覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『やちまた 上・下』=足立巻一・著」、『毎日新聞』2015年06月07日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『やちまた 上・下』=足立巻一・著
毎日新聞 2015年06月07日 東京朝刊

 (中公文庫・各1296円)

 ◇文法学者の一筋の道照らす

 長編評伝『やちまた』は一九七四年の刊行。足立巻一(けんいち)(一九一三−一九八五)が残した内容の深い、特別な名作だ。この日本に、このような著作が存在すること。それを知るしあわせを読む人は感じることだろう。

 本居宣長(もとおりのりなが)の長子、本居春庭(はるにわ)(一七六三−一八二八)。その文法学一筋の生涯を、これ以上望めないほどこまやかに再現する。それが『やちまた』だ。

 昭和二年(一九二七年)、著者は国文の専門学校(神宮皇學館三重県伊勢市)の白江教授の講義で本居春庭の存在と功績を知り、興味をもつ。春庭は、父・宣長のもとで国学を学ぶが、二九歳で眼病を病み、三二歳のとき完全に失明。そのあとも、父の国学の一部門だった国文法の研究に励み、『詞(ことば)の八衢(やちまた)』を著わす。『詞の八衢』は豊富な例証をもとに四段、一段、中二段、下二段の動詞活用を明らかにした画期的なもの。「おなじことばでもその働きざまによってどちらへもいくものであるから」と、「やちまた」(道がいくつにも分かれたところ)にたとえた。春庭が名づけた「変格」はいまも使われている。

 最後の著作『詞の通路(かよいじ)』の自動詞・他動詞を区別する学説も、世に先んじた。ことばの本質を「意味」でなく「語法」にあるとする言語哲学が躍動する労作である。それら学説の淵源(えんげん)をたどる著者の旅は、春庭の心に寄りそいながら、果てもなくつづく。『やちまた』完成に、四〇年の歳月を要した。その探索の日々を清涼な文でつづる。

 松阪の春庭だけではない。『詞の八衢』の学説に一面で先行したとされる鈴木朖(あきら)(尾張)、春庭の前に「刃物のようにもっとも鋭く立ちあらわれた」僧義門(ぎもん)(若狭)など同時代の文法学者の事績にも触れながら、春庭の独創性を検証。夢のなかで本居宣長の門下となったと公言する平田篤胤(あつたね)。その「悪霊のように強烈無類な個性の出現」で、宣長国学が分解していく動きも書きとめる。視力を失った春庭を支える、妹・美濃、妻・壱岐(いき)。その代筆の文字の濃淡を通して、それぞれの人生を思う場面や、伊勢で、松阪で出会う人たちの情景も印象的。でももっとも心をとらえるのは「切畑(きりはた)」への旅だ。

 父・宣長は、春庭の眼疾を案じた。父とともに春庭は松阪をたち、尾張・馬島(まじま)の明眼院(みょうげんいん)(日本初、当時唯一の眼科専門病院)で治療を受ける。失明確定のあとの京都の旅では、途中の大和国切畑村(現在、奈良県山辺山添村切幡・ちなみに郵便番号は六三〇−二二三四)に名医がいると父から教わり、二度訪ねるが平癒せず、「徒労の旅」に終わる。宣長は、息子の視力回復の望みを捨て切れなかった。「切畑に希望をつないでいるのである」

 切畑はそのころ、眼科の名医がいるとは思えないような、山あいの辺地。春庭は「雨の嶮路(けんろ)」を歩いて切畑に向かった。

 著者は後年、その切畑へ向かう。春庭が歩いた道をたどる。さらに、一七〇年以上も前、はるか昔に、切畑にいたらしい眼科医のおもかげを、懸命にさがしあてようとする。それはもはや「徒労の旅」とは思えない。人の旅としてこれ以上に美しいものはないのではなかろうか。

 春庭に少しおくれて生まれ、

『詞の八衢』を要約、初学のためにとてもいい案内書を書いた人、春庭のことばを人知れず大切にした人など、それぞれにひとつの道を歩き通した人たちの姿は、影となり光となって、読む人の心に残ることだろう。足立巻一『やちまた』は、さまざまな一筋を描く。ことばが果てるまで描いていく。
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『やちまた 上・下』=足立巻一・著」、『毎日新聞』2015年06月07日(日)付。

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