週末の記録



誕生日の夕方は新宿で待ち合わせ、色々ごちそうしてもらう。まずはちょっとした思い出のあるカフェコムサで、いちごとマンゴーのタルトと、メロンとマンゴーのタルト。お皿に描いてあるの、同居人のはつばめ、私のは菖蒲かな?夕食には活ずわいかにをたらふく。唯一在ったスパークリングワインが辛口でよかった。伊勢丹アンリ・シャルパンティエでお祝い用のケーキ「フェリシタシオン」を買って、歩いて帰る。
プレゼントにもらったのは、自立式のハンモックと、ビックカメラの店員さんによる一番いい電動歯ブラシ。「自分で磨いてる」感が欲しくて使ってなかったけど、これからはこっち。気持ちが変わって行動が変わるのには(私の場合)時間が掛かるものだ。あと数年、数十年したらどんなふうになってるのかなと思う。

バレット



公開初日、新宿ピカデリーにて観賞。ウォルター・ヒル監督、シルベスター・スタローン主演。一番小さいスクリーンだけど「映画の日」効果か満席に近く嬉しかった。こういう映画が少人数じゃ寂しいもの。



「彼を見逃してあげて、路上で育って、その後はずっと刑務所にいたのよ」
「でも殺人犯だから…」


奇しくもスタローンの相棒となった「デカ」はそんなことを言うわけだけど、私もちょっとそういうところがあるけど、映画など観ていて、でも殺人犯だし!と思ってしまう「風潮」って、多分、昔より今の方が強い。本作はそれに対し、いやいや、映画では人が死ぬものなんだ、それでいいんだ、と楽しく異を唱えてくれる。ただし最後、スタローンによって「死んだのは悪いやつらだけ」と念押しされる(笑)


オープニング、スタローンと彼よりはだいぶ若い相棒が「仕事」に出掛ける。全編通じて、スタローンの出動の際はブルースハープによるテーマが鳴り響く。ホテルのスイートルームでの一幕にオープニングクレジットが挟み込まれるセンスに「飛べ!フェニックス」を思い出す、とは言いすぎだけど(笑)なかなかかっこいい。ターゲットが倒れたところで「directed by Walter Hill」。
これが終わったと思うと、次のまたしてもドキドキさせられる一幕は「こいつはしんどいゲームだった…」というスタローン自身のナレーションで締めくくられる。見慣れた設定・小道具、全て想像通りの展開ながら、こうして一幕一幕を確実に叩き込んでくる感じに、映画館で正常に息してる!と思う(すなわち、通常の一割増程度の高揚感が最初から最後まで続くってこと)。スタローン一人だけがかっこいいとか、とある場面だけ突出して目を引くとか、そういうんじゃなく、全てが均等に、バランス取れてるのが、最近じゃ逆に新鮮な気がして楽しかった。

はじまりのみち



公開二日目、東劇にて観賞。松竹による木下恵介生誕100年プロジェクトの一環。近所の新宿ピカデリーで上映されないのを寂しく思ってたけど、東劇で観てよかった。一館まるごと木下色にするのは、シネコンじゃ無理だもの。


「よく晴れた」浜辺に白いスクリーンが登場、何かなと思っていると、その地でロケが行われた木下のデビュー作「花咲く港」が映し出される。映画(本作)の中に入って見上げたくなる、楽しいオープニング。
中盤「気分転換でもしてこい」と勧められての散歩の道すがら、宮崎あおいの後姿に彼は「映画監督」に戻る。その後は「陸軍」の引用が大胆になされる。私は使用されている木下作品のうち「花咲く港」と肝心の「陸軍」のみ未見、この作品のラストシーンをスクリーンで観られただけでも出掛けた甲斐があった。私は「母親」じゃないけど、見ず知らずの人だって、殺し殺されに行くのを(田中絹代以外の人々のように)旗振って見送ることなんて出来ないと思う。
ラストにハァ〜と言う「感動的」な曲に合わせて木下作品の名場面が次から次へと流れるのには、映画を観ているという感覚が薄れ、何かのイベントに参加しているような気持ちになってしまった(笑・プロジェクトなんだからそれでいいのか?)息子が我が道をゆくことを望む母の「戦争はいつまでも続かない、そのうちどんな映画だって撮れるようになる」という言葉を思い出すと、心打たれる終わり方ではあるんだけど。
もっとも「笛吹川」の合戦シーンが大画面で見られたのは嬉しかった。「陸軍」同様、木下作品で戦争に向かう人間はどこか機械の群れのように見える…って、どうしても引用されてる方に気を取られてしまう。ちなみに使用作品のうち私が特に好きなのは「笛吹川」と「お嬢さん乾杯!」かな。



「陸軍」を「戦意高揚に繋がらない」と評価した政府により次の映画製作を中止させられた木下(加瀬亮)は、松竹に辞表を提出し、母(田中裕子)が療養している故郷の浜松に向かう。彼がかつて「映画のために飛び出した」家への道を「戻る」姿に「はじまりのみち」とタイトル。これからどんな「はじまりのみち」が描かれるのだろうと思う。
家族が室内に集まっている場面で、兄(ユースケ・サンタマリア)の顔の陰のどぎつさに驚く。私がアニメ映画を苦手な理由、「全てが作為である」ということの発露が実写になってもそこにあるという感じで、少々辛かった。勿論映画ってそういうものだけど、何というか、とにかく決まりすぎで、馴染めなかった。休憩中、便利屋(濱田岳)がものを食べる仕草をしてみせるのに兄が「ごくっ」とつばを飲み込む場面など、構図も陰影も全てがばきばきに決まってて、白けてしまった。そうかと思えば「支配」から逃れているように感じられる場面もあり、目がちかちかする。
終盤、トロッコがトンネルを出て目が慣れていくような映像はいつまでも見ていたかったけど、それは「映画」の快感じゃないんだよなあ。


田中裕子による母親像、その演技がいい。疎開先へ向かうのに病気の彼女をリヤカーに乗せて運んだらどうかとの話の最中「母さんはどうする?」との木下の言葉の後、うふっと笑うかのような表情で場面転換するのにぐっときた。厳しい道のりに男達が話し合っている時も、口が利けないからというのもあるけど、彼らに「おまかせ」して黙っている。潔い愛らしさ。原恵一作品の女性描写が少々苦手な私にとって、「母親」が寝たきりという限定された状況にあるのはありがたいとも言える。
本作における木下青年は、当時の状況もあり内にこもっている。ユースケ演じるその兄が、そんな彼と世の中、また映画と観客の間の優しい架け橋になっている。弟に散歩を勧めた後、彼は母と何かやりとりしたんだろうか、それが最後の母と木下のやりとりに影響しているのだろうか、と想像する。こういう「余白」のある映画っていい。
濱田岳演じる「カレーライス好きの便利屋さん」も映画の世界を広げてくれる。出発してしばらく後の「このまま行くの?」というセリフは、観客の「このままリヤカーで母親を運ぶだけの映画なの?」という気持ちを想定しているかのように思われた(笑・この映画はただそれだけの話だからいいんだけど)


田中裕子と加瀬亮が、一緒に居る時には似てると思わないのに、後者が一人で外に出る場面ではすごく似てるように見えてびっくりした。彼が涙は手で拭うけど鼻水は拭わないのは、汚い(と思われることを懸念している)からだろうか?