ケープタウン決意表明(15)

 
IID. 世界宣教のためにキリストのみこころを見分ける
 
1. 福音が伝えられていない人々および宣教の取り組みがなされていない人々のグループ
 
 神のみこころは、なによりもまず、世界のすべての人々が「神の愛と、イエス・キリストによる神の救いのわざとについての知識を容易に得られるようになること」です。知ることなしに、信じることはできません。そして、知識を得ることが困難であるならば、信じることへの道は遠いでしょう。しかし、現実はどうでしょうか。クリスチャンの証しを通して、この福音についての知識にアクセスできない人々のグループが何千もあります。
 世界の人々をその民族と言語によって分類することができます。文化的、民族的、言語的な障害のない人々の一団を「人々のグループ」(people group)と呼ぶことにしましょう。世界には、福音が伝えられていない人々のグループ、つまり、「知られている信者が一人もなく、信者の中に教会もない」グループが数多くあります。www.finishingthetask.comの統計によると、四万人以上の人口をもつ「人々のグループ」のうち(世界中にはもっと人数の少ない人々のグループが数多く存在します)、クリスチャンがおらず、フルタイムでそこで働いている人々がいない人々のグループは476もあります。このうち326は、働き人を送るという意思表示が宣教団体等でなされてはいますが、実際には送られてはいません。
 このことは何を表しているのでしょうか。それは、教会の持つ、人的および物質的資源のごくわずかな部分しか、福音が伝えられていない人々に当てられていない現実です。残念なことに、彼らは福音についてなにも知りませんから、福音を携えてくださいと招くことはありません。この現実は、私たちに対するイエスの命令(マタイ28:18−20)に対する不従順への叱責であり、霊的な意味での不公平のあらわれで有り、無言のマケドニアの叫びしです。
 

その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。(使徒言行録16:9−10)

 
 この現実に対して、ケープタウン決意表明はいくつかの提言をしています。
 まず、私たちがこのような現実を認識していないこと、彼らと福音を分かち合う思いに欠けていることへの悔い改めへの招きです。現実を知り、祈り始めることがまず大切です。
 次に、まだ福音を聞いたことがない人々の所へと行くことです。ただし、ただそこに行けばいいのではありません。(1)「彼らの言語と文化を深く理解する」、(2)愛と犠牲をいとわない奉仕によって福音を生きる」、(3)「言葉と行動で主イエス・キリストの光と真理を伝える」、(4)「聖霊の力によって彼らを驚くべき神の恵みに対して目ざめさせる」の四つがあげられています。福音を伝えるのは、そこに行って、手当たり次第に人をつかまえ、福音のメッセージを語ればいいのではありません。自分が異なる文化と言語から来た存在であることを踏まえた上で、相手を相手の枠組みの中で理解し、福音を語るまえに福音に生きることが大切です。さらに、証しも言葉によるものだけではなく、「行動」が必要である。相手を理解し、福音を生き、福音を語る。この方策はどのような文化においても必須ではないでしょうか。さらに、この福音宣教は、私たち人間の働きではありません。神のわざです。ですから、聖霊が彼らの心を目ざめさせるようにと祈り、働くことが必要です。この方策理解は、日本というまだ福音が届けられていない地域においても、まったく同じではないでしょうか。
 三つめと四つめは聖書の重要性です。まず、母国語で聖書を持っていない人々のために聖書翻訳をすること(たとえばウィクリフ聖書飜訳協会の働きなど)です。これは時間のかかるプロセスですが、必要です。それと同時に、「聖書を文字とする」という状況では、文字のない民族の場合、文字を作るところから作業を始める必要があります。しかし、そのような民族の多くは、口述文化が豊かですから、むしろ「語り」によって聖書の内容を知らせることも大切です。
 四つめに、教会内における聖書の内容に関する無知の根絶です。日本の教会においても、聖書の内容に対する無知は深刻な問題ではないでしょうか。まず、聖書を教えることの必要性をしっかりと確信することが大切です。
 

そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、(エフェソ4:11−12)

 
とあるように、キリストは教会に、賜物として神の言葉をとき、教える人を与えてくださっています。そのような人を見出し、励まし、訓練し、支援する必要があります。それは、同時に、教えるという行為が、牧師だけのもの、謝儀をいただいている人だけのもの、講壇だけのものという「聖職権主義」に陥らないように心することも意味します。教える賜物を持っている人であるならば、どのような人であったとして、その人の賜物を認め、神の言葉を「正しく取り扱うことができるように整える」必要があります。単に認めるだけではありません。教える賜物を持った人を訓練し、適切に教えることができるように整えるのも、教会の大切な働きです。さらに、先端技術を有効に活用に、デジタル機器を用いた聖書の学びの手法の発展も必要でしょう。今の子どもたちが豊かに聖書を学ぶことができるようになるために、知恵を用いることは大切です。
 最後に、宣教は様々な側面があり、宣教の入り口は様々なものがありえます。しかし、私たちの宣教はいつも、「神の愛と恵み、そしてイエス・キリストによる神の救いの業の体現であると共に宣言」です。ですから、このような働きの中心には、いつも、「神の愛と、イエス・キリストによる神の救いのわざ」についての宣言が含まれています。つまり、福音の宣言をなす伝道は宣教のすべての領域の中心にあります。そのことを忘れずに働きを勧めていきましょう。
 
2. 口述文化
 
 日本は世界に希を見る、文盲率の低い国です。ですから、文字がない、読み書きができない、ということなどありえない、と感じやすいでしょう。しかし、世界を見る時、ケープタウン決意表明にあるように、「世界人口の過半数は口述でコミュニケーションを取る人々」です。そして、その半数は、先の述べた福音が伝えられていないグループに属し、さらにその中の三億五千万人は母国語に訳された聖書がまだ一節もありません。とうことは、「すべての人々に福音を宣べ伝える」ためには、このような口述でコミュニケーションをとる人々に対して、彼らの現実に即した手段を用いるために知恵を用いることを意味します。このような世界の現実を知る時には、世界宣教に関わる場合、口述文化を踏まえた戦略も行っていく必要があります。そして、そのようなところへ行って、福音を伝える働き人の育成も必要となります。
 この現実を踏まえて、ケープタウン決意表明では、五つのことを勧めています。
 まず、読み書きだけではなく、口述による訓練を重んじること。次に、語りによって聖書の福音を宣べ伝える、それも母国語で語るストーリーバイブルの制作を行うこと。ケセン語訳の聖書が注目を集めていますが、なによりも自分の馴れ親しんだ言葉でき聖書の福音を聞くことができるようにすることは大切です。さらに、あらゆる訓練が口述によってできるように、それだけではなく、「話術、ダンス、アート、詩、詠唱、演劇」といった様々な手法を用いて、聖書のストーリーを伝達することができるようになることも大切です。考えてみれば、中世の教会の窓ガラスに掲げられていたステンドグラスは、文字が読めない人々に聖書のストーリーを視覚に訴える伝達手段でした。四つめに、口述文化の民の多くが南側諸国にあるからこそ、彼らを助けて、彼らが自らの近くにいる口述文化に生きる民と関わりを持つことができるようにすること。最後に、神学校においても、宣教を考えるにあたって、口述的方法の体得が必要であること。
 口述文化の問題は、日本にいる限り、海外宣教にかかわらないと関係ない、と思いがちです。しかし、日本の文化も読み書きによるコミュニケーションから、語りや映像によるコミュニケーションに移りつつあります。その現実を覚えるとき、「あらゆる人に福音を伝える」使命をいただいている教会は、それぞれの人にふさわしい福音伝達の方法を絶えず研究する必要があります。 IID. 世界宣教のためにキリストのみこころを見分ける
 
3. キリストを中心とするリーダー
 
 教会の規模が表面的に大きくなっていたとしても、いろいろなところでもろさを抱えることがよくあります。そこには様々な理由がありますが、その教会のリーダーに関わる理由も多くあります。
 まず、リーダーが弟子訓練されていないという問題です。リーダーとしての資質のある者を見出して、その人を訓練して、キリストの弟子、つまりキリストに似た者となるように整える、という発想を私たちは持ちがちです。しかし、あるべき姿は逆です。キリストの弟子としてキリストに似た者へと整えられ、成熟した者が、教会におけるリーダーとなっていくべきなのです。マタイによる福音書において、イエスが語られたのは、
 

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:18−20)

 
です。つまり、弟子たちがイエスの姿を見、イエスの教えを聞き、それに生きることによって、イエスの弟子となったように、すべての民をイエスの弟子とすることが大切です。リーダーを育てるのが最も大切な働きではなく、キリストに似た弟子を育てることこそ、教会が最も求められていることです。
 リーダーが弟子訓練されていない結果、なにが起こるのでしょうか。「多くのリーダーがその地位を世的な権力や、尊大な地位や私腹を肥やすことに利用」するようになります。最近でも、東南アジアの巨大教会の牧師が教会の資金を流用した、ということで告発されたというニュースが流れました。日本においても表には出なくても、同様のケースが多々あります。リーダーとしての知識やテクニックや技術はよく知っているでしょう。しかし、「敬虔な人柄」「キリストに似ている姿」が欠落しているのです。
 このような問題があることを、聖書もよく分かっています。ですから、パウロはテモテに1テモテ3:1−13でリーダーとなるべき人(監督[3:1−7]、奉仕者[3:8−13])について言及していますが、そこで彼らに求められていることは、リーダーとしての知識やテクニックや技術ではありません。「しもべの心、謙遜、誠実、純潔」です。「貪欲でなく、祈り深く、神の霊に依り頼み、人への深い愛を抱く」人です。キリストに似た人柄を通して、リーダーがキリストの誉れを表すことこそ、最も大切なのです。
 さらに、1テモテ3:1−13で取り上げていることで、忘れがちなのが、「よく教えることができる」(3:2)点です。「神の言葉を神の民に教える能力」は、教会を強くするために必要であり、弟子訓練の最善の手段です。
 このように、キリストの弟子であるリーダーを育て、教会を強くしていくために、具体的に取り組むべきことはなんでしょうか。まず、「新たに信じた者を教え育てる」ことです。長期的におこなうことが大切でしょう。次に、リーダーのために祈ること。「聖書的な意味で忠実で従順なリーダー」、つまり敬虔でキリストに似たリーダーを神が増やし、守り、励まして下さるように祈る事です。逆に、み名を汚しているリーダーに対して、神の叱責、排除、悔い改めへの導きがあるように。そして、キリストの弟子として仕える新しい世代のリーダーが起こされるように。三つめに、リーダーは「自分のもろさを認識し」、アカウンタビリティ・グループ(説明責任のある小グループ)に自分を委ねること。世的な権力、金銭的な富、性の誘惑という現実とそれに対する弱さをリーダー自身が認め、そこから自らを守る手段を講じることが必要です。最後に、神学校教育やリーダー養成プログラムが、「知識の伝達や実績の評価」に重点を置くのではなく、「霊的育成と人格形成」に重点を置くように働きかけることです。神学校で教えている者として、なによりもこの点は身にしみます。
 
4. 都市
 
 日本の人口の変遷を見ても、1945年以降、大都市部(関西、東海、南関東)の人口は約3倍になっているのに対し、地方部の人口は1.5倍に留まっています。特に、戦後、1975年頃まで、地方から大都市圏へ人口が数多く転入しています(毎年、数十万人のレベルで地方から都市部へ流出)。このような都市化のトレンドは、日本だけではありません。世界においても、その人口の半分は現在、都市に住んでいます。1950年には人口の30%がであったのに、2005年には50%まで増加しているのです。
 それでは、都市にはどのような人が住んでいるのでしょうか。「(1)次世代を担う若者、(2)移住してきてまもない、最も福音が伝えられていない人々、(3)文化形成の担い手、(4)最貧の人々」です。(2)は日本においては少ないかも知れませんが、現在発展途上にある多くの国では事実です。そして、都市において、教会はこれらの人々に仕える必要があります。
 教会は、これが「神の支配の手」であると認める必要があります。都市化の問題もありますが(旧約聖書にはいろいろと書かれています)、それでも神がそれを許しておられるのです。ですから、「聖なる識別力ときりすとのような思いやりをもって都市を愛する」ことが大切です。そして、適切で柔軟な宣教手法をもって、都市に向き合うべきでしょう。都市における若者伝道のために手助けしていくことも大切です。
 
5. 子ども
 
 子どもは危険にさらされています。世界に住む20億人の子どものうち、約半数は貧困による危険に、数億人は繁栄による危険にさらされています。日本の子どもたちのほとんどは、生きるために必要なものはなんでも持っているでしょうか、「生きる目的」と「希望」を持っていないのではないでしょうか。この現実を覚える必要があります。
 さらに、子どもと若者は、「明日の教会」だけではありません。「今日の教会」でもあります。
 若者は、宣教の主体として大きな可能性を秘めています。影響力を発揮しますが、予備軍に留まり、活用されていません。神の声に対して敏感ではあり、応答する意識は高いのです。ですから、若者にそのような機会を与えることが教会には必要です。外を見る、世界を見る、ということを通して、神の声を聞く機会を与えることを教会はもっと考えるべきではないでしょうか。
 子どもたちと若者たちが生き生きと、神に用いられるようにするためにも、彼らの発揮する「新エネルギー」を教会は受け入れ、彼らの「霊性」に耳を傾け、大人の合理主義で彼らを抑圧しないように注意すべきです。
 教会はもっと子どものことを真剣に考えることが必要です。神が子どもに対してどのような愛と目的を持っておられるのか、さらには子どもを通してどのような愛を示し、どのような目的を果たされようとしているのかを真剣にみことばから求める必要があります。イエスはだれが一番偉いかと議論し合っている弟子たちに対して、次のようになさっています。
 

そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコ9:36−37)

 
子どもという存在を真剣に考え、彼らを通してイエスが何を語ろうとしているのかを再発見することが教会には求められています。さらに、教会は子どものミニストリーのために人材訓練と資源提供が求められています。そして、彼らの家族と彼らが属する共同体とともに活動することも大切です。子どもへのミニストリーは「世界宣教の死活要素である」というケープタウン決意表明の言葉に耳を傾けるべきです。最後に、子ども虐待に対して、それを明るみに出し、抵抗し、反対する行動が教会には必要です。見えないところで、「暴力、搾取、奴隷制、人身売買、売春、性差別、民族差別、商業取引の対象とすること、そして故意の放置」が行われています。現実を知り、明るみに出し、そこからの解放のために祈り、働くことが大切です。
 
6. 祈り
 
 具体的な世界宣教の働きにおいて、忘れてはいけない優先事項は、祈る事です。この「召し、命令、賜物」を覚え、宣教にとって「不可欠な土台であり情報源である」ことを覚える必要があります。「情報源」という点も覚えるべきでしょう。祈りによって、私たちは世界の現実に目が開かれていくのですから。
 祈るポイントは、ケープタウン決意表明において語られてきた内容です。(1)世界のすみずみに働き人を神が送られるように、(2)あらゆる人々が神のもとに引き寄せられるように、そのために福音の告知とキリストの愛のわざが具体的になされるように、(3)神の民の人格と行動と言葉によって神の栄光が表されるように、キリストの名のために苦しみつつも、まさに神の民がその歩みを通してキリストの名が知られ、賛美されるように、(4)神の国がくるように、神の民がその歩みを通して、正義と被造物管理と平和を実現していくように。このような祈りを通して、
 

この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。(黙示録11:15)

という黙示録の賛美が現実となる日を待ち望んでいきましょう。

 Twitter of the Day

  • 01:00  [twitter]Twitter of the Day http://t.co/lAxDQImH
  • 08:46  朝です。明日の説教の準備に取りかかっています。
  • 09:00  @peterohgaki 微妙に変化があるようです。私たちのしらないところで・・・。  [in reply to peterohgaki]
  • 11:49  午前中、集中できたので、説教の準備がほぼ完了。こういう日は気分がいい。
  • 13:12  ただひたすら暑い。
  • 13:37  accordance 10使用中。これまでのセッティングはそのまま移るわけではないので、rangeの決め方やcontextなど、どこで変更するかで結構戸惑う。このあたり、accordance 9から引き継いでくれると親切なんだけどなあ。
  • 13:49  accordance 10,
  • 13:50  検索すると、あんまり安定しない。2回連続で落ちた。だめ。9にもどす。
  • 17:42  今日はそろそろ終わり。
  • 20:01  emobileのGP01のアウトレットを購入しました。やっと設定ができた感じ。これで、どこに行っても、iPhoneMBAの両者ともにネットに入ることが可能となります。こうなってくると、もう、Yahooのはいるのは、やめようかな。
  • 20:11  yahooのwifiスポット、使用を停止しました。新幹線の中でコンピュータを使うときは、pocket wifiで行きます。mobilepointはどうも遅くて、いつもあんまり良くなかったので、これでOKだと思う。
  • 20:45  @a4w そのようですね。とりあえず、10000円分のemobileのものがあるので、それを使い切ってから考えます。  [in reply to a4w]
  • 20:45  @a4w 神学部に行けば、取れますよ。  [in reply to a4w]

Powered by twtr2src