泣き寝入り許さぬ「繊維鑑定」 目撃者なき痴漢を逮捕

http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070514/jkn070514004.htm

被告が否認した上、目撃情報などが得られなかったため、現行犯逮捕は見送り、任意で捜査。容疑固めの一環として、採取した手と指の付着物を警視庁科学捜査研究所での鑑定に回す手法を試みた。

被告の指から採取した繊維が女子高生の下着の繊維と同種と確認され、犯行から約2カ月半以上経過した4月18日、逮捕にこぎつけた。

肌質や汗の有無などで個人差はあるが、一般的に、繊維は軽く触っただけでは付きにくい。素材や色、形状などの組み合わせは膨大で、同一とは断定できないが、「『類似』との鑑定結果が出た場合、その精度は非常に高い」(捜査幹部)。痴漢で無罪判決が相次いだこともあり、冤罪防止の観点からも繊維鑑定の重要性は大きい。

痴漢冤罪事件が相次いだり、それを取り上げた映画が話題になり、捜査、特に警察捜査に対する不信が高まっていたこともあって、警察はかなり慎重になっているようですね。
供述、自白に過度に依存しない捜査、というのは望ましいことですが、鑑定が常に正しく、真実を指し示しているとは限りません。「類似」と「同一」は異なり、また、繊維が手指等に付着する機会も、痴漢には限りません。鑑定を重視しつつも、過度に依存せず慎重に捜査を進める姿勢、ということも、やはり求められているように思います。
人間は神ではなく、真相に迫ることには限界がある、という謙虚な気持ちが常に必要でしょう。

有罪か無罪か、裁判員に判断のコツ解説…最高裁が説明案

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070512i1w6.htm?from=main1

あるベテラン裁判官は「『必要な証明の程度』が正しく理解されないと、犯罪の立証にほとんど影響しないようなささいな疑問で無罪にする恐れがある」と話す。このため最高裁は、審理の前に、検察官、弁護士も同席の場で刑事裁判の原則を説明することにした。
説明案では、「過去に、ある事実があったか、なかったかは直接確認できませんが、普段の生活でも関係者の話などを基に判断している場合があるはずです」と、日常生活に引き付けて解説。「裁判では不確かなことで人を処罰できません。証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に有罪とします。逆に、有罪にすることに疑問があれば、無罪にしなければなりません」としている。

何が「合理的な疑いを入れる余地がない証明」か、ということは、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060115#1137292393
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050227#1109433675

でもコメントしましたが、非常に難しい問題で、私のような、ある程度経験がある実務家でも、常に迷い、考えることです。裁判員に明解に説明し、わかってもらう、ということ自体が、そもそも無理だと思います。
そもそも、上記の「ベテラン裁判官」が言うような「犯罪の立証にほとんど影響しないようなささいな疑問」かどうか自体が問題になるもので、そういう問題意識を持たずに、解説ばかりしても、結局、問いに対して問いで答える堂々巡りになってしまう恐れがあるでしょう。
最終的には、評議の席で事件に対する疑問をどんどん出してぶつけ合い、疑問が解消されなければ無罪、といったことで進めるしかないように思います。

前方で発生した事故の予見困難、多重衝突で起訴猶予処分

http://response.jp/issue/2007/0512/article94619_1.html

射水市上野付近の北陸自動車道上り線で、大型トラックが中央分離帯接触する単独事故を発端に、後続のトラックや乗用車など61台が関係する大規模な多重衝突事故が約1.5km区間で断続的に起きた。
警察では車間距離を詰め、さらには事故当時の制限速度(50km/h)に従わず走行したクルマが被害を拡大させたとして、14人の運転者を業務上過失致傷容疑で書類送検していた。
14人のうち13人は衝突直前まで70-90km/hで走行しており、検察では「速度違反の過失があったことは間違いない」としたが、その一方で「前方で衝突事故が発生し、進路が塞がれた状態であるということの予見は困難」と判断。この部分に情状を酌量する余地があるとして、全員を起訴猶予処分としている。

この種の多重衝突事故における過失認定の難しさを感じさせる記事だと思います。複数人が絡む事故では、過失が連鎖し、絡み合い、積み重なって、より重大な結果に至ることがよくあり、その中における個々の過失の認定というものは、なかなか難しいものです。
無理をせず、起訴猶予処分とした検察庁の判断は、1つの賢明な選択であったと言えるように思います。

人質司法

昨日のテレビ朝日サンデープロジェクト」で、上記の問題について取り上げられており、担当ディレクター(昨秋に同番組で放映され、私も顔を出した「共謀罪」関係の特集と同じ人)から、事前に教えてもらっていたので、観ました。
町村教授は、

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2007/05/tv_e18f.html

「正直がっかり」という感想を述べられていましたが、私の印象としても、やや総花的で掘り下げ不足、という感じはしました。
別に、私を出演させろ、という気は毛頭ありませんが、この問題について、意外と深く把握しているのは、現職検事や、私のような元検事かもしれません。そういった人々の声をもっと反映させれば、深みや違った視点が出たかもしれない、という印象は受けました。
この問題については、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061209#1165638577

で、

人質司法を支えるものとして大きいのは、起訴された被告人の圧倒的多数が有罪になる現状、そういった現状を支え迅速な審理を可能にするためには、極力、身柄を解放することなく裁判所、検察庁が主導権を握りつつ物事を進めたいという裁判所、検察庁関係者の強い意思(裁判所、検察庁相互の暗黙の了解)、そういった状況を支える上記のような刑事訴訟法の規定、ではないかと思います。

とコメントしたことがありますが、公判立会検事にしても、また、裁判所にしても、保釈により身柄を失うことは、上記のような「主導権」を失うことにつながる、という意識が強く働く面はあると思います。これは、私自身の経験(公判立会検事としての)上も、強く感じます。こういった意識は、ベテラン裁判官、ベテラン検事であればあるほど、経験値が上がる中で強くなる傾向があり、特に高裁裁判官は、そういった意識を日本最高水準で持った人々なので、地裁が保釈許可決定を出しても高裁でひっくり返る、といったことが、よく起きることになります(典型的なのは、そういったことが繰り返された安田弁護士の事件でしょう)。
現状は、勾留され保釈が効かない「閾値」のようなものが上がりすぎていて、冤罪事例とか、身柄拘束が不要になっている被告人まで、泣く泣く入ってしまっている、ということが多くなりすぎていると言えるでしょう。
したがって、私が以前から言っているように、思い切って刑事訴訟法を改正してしまう、とか、何らかの方法で上記の閾値のようなものを下げる具体的かつ実効性がある改善策を講じる(起訴時に自白していれば原則保釈、否認事件でも第1回公判が終われば原則保釈等)といったことも、真剣に検討されるべきではないかと思います。