新緑の日とスマートフォン

新緑の日でございまーす!
「しん(4)りょ(2)く(9)」の日でーす!
いつまで通じるのかしら、これ。
いや、そもそも通じてないのかも。


いつからか勝手に、ぼくの中での記念日に設定していて、
昭和の日でもあるので祝日でもあるという。
ともかくおめでたい日なのでありました。


由来はというと、ゲームキューブ向けに発売された
どうぶつの森+」での記念日から。
まだその当時、祝日は日が固定で、月曜に寄ったりせず、
祝日をもじっていろんな記念日があったのですよね。


発売時のこの日は、みどりの日という祝日。
ちょっとした語呂合わせが入って、新緑の日と設定されてました。
今でも5月ではなく4月にみどりの日があると思ってしまうのは、
確実にこのゲームの仕業でしょうね。


さてさて、発表されましたね、
スマートフォン向けどうぶつの森の開発。
ぼくはゲーム機でゲームしたい派なので心境は複雑ですが、
今やどうぶつの森を据え置き機で出すのはいまいちだと、
そう感じるのも否定できません。


どうぶつの森+」の頃って、
まだ携帯機はゲームボーイアドバンスくらいのはずで、
クオリティの高い3Dを動かすのなんてまだまだ夢のような
そんな時代だったような気がします。


DS版の「おいでよ どうぶつの森」でも、
ドットが荒くて、絵としてはそこまででしたが、
しかしあれも良く遊びこみました。
システムとしては、携帯機で十分なものと言えますからね。


ただ、3DS版も含めて、ぼくとしては何か物足りないというか。
前にも書いたような気がして、実際前に書いてましたが、
「虚無感が足りない」のです。
どうぶつの森+」の頃って、なんとも言えない虚しさがあった。


豪華なグラフィック技術、処理能力を使って、
地味な絵面を表現してほしい。
オブジェクトは綺麗なのに、8×8のマスの中に
90°単位の向きで配置しなければならない。
この無駄さ加減。これが好き。


例えばドラゴンクエストXでは、位置や角度が微調整可能な
かなり自由度の高いハウジングができてしまうんですが、
どうぶつの森に求めるのはそれじゃない、
もっとくだらない、無駄さがほしい。


そういう意味で、すでに任天堂から配信されている
「Miitomo」というスマートフォン向けのアプリは、
なんか虚無感があります。
変な評し方ですが、肯定的な感情です。


iPhoneは解像度もすごく高く、処理能力もあるので、
見た目に豪華なゲームが作れるのは知ってます。
それを使って、あのMiitomoを作るというのが、
昔の据え置き機向けのどうぶつの森っぽさを感じます。


だから、案外期待しているんですよね、どうぶつの森
無駄さ加減や虚無感が戻ってくれるんじゃないかと。
ぼくがスマートフォン向けゲームで最も危惧することは
操作感が悪くなること、ただそれだけです。
操作感さえ良ければ、ぼくはなんでもいい。


Miitomoは、「文字入力」というゲーム機には辛い操作が頻発しますが、
スマートフォンはむしろ文字入力を前提とした設計なので、
ゲーム機でやるよりも楽だと思えるのです。
よって相性がいいと。


今回同時に発表された「ファイアーエムブレム」は、
将棋のようにユニットを移動させるゲームですから、
タッチ&ドラッグの操作ができるスマートフォンには
適しているかもしれないと思っています。
……動かし間違いへのフォローがないと、恐ろしいですけど。


どうぶつの森は、実は難しいところで、
単純移植だと、移動やダッシュ、ものを拾う、掘るといった
基本的なアクションに対する操作感がかなり落ちそうなんですよね。
タッチスクリーン上にスティックが表示してあるタイプでは、
ぼくは絶対に遊べません。


家と、村と、どうぶつとのコミュニケーションと、
全部揃ってどうぶつの森だと思ってるので、
何をどのように省略していくのか、かなり気になります。
あるいは、要素を削ることなく成立するような
操作体系が発明されたら、理想的だなあ……


と、あれこれ書いていたら、もう新緑の日は終わってしまう!
ゲームに対して想像するのって、時間を忘れて楽しいんですよね。
ただ、最近いやだなと思うのは、発売されたゲームに対して
こうするべきだと開発者に主張しやすくなり、実際それがいること。
ゲームというものには、もっと虚無感が必要な気がしますよ、うん。