で取って付けたような瞳の次に、好きになれません。だから、黒ストッキングが好いのではなく、黒ストッキングで好いのだということを誤解なきよう。僕は、黒ニーソで絶対領域を保持しなおかつ白ぱんつがいいなあ。

 「インターネットは、グーテンベルクの印刷術や鉄道に匹敵する大発明ではないか。以前なら欲望がどんなに匿名的なものだったとしても、最終的に表出する主体につなぎ止められ、主体の同一性は『顔』によって担保されていた」。ところがネットの匿名性は、「顔」の同一性を消し去った。
 「だからネットは、顔によって管理されていた欲望が解き放たれた世界。複数の人格を操作することも可能になっている」。そこから生じる「主体の揺らぎ、本当の自分は何者かという不安」が、本作(「顔のない裸体」平野啓一郎著)の突きつける今日的な問題のひとつだろう。「ネットに拒絶感を持つ人たちの反応は、フロイトが無意識を発見した時の反応に似ている感じがある。どちららも主体の内部にコントロールできない何かがあることへの過剰反応だと思います」。

 丸腰で歩くことをガンマンが怖れるように、現代人はお金を持たずに歩くのが不安だ。お金は、人を殺める道具ではないが、人は金のために人を殺したり、首を吊ったりする。<金はやはり隠然たる凶器の光を忍ばせている>。そして、<いざとなると拳銃をぶっ放つように、札びらを切る>。
 「お金は良い召使いでもあるが、悪い主人でもある」といったのは米の政治家ベンジャミン・フランクリンである。が、人はしばしば、お金の悪い部分を忘れ、裏側を見ない。
 鳳凰像、尾形光琳「燕子花図」、富士山と桜、と聞いて、ピンときますか。今のお札の裏の絵です。裏もよろしく。

 「私ね、人はね、死ぬときが寿命だと思うのね」「自分の寿命はもっと長いはずだとか、もっと早く治療していればとか、考えればきりがない。それよりも、今生きていることに感謝して毎日を過ごさないと、もったいないじゃない」