“りふれは”のことかと思った。

「『右』も『左』もない」なるドグマにとらわれ切った池田香代子
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120715

なぜ西尾幹二などと「共闘」する必要があるのだ? どうして「別個に進んで共に撃つ」ではいけないのか?

私がなぜそんなことを言うのかというと、この手の「『右』も『左』もない」統一戦線を組む試みは、そこからはみ出した人間に対する「大政翼賛会」的とも「村八分」的ともいえる「排除の論理」を容易に生み出すからだ。

“りふれは”は、歴史修正主義松原仁には何にも文句を言わないのに、リフレ政策自体には反対していないhamachanにはえらく冷淡な対応をとる。
どうみても歴史修正主義の方が大問題だろ。まして松原仁は政治家でデフレ脱却議連の代表もしているのに。

私自信は松原仁や金子洋一も、構造改革シバキアゲの高橋洋一も全部嫌いだけど、リフレ政策支持の一点だけでよいといのがリフレ派だ、というのなら納得はしたい。だが実際は、リフレ政策支持でも増税社会保障充実派のhamachanには冷淡な対応をとるのが“りふれは”。(ちなみに、私もhamachanと同じく増税社会保障充実派。)

歴史修正主義構造改革シバキアゲとは「一緒に進む」にの、増税社会保障充実派とは「別個に進む」のが“りふれは”。
すべてと「別個に進む」のならまだ理解できるんだけど、これでは理解できない。

ついでに。kojitankenさんは脱原発派で再稼働反対派。
私は、脱原発派だけど、安全対策をした上でとりあえず再稼働して、新規原発の建設をやめて数十年掛けてやめればいいんじゃないかと考えている。
数十年かければ、さすがに太陽光発電なり風力その他の技術革新で原発なしでもやれるんではなかろうか。

もちろん、経済への悪影響を我慢するならば、再稼働なしでもやっていけるかもしれない。トレードオフなわけ。
私は経済への悪影響を心配するからとりあえず再稼働して徐々に減らせばという立場なだけで。
火力発電の燃料費に一年で3兆円かかっていると言う話があるけど、それなら原発をすべて再稼働して、浮く燃料費数兆円を全部被災地に回せばとか
思ってしまう。

一方で心理的には、安全対策をしても大事故が絶対に起きないと確信を持って言えないのも確かなので、不安な気持ちも一部にはある。
だからもし東京に住んでいたらデモに加わったかもしれない。