平安時代中期の女流物語作者、歌人。藤式部(とうしきぶ)とも。生没年、本名不詳。父は著名な漢学者であった藤原為時(ためとき)。女房名「紫式部」は「源氏物語」の紫の上と、父の旧官名による。999(長保元)年、藤原宣孝(のぶたか)と結婚、一女(賢子)をもうけたがまもなく死別。寡婦時代に書き始めた『源氏物語』が評判をよび、その文才を道長に認められて、1005(寛弘2)年ごろから一条天皇中宮彰子に仕えた。
がある。
一条天皇が『源氏物語』を女房に読ませて聞いていた際、帝が「この物語の作者は日本書紀をよく読んでいるに違いない」と言ったことを聞いた他の女房が、女だてらに漢文を読む女らしくない女という意味でこうあだ名した。紫式部本人にとってはあまりいい名ではなかった。