パラレルキャリアが日本を救う⁈

パラレルキャリア的な思考が日本を救うのではないかと考えています。

①優秀な人材が生まれる

日本では学生時代より一つの事に集中させることが多くあります。複数の学校に同時行くことはもちろん、複数のクラブに所属することさえも許されないケースが多いです。
他方米国では、成績優秀者でないと名門スポーツ学校やクラブに所属できないなど、個人主義の設計は最初からパラレル前提で考えられていることがあります(それだけに厳しい側面もありますが)。

②女性が活躍できるようになる

家事や子育てはまだまだ女性に頼ることが多いし実際女性がになっているケースが多くあります。男性も女性も、働き方を複線化し、日中一斉通勤をやめて働くようになれば、(男女とも)家事労働に縛り付けられることなく働けるようになります。
男女ともパラレルにできるようにすることで、初めて今の仕事に関する男性偏重や家事に対する女性偏重が解消されるようになると思います。このあたりは北欧に学ぶケースが多いように思います。

③介護離職が減る

②のように、「家において子供(人)の面倒を見ながら働く」事ができるようになれば、当然、介護離職もせずに済むケースは増えるでしょう。 ②、③には、テレワークやICTの活用も重要なポイントになります。

イノベーションが起こりやすくなる

産業界にとっては、イノベーションが生まれやすくなります。なぜならイノベーションは「新結合」であり、何かを画期的に組み合わせることにその真意があるからです。複線化された人たちが増えれば、当然組み合わせの数が一気に増え、イノベーションが実現する確率が高まるでしょう。

⑤人材難を解決する

これは政府が「副業解禁」「複業推進」を提言している理由の一つであります。 ただ正直なところフクギョウだけが人材難を解決するには限界はあるとも思いますが、先に複線化した社会を作った上で移民を受け入れるという順番は間違ってはいないと思います。

レジリエンスが高まる

リジリティ(硬直化)が起こりやすくなるのは、組織や思考がタコツボ化し、他の組織や考えから学べなくなることが大きいです。普段から複線化しておくことは、「これがだめならこっち」というフレキシブルな対応ができるだけでなく、より鳥瞰的にものを見る、という思考になりやすくなるでしょう。 それがレジリエンスが高まる理由になると思っています。

⑦キレにくい社会ができる

今、シニア世代がキレやすいという問題が起きていいます。しかしキレやすくなったのは何もその世代に限ったことではないと思います。 キレるという行為は「袋小路に追い込まれる」ことによって引き起こされます。まさに「窮鼠猫を噛む」です。 普段より複線化されたレジリエンス志向を持つことで、思考の袋小路に追い込まれることがなく、余裕を持つことができるようになります。この効果はシニアだけに限った話ではないように思われます。

➇格差の解消につながる

格差が問題になっていますが、これは今も広がってきています。格差の原因は「富の集中」と言われていますが、その本質は金融経済の膨張にあります。パラレルキャリアになるということは。一人の人間が二つ以上の視野を持つことです。つまり集中から分散への動きになります。裕福な個人や組織がお金の用途が分からず近視眼的に金融市場を膨らませることにより、実体経済にマネーが流れないということが課題であります。複数な視点もち、金融市場だけでなく実体経済や社会課題にまでマネーが流れるようになれば、格差は少しづつでも解消につながるのではないでしょうか?経済は社会の一部なのです。

単一で分断化された思考を持つことはとても危険であるといわざるを得ません。
パラレルキャリアは、実は社会全体のパラダイムシフトであるように思えてなりません。

「温泉ダイアローグ」がそれでも必要なワケ

僕は、これまでいくつかのワールドカフェやダイアローグイベントを主催してきました。またそれ以上にそうしたイベントに参加したり、ファシリテーションもしてきました。

少し前、ある人と話していて、「もうこれまでのような、ゆるーい話し合いの場、ぬるい温泉につかるようなダイアローグの場、って要るのかなぁ?」という問いに出くわしました。もちろん、僕への批判とかではなくて、むしろ自分自身のほうがこれはいつも問いかけていたことなんで、その意見には思わず同調したくらいです。

何も生まれない、ただ名刺交換したりするだけの、異業種(異企業間)交流のようなダイアローグ。
本当にそれって意味があるのかと。
それ以来、この「温泉ダイアローグ」が常に頭から離れなくなってしまったのです。

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少し話は変わりますが、2020年問題というのはご存知でしょうか?
2000年問題以降、バズワード化した感がありますが、この2020年問題は、主に企業人事の話です。
大企業においては、バブル入社世代と、団塊ジュニア世代がボリュームゾーンになっているのですが、これが2020年あたりに50-55歳になることで、企業の人件費が頂点を迎えるという話です。別に、これに対して企業がただ単に覚悟し耐えようとするだけならば、そこには特に大した問題も起こりません。

しかし、実際には、隔たりのある世代間の人数調整のも含め、ここに向かって企業のリストラが始まりつつあります。「追い出し部屋」や「退職勧奨」「社内失業」は、実はその予兆です。
企業は、2020年になる前にできる限り人件費を圧縮したいと考えるはずですから、これからこの世代のリストラ策は全大企業で加速していくと思われます。

こうした時代に、バブル世代や団塊ジュニア世代はどのような心構えでいる必要があるでしょう?

私は、これは残念な意見かもしれませんが、すべてのバブル世代や団塊ジュニア世代などの“ボリュームゾーン層”が会社に「しがみつく」のは無理だと思います。
しがみつくのが悪いわけではないですが、それで貴重な人生を無駄にする可能性も考慮すべきです。お金のために、自分の職業キャリアを殺して単純作業を繰り返したり、自分のアイデンティティを完全に職場で亡くし、ひどい場合には心の病になってしまったりします。そうしてまで会社にしがみつくのは、果たして人生としてどうかなと思うのです。

さりとて転職活動は簡単ではありません。50歳で要求されるスキルや経験は要求水準が非常に高く、もともとそういうスキルや経験が自社で作れるなら転職なんて必要ない人を募集しているかのようです。

ですから、そう考えるとやはり「自立すること」しか選択肢がなくなります。シニア起業がブームですが、裏にはそういう背景があります。
もちろん、起業も簡単ではありません。そもそも起業するためのアイディアなんて考えたこともありませんから。会社で起業アイディアを考える機会は、おそらく「社内ベンチャー制度」に応募するときくらいでしょうけど、それを経験した人も、それが受理された人も、非常に少ないと思います。
自分は自社以外で活躍できるのか、転職はできたけど自分のスキルが果たして起業に向いているのか?
それにはもう一度キャリアやスキルの再セットが必要になりますし、マインドも変えなくてはいけません。
しかしそれでも、企業を追い出されるならば何か仕事をせねばなりません。すでにサバイバルの様相を呈しているのです。
したがって、好むと好まざるにかかわらず、シニア企業はここ数年でかなり本格的にメジャーな社会の動向になっていくことは間違いありません。

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このような時代に、何が必要になるでしょうか?それは、人脈というか、ゆるいネットワーク形成だと思っています。

個人がビジネスを始めていく時代になれば、脳の神経細胞のように結びつくことができる相手(細胞)が多いほうがビジネス活動が活性化するでしょう。
つまり、そこでは“ゆるい知り合い”のネットワークが必要になります。
できれば、ただ名刺交換しただけではなく、特定テーマでのダイアローグの場で知り合い話し合った人、その後facebook等のsnsで友人になった人、等が思わぬ形でビジネスパートナーになったりする可能性があるのです。

考えてみれば、企業にいるときも、ネットや展示会で商材見ていきなり発注することはそんなに多くはありません。
一度は営業マンを呼び、また営業も担当者だけでなく、偉い方も含め複数が同席して、何度か話し合いの末ビジネスを決定することが多いと思います。
ビジネスの成立にコミュニケーションは最初から不可欠なのです。

スモールビジネスのように、個人と企業が未分離な状態なら、なおさらこの“探索”作業はより重要になります。「彼はいい仕事するけどお友達にはなりたくないからビジネスは一緒にはできない」「お友達としてはいいけど、彼女のサービスは必要ない」というようなことが日常的に起こるからです。極大化した売り上げや利益を求める必要がなくなれば、ビジネスにもこうした個人の「感想」「感覚」が入り込みます。しかも、それはある日何かのきっかけを境に突然変化することだってあります。

そんな時代には、「温泉ダイアローグ」のようなゆるーい交流の場で、多くの知り合いがいる方が結果的には起業機会を増やしていくのではないかと考えます。
結局ビジネスは、起業しようがしまいが“一人ではできない”のは同じだからです。たくさんの知り合いやネットワークがビジネスの成功には必要です。


そうして考えていくと、これからの時代に「温泉ダイアローグ」は必要な場になるんじゃないかと思います。
具体的なアクションやアイディアを求める、ハッカソンやフューチャーセッションはもちろん大切ですが、一方ではこうした「温泉ダイアローグ」もあってよいと僕は思っています。

優秀な社員も流出する!?インターナルマーケティングの重要性

リストラ政策により優秀な人材の流出を避けたい、というのは少々企業努力が足りない面があるのではと思ってしまいます。

ちなみに、逃したくない“優秀”の定義さえ曖昧です。
・忠誠心が高く、組織の都合で振り回してもそれなりの働きをする
・自らが事業性アイディアが豊富で、ビジネス創出のスキルが高い
・自分や組織のマネジメント力が高い。
・作業や段取りに抜け目がなく、実務はほとんど完璧にこなす。
・リーダーシップが強い、又はファシリテーション力が高い。
などなど。

企業努力が足りないといいましたのは、企業の中でこうした“多様な優秀さ”を評価し、活躍させる仕組みの努力が足りないということです。
当然それは、もはや人事部門の管轄の範疇を超えている事も多くあります。

例えば、
創造的な人材のために、アイディアを奨励したり社内でベンチャーを起こす仕組みがあるか?
年功による登用を廃止し、若手や女性の登用をさせる仕組みがあるか?
事務を完ぺきにこなす人材のための、更なるスキルアッププランはあるか?
社員のライフステージに合わせた、多様な働きができるインフラや風土があるか?

優秀な人材をきちんとペルソナ分析し、それにフィットした施策や環境を用意する必要があります。
そう、人事とはインターナルマーケティングそのものということができます。

インターナルマーケティングを行い、経営やマネジメントの革新なしにして、旧来の枠組みの中で“優秀な人材をとどめさせたい”と思っても、おそらくは革新的な人材ほど流出してしまう結果になってしまうのではないでしょうか?
変化の激しい経営環境において、昨日の文脈で「優秀な人材」が、明日も優秀とは限らないのですから。

そして自分(企業)が変わらないのに、相手(従業員)にだけ変革を求め、しかもハイパフォーマンスを求めるのは、ご都合主義と言われてもしかないのかもしれません。

もし、企業内を革新するコスト負担が大きく、手っ取り早く固定費である人件費に手を付けたいというなら、残念ながら優秀な社員の流出とそれによる収益影響も計算しておいた方がよいと思います。
インターナルマーケティングの重要性を無視して安易な固定費削減に臨むことは企業の未来の収益を削減する負の効果があることを、企業は忘れてはいけないと思います。

オープンイノベーションに必要なこと

企業が本気で「オープンイノベーション」を起こしたいと思うなら、企業は少なくとも二つの固定概念を変革する必要があると思います。

一つは、社員をソーシャルリーマン(ソーシャルなサラリーマンの意)化させること。
ここでは「ソーシャルリーマン」は、”社外に出て価値創造できるサラリーマン”と定義します。自分の組織の文脈を超えて価値創造するわけですから、プロボノやフューチャーセッション、ハッカソン、等の多様な人たちとのプロジェクト(価値創造)の経験を積んでおく必要もあると思います。新規事業を自分の部署を出て社内ボランティアで行った経験も、いい練習の場になります。
自分の文脈が通じない、アウェーなプロジェクト経験が必要です。

二つ目は、特許や商標などの権利を社外に出すこと。
企業はつい、自社の社員が考えたアイディアや特許を“自組織のもの”とする考えがあり、判例でも会社を擁護する例もあります。
オープンイノベーションならば、コンソーシアムやLLP化等もふくめ、パテントを“参加者の共有物”とし、企業がそこからライセンスを受けるモデルが必要でしょう。

凄く当たり前のことなんですが、オープンイノベーションといいながら、自組織の人間や知識を“組織の所有物”と考える発想を変えないと、新しい世界の扉は開くことはないかも知れません。

では、組織は今後どのように変革していく必要があるのでしょうか?

P.F.ドラッカーは、「ナレッジワーカーはボランティアスタッフとして扱わねばならない」と言っています。これは、知識が生産力の源泉となったためこれを別の要因(金やルール)でつなぎとめておくのではなく、志やモチベーションに注意を払わねばならないということを示しています。
つまり、企業が自社の社員をナレッジワーカーにしたいなら、「なぜこの企業で働くのか?」について社員に対して常に説明をし続け、社員が志やモチベーションを持つきっかけを絶えず作り続ける必要があります。
そう、成功した非営利団体が行っているようなことを企業は学ぶ必要があるのです。
(もちろん、非営利団体というのは“オープン性”が強く求められる組織です。)

オープンイノベーションは、成果物だけでなく、私たちの在り方も自体もオープンへと変革しなければならないことを意味しているのです。

「社内副業」のススメ

副業や複業という働き方に賛成の私ですが、そうした波は確実に来るといわれています。企業マネジメントも新しい課題を迎えていると思います。
そうなると、企業としてもその前にすこし準備運動が必要でしょう。

そこでお勧めしたいのが、「社内副業(複属)」です。

今は会社員は一つの部門や所属に務めることが多いのですが、多くの人が複数の部門所属になるという考え方です。
コンサルやITにみられる、「私はプロジェクトを複数持っている」という形は非常に近いと思いますが、一般の事業会社のライン-スタッフ組織でもそのような形を取っていけばいいと思います。

例えば、「働かないオジサン」が今話題になっていますが、勤続20年もすると、「自分のスキルが一つだけ」なんて人は少なくて、大体、2,3は使えるまたは興味あるテーマはあるものです。
ですから、そういう人は社内でまず副業してもらうわけです。
“社内副業”することで、オジサンの経験と、新しい役職に就いた次世代のパワーが掛け算になります。企業の中での少ないポストをオジサンと中堅や若者が奪い合うのではなく、お互いに知識を共有することができるようになります。資源が限られて自由に行き来できるようになることで、自分のスキルを活かそうとするモチベーションが働くからです。貢献できないなら別の業に携わるか、最初から習いに行くという感じなら“奪い合い”になることはないのです。

さらにその延長として、今度はプロボノを社内に取り入れる。
自社でしか使えない知識ではなく、もっと社会に出て外で貢献することができれば、その経験は会社の中に持ち込むことで新しい価値を生む可能性が出てきます。
新規事業や新しいプロジェクトの気づきになるでしょう。ひょっとしたら、そのまま新しい可能性を見つけて会社を去る人もいるかもしれませんが...
いずれにせよ、外の世界の風を社内にとりこむことで、個人だけでなく組織にも好影響があることは間違いありません。

この二つは、今の「兼業禁止」の人事制度でもできるんです。

そしてこの制度では、プレイングマネージャーの定義も変わります。
プレイングマネジャーは、「自組織に閉じこもって自分で何でもやっちゃうマネージャー」、ではなく、自組織ではマネージャーとして縁の下の力持ちで働き、別の部門ではプレイヤーとして働く。
だから、いつでもどちらの気持ちもわかるからアドバイスもできるし、自分自身も変幻自在な働き方ができる。
プレイングマネジャーとは、そんな人材のことになります。

ナレッジワーカーの時代、こういう組織づくりが必要ではないでしょうか?

そしてくどいようですが、兼業禁止規定のままでも十分できるんです。

部署や自社にちょっとしたカオスと外の風を入れる...
もし、それに躊躇するようなら、イノベーションなんて遠い夢なのかもしれません。

「知識余剰」社会を超えて

 雇用に関する問題は、まだまだ深刻の域を出ていない。

 最近もさらに深刻度を増している「リストラ部屋」問題や社内失業、就活を巡る様々な議論、ポスドクや新弁護士、会計士等専門家の就職難、そして“第三の矢”の成長戦略の目玉と言われている女性の就労問題。
 また企業内に目を向けても、各種のハラスメントの問題やブラック企業などもある。その裏返しとしてCSRCSVという動きや、“良い会社ブーム”という好ましい会社にフォーカスをあてる各種の活動もあるが、残念ながらこれまでの経営概念を覆すまでには至っていない。

 これらの問題は、個別にみても根深く多くの議論があるが、実態としての大きな原因があるのではないかと考える。その大きな原因の一つこそ、「知識余剰(Knowledge Surplus)」という問題ではないかと思いはじめている。

 「知識余剰(Knowledge Surplus)」とは、個々の人々が持つ知識ナレッジ(→この場合には暗黙知+形式知、つまり知識と知恵の総和)の量が、それを発揮することを受け入れる“場”よりもはるかに大きい、という状態である。この“場”は、企業や組織自体かも知れないし、ベンチャーや学術組織かも知れない。さらには非営利やコミュニティである部分もあるだろう。
 言い換えれば、「知識余剰」という問題は、この知識社会において「供給」となる個々人の知識(ナレッジ)が「需要」としての受け入れる場(企業や組織、機会など)よりはるかに大きい“需給ギャップ”の問題ということができるかと思う。

 もともと、日本は戦後の教育システムや一億総中流の観点からも、国民の教育水準や進学率は高く個人間の格差は少ない。そこから学歴主義や失われた20年の経験でより個人が知識を獲得しようと進学や資格の取得などにも励んでいる。日本の「勉強力」は社会人も含め、国際的にも依然として高い水準にあると思う。つまり知識社会における「供給」サイドは好不況とは別に増加し続ける。

 他方、需要サイドである企業や組織などはどうだろう?
欧米型の経営概念は、キャッシュを重視した「金」を中心の文脈にした結果、「選択と集中」を繰り返してきた。その結果残念ながら組織内における“知識活用の場”は「収益性」という概念に押し込められてきたと言える。またベンチャー資金やソーシャル組織への寄付なども含め、日本は米国の何十分の1のマネーしか動いていない。日本にアントレプレナーが少ないという話もあるがおそらくそれは「ニワトリが先か...」の議論に過ぎず、結果としてイノベーションの苗床となる「知識活用の場」はまだ育っているとは言い難い。

 そして重要な点は、この“需給ギャップ”には通常の経済学的な需給ギャップとは大きな差異がある点である。それは、「供給が大きいからと言ってそれを減らす」ということはできないという点である。スピードの速い現在のグローバル社会において、知識の発展を止めたり鈍らせたりすることなどありえない。さらに言えば人間が過去から学び未来をよりよく進歩させようということを停止することはあってはならない。
 つまり、この需給ギャップに対応するには、「知識活用の場」であるイノベーションを起こす組織を増やしていく以外にはない。これは単に、ベンチャー起業を支援するという文脈にとどまらず、既存企業の中においても様々な場を創る必要が出てくる。単に新しいものを作るだけでなく、既存の仕事や改善も必要かもしれないし作業や事務手続きだってその担い手は必要になる。そのような「担い手」は、日本にはたくさんいる。若手の優秀な人材のみならず、主婦やシニア、派遣で働く人たちや失業者の人も貢献することができる。

 「収益性」は組織や団体を維持していく“条件”では今後もあり続ける。
しかしそれが、“目的”化してしまうようでは、この「知識余剰」という状態は解消できず、結果さまざまな雇用や社会問題を生み出す原因になってしまう。

 「知識余剰を発展的に解消する」ことこそ、雇用とイノベーションを促進し、最終的には成長戦略につながるのではないか。これこそが、日本の抱える最重要なイシューの一つに違いないのではなかろうか。それこそが「知識活用の場」を創り、維持し、拡大していくことだと思っている。

 「知識活用の場」を創ることは、企業内外を問わず、いろいろな方法論がある。
社内のベンチャーを創ることあるいはそうした支援を行う事。女性や若手、シニア層の活用を新しく考えること。障碍者の雇用について考えることも意義がある。
 自分でベンチャー起業することはもちろん、そうした企業を支援することもいい。ソーシャルな組織に参画したりその支援を行う事も「場」作りとして同様に大切だろう。

 これからも、そのための活動を地道ながら続けられるようにしたいと思う。

「比較優位論」にみる組織人事

一昔前は「異動する人はエリートコースね」、などとも言われたもの
ですが、今ではすっかり「異動したら損」と言われています。

 これは一体本当なのでしょうか?

 実はヒントは、「貿易の考え方」にあります。

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「比較優位」という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか?
例えば、こんな例を出します。

A国は先進国です。
X商品を100個作るのに、労働者は5で済みます。(生産性は20)
Y商品を100個作るのに、労働者は20です。(生産性は5)

B国は発展途上国です。
X商品を100個作るのに、労働者は10かかります。(生産性は10)
Y商品を100個作るのに、労働者は50かかります。(生産性は2)

どちらもA国で作った方が「生産性が高い」ということになります。
しかし、ここで注目すべきなのは、それぞれの国が持つ「資源」です。
資源(ここでは労働者)は有限であることを考えると、相手国と比較
して、より自国で効率の良いものを作ることに特化し、そうでないモノ
は相手に任せる方が全体の総和は大きくなります。

上記の場合には、A国ではY商品をつくり、B国ではX商品をつくると
いうことになります。

これを「比較優位論」と言います。提唱したのはリカードと言う人です。

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この『比較優位論』は、国際分業や貿易の有効性を表す理論として
有名ですが、同様に組織内の分業においても言えることが出来ます。

仮に凄く優秀なA君と、頑張り屋さんだけどイマイチなB君がいたと
します。二人とも、ITの技術者です。

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A君はベンチャー企業を立ち上げた経験もある人で、技術以外にも
営業やマーケティングも出来ます。数字の組み立てもできるスーパー
な人材です。
一方、B君は、入社時に営業研修したくらいで技術者まっしぐら、な
人ですが、A君のような先端のIT技術にはまだ少し疎いです。

A君は、自分のJAVA開発の知識を生かして技術者トップにと思って
いましたが、マーケティング部門に欠員が出来たため異動になりました。
B君は、JAVAの開発を一から学ぶことになりました。

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この異動は果たして正しいのでしょうか?

比較優位論からすると(実際の生産性にもよりますが)、非常に妥当
な判断と言えます。
組織全体の効率性を考えると、逆の配置換えはありえないし、マーケ
ティング部門に新規1名を入れるとコストがかかる。さりとてB君は頑張
り屋でいきなり解雇など出来ない。

組織全体の効率性はこうして図られることになります。

しかし、A君が「自分のキャリアの方向性が“技術者”」だとしたら
どうでしょう?
彼個人としては、今後技術者へ戻ることがなければ、機会を失ったと
言うことも言えるでしょう。
つまり、彼は、異動して損だった。となります。
自分より劣位にある技術者に開発を任せることは、少し納得し辛い
決定になるかもしれません。

これはあくまで一つの例ですが、組織が全体の総和で考える以上、
自身の異動は時として損になるケースが存在します。

では、同じ部署内ならどうなのでしょう?

実はこれも同じ理屈で、「比較優位」が異動者に損を与えるケースが
あります。

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A君はマーケティング部門に来ました。ベンチャー企業での経験から
その勘所は広く理解しています。他方、部門は細かく仕事が割り振ら
れており、個々に専門があるようです。

A君は期待されてきましたが、結局評価は下がってしまいました。
なぜなら、個々の専門を持ったマーケティング部門の人たちは、専門
的な分業体制であったため、比較優位の点で、A君は部内でも劣位
に立ったためです。

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この理論を見ると、大企業で生き抜く人材の要件は、
・専門を持つこと。それ以外はできないこと。
・異動は極力しないこと。
が、損をしない、出世をする近道になります。


何か気づきませんか?

それで、組織は世界と戦えるのでしょうか?
波乱の時代を生き抜くことができるのでしょうか?
もし、所属する組織がなくなったら、それでも良いのでしょうか?
中途半端なスキルで一生職につくことはできるのでしょうか?

その答えは、最後までお読みくださった方に委ねたいと思います。