2012-02-10
ピレネーの城
もう1ヶ月で、あの日が来る。
あの日というのは3月の11日。
早いような、遅いような…、人によって感じ方は諸々だろうけども、どこかに刺さって抜けなくなったトゲのような感触を持っている人は、きっと、多いと思う。
3月11日のみが特別なのではなくって、その翌日から今日に至るまでの11カ月に、どこか違和をおぼえ抱えたままに日々を過ごしているような感じなのではあるまいか。
そこでだ…。
この不穏にからまった感触をカタチにしてみよう、と自分に課題を出し、ア〜でもないコ〜でもないとまさぐって、たどりついたのが、こんなカタチ。
絵としての「ピレネーの城」は、マグリッドがこれを描いて発表して後、イメージは増幅され拡大され続けて、今はやや図柄としては"古風"でさえあるのだけども、イメージがコピーされて色々なアートやら映画の中でこだましていると思えば、やはり、これしかない。
ボク自身が絵を描くという行為よりはるかに、この複写と加工による行為が、もっとも"今"だろうと思うから、これを使う。
カッコいいとかではなく、"今"というカタチの中には、著作権という難問も含まれる。
他人のマワシで相撲をとる、というだけではなくって、そこには今という時代の、コピーと加工を後押しする技術がある。
実際、この作業の過程ではマグリットの時代にはない、アルファ・チャンネルという色分解とマスキング処理でもって、ボクはオリジナルの構成要素をバラバラにし、海は海、空は空、巨岩は巨岩にと、再構築して歩を進めている。
波は、あの津波を想起する。
青い空と雲は、津波が来ようと来まいが、地球が回転して翌日が来ることを示すけども、浮遊した巨岩とそこの城は、原子力という不安定なもので発電して暮らしてる我々が置かれた… このままでイイのかよくないのかな、不穏の図象といったところだろう。
そして、その上で、この形、物体としてのiPhone用のスタンド/ドッグ。
iPhoneを産んだS・ジョブスがなくなったのもまた大きな衝撃であり痛みだった。激震と津波の年の終わり頃にやってきたもう1つの鬱屈がこれだった…。
だから、このiPhoneを乗せるスタンド/ドッグは、聖なるメモリアルとしてのイコンであり墓碑である。
かつ、イコンでありつつ実用なもの…。
Illustrator CSとPhotoShop CSとプリンターとペーパーで作る。
工作を進めていく内に、昨年の諸々を思い返した。昂ぶる愉しさもあったけど、根底では未体験な領域を突きつけられてど〜返答し、ど〜振る舞ってよいか判らず終いな1年だった。
それを、卓上のささやかなカタチにすることで、昨年の輪郭が少し自身に刻まれて、視力が0.2くらい復活してくれたような、足元が少し固まったような感じもする。
もちろん、それはほんの少しなのであって、いかんせん、自分は未だ不穏で不安定で不当なピレネー城に囚われていて逃げようもないのだけども。
そんな次第あって、最初はこのスタンドの背面には宙に浮いた巨岩の後ろ姿を描いていたのだけども… それは消去した。実体があるようでないコトを立体物の中に意味づけた。見えているものが全てではないという気分も混ぜて…。この環境に馴染んじゃいけないと自身に警句を発しつつ。
ともあれ…、置かれた場所と気持ちを、今という感触を、自分の日常でもっとも使って過ごしている環境の中で1つのカタチにしてみると、こうなった… という次第だ。
2012-02-06
月の舞台も雨に濡れ…
今週末の幕張でのイベントの、某ブースにて販売の製品見本の第1便を本日、発送。
予定外に早くフィニッシュ出来たのがちょっと不思議。
昨日の日曜。
午後の3時半という妙な時間からのライブを観戦。
月の舞台・悠くらぶという場所での、パーカショニストのヤヒロ トモヒロのライブ。
第2部ではコジマサナエのボーカルも入った5人編成というかたち。
第1部がだんとつに良かった。
岡山ラテンオールスターズの長崎氏と、広島で活躍中の宮本香織理さんが加わっての3人の打楽器のみの演奏で、
「ズンドコズンドコ♪」
「ずっちゃずっちゃ♪♪」
「チュパッ・チュパッ・チュパッパッパ♪♪♪」
「ツッパン・トッ・トトントン♪♪♪♪」
原初のアフリカの密茂した草原で道に迷って不安に駆られるような、一方で、見上げると空がどこまでも蒼くって溶けていくような爽快もあるという、背反する情感が逆巻く感じになれたのが嬉しい。
ヤヒロ・フアンでわざわざ福山からやって来た女友達のO嬢いわく、
「第1部があのまま続いて欲しかった〜」
とのことで、確かにそうだ…。
パーカッションのみだから、いわばメロディとしての主旋律はないのだけども、リズムがそのまま身体の鼓動に通じて脈うって、いつまでもその流れに共振共鳴したい感じなのだった。
くちづさむメロディではなく、頭で感じるのでなく、ただもう身体が呼応してしまうというカタチの気持ち良さを、この第1部で感じられたのは、良かった。
終わると、外はチョメチョメと雨が降ってれら…。
雪でなく、雨。
「しょぼいな〜」
顔をしかめた。
2012-02-04
スティングレーからノーチラス…
30代の頃だかに、子供対象のしょ〜もないものと決めつけて、この作品の次に登場の「サンダーバード」に傾注しちゃったもんだから、今までロクにチャンと観ていなかったのが… 今とっても悔やまれる。
やはり、オモチロイ。
昨日の夜に観た「さあこいドラゴン大王」という一篇は、世界制覇をたくらむ海底人のドラゴン大王がスティングレーの基地をのっとろうという話なのだが、全世界を手にするという野望はデカイけども、奸計めぐらせ実行するのは、その大王と家来のたった2人なのだから、抱腹だ。
2人でノコノコやって来て、大きな野望を口にして高笑いするのだけども、ものの10分ほどで海中に放り出されて、
「助けてくれ〜」
なのだから笑うしかない。
そもそも、襲撃されるスティングレーの基地も人は少ない。
世界を守る大仕事なのに、司令官とその娘と3〜4人の部下しか出て来ない。
この小さな"島宇宙的"なノリが、今の眼にはすこぶる鮮烈で、とてもイイのだな。
話は毎回壮大だけども、小さな小さな村の中で起きてる軽やかなエピソードみたいなほのぼのとした"閉じ方"がイイのだよ。
今は人類全体がグローバル化されて、アレもコレもせめぎ寄せ、多様で複雑、結果として猥雑な混沌になっちゃってるワケで、それゆえ、逆にこの"閉じ方"が爽快に映るんだ。
「ひょっこりひょうたん島」とか「宇宙家族ロビンソン」とか「海底大作戦・原子力潜水艦シービュー号」などなどなドラマに通じるテーストだね、これは。鎖国めいた閉じた環境ゆえに、時おりの外界からのゲストで騒動が起きるという… いいアンバイなパターン。
それでドラゴン大王の振るまいに笑いつつ、さりとて、人形のカタチやら背景のデザインに感心しつつ、こんな人形劇で「海底二万里」があったらイイなぁと思いついた。
リアルなフィギュアではなく、「スティングレー」に準ずるカタチのものがいい。
そのくせ内容は原作に沿ったようなカタチ…。
そんな人形劇映画を観たいもんだ。
今風な味付け不要。あくまでも19世紀末のスチームな感じでなくちゃいけない。
それはボクの夢想だけども、現実には、デイズニーの「海底二万里」のリメークが作られると報じられて既に2年が経つ。
ウィル・スミスがネモ船長になるという噂があって、ボクはこれには断固ハンタイだけども、リメークは観たい。
実際の俳優がネモを演じるとなると… 誰がいいかしら?
ボクなら、ラシャン・セスに演じてもらいたいな。
「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で悪者側の宰相だった人。
インド系というのがまずは一番ながらも、この人の品の良さはずば抜けていい。
穏やかながらも闘志を秘めている感が濃くあって、その辺りにはデイズニーの「海底二万里」でネモを演ったジェームス・メイスンに似通うところがある。
ネモという人物には優雅さで裏打ちされた品がなくちゃいけない。しかも複雑な感情をもつ。
その辺りをラシャン・セスならうまく表現してくれるような気がする。
この人が演じたネール首相を観ると、喜んだ顔、愁いた顔、怒気にじませた顔… 繊細、傲慢、毅然… それらを顕しつつも根底には実に感じの良い品格があるというコトに気づかされて、今もってこの人の事が例えばウィキペディアなどの検索媒体に登場しないのを、ボクは不思議に思っている。
名優だとボクは思って揺るがない。
ウィル・スミスは駄目でしょ…。
黒人だから駄目という差別的な眼で申しているのではなく、そも、彼である必然がないんだよね、映画に。
過去に「ワイルド・ワイルド・ウエスト」というスチーム・パンクな秀逸なのがあって、ボクはとても好みとしてるけれど、ただ1つ、ヒーローのJ・ウエスト役がウィル・スミスだったのがペケだった。
「アイ・ロボット」や「ID4」の彼はとてもいいのだけど、「ワイルド・ワイルド・ウエスト」のJ・ウエストという役柄はまったくそぐわない。
キャラクターとして、どこまでいってもウィル・スミスだったからダメなのだった…。
だから、ネモという強力独自な個性にウィル・スミスを重ねちゃ… ダメだとボクは密かに思ってるもんだから… リメークされる映画「海底二万里」が気になるワケ。
デイズニーの「海底二万里」ではラストでジェームス・メイソンのネモは死んじゃうしノーチラスは沈没するわで散々なのも… よろしくない。
そこは原作の通りに、巨大な渦にのまれたけどもどうなったか判らんというアンバイな結末でなきゃ、嬉しくない。
そうでなくば、かの続編「神秘島」に続かないワケだし。
なので、ラシャン・セスだ。
彼がネモ。
当然にノーチラス号は徹底してレトロな感じ。
鋼鉄と真鍮とリベット。蒸気。橙色(だいだいいろ)な照明。
そういった金属の外郭にくるまれた室内のロココ調な豪奢な絨毯、ソファがあって、大道具小道具のいっさいがキチリと統一された方向に向いてなくちゃいけない。
だから、出版された当初の挿画にみられるオリジナルな形がいい。これがムーヴィとして動くのが… いい。
ペーパーモデルで再現すると、こうなる。
室内の絢爛と金属の鈍い光沢と重みが醸す重厚な雰囲気がなくちゃイケナイ。
その点で、1954年作のデイズニーの「海底二万里」は、とんでもなく凄い。
ノーチラスのデザイン、室内の在り方、すべてがとんでもなく凄く、仔細を眺めると原作に登場する絵画を、たとえば、バックホイセンの海洋画やバウルス・ポッターの絵画をちゃんと背景に置いた上で、あの優雅にして精緻な船内を巧みに構築していらっしゃる。
艦の室内配置もかなり原作に忠実でもある。
デザインを仕事するという行為の、その素晴らしい一例として挙げていい。
数多、ノーチラス号を素材とした映画はあるけれど、このデイズニー版に優るデザインは未だに登場していないから… 次のリメーク作品にてそれを越えて、新たな新鮮さを植えて欲しいと思ってはいるのだけど、ともあれ、ウィル・スミスが主役というコトで決まりなら、ボクの電圧はかなり… さがっちゃう、ぞ。
なので、いっそ… 人形劇がよろしいかと…。
Paper Model Photo (C) TVC-15
2012-02-01
2足歩行の火の見櫓
手先足先がすぐに温もらない冷え性なタチなので、いざ寝ようとベッドに入っても、右足に左足が触れただけで、
「キャ〜」
自分の冷たさにビックラこく…。
なのでフトン乾燥機を使う。
就眠1時間前くらいにスイッチを入れて暖気させちゃう。
身体が乾燥する弱点もあるけど、自分の冷たさとフトンの冷たさを我慢してジッとしてるよりはイイ。
ヌクヌクとして、すぐに眠れる…。
そのせいなのか、後述の別の理由なのかは判らないけど、ヘンテコな夢をみる。
けっこう面白い。
が、目覚めてすぐに思い返そうとするのだけども、ストーリーを追う速度より早くに、記憶そのものが消失していく。
渡っている橋が後方からドンドン崩れていくみたいな勢いで輪郭がぼける。
これが口惜しい。
せっかく面白いのを見たというのに、それを復元できないんだから悔しい。
ここ数日は、スチームパンクなSFみたいな愉しさがあったんで余計に、思い出せないのが口惜しい。
"2足歩行の火の見櫓"みたいなのが登場した一昨日の夢や、水中に没した謎のボックスを回収すべく海底に潜ろうとしてる昨日のやら… なんでそんな夢を見てるんだろうと苦笑するのだけども、お話の詳細を復元できない。
"2足歩行の火の見櫓"は、伸縮可能な蛇腹状構造をしたヒノミヤグラそっくりな形で、その頂上に運転席みたいなのがある。1人乗り。
だから構造物として横幅は大きくないけど、蛇腹を伸ばせば10mくらいの高さになる。
これがR-2・D-2みたいな短い足を持っていて、この短足を操作して歩くようになっている。電気仕掛けではなくって、ペダルの回転でもって蒸気を発生させてるようなレトロな鉄骨構造物ゆえ、夢みつつスチームパンク風味とおぼえる。
けども運転席は10m上にあるのだし、背は高くとも実に細いので、誰が見ても不安定なのだ…。
これに自分が乗ることになっている。
夢の中では、何かのイベントのアトラクションとしてこれを使うというコトのようである。
けども運転の自信なし。そも、高所は苦手なのだ。
歩行させて注目されたい気分と、危ないな〜な感じがあって、周辺にいる方々の顔色を窺っている内に、この歩行機を納品(?)したヤツが乗り込んだ。
近所のビルの壁面に手をのばし、手で支えつつ蛇腹を伸ばし、高々10mの高みに達し、ヨタヨタ歩くや、たちまちに横に揺れ、前に揺れ、アマゾンのお汁粉みたいな色をした川のほとりの木に引っかかり、ヒノミヤグラは倒壊して真っ二つ。
「それみたコトか」
と、半ばの安堵と半ばの安否を気遣いつつ駆け寄ってみると、乗ったヤツめは木に宙づりになりながら半分にちぎれた歩行ヤグラを写真に撮っている…。
ね。
変でしょ。
政治に経済にメディアに… と今の基幹構造にゲンナリしていて…、 何やら逃避的な、何やら厭世的な気分が蔓延し、それが溶出して、ま〜るで別大系な世界を文字通りに"夢みて"いるのかしら? と、疑ったりする。
でも、そんな分析は今ここにコレを書こうとして頭に描いただけのことで、夢を見ている時はけっこう愉しんでるフシがある。
だからこそ思い出そうとするワケなのだけど… 残るのはごく一部のかけらだけ。
口惜しい。けども… そうやって消えていくのが夢の特性なのであって、夢の方が現実よりも楽しいというコトになると… 誰もが24時間眠ちゃうよね。
なので、消えるのは、人を現実にとどめるための安全回路と思わねばいかん、な。
2012-01-30
ダンス・イズ・オーバー
月末になって、新年会的なパーティが続いてる。
木曜の小さな集いを皮切りに、金、土、日。
4夜連続。
ワ〜ワ〜キャ〜な狂騒に浸るのは実に楽しい。
集合時間に1人2人3人と徐々に仲間が参集して、
「よ〜よ〜」
「や〜や〜」
声をかけあいコートを脱いで着座するのを眺めるのも、いい。
たぶんボクは、そうやって人が集う、いわばスタートの時間が一番に好きなのかもしれない。
やって来た仲間の個々を眺めていると、頼もしく、好もしく、水平線の向こうまで見通せるかとも思える親和が広がっていく感覚を常におぼえる。
清浄で無垢な、"愛情"としか、今のところ表現出来ない淡い情感が湧いて、ボクはこのスタート時にお金で買えない性質の嬉しさを感じ、裕福になる。
それから乾杯。
箸が動き、取り皿が廻り、声が飛び、笑いが駆けて…。
気づくと時間が経ち、次いで2次会に3次会。
これを4晩。
さすがに… 飲み過ぎなのだった。
3日めの日曜の夜中。ヨタヨタたどりついた某BARではついに呑めなくなっている。
よって、茶をすする。
このBARのママはボクが飲みの席では呆けてしゃべり続け、呑みはしてもアンガイと食べないという悪しき癖を熟知しているから、熱い茶をすすって、
「ふ〜っ」
てな吐息をもらした頃合いに、一品、添えてくれる。
こちらからオーダー要望したのではなく、ソヨッとした微風みたいに、一品が置かれる。
今回は、お雑煮。
淡い味付けと熱さが気持ちよく、体内の酔っぱらい度数と空腹度数の折れ線グラフが片方が低下し片方が急伸していくような、ペケとマルが伸縮してクロスオーバーしていく感覚が有り有りあって、揺れたコンパスの針が落ち着きだしたみたいな感じがしてくる。
数年前ならばこんなコトはなく、3夜だろうが4夜だろうが、朝まで呑んでキャッホ〜は平気だったとも思えるのだけども、仕方ない。
もはや、若くはない。
それで茶をもういっぱい。
「まだ1月ですな〜」
と、急に思い出したりする。
「今年の1月はなんだか長く感じるなぁ」
得したような気にもなった。
そんな損得とは無関係に時間は経っていく。明日が過ぎれば… もう、1年の12分の1が経過するワケだ。
浮かれの昂揚の熱がやや褪める今日はブルー・マンデー。
ふ〜〜〜む。











