藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

聖人君子、小人愚人。

稲盛さんのインタビューより。

中国の司馬光曰く。
人間の能力を「才」、人間性を「徳」とした場合、
才も徳もある人は「聖人」、
徳が才に勝る人は「君子」、
才が徳に勝る人は「小人」、
才も徳もない人は「愚人」だそうです。

「才ある人を取り上げる。」当たり前の人事のようだが、「才と人格は違うもの」なのかもしれない。
自分が小学高時代に、「才だけのやつ」と「人格だけのやつ」っていたのじゃないか。
いた、と思う。

ひょっとして日本特有なのかもしれない。
「才」の割に人格はそれほど問われていないように思う。
「マナー」だけがあれば、その奥の人格までは問われない。
またさらに「人の人格を問う」というのはお互いに体力を使うし、大変なことでもあるから。

たとえ会社に不利であっても人間として正しい道を選ぶ。
そういう信念を私はフィロソフィーと呼んでいます。

たった一言だけれど。
つい「利のある方」とか「好みの方」へと行く気持ちを許さないこと。
改めて「そういうこと」を貫くことが、後々の偉業につながっているのだと思う。
(つづく)

“新・経営の神様”稲盛和夫が明かす「日本企業、大復活のカギ」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

“新・経営の神様”稲盛和夫が明かす「日本企業、大復活のカギ」
日本を「幸せに導く」方法とは

JALの再生では、人間性の大切さを説き続けた〔PHOTO〕gettyimages

聞き手/大西康之

京セラ(年間売上約1.5兆円)、KDDI(同約4.5兆円)という二つの巨大企業を創業、瀕死のJALを再生に導いたカリスマが語った、日本の会社を、そして日本の社会を「幸せに導く」方法とは?

虚飾をむしる

――東芝三菱自動車のような名門でなぜ不祥事が相次ぐのでしょうか。

稲盛 今の日本企業は才覚のある人をリーダーとして重用します。私はリーダーを選ぶとき、能力ではなく人間性や人格で選びます。能力に多少の問題があっても人格のある人は努力をして成長する。そういう人をリーダーに選んでこなかったことが、問題を引き起こしているのではないか。

昔、京セラがまだ町工場だった頃、滋賀の工場で細かい仕事を黙々とする男がいました。工場へ行くたびに、なぜか彼の手元に目がいってしまうのです。中学しか出ておらず、才能などない、真面目が取り柄の男でしたが、周囲に押される形で頭角を現し、課長、部長になっていきました。

経営者は「儲けたい」「会社を大きくしたい」という我欲を起点にしがちです。しかし、本来は「人間として何が正しいか」を起点に置くべきです。自分の会社に都合がいいことばかりを選ぶのではなく、たとえ会社に不利であっても人間として正しい道を選ぶ。

そういう信念を私はフィロソフィーと呼んでいます。フィロソフィーをしっかり持った上で、一心不乱に仕事に打ち込む。そういう生き方をしていれば、道を踏み外すことはありません。

おおにし・やすゆき / 日経新聞日経ビジネス記者を経て、現在フリーの経済ジャーナリスト。著書に『稲盛和夫 最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生』『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説の技術者 佐々木正』など
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“新・経営の神様”稲盛和夫が明かす「日本企業、大復活のカギ」
日本を「幸せに導く」方法とは

中国の司馬光という人が書いた『資治通鑑』という本によると、人間の能力を「才」、人間性を「徳」とした場合、才も徳もある人は「聖人」、徳が才に勝る人は「君子」、才が徳に勝る人は「小人」、才も徳もない人は「愚人」だそうです。

会社に聖人や君子がいれば、その人をリーダーにすればいい。しかし、なかなかそんな立派な人は見つかりません。そこで多くの会社では小人をリーダーにしてしまう。これが危ないのです。才があっても人間性のない人は己の栄達のために会社を危うい方向に持って行く恐れがある。長い目で見れば、小人よりは愚人のほうが成長します。

――今の日本企業は能力の高い人が出世する仕組みになっています。

稲盛 フィロソフィーがないと、そうなってしまいますね。京セラも成長期には人が足らないので、ずいぶんたくさん中途採用をやりました。外から優秀な人たちがたくさん入ってきたのです。高学歴で立派な職歴を持つ人たちです。私は彼らに言いました。「あなたたちは自分に才能があると思っている。それで世の中を渡っていくつもりかもしれないが、やはり大切なのは人間性だ」と。しかし才のある人たちは話を聞いてくれない。

私は、彼らが能力、実績だと思っている「虚飾」や「うぬぼれ」を引き剥がします。私はこれを「むしる」と呼んでいます。虚飾をむしられると、みすぼらしい自分が出てきます。恥ずかしいから、また一生懸命に虚飾を纏おうとしますが、それをむしる。これを繰り返すと、天狗になっていた人が謙虚になり、物事を学ぶ姿勢に変わります。

松下幸之助さんはこの状態を「素直」と表現されています。自分は小学校しか出ておらず学がないから、人が言うことを素直に聞いた。それで人間として成長できた、とおっしゃっています。

欲望に打ち克つ

私も京セラを立ち上げたばかりの20代の頃、少し天狗になっておりました。自分でファインセラミックスを開発し、自分で作って、自分で売るわけです。「なんだ全部、俺がやってるじゃないか。ならば会社の利益は全部、自分の収入でもおかしくない」と思うこともありました。

しかし「それは違う」と気づいたのです。会社というのは社会のためにみんなが集まって仕事をするところです。確かに私には新製品を開発する才能があったかもしれませんが、自分一人で会社は回らない。そう思えたのは小さな印刷工場を経営していた父の愚直な生き方を見てきたからだと思います。

空襲で工場を焼かれた父は、戦後、元工員が始めた印刷工場で雇われ人として、私たち家族のために働いてくれました。母は「借金をして、もう一度、会社をやろう」と勧めましたが、父は聞き入れませんでした。人を雇うことの怖さを痛感したのだと思います。おかげで私は自分の欲望に打ち克つことができ、道を踏み外さずに生きていくことができました。

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7月13日、14日の2日間、横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)の国立大ホールを約4800人の大観衆が埋め尽くした。稲盛氏が塾長を務める経営者向けの私塾「盛和塾」が年に一度開く世界大会である。

参加者の大半が中堅、中小企業の経営者たちだが、他にも横綱白鵬、サッカーの元日本代表監督、岡田武史氏、柔道のオリンピック金メダリスト、山下泰裕氏などが塾生に名を連ねる。

現在、塾生は1万1000人(企業数で約1万社)。日本の塾生が約7600人、中国が約2700人。このほかブラジル、アメリカ、台湾にも会員がおり、塾生企業の売上高を合計すると30兆~40兆円規模に達すると見られる(本誌推計)。

1万1000人が学ぶ稲盛流経営の威力とは、どんなものか。東京江東区で看板施工事業を展開するgCストーリーの西坂勇人社長は6年前に盛和塾に入塾してから「年10回の塾長例会を一度も休んだことがない」という熱烈な信奉者。

「入塾するまで経営の目的がはっきりしなかったが、稲盛塾長の話を聞いて、ウチの会社の目的は『人の役に立つことだ』とはっきりした。社員が働きがいを感じるようになり、定着率も上がった」

稲盛氏は、このような中小企業の経営者たちに熱烈な支持を受け続けている。

JALが目覚めた日

――盛和塾は30年以上も続いていますね。

稲盛 日本のサラリーマンの99%は中堅・中小企業で働いている。彼らが一生懸命働いて心を高めれば、きっと日本はよくなるはずです。

一方、JAL(日本航空)のような大企業を再建するときも、私にできる話は同じで、我欲を抑えて仕事に邁進するということでした。

JALには高学歴で才のある人が大勢いて、最初は私の話など聞こうともしませんでした。私はエアラインの仕事に関しては全くの素人で、専門的な話はできませんから、役員など幹部を集め、人間性の大切さを諄々と説き続けました。

するとある日、古株の役員が言ったのです。「会長が言うように、人間として正しいことをやっていたら、JALはこうならなかったかもしれない」と。その日を境に、JALの人々に私の話が染み込むようになりました。今では社員が一丸となって素晴らしい経営をしてくれています。一人一人が人間性を磨けば、会社は必ずよくなります。JALの業績は見違えるように良くなりました。

“新・経営の神様”稲盛和夫が明かす「日本企業、大復活のカギ」
日本を「幸せに導く」方法とは

――稲盛経営でフィロソフィーと両輪をなすのが小集団をベースにした管理会計の「アメーバ経営」です。

稲盛 アメーバ経営は私が京セラを経営する中で編み出していったものです。先ほど開発からマーケティングまで自分でやっていたと言いましたが、その頃、切実に思ったのは孫悟空が毛を抜いて分身を作るように、私と同じように考え、判断してくれる社員がいてくれたらどんなに楽か、ということでした。

そこで会社を小集団(アメーバ)に分け、そのリーダーに判断を委ねるようにしました。各アメーバで毎月、時間当たり採算(売上高から経費を引いた金額を労働時間で割った数字)を算出し、目標達成を目指すのです。

リーダーは売り上げを最大、経費を最小にし、労働時間を減らすことを考えます。各アメーバの時間当たり採算は全社に公表されます。

つまりアメーバ経営とは一種の成果主義です。一般に言われている成果主義と違うのは、成果が報酬と連動しないところです。業績を上げた人々は社内で賞賛されますが、処遇は変わりません。業績が上がれば全社員の給料が上がるのです。業績と報酬を連動させた成果主義では、社員は欲望と二人連れで仕事をしてしまう。これではうまくいきません。

自分の報酬に反映されないにもかかわらず頑張れるのは「組織に貢献しよう」という気持ちがあるからです。「全従業員の物心両面の幸福の追求」こそが経営の目的なのです。

――東芝東京電力、シャープを見ると、これまで安全だと思われてきた大企業でも、いつ何が起きるかわからない。サラリーマンは不安な時代をどう生きればいいのでしょうか。

稲盛 不安や不平不満はあるでしょうが、何があっても一生懸命に仕事をすることです。一生懸命に仕事をすれば人間的に成長し、必ず人生のプラスになる。読書や哲学から学ぶこともできますが、人間性を高めるという意味では、仕事で努力をするのが一番です。まずは自分の置かれた場所で懸命に働いてください。

私は望んだ大学に進むことができず、大手の企業に入ることもできませんでした。鹿児島大学を出て入社したのは、京都にある松風工業という碍子を作る会社でした。入社するまで知らなかったのですが、この会社は今にも潰れそうな状態で、給料の遅滞もしばしば。近所の八百屋のおばさんにまで「かわいそうにねえ」と同情されました。

そんな会社ですから、いつも同期と「早く辞めてしまおう」と話していました。実際、ある時には京都大学の工学部を出た同期と、陸上自衛隊の幹部試験を受けに行きました。彼は松風を辞めて陸自に行きましたが、私は、私を大学に行かせてくれた兄が「せっかく入れてもらった会社を1年やそこらで辞めるのはけしからん」と反対したので松風に残ることになりました。

“新・経営の神様”稲盛和夫が明かす「日本企業、大復活のカギ」
日本を「幸せに導く」方法とは

「半端もん」を成長させる

開き直った私は、松風でセラミックの研究に打ち込みました。今にも潰れそうな会社ですから、生きていくために必死です。すると不思議なことに、どんどん成果が出て、画期的なファインセラミックスの製品をいくつも開発することができました。それがきっかけで京セラを興し、私の経営者人生が始まりました。

今考えれば、私の人生の中で松風工業に入社したのは、最高に幸せなことでした。ひょっとしたら神様があの会社に入れてくれたのかもしれません。

――規模に関わりなく多くの企業が後継者難に陥り、人材育成の難しさが指摘されています。

稲盛 私はこれまで「半端もん戦法」で戦ってきました。京セラが多角化を始め、海外進出を本格化した時、私は考えました。新規事業は戦に例えれば敵地に乗り込むわけだから、優秀な武将を連れて行くのが常道です。しかし敵地を攻めている間に自分の城を取られてしまったのでは元も子もありません。

そこで私は最も信頼出来る部下に城を任せ、社内で所を得ていない「半端もん」、つまりは愚人を引き連れて敵地に乗り込むことにしたのです。何しろ半端もんばかりですから、最初は大変です。しかし、激しい戦いで辛酸をなめ、私の戦いぶりを見ているうちに、半端もんたちがひとかどの武将に育ちます。新しい領土は取れるし、人は育つしで一石二鳥です。

世の中では外部から連れてきた「プロ経営者」をもてはやす風潮もありますが、企業は人間の集団です。戦時中の軍歌の文句ではありませんが、「泥水すすり、草を噛んだ」仲でなければ社員はトップを信頼しません。トップにはそういう追い込まれた状態で、なお兵を励ましながら戦う強さが求められるのです。

週刊現代」2016年8月20日・27日合併号より