現代歌人ファイルその200・荻原裕幸(1)
荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき)は1962年生まれ。愛知県立大学外国語学部フランス学科卒業。1986年の「玲瓏」創刊に参加し、塚本邦雄に師事。1987年「青年霊歌」にて第30回短歌研究新人賞を受賞。「青年霊歌」「甘藍派宣言」「あるまじろん」「世紀末くん!」の4つの歌集があり、全歌集「デジタル・ビスケット」にすべて収められている。
穂村弘、加藤治郎とともにニューウェーブ短歌三羽烏と言われる一人である。しかし「玲瓏」退会後は無所属であることもあってかやや作品の発表機会が少ない。しかし現代短歌の一つの潮流を作り上げた重要人物であることは間違いない。
オートバイ星の光にゆだねをり青春といふ酔ひ醒むるまで
剥がされしマフィア映画のポスターの画鋲の星座けふも動かぬ
ディズニーの服の少女を乗せて去る赤き車の行方を知らず
処女座のごとく球散るビリヤードの卓のみどりの朝に覚(めざ)めつ
ネロのごとわれは見おろす誕生日卓のケーキの上の大火事
駈落ちをするならばあのガスタンク爆発ののち消ゆる辺りに
秋来ぬと告げるよ窓に吊る水着模様二つがつひのあさがほ
第一歌集「青年霊歌」に収められた初期作はこういった作風である。塚本邦雄と寺山修司の影響が色濃く、前衛短歌的な修辞を用いて現代の都市風景や風俗を描き出すことに特徴があった。この頃はまれに口語が混じる文語形式を基本としていた。そしてその後は、より都会的でスタイリッシュな表現に展開を見せるようになった。
父となるよろこびあふるる友よりの葉書は猫に爪研がせたり
夫婦といふたつた二行の頭韻詩二行目をわれは書き惑ひをり
ポテトチップス食べつつ塩の手でひらく斎藤茂吉この頃親し
朝食の目玉焼きなど食べ終へて時代の花を探しに行かう
たはむれに美香と名づけし街路樹はガス工事ゆゑ殺されてゐた
ああいつた神経質な鳴り方はやれやれ恋人からの電話だ
母か堕胎か決めかねてゐる恋人の火星の雪のやうな顔つき
スヌーピーショップの前で恋人を待つ幸福はまあこんなものかも
何が見える何も見えない眼をひらけ瞼がおもいそんな時代だ
これらの歌が収められた「甘藍派宣言」の刊行は1990年。穂村弘「シンジケート」と同年である。寺山や塚本が抱えていた「戦争」という共有された傷の記憶が薄れ、あらゆる人がひたすらに個人的な傷とばかり向き合わなくてはならなくなっていた時代の空気感が描写されている。この頃の作品には恋人に対して妙に無神経な態度をとるような設定の相聞歌が散見されるのだが、「傷を分かち合えない」という思いそのものが心に深く刻まれた傷であることのあらわれなのではないかと思う。
TVには犀の結婚ほのぼのと映りゐてわが戯画のごとしも
近代に似てはるかなれ夕暮の/パパつたらねえ聞えてないの?
(梨×フーコー)がなす街角に真実がいくつも落ちてゐた
(ケチャップ+漱石)それもゆふぐれの風景として愛してしまふ
蝶の来る庭のある家八〇〇〇万近郊だけどどうヘムレンさん?
棲みたきは全て隠喩の読み解ける世界例へば(キャベツ=キャベツ)の
そして「甘藍派宣言」の終盤ではついに日本語の解体という問題に取り組み始める。これは第三歌集「あるまじろん」にてさらに先鋭化する。決して「分かち合えない傷」を抱えた世代が、「傷」という物語を超えたところにある「言語」の領域へと飛翔していくのである。
今回は「現代歌人ファイル」史上初めての複数回に渡る回となる。「あるまじろん」以降の展開は次回に続く。また、今回から毎週水曜の定期更新から、主に週末を中心とした不定期更新へと移行する。

- 作者: 荻原裕幸
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