『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』アントニオ・ネグリ マイケル・ハート


遅ればせながら『<帝国>』を読んでます。以前パラパラと読んだときは、いまいちよく分からなかったのですが、新自由主義の脅威を実感して身近に感じるようになった。

資本主義経済と国家の関係を考えるときは、国家の成立以前に遡ってみなければならない。国家の成立以前は村落共同体の中で互酬制で経済は営まれていた。やがて貨幣を使うようになると村落共同体の間に都市が出来て、そして都市的なものが全土を覆いつくすようになる。ここで国家というものが要請されてくる。資本が出来ない国土の保全や人的資源の再生産を国家がやる。つまり国家というのは資本制経済によって生み出された、ともいえるのではないだろうか。

そういう意味で、この本が国際連合から始まっているのは興味深いですね。資本制経済がグローバルに展開するとき、それをフェアなものにするためには国家を超えた国際連合のような組織が必要とされる。新自由主義に対抗するときに国家に庇護を求めるというのは、けっきょく国家の力を強化するということになってしまうのではないだろうか。そうではなく国家を揚棄する方向に向かわないといけない。

原理主義についても述べられていた。現在勃興しているイスラム原理主義は、世界資本主義に対抗するような形で出てきたポストモダン原理主義だという。原理主義イスラムだけでなく、アメリカのキリスト教原理主義や日本の天皇原理主義ともいうべきものが勃興している。これらは現在のグローバリゼーションに対抗する形で出てきている。

だから国家に庇護を求めるようになると、このような勢力に加担するようなナショナリスティクな運動になってしまうのではないだろうか。国内は良くなっても、資本は国外に移動し搾取を続ける。アメリカは戦争によってそういう市場を開拓している。資本は国境を越えるので、グローバルに考えないとダメなんじゃないだろうか。

<帝国>が国家と結託した世界資本主義そのものだとしたら、解決を国家に求めるのではなく、世界資本主義そのものに求めるべきなのではないだろうか。資本制経済自体をフェアなものに変えてくということが不可欠だと思われる。まだ途中までしか読んでないので、この辺で終わります。



<帝国>