覚え書:「今週の本棚:磯田道史・評 『寿命100歳以上の世界』=ソニア・アリソン著」『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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今週の本棚:磯田道史・評 『寿命100歳以上の世界』=ソニア・アリソン著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (阪急コミュニケーションズ・2205円)

 ◇医療革命のもたらす劇的変化を見通す

 大晦日(おおみそか)、5歳になる甥(おい)っ子が、年越し蕎麦(そば)の代わりに、うどんを懸命に食べる姿をみて、思い出した。ノーベル賞を受ける前の山中伸弥さんと、六本木でうどんを食べた時のことを。寡黙な方であった。ただ、山中さんの前に、3時間座って、うどんをズルズルすすって雑談しているだけで、再生医学の発達の凄味(すごみ)が、ひしひしと伝わってきた。のびるうどんを食べていたからではあるまいが、歴史分析をしてきた経験から、その時、思った。

 寿命は延びる。技術変化を甘くみてはいけない。日本人、とくに女性の平均寿命が100歳に達するのは遠くない可能性がある。新技術は思いもよらぬ重大な結果をもたらすのが歴史の教訓だ。新技術で社会に何が起きるかは、事前に、相当、周到に考えておく必要がある。本書はこの問題に正面から取り組んでいる。

 再生医療が革命的な進化のきざしをみせるなか、世界で、老化を防ぎ、延命をめざす研究が、どこで、どこまで進んでいるかを克明に記し、「寿命150歳の世界」さえ絵空事とみていない。150歳は大げさだが、読後、日本政府の見込みは甘いと確信した。政府の将来予測は「現在の平均寿命、男性79・4歳、女性85・9歳が2060年に男性84・2歳、女性90・9歳まで延びる」(『高齢社会白書』)というもの。政府はこれに基づいて人口構成を考え、年金保険・税収などの将来を見込む。日本は再生医療の先端を走る国なのに50年たっても5歳しか寿命が延びない、と考えるのは非現実的だ。放射線の影響、薬に耐性をもった細菌・ウイルスの出現、強毒性インフルエンザの世界的流行で高齢者が急減するリスクはあるが、政府は医療の変化を甘くみている。

 将来、さらに寿命の格差が進むという。本書によれば、2010年度の推定値では、モナコの平均寿命が世界一で89・8歳、(日本は82・2歳)。一方、アフリカのアンゴラは38・5歳。悲しいことに寿命の南北格差は50年ある。昭和22(1947)年、日本人の平均寿命は52歳だった。それが30年も延びたのは、抗生物質やワクチンで細菌とウイルスに勝ち、子どもの死亡率を下げたからだ。そして今、人類史上初の事態が起きようとしている。老人の死亡率を下げ、高齢者の平均余命を大幅に延ばす医療革命のはじまりである。

 何が起きるのか。本書の考察は、家族、金銭・時間感覚、宗教観の変化を予測している。現在の結婚制度は寿命40年時代にできたもので、相手をじっくり探せる前に死んだ時代の制度と本書は指摘する。長寿化の社会では、何度でも自分を教育でき、教育が個人の成功の鍵となる。また日本の場合、定年の延長などで高齢者の過度な「居座り」が起きるかもしれない。若者の参入に障壁とならない工夫が必要だ。貯蓄額は増えるが、おそらく老後資金の問題が起きる。体の衰えを完全には防げないから、介護の機械化や補助具のハイテク化は進めねばなるまい。延命に高額の医療費がかかり、保険を圧迫したり、貧富による寿命の著しい格差が生じる可能性も否めない。

 寿命100歳の社会では、卒業・結婚・退職すべてが、後ろに延びるに違いない。「大人」になるまでの時間が長く、労働・余暇に使える時間が共に増える。定年後を晩年とすれば20歳で就職し60歳まで40年間勤めて、定年後、さらに同じ40年間の晩年がある。80歳定年となるかもしれない。こんな世界では、高収入期が短いサッカー選手・女性アナウンサーのカップルは忌避され、収入期間の長い仕事、日本画家が人気職業になるかもしれない。(土屋晶子訳)
    −−「今週の本棚:磯田道史・評 『寿命100歳以上の世界』=ソニア・アリソン著」『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140112ddm015070011000c.html





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