ファン1号

書店員になって早7ヶ月…
なんだかんだがんばっております。
私の名前を覚えてくれて買いにきてくれる
おじいちゃんができました。
名前がお孫さんと一緒で、親しみを持ってくれたようです。
声も覚えてくれて、注文された本の入荷を電話連絡したら
すぐ来てくれました。「希美さんの声だなーと思って」って。
うれしいうれしい。
期待を裏切らないようにがんばらなくては!
といっても近づきすぎないように…
お客さまと店員というほどよい距離感も必要…
まだまだ難しい。
これからも一人一人丁寧に対応してゆきます。はい。
がんばるぞう。おう。

去年は白石の一目千本桜のお花見に行けて
すっごく楽しんだのに、今年は行けないなあ。
北上の展勝地も桜の名所。
去年のゴールデンウィークは大雨ですぐ散っちゃったけど、
今年はお花見楽しめるかな?
北上もステキだから来てね!

書店員になりました

木曜担当のきのうちです。
書きたくなることとか、たまにあったんだけど、
木曜になるの待ってると、なんかあっという間に木曜が
すぎちゃって、次の木曜を待って、堂々巡り……
もう書かなくなって1年以上たってるから、
もはや曜日なんて関係ないか!ただ書けばいいか!
という気持ち。月曜に乱入。

9月に入って、パートを始めてみた。本屋さん。
今までは事務しかやったことなくて、
次は接客したいなあって思って、始めることにした。
なかなか「いらっしゃいませ」とかのあいさつも
最初はちょっと難しくて、レジに立つと緊張して焦って
わたわたしちゃって、わーって1日終わって反省してた。
レジに立つの怖いから、やだなあって思ってた。
週に3日だけだけど、2週間くらい経ったときに、
今日1日楽しく働けたなあって思えた日があった。
その日からはレジに立つのが楽しくて、あっという間に
時間がすぎるようになった。
問い合わせがあるとまだ焦っちゃうけど、ちょっとずつ
対応できるようになってきた。
もうすぐ働き始めて1ヶ月。まだ8回だけど
ジ◯ンク堂のジュンコさんみたく、お客さんに愛される
店員さんになれるかなあ。お客さんに
「タカハシさんいますか?」って名指しされるように
なりたいなあ。と思いながら働いてまっす。
がんばってまっす。
まあ今日はそんなかんじで。ではまた。

つれづれ団全員集合行きたかったけど、書店員奮闘中で
行けなかった。残念…。来年は絶対行くからー。

相変わらずの我が家

さっき、父の鼻歌が聞こえた。
懐かしくていい歌なんだけど、私はそれがなんだか思い出せない。
しかも父も父で何回も同じところばかり歌っているので、
私はもっと思い出せない。



あァ ふふふーんふん ふふふんふん
あァ ふふふんふん ふふふんふん(最初に戻る、そして繰り返し)




思い出せない。
民謡だったか、それとも70年代の懐かしの曲、
いや違う、あら、秋田県民歌かしら、いや、もっとちがうな。
ああもう何だっけこの曲、と思ったところで、父が来た。
父が歌っていたのは、これでした。















父は「カールじいさんだよ〜ォ」と陽気に言っていたけど、
「カールじいさん」は家が空飛ぶ方のじいさんであり、
父さんがうたっているのは「カールおじさん」だ、と教えてあげた。
嘘・大げさ・紛らわしい、
(本当はじいさんでもおじさんでもどっちでもいい)、
陽気な小川家の晩でした。

うどんエキスポに行く

協働社と本金と木内と言えば、昔の秋田の3大デパートと言えばいいのだろうか。
その一つの協働社の看板を湯沢で拝む事ができるとは!
中身は無くなってたけど、湯沢であの看板を見ることが出来ただけでも幸運でした。
うどんエキスポというイベントが行われている事を前日の新聞の広告で知り、時刻表を調べたら臨時列車やら色んな列車の乗り継ぎが上手くいきそうだったので土曜日の予定はコレに決定とばかりに湯沢へ行ったのでした。
途中乗り継いだ横手駅は今日から橋上駅舎として供用が開始されイベントの真っ最中。
なんとなく華やかなムードの雄勝一帯なのでした。
正直期待していないイベントでしたが、予想を裏切り、各地のうどんブースは1時間待ちは当たり前の情況。
折角来た街で殆どの時間を待ち時間に当てる訳にはいかないので湯沢市街の有名どころを見学。商店街のビルに組み込まれた鳥居。市役所の向こうにある力水。保存活用されている郡役所。昔の繁栄を偲ばせるアーケード街や飲み屋街。そして潰れたデパート。
代わりに賑わっているビフレ。
ビフレではパンを数種類買いました。たけやパンに工藤パン。シライシ、オリオン、山崎、敷島、フジパン。日糧と第一が無いのは残念だけど、ここまで揃うのは凄いです。
なんだかんだで楽しい湯沢観光でしたが、うどんは希望のものが食べれなかったのだ。

おわり

豆太郎のつづき

(豆太郎ってなにさ、という方はこちらをどうぞ)
7月18日に蒔いてから、毎日水やりしていたら、
先日花っこが咲きました。
豆みたいにちっちゃかったから豆太郎と名付けたのに、
すごい勢いでおがって、今では私より大きくなりました。
冗談じゃなくて本当に。165センチ以上ありますよ。
まめの観察写真をつないで動画にしてみたので、よかったらごらんくださいな。
まめの記録画像

毎日水やりするたびにまめの話を家族にしていたら、
みんな次第に気になって、今では祖父と母も欠かさず観察するようになりました。
まめ、おがってらっけな、葉っぱの数、増えでらっけど…とかいう風に。

あと、最近まめのところには、よく蜂とか蟻が遊びに来ていて、
よじ登ったり蜜を吸っていくんです。雨の日には葉の陰に蜘蛛が隠れたりしてるのも見た。
私が植えたまめも他の生き物の役に立ってると思うと、とてもいい気持ちがします。
吉野弘さんの詩「生命は」を思いだしては世話をしている日々。






なんの植物だろうな、と眺めていたら、去年の秋のことを思い出した。
すうっと背が高くて白い花のなる植物がわんさか生えている畑を見たこと、
まるで雪みたいに素敵な花っこを、わざわざ車から降りて見に行ったこと。
それから、その花を見ると私を思い出す、と彼氏が言っていたこと。
まめの生長過程で、葉っぱが大きくなっても蕾が出ても、
何の植物なのかさっぱりわからなかったけれど、
記憶を辿れば・・・






ソバ。まめは、ソバの花!
ソバの花っこに派手さや華やかさはないけど、しゃんとしててすごく好きなのです。
あれから季節が3つ巡って私がころっと忘れた頃に、ソバの種の贈った彼氏。
なんてやつだ。花が咲く前も後も私はわくわくしていて、
丸ごと一ヶ月分の楽しみをプレゼントしてもらったのがほんとうに嬉しい。
彼氏と花っこが心底愛おしいなあ。
実がなったら、ソバを打ってふるまってあげようかしら。




さて
まめの観察記録はまだまだ続きます

66年前の話

終戦の日なので、じいちゃんと毎年恒例の話をしました。
私の日記にちらちら登場する、じいちゃんの若かりし頃の話です。



じいちゃんは中等学校の時に軍需工場に動員されて、
秋田を離れて群馬に働きに行っていました。
15歳とか、そのくらいの歳。
動員先の軍需工場は、当時飛行機製造で最大手の中島飛行機、太田工場。
じいちゃんによると、そこでの労働者が6万人、学徒が7千人くらいいる、
中島飛行機社の中でも一番大きい工場だったそう。
とてつもなく広大な工場だったのに、出入り口が4つしかなくて、
逃げないようにいつも見張りの兵がいたらしい。
じいちゃんは、ジェラルミンを切ったり、穴をあけたりする仕事をしていたんだけど、
なにせ一日12〜15時間程働かされるもんだから、
うとうと眠くなって、へまをやらかすと思いっきし殴られる。
それに、国内最大の工場だったからB29が爆撃に来るし、
爆弾を吐きだす腹を見ては山の中を走って逃げたな・・・
なんて、じいちゃんは結構楽しげに話します。




昭和20年の5月、じいちゃんは予科練を受験した。
予科練というのは「海軍飛行予科練習生」の略で、受かれば短期実習の後、
特攻隊として戦闘に行く人のこと。
じいちゃんは特攻隊になりたかったわけではなかったけれど、
それでも、受験した。
どうしてだと思う?



予科練習の試験というのは本籍地で受験する決まりがあったらしく、
みんな、うちに帰って、たらふくご飯を食べたい、
ただ、そう思っていたんだって。
ふるさとに一時でも帰られるんだったら、と受験する人も多かったそう。
じいちゃんもそれ同様、秋田に帰りたくて、
ご飯を腹いっぱい食べたくて、受験した。
試験の合否は、同年8月。


そうこうしているうちに、太田工場が5月に爆撃を受けて工場そのものがなくなって、
列車の窓にしがみついて、秋田に帰ってきた。
男鹿で石炭の積荷の仕事もあったけど、体が細くて弱って出来ず、実家に戻されて、
8月15日を迎えたそう。
結局、予科練の試験の合否はわからないまま。


玉音放送、聞いだがどうが、覚えでねなしゃ、
でも、みんなよ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…って繰り返してらっけおんなあ…





こういう話を聞くたびに、
私がここにいられるのはなんて奇跡的なことなんだ、と改めて思う。
じいちゃんが経験したようなことは、戦火をくぐり抜けたひとなら誰でも、
同じような話があるはず。
そういうのを、いっぱい聞いておきたいって、思うんだ

おしさしぶり

うちのおじいさん(由治郎さん)は書くときに

「し」と「す」の違いが分からなくなるようで、

私が子どもの頃からしょっちゅう文章の添削をしておりました。

「ここは『す』だよ」と言ってもおじいちゃんの耳には

区別がつかないらしく、結局紙に書いて説明するのです。

まあ、おじいちゃんだしなあ。

それから15年以上たち…

今日の朝食での一場面

私「これ何?」

父「しずこ」

私「しずこじゃなくてすじこでしょ?」

父「うん、しずこ」(←すじこのイントネーションで言っている)

私「だからしずこじゃなくてすじこだってば!!」

何度言ってもお父さんはしずこと言う…

台所でこのやり取りを聞いていたお母さんが爆笑してました。

お父さんも「し」と「す」の区別がつかなくなっちゃったんだなあ

まあもう64歳だし…

それから3時間たち…

お母さんが買い物リストを見せて「これでだいたいいいかな?」

と聞いてきました。

リストのいちばん上には「ろく茶」と書いているように見える…

私「これなんて書いてるの?」

母「緑茶1箱」

私「これ『ろく茶』って書いてるよ」

母「うん、緑茶ね(笑)」(←まだ間違いに気づかず、『緑』を漢字でかかなかったことについて笑っている様子)

私「『りょく』は『り』と小さい『よ』だよ!!」

母「ほんとだ!!」二人して大爆笑。

まあ62歳だしなあ。お母さんの場合は天然か…

実家にいるとおもしろいことが勝手に起きてくれます。

今日の秋田はあっつい。

ビアガーデン日和です。