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菅原道真

(読書)
すがわらみちざね

概略

学問の神様

平安時代の学者・政治家。生:西暦845年〜没:903年。
菅原是善の子。菅公菅丞相、菅家*1とも。
宇多天皇・醍醐天皇に重用され、文章博士・蔵人頭などを歴任、右大臣に至る。
894年遣唐大使に任命されたが、生憎中国は乱世のため、建議して廃止*2
901年藤原時平の讒訴で大宰権帥に左遷、翌々年の903年、配所で没した。


漢詩・和歌・書をよくし、没後、学問の神・天満大自在天神として祭られた。*3
『類聚国史』を編し、『日本三代実録』の編纂参与。
漢詩集『菅家文草』『菅家後集』と和歌集「菅家御集」などがある。

崇徳天皇平将門と並ぶ日本三大怨霊の一人としてよく知られている。
北野天満宮は、菅原道真を祭神とし、本宮参道には「伴氏社」*4が祭られている。

漢詩

自詠

離家三四月,落涙百千行。
萬事皆如夢,時時仰彼蒼。


九月十日

去年今夜待清涼,秋思詩篇獨斷腸。
恩賜御衣今在此,捧持毎日拜餘香。


秋思

丞相度年幾樂思,今宵觸物自然悲。
聲寒絡緯風吹處,落葉梧桐雨打時。
君富春秋人漸老,恩無涯岸報尚遲。
不知此意和安慰,酌酒聽琴又詠詩。


不出門

一從謫落在紫荊,萬死兢兢跼蹐情。
都府樓纔看瓦色,観音寺只聽鐘聲。
中懐好逐孤雲去,外物相逢満月迎。
此地雖身無検繋,何為寸歩出門行。

*1:百人一首ほか。

*2:ハクヨ道真遣唐使廃止と覚えられる。なお、単に船に乗るのが怖くて廃止したという説は大嘘。現に唐は907年に滅亡している。

*3:祭られたきっかけは、没後都で疫病が流行し、藤原時平をはじめ多くの貴族が病没、御所に落雷があるなどで「管公の祟り」と恐れられたのがきっかけ。本質的には祟り神。「学問の神」は後付けの理由。

*4:母方が大伴氏→伴氏

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