「言説」「実態」「具体案」のそれぞれの吟味は、分けて考える必要がある。
『「ニート」って言うな! (光文社新書)』の中心事業は、あくまで「歪んだ言説の吟味」(それ自体はきわめて重要な仕事)*1にある。
一方的な偏見がなくなることは、苦しみを大いに軽減させる。しかし、それは問題のすべてではない。 ▼内藤朝雄(id:suuuuhi)氏は、「ニート」を「ひきこもり」の流行と大差なく記しているが、差別的言説の吟味としてはそう考えるべきでも、実態としての「ひきこもり」は、言葉の上だけの問題ではない*2。 高齢化・長期化など、実態としてはむしろ以前より深刻化しているのに、「ひきこもり」という単語と同時に実態そのものが忘却され、「なかったこと」にされつつある。 ▼「ニート」「ひきこもり」という単語がスティグマとして機能し得ることと、その単語で名指すしかない苦しみや事情が存在する*3こととは、分けて考えなければならない。
「ニート」という単語について、「功」と「罪」をあらためて検討するべきではないか。
『分岐点に立つひきこもり』(p.19-20)、樋口明彦氏:
そんなに単純によその国の概念を持ってきていいのかと、まず思いました。それに、「ニート」自体、曖昧な言葉で、概念としてあまり良くないとも感じました。
他方で、実践者としては、また違う印象を持ったのも事実です。つまり、若年者政策の事情を見ていると、実際に「ニート」という支援対象者に向けて動き出しているのです。そうなると、これが必ずしも概念として妥当ではないからと言って、ほうっておくわけにもいかない。厚生労働省や自治体などの予算がついてくると、支援活動のために使えるものは使わなくてはならないという状況に、立たされてくるわけです。
樋口明彦氏作成の図に田中俊英氏が加筆
現場
内藤朝雄氏が槍玉に挙げた「育て上げネット」理事長・工藤啓氏による、『「ニート」って言うな!』評:
どうしても現場にいないひとたちなので、批判っぽくなるし
ニートだろうが、何だろうが実際に目の前にいるひとをどうするのか
っていう具体策はない。
全国各地に作られたとありますが、私の地域にもあるのでしょうか。
私の地域にも作って下さいっていう電話がかなりあって、仕事に
ならんのよね・・・
- 私は、大阪のニート支援施設で3ヶ月ほど相談スタッフをしたが、「就労相談にさえ乗ればいい」と考えていた設置側の思惑を裏切り、精神的に追い詰められた若者が多く来所し、「ひきこもり支援系要員」が常に足らない状態だった*1。
政治(予算)
「ひきこもり型ニート」はたしかに「ごく一部」(本田氏)かもしれないが、逆に言えば、大々的な言説戦略がなければ、そのような存在はずっと政策課題になり得ず、「ペット以下」と呼ばれて終わっていたのではないか。▼そもそも、「ひきこもり型ニート」とされる「非希望型」が40万人余りで数値変動がないとして、しかしその層に対する目の前の政策案は、『「ニート」って言うな! (光文社新書)』ではわずかしか示されていない*1。
2000年前後に不幸な形で一般に認知されて以降*2、「ひきこもり」にはついに固有の予算がつかなかった。 しかし「ニート」の枠組みには予算がついたことから、民間支援団体等はその枠組みを活用する努力をしているわけだが*3、それすらも「ニート利権」(本田氏p.57)と言われてしまうなら、「ひきこもり」業界はどうすればよいのか。 ▼策もないところに「お金さえあればいい」とは思わないし、安易な矯正案や無手勝流が乱立する現状には私も疑問がある。 しかし、お金がなくては取り組み自体が潰れてゆく。【すでに横浜では、ひきこもり支援団体への助成金が打ち切られ、精神保健福祉センターのデイケア活動が閉鎖されてしまった。】
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- しかし、「ニート」(それも言説吟味)を主題とした本書に「ひきこもり支援」の記述を過剰に求めることは、「ないものねだり」かもしれない。
*1:p.66-7に、本田氏はかなり積極的な「ひきこもり支援」案を出されている。 内藤氏の「自由な社会」案も含め、またあらためて考えてみたい。
*2:厚労省のガイドラインは2001年が最初。 それ以前には、行政にも認知されておらず、相談に行っても「門前払い」が普通だった。
*3:しかし多くが赤字や持ち出しだと聞いている
「ひきこもり」との関係における功罪いくつか
- 言説環境の変化
- かつてのひきこもり業界においては、労働規範を強要する「説教」があまりに有害であるため、そもそも「就労」を話題にすること自体がタブー視されていた。しかし「ニート」の流行により、就労をも視野に入れた議論の雰囲気が当たり前になった。▼もちろん、「単なる労働規範の再強化」にも機能したが・・・
- 誤解・忘却・あるいは・・・