記号論は非主体的か?
- 『世界制作の方法』ネルソン・グッドマン著、菅野・中村訳、みすず書房。ISBN:4622006235。
グッドマンの本を読んでいると(で話していると)いつも出てくるのが主体とか経験とかないの?っていう話。記号論がどうしても決定論的に見えてしまうみたい。記号に多様な意味があるということ、受け取る側もいろんな人がいることを考えるとそうでもないのかな、とか思ったりしているんだけど(いい加減な性格だからかもしれないが)、そもそも主体とか経験とかをフルに考えたカントがもとになっているのが面白いとは思う("Languages of Art"によればグッドマンは自分の記号論的先達としてパース、モリス、ランガー、カッシーラーを挙げているのだけれども、このうちパースは、少なくとも哲学的にはカント研究から出発しているし、カッシーラーは新カント派であるマールブルク学派出身だし)。他にも例えばイギリス経験論の最後になると知識を「それあんたの思い込み」と切って捨てる(大幅に誇張あり)ヒュームみたいな人が出てくるわけだし。
大阪旅行記。
大学の先輩の結婚式二次会に行く(おめでとうございました)。僕たちが一番下の世代にはなるが、先輩方も多く来られていた(アメリカから来られていた先輩も!)。
二日目。古本屋、新本屋ともにまわり、いろいろ買う。
- 『カントの生涯と学説』E.カッシーラー著、門脇他訳、みすず書房。ISBN:4622018950。
一番の収穫はこれ。半額以下で買えた。
- 『記号と事件』ジル・ドゥルーズ著、宮林寛訳、河出書房新社。ISBN:4309706177。
いくら探してもなかったので購入。意外と大事なこと書いてるじゃん。
上に同じ。こちらは未読。フーコーもいつか読まないと。
あとはウィトゲンシュタインの全集、青色本、茶色本など。これについては気が向いたので、としかいいようがない。『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』菊地成孔著、小学館、2004。ISBN:4093875189係でラカンやジジェクが買いたくなったが、今回は買えず。
大学近くの町をぶらつく(大学時代は大阪にいたので)。自分の行ってた古本屋が喫茶店に変わっていたことにショックを受けつつ、その向かい側のゲームセンターに行く。ランキングがリセットされていたゲームできっちり一位を残し終えて帰る。