ウチそと研通信152−寺山修司記念館−

飛行機が着陸した衝撃で目が覚めた。窓からF‐15が2、3機とまっているのが見えた。
三沢にある寺山修司記念館は開館してもうすぐ20年になるが、以前から気になっていた施設で、今回はじめて訪れることができた。
他の作家のいわゆる文学館とは趣が異なり、寺山修司らしく演劇的、映像的な空間だった。薄暗い空間のそこここに隠された寺山の歌は、呪文のようにも思え、その生涯や作品を紹介する展示というより、寺山の世界に誘導する装置となっている。次の無料バスが来るまでの約2時間、小さな施設ではあったが、飽きることなく楽しむことができた。
施設の裏山には記念碑がある。曇り空の下、そこにつながる林道を歩いていると、最近雨が降ったのか落ち葉が湿っていて、空気にアンモニア臭が混じっている。記念館から陰の気を引きずっているようだった。その林道をぬけて丘の上に立つと急に視界が開け、遠くにピンポン球を連ねたようなレーダードーム群が見える。そういえば寺山の母親は米軍で働いていたのだった。
菅原道真平将門など、かつては、非業の死をとげた人間を神格化して神社に祀ったが、現在ではそういった役割を博物館や記念館が担っているのだというような話を小松和彦がテレビで語っていたのを思い出す。明るい照明の下で、モノや情報をきれいに整理して見せるのではなく、多少わかりにくくとも、どこかいかがわしい、まじない的な空気をまとわせた方が、魅力的な空間になるのだと感じたのだった。