双子座殺人事件

はてなのキーワードリンクは破線、その他のリンクは実線(外部へは別窓)表示しています。
上部ヘッダ内の「日記」でこの日記内の検索、「検索」ではてな内の検索ができます。
この日記について・連絡先 / 元サイト「うきぐも」 / twitter
2004 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2005 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 /
2006 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2007 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2008 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2009 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2010 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2011 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2012 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2013 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2014 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2015 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2016 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 /
2017 / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 /

17-07-24

[]週末の記録


f:id:yako:20170724183636j:image:w400,h266,left

京王百貨店スカイビアガーデンへ。相変わらずの真夏日も、陽が落ちるとビル屋上は風も吹いて涼しく、気持ちがいい。まずはローストビーフシーザーサラダ、飲んで、飲んで、締めにスイカシャーベット。美味しかった。


[]第48回 ゆうゆう寄席


鈴々舎馬るこ「平林」

 (中入)

鈴々舎馬るこ「阿武松」

鈴々舎馬るこ「牛ほめ」

 (7/23・下落合地域交流館)

[]ローラ天使入江


「ドゥミとヴァルダ、幸せについての5つの物語特集にて、私はヴァルダが好きなんだけど、このラインナップならまずこれだろうとドゥミの二作を観賞。「個人サイト」華やかなりし頃、もじってサイト名にしていた(笑)天使入江」がスクリーンで見られて嬉しかった。


f:id:yako:20170724184057j:image:w180,h245,left

▼「ローラ」(1960)がどんなお話か、女の側から語れば「男」と言う時それはミシェル、男の側から語れば「男」と言う時それはローラン(マルク・ミシェル)のことである。誰の視点が適切かというと、どれでもない。ドゥミの映画ってそうだよね、女に、あるいは女優にというより、まず物語に、映画に恋してるって感じ。そこが好きだ。


作中、アヌーク・エーメ演じる女が「エル・ドラド」で働いている姿は一度も映らない。最初最後を飾る狂騒のダンスシーンに彼女は居ない。「それだけの、それでおしまいの、そういう女、私はローラ」と、彼女自分をいわば毎日名付け直している詩を歌うのも「練習」の場面である。冒頭「ローラ」とでかでかと出たところに登場した男がその名を捨てさせる。


三日間、アヌーク・エーメは多忙である。いわく「今日はもうくたくた、こうして年をとっていくのね」。この映画は、女達が全員でもって一つの人生のそれぞれの時を演じているように見えるという意味で、オルミの「木靴の樹」も思い出させる(この映画に限らず、そういうタイプの映画というものがある)。貧困や戦争は進歩を止める、と言ってもいいだろうか。ならばそれらから幾らかでも離れていられる時には、私達が進めなきゃならない、世の中を。


f:id:yako:20170724184102j:image:w180,h250,right

▼「天使入江」(1963)に沿う「英国人散歩道」を咥え煙草で歩くジャンヌ・モローを捉えたカメラが猛スピードで遠ざかっていくオープニングに、この二人の映画ってこういうちょっとした遊びが楽しいんだよなあと思う。それこそヴァルダの「カンフーマスター!」の冒頭なんて最高だもの


しばらく「普通に」車を走らせているような感じだが、ジャン(クロード・マン)がジャッキージャンヌ・モロー)と出会ってから映画アクセルを一気に踏み込む。女と同じことを口にする男、男と同じことを口にする女、ジャンヌ・モローアイラインと睫毛がぐいっと上を向き、歯がにょきっと出る横顔。


ジャッキー一口齧っただけのアイスキャンディー(確かに不味そうだ!笑)を放り投げたところからスピードますますアップする。「パリへ帰るつもりが(略)マルセイユにも着かなくなっちゃった」のくだりには、ふと落語の、例えば「らくだ」の終盤を思い出したり(列車と歩きじゃ距離全然違うけど、その地の人には臨場感があるってこと)


ジャッキーが「たるんだ体よりもディーラーを見ていたい」と海岸を歩きにくそうなヒールで去ると、ジャンはたるんでこそいないが「安定」している子持ちの女の背中に目をやり、先の女の後を追う。これはそういう映画である対照的ジャッキーが一度だけ彼を追うのが全くもって衝動的に見えるのはどう取ればいいのか、ロマンチストのドゥミのことだから心を預けていいのだろう。


お金のためなら浪費なんてしない」「ギャンブル醍醐味は贅沢と貧乏をどちらも味わえるところ」「あなたを犬みたいに連れ回したのは幸運を呼んでくれるから」「あなたには私について何の権利もない」と言い放つジャッキーの「自由」は、それによって男を惹き付けることで保証されている類の「自由である彼女ドレス背中が常に開いているのは、男に背中を見せて追わせるためのように思われる(でもどれも素敵、特に最後に着替える一つ前の大きな花柄のやつ!)


オープニングと「幸運の時」に流れるミシェル・ルグランの曲が、次第にギャグのように感じられてくる(でもって作中唯一、ルーレットが無いところでそれが流れるのは二人が高級ホテルベットに倒れこむ時である)。全ては大したことがないのかもしれない、でもそこにも何かがある、そういう意味合いの誠実さもある、そんなことをふと思った。


天使入江」のジャンヌ・モローが吸っているのも、「ローラ」でミシェルに似た水兵がおみやげに持ってくるのもラッキーストライクだった。ともあれドゥミの映画には常に、根っこに戦争がある。

17-07-20

[]平日の記録


f:id:yako:20170720233211j:image:w400,h266,right

ブックカフェにて。

エソラ池袋にオープンした梟書茶房は、GINZA SIX内のツタヤ一角にあるスタバみたいな感じかと思いきや、置いてある本も好みで居心地がよかった。シフォンケーキは乾いてたけどコーヒーは美味。色んな種類の席があるのでまた行ってみたい。

何度か寄っている新宿のSTORY STORYカフェは、「クマのプーさん」にちなんだ「はちみつカフェ」を開催中。梅雨明けした日だったので「雨もへっちゃらアサイースムージー」を注文して、一気に飲んだ。


f:id:yako:20170720233208j:image:w400,h266,left

シュークリーム屋さんにて。

池袋のビアードパパを通りすがりに見つけたカスタードソフト。子どもの頃によく食べた、とても馴染みのある味がした。

小田急エースにオープンしたシュクリムシュクリでは、新宿店限定!のカシスオランジュ。色もきれいで美味しかった。


[]ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣


f:id:yako:20170720233203j:image:w180,h262,right

私がバレエに無知映画ファンだからかもしれないけど、このようなドキュメンタリーよりも、例えば「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドンのように出演している映画を見たいなあと思ってしまった。セルゲイ・ポルーニンはどこにいても主役、まさに天才だけど、この作品は彼の物語ばかりをそう上手くなく表出しており、その割には私の好きな「答え合わせ」も無く、作為性が目立って感じられた。


オープニング、「踊ったことも忘れるくらい」のドリンクと鎮痛剤を飲み、タトゥーをファンデーションで消し、黒いマントを羽織って舞台に上るセルゲイに「Iron Man」がかぶり、ほぼフルで流れる時、それはあまりに合っていてぐっとくるが、物語故郷ウクライナに戻り、再び「ここ」に辿り着く時、もうあれは違うと思う。なぜさっき、あんものを見せたのか?と辛くなってしまう。ちなみに二度目の「ここ」でセルゲイがやたらと「水」を求めるのが面白く思われた。


セルゲイについて語る家族インタビュー映像のうち、離婚した母と父は一人ずつだが、「祖母」は二人でソファに並んで話す。あまり見ない画だよなあ、私の祖母同士が会うことってこれまで何度あったろう?とふと考えた。祖母とは実に、子どもから見た呼称なんだと思った。片方の祖母は、孫のキエフ国立バレエ学校の学費のために「とてもきつい」介護仕事に就いたのだそうだ。


他に印象的だったのは、セルゲイの初めてのバレエの先生父親いわく「息子をどこに連れて行けばいいか知っていたんだからいい母親だ」…と、選ばれたのがその先生。冒頭ちらと映る、子ども達と踊っている映像が素晴らしかった。学校の先生とは(勿論専科の先生とも)また違う、ああした「先生」の特別性を思った。退団後に故郷に帰った彼とステージで少し踊って見せる普段着の二人がとても素敵だった。

[]甘き人生


f:id:yako:20170720233200j:image:w180,h262,right

ベロッキオの映画は素晴らしいけれど、今回は題材が見辛かった。決して来ない明日に憑りつかれたおじさんに若い美女達がやたら優しいって話だもん(笑)


しかつめらしい顔の少年を、音楽と女の手が誘うオープニング。引き寄せた母よりもそのうち息子の方が動きが止まらなくなる。あるいは夜中のテレビから流れる怖い映画。思わず息子を抱き寄せた母の方が、次第に息子の怖がる様子に楽しげになる。体と体が触れたところから伝わる、まさに伝播ということを思う。対して父が息子の体を扱うそのやり方は、力任せにすぎる。


マッシモ(バレリオ・マスタンドレア)は、母の代わりを他の女、あるいは他人の母に(「ベリッシモ!」なお屋敷に暮らすこの女性ワンピースがとても素敵で、欲しかった)求めた後で、まるでどこかから見られてでもいるかのように、クッションで自分の体を隠す。その「肉体性」は、富豪が「10億よりも手で触ることができて、匂いがして、菌を持った札こそがお金」と言うのにも似ている。


マッシモ文章を読んだ息子の向かいで「抱き締めてみる?」とのたまう老母、パーティの途中にわさわさの髪で彼の、私の視界をも全て遮る中年女(昔の山岸凉子の絵を思い出した)、夜中の二時に呼び出されて黙ってマッシモを見上げる叔母、主人公にとって母でも女でも(それはほぼ同義である)ない女達の姿が素晴らしかった。


何と言うのだろう、例えばフラッシュフォワードって私は何が面白いのかよく分からないんだけど、それとは全然違うんだけど、後でああ!と言わされるベロッキオのやり方はやはりすごい。一番痺れたのは「何も知らない奴が書く方がいいんだ」、そうなのだ、きっとあの記事も…という因果

17-07-17

[]週末の記録


f:id:yako:20170717222426j:image:w400,h266,right

土曜日同居人による燻製ディナー。ハーブ鶏に海老に半熟卵。付け合わせにパプリカズッキーニとオクラのグリルそれからオニオングラタンスープ、バゲット。どれもこれも美味。

日曜日ピザでお昼。池袋のAPIZZA本店にて、マルゲリータチチニエリにアンチョビオリーブのバジーレ。ハウスワインを頼んだらチリの軽いやつがきて、ごくごく飲めて、酔ってしまった。


[]福袋演芸場


桂三木男「化け物使い」

古今亭志ん八「寄合酒」

柳亭こみち「御神酒徳利」

(7/17・池袋演芸場)

[]ハートストーン17歳にもなると


f:id:yako:20170717222419j:image:w180,h260,right

▼「ハートストーン」(アイスランド・デンマーク/2016)は、全編これセックスという映画だった。そこでは挿入行為は一つの「ゴール」である…未経験子どもにとっては…と同時にいわば象徴である。何だってそうだけど、どこかに向かう過程こそが性的なんである

共同体における、(支配ではなく)制御されていない性欲のぶつかり合いとはこんなにも痛々しいものかと思わせられるのと同時に、ある種の、今では原始的とも言えるような健全さも感じた。それは男も女も自分の体からいわば性の探索に出発してるという点である映画ソールバルドル・エイナルソン)が湯気で曇った鏡で自身のいわゆる第二次性徴の数々を確認するのに始まる。


子ども達の部屋には音楽を始め多くの文化存在しているが、作中の彼らの言動には一切表れない。学校に通う描写もない。描かれるのはセックスのことばかり。終盤、他の子ども達がサッカーをしている姿に、この世界でもこんなことをしてたんだとはっとさせられる。

少年達が動物を潰したり殺したりするのは、自分他人も、というか世界が思い通りにならないからというふうに見えた。私の好みとしては、最初最後のカサゴとか「鶏」の羽をむしる行為とか、ああいう、それこそメタファーだよね、を多用するのはちょっとぴんとこず。実際にするであろうこととの間に少し距離を感じる。


f:id:yako:20170717222414j:image:w180,h250,left

▼第26回レインボーリール東京で上映された「17歳にもなると」(フランス/2016)は、稀に見る個性的映画だった。子どもの頃、磁石の同じ極同士を近付けると手の中に強烈な跳ね返りの力を感じるのが面白くて何度もやっていたのを思い出した。あの感覚がずっと続くような映画


とにかく「激しい」。まずはずーっと音が聞こえているからなんだけど、「うるさい」ではなく「はげしい」と受け取ったのは、特に前半、それらの音は少年二人がたてているから蛇口から水を出す音、牛をブラッシングする音、サンドバッグを叩く音など。

尤も帰宅して一分で腕相撲を始めたり、走って帰るや軍の福祉課がやって来たりと、二人の性分というよりこの映画の描く世界そのものが性急。それからなぜか「逆回し」のイメージも沸いた。歯を磨いているところに腹が減ったと卵を焼くなんて奴らの話だからかも(笑)


見ながらふと「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」を思い出した。あの映画主人公は「全てはメタファーだ」と考えるようになりそれを実行するが、この映画の二人はもとよりそう。「頭を冷やさなきゃ」と言う時、もしかしたら子どもは本当に頭を水につける(冷たい水に飛び込む)かもしれない、そういう類のことを延々とする(上記「ハートストーン」とは違い、そうしたことが不自然に感じられない)。でもってそんな映画タイトルが「17歳にもなると」、つまりもう子どもじゃない、というのが私には面白かった。

メタファー」とはちょっと違うけど、例えば裸になってセックスの夢を見れば、セックスしたようなものかもしれない、なんてこともふと考えた。


f:id:yako:20170717224328j:image:w200,h266,right

スパイラルホールを初めて訪れたので、空き時間に一階のスパイラルカフェで休憩。大きさも中味も案外と「表参道」ぽくないデザートだった。