日本の政治を見る基本的な視座、及び安倍新政権について

 政権が代わったのを期に、日本の政治を見る場合の私自身の基本的な見方を記しておきたい。まず、日本の政治に今何よりも必要なのは、政権を担う政党が交代すること、すなわち政権交代である。日本における民主政治の可能性を見極めるためという理由だけでも、政権交代は有用かつ不可欠であると思う。


 例えば、官僚支配を打破しなければならないと与党も野党も言う。そして、このような主張に対して正面から異を唱える人は多くないだろう。しかし、官僚支配というものがどの程度のものなのかは、政権政党が交代して初めて十全にわかるのである。逆に言えば、政権政党が交代しないでは、いったい官僚支配がどこまで及んでおり、政治家のコントロールがどこまで効いているかは、判然としないのである。


 また、特定の政治家が長期間利権に近くあれば、その政治家は腐敗する危険性が高い。昨今福島県知事の親族の逮捕をめぐって報道が行なわれているが、話はこの例に限ったことではあるまい。知事という存在は強大な権力を有するから、腐敗への危険性はとりわけ大きいかもしれないが、政権政党の政治家も腐敗への危険性を抱えていることは明白である。したがって、権力の腐敗を防止する意味でも、政権交代は有用たりうる。


 日本人が民族的に政権交代を好まないのだなどという言い方はもちろん当たっていない。既に戦前には二大政党制が成立しており、その大政党間で政権交代が行なわれていたのだから。そして、今の自民党政権は例えばアジア外交で手詰まりに陥っているが、政権交代が行なわれれば、日本の外交政策の変更には容易に大義名分が立つ。しかし、今回のように同じ政党が政権政党であるままで内閣が代わるだけでは、そのような変更はより困難である(この点に関しては9月24日づけ日録に書いたように、日本政府が小技を出すことで当面日中関係改善の演出が行なわれる可能性を否定するわけではないが、問題はもっと根本的である)。


 日本人は、政権交代の限界を知るというためだけでも政権交代が行なわれる必要があるのだ、という点に気づかなければならない。日本を本当に民主国家として成り立たせていきたいのなら。



 ところで、安倍政権の布陣について一言二言論評を加えておきたい。


 まず、
首相補佐官を増強、官邸主導で「安倍カラー」浸透狙う」
http://www.asahi.com/politics/update/0926/015.html
という記事によると、首相補佐官を目いっぱい起用して、官邸からいろいろな発信をしていこうという考えだとのこと。教育問題では、安倍より年長の文部科学大臣の起用があったので、安倍の意向だけが通ることには必ずしもならないかとも思えたが、官邸に「教育再生担当」として入った人物は最悪の政治家の一人であるようなので、やはり教育問題では安倍政権は要警戒ということになるのだろう。


 言うまでもないが、現行の教育基本法を改正する必要などは全くないのであり、教育バウチャー制度などは、導入されれば地域社会の崩壊につながりかねない大悪制度だと言っておかなければならない。


 次に、再チャレンジ担当大臣とやらは金融担当大臣がこれを兼務するとのことだが、この一事によって、安倍政権が「再チャレンジ」問題或いは格差問題に対して取り組む熱意がいかに希薄かがよくわかる。本腰を入れて「再チャレンジ」を問題にするのなら、当然、厚生労働大臣がこれを兼任するのが筋である。再チャレンジの問題は基本的に労働市場の問題であるのだから。


 今回の内閣では年長者が相当多くいる。こういった人々を果たして首相がコントロールできるのか、現時点では相当疑問だと言わざるをえないが(もともと、見識の面では安倍は年長者に対しては全く歯が立たないだろう)、自民党のことだから、安倍に人気があるとなればそれを立ててまとまり、人気が低下したとなったらすぐに批判色を強めるというようなことになるのではなかろうか。


 それからもう一言。北朝鮮と全く無縁な者として私は発言するが、安倍政権の論評の中に、拉致被害者家族からの声が含まれるのはどうにもいただけない。彼らは拉致被害者の速やかな救出をと口では言っているが、そのために希望する政策は何かと言えば、経済制裁など強硬論ばかりである。本当に拉致被害者の帰国を望むのなら、(もしそういう人々が生きているなら)もっと他の方法も当然ありうるのであって(例えば昔、サメ脳元首相が「タイで見つかったという話にする云々」といったことを言っていたではないか)、そういう可能性を言わずに強硬論だけ唱えている人々は、明らかに日本の外交政策の展開を妨げていると言わざるをえない。本当に拉致被害者の速やかな帰国を望んでいるのかどうかという点についてすら、疑念を抱かざるをえない。今回の組閣では、安倍は拉致問題担当の首相補佐官を任命している(例の中山女史)から、この点でも日本の外交は硬直的なままであることが予想される。愚かな選択だと言わざるをえない。