今宮神社
今宮神社は、京都市北区紫野今宮町に鎮座。
大己貴命・事代主命・奇稲田姫命の三柱を祀る神社で正暦五年(994)に船岡の上に創立されたといわれ、疫病の神として信仰が厚い。一条天皇は疫病鎮めのために御霊会を修せられ、長保三年(1001)に初めてこの三柱を現地に勧誘せられた。
本殿は明治三十五年(1902)の再建で、その西にある疫神社は本社が鎮座される以前からあったといわれ素盞鳴尊を祀る。
今宮の名は、この古い疫神社に対し、新しい宮を意味する名称である。
なお、四月第二日曜、当社で行う「安良居祭」は桜の開花の頃に行う疫鎮めの祭事であり、京都の奇祭の一つとして知られている。「立て看板より」
織姫神社
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大将軍社
紫野稲荷社・織田稲荷社
宗像社
地主稲荷社
久我神社(京都市北区)
久我神社は、京都市北区紫竹下竹殿町に鎮座。
賀茂別雷神社の境外摂社。
延喜式神名帳「山城國愛宕郡 久我神社」に比定されている。
「延喜式」神名帳に載る愛宕郡の「久我神社」とされる。
上賀茂神社の第八摂社で、祭神は賀茂建角身命。
「山城国風土記」逸文は、神武天皇の国内平定に際して先導を務めた建角身命が、大和葛城から山代(山城)国の岡田(現京都府加茂町)の賀茂に至り、最後に「定二坐久我国之北山基一、従二爾時一名曰二賀茂一也」と記す。
久我神社は、賀茂氏がその移住地に祀った神社で、現京都市伏見区の久我神社が知られる。
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「三代実録」貞観元年(859)正月二七日条に「久我神」の名がみえ、正六位から従五位下に加階されている。
その後、賀茂社の「嘉元年中行事」に末社として記され、平安後期頃から賀茂社末社となったと思われる。
現在の建物は寛永五年(1628)のもので、拝殿は妻が正面になる切妻造、またその当時氏神社と称されたが、明治五年(1872)久我神社の名に復した。「寺院神社大辞典より」