Hatena::ブログ(Diary)

遼東の豕

2017-06-23

怒るオジサン、笑うオバサン

 一昨日のことであるJRのB駅のホームで快速の上りを待っていた。線路を2本はさんで下りのホームがある。午後10時を回っていたからか、あるいは電車が出てしまったばかりなのか、ホームに待つ人も少なかった。ワシャのほうも10分程待ち時間があったので、さっそく鞄から新書を出して読みはじめる。
 そこに突然「バカヤロウ!」という罵声が飛んだ。「なんで表示板をつけているんだ」「JRはきちんとしろ」「照明がもったいないだろう」「ベンチが座りにくいんだよ」……などと延々と大声で喚く白髪白髭のオッサンが、ホームの端のベンチに一人座っている。
 読書を止めて、何を言いたいのか注意して聴いていたが、内容はないようだ。ただ宙に向かって怒りを吐いているだけだった。それでもそのオッサン、近くに人が来るとなにも話さなくなってしまった。案外小心な人なのかもしれない。

 これは昨日のこと、夕方のA駅である。下りの普通電車を待っていると、30mくらい離れたところからオバサンの高笑いが聞こえる。「ブヒヒヒヒヒ〜ン」まるで馬のいななきだね。公衆の面前でやっていい笑い声ではない。パッと見、40ちょっと過ぎくらいか小太り以外に特徴のないオバサンである。別に女だからということではないが、公の場では少し奥ゆかしいくらいでちょうどいい。
同じホームでワシャの隣の列の先頭で電車を待つ高校生。ホームにべったりと座り込んでスマホゲームをやっている。自宅の居間で寛いでいるのとなんら変わらない様子だ。幸せといえば幸せな少年だろう。
 快速が来て乗り込む。混んでいる。とくに出入口付近にはサラリーマン風の人がたまっている。そこに後方から真っ黒に日焼けした短躯ビール腹のオニーサンがドスドスとやってきた。進行方向の人がいると「どいてどいて!」「どいてどいて!」と声を上げて前進していく。また少しすると(ワシャの視界からは見えないけれど)「どいてどいて!」「どいてどいて!」と声がする。もう一度「どいてどいて!」が聞こえて、ドアの閉まる音がして、オニーサンの声はしなくなった。

 メモをせっせとしている人もいて(笑)、いろいろな人がいるなぁ。

2017-06-22

歴史の奥行き

 昨日から、愛知県刈谷市のJR駅前で9カ月にわたる連続講座が始まった。仕事を終えて、夕方JRで出かけた。ワシャは4つ東の安城駅で乗るのだが、快速で5分なのでとても便利がいい。
 時間さえ合わせれば、職場の机を出てから15分後には刈谷総合文化センターの入口に立つことができる。刈谷総文はいい催しが多いので、近隣市の住民は、とくにJR沿線の人は利用しない手はない。

 さて、連続講座である。タイトルは『刈谷の歴史 〜シリーズ「藩物語・刈谷藩」から〜』、講師は、現代書館から『シリーズ藩物語 刈谷藩』を上梓された歴史研究家の舟久保藍さんである。全9回で上記の本をテキストにして刈谷の歴史を戦国から現代までを辿るというもの。
 正直言うと「9回もネタがあるのだろうか」と思っていた。しかし、第1回目は水野家と藩主水野勝成だけで一講座を語り尽くした。落語家だってそんな長く噺せませんぞ。一昨日の安城落語会、名人瀧川鯉昇ですらまくらを延ばしに延ばして50分保つのが精一杯だった。それが笑いを取りながらの1時間25分である。船久保さん、懐にいろいろなものを持っている。奥行きが深いなぁ。
 舟久保講座では勝成がまだ没していない。次回も勝成の波乱万丈の人生を聞くことができるだろう。

 そうそう、舟久保さんが講座の中で小説を紹介されていた。早見俊『藤十郎駆ける!』(徳間文庫)である。これはさっそく入手しなくっちゃ。

2017-06-21

河村市長の連携

 平成中村座の筋書を買った。その冒頭のご挨拶が、東海テレビの社長から始まっている。次に松竹御園座中日新聞東海ラジオとそれぞれの社長が続く。みんな背広にネクタイといった出で立ちで、きちんとした様子の写真が並ぶ。
 6番目は……およよ……横縞のポロシャツ、普段着だね、それを着て破顔するオッサンがご挨拶かい。誰かと思えば、名古屋市長のミャーミャーさんじゃありませんか。格式ばったことを言うわけではないけれど、日本の伝統文化の歌舞伎の筋書である。俳優たちの紹介写真はすべて黒の紋付で統一されている。役者にとっては筋書とはいえ正式なものと言っていい。そこをミャーミャーさん、いくらなんでもポロシャツはねえだろう。要するにふざけ過ぎなのである。歌舞伎をバカにするとともに、筋書を求める観客をなめている。

 昨日の新聞だった。23日告示東京都議選河村たかし名古屋市長が参戦するんだとさ。地域政党の「都民ファーストの会」の候補者応援し、存在感をアピールして、都知事と新党結成を目指すのだそうな。
 嗚呼、小池百合子さん、ついにミャーミャーさんに付け入られる状況まで落ち込んだか。ミャーミャーさんが先の名古屋市長選への応援小池さんに頼んだ時は、けんもほろろに断っておきながら、都民の風が変わったと感じた途端、使えるものはアホでも使えということになったのかな。
 朝日新聞は書く。《減税幹部は「やっぱり河村さんが来たらすごいと思わせ、会わざるを得ない雰囲気をつくりたい」とツーショット実現を狙う。》
 減税幹部はアホ?
 これまで構築してきた小池百合子のイメージを、お笑い首長と会わせることで一気に崩壊させるつもりなんだね。それに「河村さんがすごい」って、たかが歌舞伎の筋書ですらバカを露呈するような人物を、心から尊敬しているとは……。そこが信者の信者たるゆえんなんでしょうが、笑える。

 平成中村座の公演は名古屋城の二之丸広場でやっている。そこからも木立ごしに天守閣が見える。鉄筋コンクリートで造られている現天守閣はそれなりに時代の風合いを帯びてきて、ドテッパラに突き刺したエレベーター棟以外は、まず名城と言っていい。当たり前だけど、慶長14年に建てられた天守閣にエレベーターはなかった。だから木造にしろ鉄筋コンクリートにしろ、城を文化の財とみるならば、いくらバリアフリーとは言え、その姿を阻害するエレベーター棟を恥ずかしげもなく天守閣にぶら下げている感覚が名古屋城を二流にしている。
 ミャーミャーさん、巨費をかけて木造で再建するのも結構だが、まずそういった根本の部分を考えていったほうがよいのではないか。

2017-06-20

勧酒

 于武陵(うぶりょう)は、8世紀の前半に唐帝国を生きた詩人である。と、知ったようなことを書いているけれど、ワシャは最近まで知らなかった。
 6月13日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20170613/1497307623
に《「サヨナラ」ダケガ人生ダ》という名言について書いた。ワシャは、名言を残したのが寺山修司だと思ったのだけれど、井伏鱒二が正解だったというお粗末。
 確かに……名訳は井伏鱒二のものである。だが、元の漢詩の「勧酒」は、冒頭の于武陵が作ったわけで、「于武陵じゃねえか」といちゃもんをつけられないこともない。
 悔しいので、于武陵の五言絶句を当たった。これがまたいい。まずは『唐詩選』(岩波文庫)から。


 勧酒(酒を勧む)

勧君金屈巵(君に勧む きんくつし)   ※「金屈巵」は金製の豪華な酒杯
満酌不須辞(満酌 辞するをもちいず)
花発多風雨(花ひらけば 風雨多く)
人生足別離(人生 別離足し)      ※「足し」は「おおし」と読む。

 直訳は《君に勧める黄金のさかずき、なみなみとついだこの酒を、辞退するものではないよ。この世の中は、花が咲けば、とかく風雨の多いもの、人が生きて行くうちには、別離ばかりが多いものだ》とある。
 これでも元の詩がいいので充分に于武陵の思いが伝わってくる。
 科挙試験に合格し、官として華々しい人生を送るはずであった。しかし官界に身を置いてみれば、その薄汚さに絶望し、書物と琴を携えて天下を放浪した。何歳で亡くなったのかも定かではない。漂泊の詩人だった。
 これが井伏鱒二の訳になるとこうなる。
《コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ》
 ううむ、七五調の名訳ですなぁ。

 暦がまもなく還ろうとしているのに、于武陵を知らず、井伏鱒二すら読まず。インテリジェンスは遼かに遠く、目先ばかりのペダントリー(衒学癖)に陥ってしまった。
 本を大量に読めば教養人になれるというのは錯覚だと、作家で国文学者の林望さんも言っている。本の量ばかり誇っていてもアホだということですな。まぁジタバタせずに、酒でも酌みながら、于武陵の詩一編をじっくり味わったほうが良いということだろう。

2017-06-19

名古屋平成中村座

 もう少し「名古屋平成中村座」にお付き合いくだされ。
 昼の部の演目が「壽曽我対面」(ことぶきそがのたいめん)、「封印切」(ふういんぎり)、「お祭り」。夜の部が「義経千本桜」、「弁天娘女男白波」(べんてんむすめめおのしらなみ)、「仇ゆめ」(あだゆめ)となっている。
 ワシャは「仇ゆめ」を観たことがなかったので、ちょっとした舞踊劇くらいに思っていた。確かに『歌舞伎事典』(平凡社)にも『歌舞伎ハンドブック』(三省堂)にも出てこない。
 まぁ小屋で買った筋書を見れば、1966年の初演の新作で、十七代勘三郎が主人公の狸を演じている。単なる舞踊劇ではなく、見所の多い詩情あふれる作品になっている。クライマックスでは外の景色を取り入れるという中村座お得意の舞台展開で、名古屋城の桜色に染まった夕景を見せた。これには会場からどよめきが起きた。石垣を染めているのは照明だろうが、そのむこうの空までは赤くしたのは先代のお茶目なサービスかもしれない。
 昼の部の「お祭り」でも舞台背後の壁が開いて、名古屋城を借景にする。雨の予想も出ていたので、ワシャ的には豪雨を見たかったが、霧雨がわずかに降っただけである。でもね、石垣、叢林、櫓などが一幅の墨絵のようで、これもまた味がありましたぞ。
 この舞踊劇の主人公の鳶頭を勘九郎がつとめる。相方の若い者が虎之介である。この二人の息が合わない。踊りながら勘九郎と虎之介が思わず苦笑している。最後には、勘九郎がポリポリと頭をかいてしまったくらいちぐはぐだった。が、それもライブの良さである。
 昼の部の演目が終わって、歌舞伎仲間の皆さんと小屋から外に出る。幕間に確認しておいた小屋裏の通用門のほうへ案内して、「さっき、ここから役者さんたちが何人も出てきたんですよ」と教えてあげた。仲間は頷いていたが、ちょうどその時、Tシャツ、ジーパン姿の白髪の小柄な男性が通用口から現われた。
 およよ!清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう)ではあ〜りませんか!!
 ワシャはあわてて仲間に「延寿太夫でっせ!」と伝えるのだが、仲間の反応は薄い。えええ?七代目清元延寿太夫でっせ。勘三郎の従弟で、六代目の孫、江戸浄瑠璃宗家ですぞ。周囲の反応がなかったので、声をかけるのを躊躇っていたら、延寿太夫はそのまま東門の方向に消えていった。
 でも延寿太夫を間近で見られてワシャ的にはよかったよかった。

 この方です。髪の毛は白くなっていますけど。
http://www.kiyomoto.org/airtist_page/p_t01.htm