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ダナ・ボイドの主張:Google+やFacebookの実名ポリシーは権力の濫用だ

Google+ の実名ポリシー(とその後の迷走)や、Facebook のランディ・ザッカーバーグ(彼女は Facebook離れているが)の「インターネットの匿名性は無くすべき」という発言が話題になっているが、ソーシャルネットワークの研究者である danah boyd が、Google+Facebook のポリシーを真っ向から批判している。

実は彼女の文章を週末に翻訳して公開しようと思ったのだが、以前は CC BY ライセンスだった彼女のブログがいつの間にか All Rights Reserved に変わっており、翻訳意欲が萎えてしまったのでここでは内容紹介にとどめる。

今回の実名ポリシー問題は Twitter#nymwars ハッシュタグが舞台らしいが、この文章で danah boyd が問題とし、擁護しているのはハンドルの使用(Pseudonymity)であって匿名性(Anonymity)でないのに注意が必要である。これについてはあきみちさんの「「米国は実名制」という人は「Pseudonym」という単語を調べた方がいいかも」、小関悠さんの「実名じゃなくてもいいじゃない」が参考になるので読んでない人はご一読を。

さて、Google 元社員なのに Google+アカウント停止をくらった Kirrily “Skud” Robert に寄せられた声によると、ハンドル使用を求める人たちはプライバシーの懸念や身の安全を求めており、その内容はワタシが見てももっともなものである。具体的には、ストーカーやレイプの被害者、ブログにおいて殺人脅迫を受けたことのある人、あるいは自分が同性愛者であることを理由に挙げているのが興味深い。

boyd は、Facebook こそ実名ポリシーが機能する実例という意見を、ハンドルやニックネームで登録する無数のティーンを知る自分からみればまったくお笑いだと一蹴する。また彼女のインタビューによる観測範囲で見る限り、白人の10代と比べ、有色人種の10代のほうがハンドル使用率は極端に高いそうだ。

こうして見えてくる実情は、LBGT など社会的マイノリティであったり、暴力や嫌がらせの被害者や活動家といった攻撃を受けやすい社会の中心から外れた(marginalized)人たちにとって実名ポリシーは力を与える(empowering)ものではないということだ。

続いて boyd は Facebook の歴史を辿り(映画『ソーシャル・ネットワーク』でもおなじみのように、Facebook が生まれた背景にはハーバード大学の社交クラブの排他性や学生の特権意識があった)、そこでの実名使用の重要性は Facebook が宣伝したがる神話に過ぎず、Facebook でも多くの黒人やラテン系はハンドルを使っている事実を見落としているだけだと断じている。

そして boyd は Google+ が受けた大きな反発について書いているが、その原因を彼女は Google+ の初期ユーザである技術者層にニックネームやハンドル使用の伝統があったことに見ている。彼らは Facebook の初期ユーザである坊やたちとは違ったわけだが、ここまで話が大きくなったのは、FacebookMySpace でハンドルを使う黒人やラテン系と違い、そうした技術者層は声高に怒りを Google にぶつけたから。

boyd は、GoogleFacebook といった企業はユーザの安全に尽くし、ユーザの不満を真摯に考えるべきだと主張しているが、何でそんな当たり前のことを言わなければならないのか。「実名」ポリシーを当然のものと押し付けている層(多くは privileged な白人アメリカ人。ランディ・ザッカーバーグはその一例)は、実名を使うことで不利益を被ったことがほとんどなかったからだと boyd は説いている。

世界中どこでも通じる context なんてものはないし、実名を使うことで安全でなくなる人がいることへの想像力をもてないのは恐ろしいことである。ハンドル使用を禁じるのは安全を保証することにはならず、むしろそれは人々の安全を傷つけていると boyd は書く。

そして、boyd は「だから私に言わせれば、オンラインスペースで「実名」ポリシーを強制するのは権力の濫用なのだ」と結論づけている。現在 boyd は Microsoft Research にいるのでポジショントークを疑う向きもあるだろうが、彼女の主張はこれまでの研究内容からすれば自然な結論である(8月9日追記:boyd は寄せられた批判に対して、自分はマイクロソフトのためこの文章を書いたわけではないと反論している)。

この手の話題は定期的に何度も何度も何度も話題になってきた。これからもそうなのかもしれない。しかし、もういい加減 Pseudonymity と Anonymity をごっちゃにした議論ぐらい駆逐されてもいい頃だ。そして、ワタシは danah boyd 同様 Pseudonymity を支持する。

前川やくさんのインタビューと八重歯イベント

前川やくさん([twitter:@ysmkwa])のご尊顔を初めて拝見したぜ! インタビュアーは近藤正高さん(id:d-sakamata)だ。

前川さんは10年前からずっとサイトを愛読してきたし、当然「ホワイトカラーの道楽」だって持っている。ワタシは、氏が作成したホームページ世代の残党リストに自分が入っていることが誇らしかったりする人間なのだ。

インタビューでは特に後編のテキストサイト話が特に興味深くて、「当時われわれは板の上にあがってるつもりで書いていた」というのはすごく分かる感覚である。また前川さんは一時活動休止していた原因も語っていて、実は昨年ある宴席でご一緒した大山顕さんにその話を伺ったときは仰天したものである。

例えばワタシのような時に筆禍を起こすような人間がそういう目にあうのは分かる(実際あってきた)。しかし、過度にネガティブだったり攻撃的な文章を書かない前川さんでもそうしたトラブルに巻き込まれるのかと陰鬱な心持ちになったものだ。

さて、前川さんが主催する第二回八重歯決起集会開催が今日開催される。個人的には八重歯にはそれほど執着はないのだが、前川さんのイベントなら面白いに決まっているので、行ける方は是非。

ガルシアの首

サム・ペキンパーの映画は『ワイルド・バンチ』に続き二本目だが、ワタシは本作のほうが好きだな。

題材的には『ワイルド・バンチ』よりずっと地味そうでどうかと思ったが、ペキンパー一流のバイオレンス描写をたっぷり堪能できて、ワタシなどもううっとり。

再起をかける主人公役のウォーレン・オーツもよかったが、彼と行動をともにするメキシコ人の情婦の存在が、本作の前半部に『ワイルド・バンチ』にはないニュアンスを加えているように思った。

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