Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2017-07-20

明治の面影 ~天神町に山陽放送がやってくる~

先週あたりより工事がはじまっている。

明治に亜公園があった場所。その後に岡山警察署が出来た場所。

警察署は明治・大正・昭和と続くも…、昭和20年空襲で焼けて破壊され、以後はずっと行政がらみの施設がそこには置かれ、最後は農政局となり次いで後楽館高校となった。

高校が移転して数年…。その場所が明治の亜公園と同様、市から民間へと譲渡され、工事がはじまった次第。

やがて山陽放送の本社ケン放送局ができる。


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警察署時代の遺構があるのに気づいたのは、数年前だった。

警察署の模型を造っているさい、その形状と場所の一致に、

「えっ?」

「マジ?」

ビックリした。

県や市の文化行政を担う部門が、なぜ、これを知らぬまま今に至ったか不明だけど、ともあれビックリしゃっくり、漏れた遺物の存在に一喜した。


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一昨年のシティミュージアムでの講演時、この事をおしゃべりしたんだけど、だからといって、即行で拡散認知されるワケもない…。

いぜん、知る人ぞ知るの、小さな遺跡であった。

某新聞社さんにもこのコトを記事にと申し出たけど、はたされない。

後述で登場のF女史が、毎日新聞の地方欄で記してはくれたけど、それとて多くの人が読んでくれたとは…、いいがたい。


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建物の煉瓦の基礎部分。

この礎の上に警察署が出来、出来るや直ぐに活用されたわけだ。

下の写真は、警官全員集合の明治38年当時の記念写真。

後述の、亜公園の集成閣もまだ建ったままだ。


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警察署の設計者は江川三郎八。

当時の岡山県庁内でただ一人の西洋建築専門家

警察署は彼が岡山に赴任して数年後の極めて初期の"作品"。


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※ 模型再現 右下の土台部分(アーチ状)が今に残っているワケです


煉瓦の形や色は不揃いで、これが煉瓦製造の極めて初期のものであるコトはまちがい。

おそらくは県内産。成形技術、燃焼加減などなどクリアしなきゃ〜いけない技術確保のさなか…、というのが眼にみえる。

個々が歪つでバラバラなのだ。

(それが今となっては良い味わいなんだけど)

だから稀少な資料でもある。

当時の県庁が道路の真向かいでもあったんで、空襲の爆撃ポイントにもなってしまい…、わずかにそこだけが破壊をまぬがれて、今に残っているのだから貴重でもある。

むろん、イチバンに価値ありなのは、それが警察署の土台として造られた明治のモノという事実。

これを、地所を買って新たな社屋を造る山陽放送さんが残してくれるのか、どうか…。

工事開始の報をきいて、いまさらに焦燥めいた感を深めおぼえる。


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もっとも、数ヶ月前より、地域の"有力者"にはたらきかけをし、貴重な遺構を残して保存すべきとは伝えていて、幸いかな、声は山陽放送さんには届いているようではある。

ただ、まだ…、はたしてどうなるやらはワカラナイ。

ボクが地域の方々にはたらきがけたより先に、既に新社屋の構想が出来ていたようなので、そのプランの中に「小さな遺構の処遇」は入っていないワケで。

放送局ラジオ部門で週1回、地域のヒストリアを語っているF女史もこのコトはとても大事と思ってくれていて、彼女なりに動いてはくれるようだけど、しばらくは、注視が続く。


この煉瓦の遺構は、明治時代の「物語」がたっぷりと沁みている。

ただの、警察署の痕跡ではない。

なぜ、そのようなモノがあるかを、ここで書いておく。ちょっと長くなるけど、しかたない。江戸後期から平成にいたるまでのヒストリーを数行で書けるワケはない。


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天神町のその場所は今も昔も1等地で、江戸時代にはず〜〜〜っと郡会所があった。

岡山藩池田家が所領する地域の、そのコマゴマした行政を司る場所で、年貢に関しての訴えゴトなどもここで処理されていたようだ。(大きな米倉も敷地にあった)

庄屋が呼び出されてお小言をいわれるというコトもあって、だから郡会所のすぐそば、石関町には当時何軒も旅館があった。たとえば山陽町界隈からここに来るだけで大変なんだもんね、橋もないんだから…、お小言を告げられるために一泊か二泊しなきゃ〜いけなかったし、行きも帰りも徒歩なんだから、文字通りにトホホ…、なわけだ。


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※ 池田文庫の絵図面より 中央に郡会所、左下に"甚九郎橋"(二之橋)


明治になって郡会所は役割を終え、そこに岡山医学校ができる。

卒業出来たら試験なしでそのまま医者になれるという、とてもレベルの高い学校で、(落第者も多数でるよ、当然に)このクラスの学校は明治初期〜中期には広島にも山口にもないから、重度の病気の方が県外からも入院してた。

そう、病院も兼ねた学校なんだ。

簡単に申せば、これは第三高等学校(現・京都大学)が源流。その一部としてスタートし、ドイツ仕込みの西洋医学の先端、ハイクラスの学校ケン病院なのが岡山医学校なのだった。

しかし、当然、手狭になる。

そこで移転が決まる。移転後、やがてそれが今の岡山医大になるんだけど、そのヒストリーはここで紹介しない。


明治は、ホントにお金のない時代だった。

庶民にもなければ、国にもありゃ〜しない。

それで岡山県は医学校の跡地を売ることにした。

県費を捻出するためにね。


それを買ったのが、片山儀太郎だ。

30代の若者で、船着町で木材商をやっている。

この人は14歳まで豊島に育ち、14歳で船着町の金谷屋(木材商)に養子にやってきた。

今の感覚では14歳だなんて、ま〜るで子供だけど、むろん儀太郎君とて子供ではあったろうけど、他家に養子に出ていくというのは当時はそれほどヘンテコじゃ〜ないし、14歳はもう大人として振る舞わなきゃ〜いけない年齢でもあったんだから、今の感覚で彼を見てはいけない。


ともあれ、金谷家で木材商いを学びつつ、さらに成長。

やがて当家の娘さんと結婚。

独立して、片山木材店をはじめる。

ここから破竹の勢いがはじまる。


当時の木材商は、概ねのところ、建築資材として高級なものを扱うコトこそがイチバンと考えられていた。

江戸時代の流れをくんだ、それは当然のことでもあったんだけど、しかし実態は変化し始めていた。

幕府から政府になり、藩から県に変わり、新たな施設が必要にもなっている。

国民としての子供は全員、学校に通わせなきゃ〜いけない。

そう、学校を建てなきゃいけないんだ…、明治という時代は。

今まで架けてはいけなかった橋も、作らなきゃいけない。

そう、それまで橋は京橋しかなかったんだ。(それも関所みたいな感じね)

文明開化キンコンカン…、さらには鉄道も引くことになる。(日清戦争での経験上、船舶軍船の燃料・石炭の輸送も要めだった)

いずれも、建造には大量の木材が要る。吟味した高級木材だけじゃ〜ダメなのだ。

儀太郎はいち早く(明治20年前後)、輸入材(ラワン)を扱った。

ヒノキ造りの小学校や橋でなく、比較的廉価な木材を使用しての学校なり橋が求められ、儀太郎はその需要を見事に担った。


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さらに彼は、ただ輸入材を提供するのみでなく、人材を集め、人材を提供するという、従来誰も考えなかった、いわば「組織的土木建築事業」を開始した。

1つの校舎を建てるには、木材調達から大工さんの調達までと、アレコレあってメンド〜なもんだけど、儀太郎はそれを1本化してみせた。

行政やあるいは注文主にとって、これほどアリガタイことはない。


そんなんだから、ま〜、当然に、儀太郎はお金持ちになる。

そのさなかに、医学校の跡地を彼は、買った。

買った当初は、そこをどう活用するかは決めていなかったようだけど、やがて、鉄道岡山にまで延びてくることになる。

今の山陽本線。当時は山陽鐵道という。

これが岡山にまで結ばれることになり、儀太郎の片山木材店が、線路の枕木や駅舎構築の木材を一手に担った。

最初の岡山駅東岡山駅瀬戸駅などの駅舎や施設、ほぼ儀太郎が手配したものであったと思われる。(確定的な資料はまだない)

枕木敷設の工夫(こうふ)も彼が集めた可能性が高い…。


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山陽鐵道岡山駅(当時は岡山ステーションといった)が出来て汽車での移動が可能になった翌年、明治25年の3月に、儀太郎は天神町に亜公園を開業した。

一面の平野、高い建物ったら岡山城しかない、平屋だけの家屋で占められていた市内に、それも天神山という小高い場所に、集成閣という塔を中心に置いた娯楽施設を設けたんだから、誰しもビックリした。

どこからでも、その塔は見えた。

真っ黒い岡山城があるきりだったソバに、真っ白い壁の塔だ…、これは目立つ。

また、その塔に登れば、瀬戸内海までが見えたんで、皆さん、心底ビックリした。

だいたい…、景色を見るためにお金を支払う(5銭)というのを地方都市岡山の皆さんは経験したことがない。

それで、この塔(集成閣という名)を指して、

キチガイ楼」

と、これは侮辱ではなくって、ちょっとした愛称のつもりで、そう呼んだりもした。


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亜公園は、集成閣を中心に置いてその周辺に数多の店が並んだ。

芝居小屋、複数の料亭、鮨屋、牛鍋屋、小間物屋、玩具店、喫茶店、写真舘、西洋式理髪店などなどなど…、新造された亜公園内に集積回路のようにミッチリと…、今でいうモールとして運営された。

開業から数年は押すな押すなの人出だったようで、事実、後に儀太郎は、

「たった2年で建造費が回収できました」

と、自身がもたらした効果を自慢するでもなく、そう苦笑されたようだ。


この亜公園にはテーマがあった。

おそらく日本初のテーマパークがこの亜公園であった、とも思われる。

それは、菅原道真だ。

天神町天神山)には、はるか昔より、太宰府に流される菅原道真の一向の舟が休憩をした場所と伝わっている。(当時は海とも川ともつかぬ場所だったが、そこだけは島のように浮き出ていた。だからまんざらにウソバナシと云いきれない)

ま〜、だから天神山の名がついたワケでもあるし。


以後、天神山にはそれにまつわる祠があった。(らしい)

江戸時代になって、池田家親戚の鴨方藩の屋敷を設けるため、天神山は"開発"され、鴨方藩邸がそこに置かれた。

祠は、岡山神社に移動、合祀されたようである。

(現在の同神社内にある天満宮がそれだ)


そういう永い歴史的背景のある場所での娯楽施設に、テーマとして菅原道真が選ばれた。

亜公園が菅原道真ゆかりの場所であることを示すため、園内に天満宮が新造され、それは岡山神社天満宮に正面を向けるカタチで設置された。

そして各施設にも、ちなんだ名が与えられた。

菅竹楼。菅松楼。菅梅楼。菅梅堂。天神茶屋。天神座。如水館(写真舘・現在のキタムラカメラ)などなど。

(如水の名は太宰府天満宮を再興した黒田官兵衛のこと)…。


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天神茶屋では、「三子ぜんざい」を売った。浄瑠璃「菅原伝授手習い鑑」に登場の三つ子から名をとった名物ぜんざい

梅賞堂では、「梅まんじゅう」を売った。

梅は、菅原家の家紋だ。

さらには、亜公園内天満宮には、文字のない石碑が建った。

それはヒトメで硯(すずり)と判る巨石だった。

菅原道真=学問の神=習字の熟達。

明治の方々は、この石碑に手をあわせ、漢字の習得と達筆を願った。

以上の通りながら、しかし逆に「テーマがあります〜!」とは声高にしなかった。

おそらくは、菅原道真による宗教色が濃くなり過ぎることも注意していたようである。


ここでもう1つ付け加えておくが、亜公園は片山儀太郎ただ1人が造ったわけではない。当時の上之町界隈に進出した新たな商人としての若者たちが、

「面白いコトしょ〜や〜!」

と、儀太郎の元に集ったらしき…、なのだ。

その中には、笠岡方面からやってきて「細謹舎」という出版社ケン本屋をはじめた北村長太郎がいる。アサノカメラの初代店主・中塚秀太朗がいる。西郷隆盛が没したさい「拳骨せんべい」なるモノを販売してヒットさせた葛和某もいる。三好野花壇(今はキティちゃんのお弁当で有名ね)の若林カネもいる。

そして、当時の地域の中心であった岡山神社神主たちがいる…。

これら方々が一同に介して亜公園を造りあげた。

ちなみに、亜公園とは「後楽園に亜(つ)ぐ」という意味で、これは当時の県知事(県令)が命名した。


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さて、以外な事実だけど…、この亜公園の開業と同期するように甚九稲荷が現在の場に設けられている。

それまでは道路の真向かい、今は駐車場になっているあたり(当時は不動貯金銀行の裏にあたる)の町内集会所脇に設置されていた。

江戸時代、内堀に二之橋(甚九郎橋)という橋があって(島村写場の裏付近)、その傍らに祠があったのだけど、堀の埋め立て時、光藤亀吉たち当時の上之町の若者がそれを移動させて祀りなおした。

でもって、上之町は江戸期を通して大火を出したことが少ないから、「火除けの神」とした。

これが甚九稲荷のスタートだ。

たださほど立派なものでは…、なかったようである。

(今の甚九稲荷稲荷にある手水鉢はこの時のものと推察できる)

このお社(やしろ)が、陰陽道における裏鬼門の位置にあたる場所にともう一度移動するのは、亜公園が構想された時だった。


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亜公園は厳密な風水思想にのっとって構築されていた。

八角形の集成閣で八掛(はっけ)を象徴させ、北に山、東に川、鬼門岡山神社、裏鬼門甚九稲荷などなど…、みっちり計算づくの施設だった。

このプランを誰が発案したかは不明だけども、当時の岡山神社神職が指示した可能性は高い。

これは平安京江戸城と同じ構造(様式)であった。


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しばし大きく賑わった後、その亜公園が明治38年に閉園するや、岡山県が即座に買い戻した。

新たな行政の施設の場が必要で、県庁真ん前の亜公園はまことに都合良きだった。

議会制となって議員はいるものの、会議する場がないんで、後楽園の鶴鳴館でやってた程に場所の持ち合わせがなかった。

亜公園の天満宮があった場所に、まず最初に岡山警察署が造られた。

次いで戦捷記念図書館(集成閣を改造して造った)。

さらに県会議事堂。この3つが亜公園の後に出来上がる。


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警察署を造るさい、しかし天満宮は廃棄するわけにはいかない…。

そこで県と当時の上之町が話し合う。当時有力者になっていた光藤亀吉(亜公園が開業して数ヶ月後に岡山台風の大水で市内が水没。そのさい滞在中だった夏目金之介(漱石)を助けたのがこのヒト)や岡山神社さんたちも合議に加わったろう。

この話し合いで、甚九稲荷との合祀が決まった。

明治38年(1905)、亜公園内の天満宮は緒施設がそっくり甚九稲荷移設された。

軒を貸したカタチながら実際は、より豪奢な天満宮のそれで全面リニューアルというアンバイだった。(移転費用は県費で賄ったろう)

以後、上之町の商店総出でもって、ここに夏の祭を定着させ、甚九稲荷は存在を凛々とする。

この祭(7/24.25)のために大正時代は、臨時列車が出たというくらいの動員力を誇るまでになった。

(祭は今も続いてますよ。数年前、ボクはここの福引きで自転車をあてちゃった〜ァ♡)


さてと、岡山警察署だ。

明治38年にそうやって造られ、昭和20年の6月まで40年もの時間を機能し続けた。

戦後は今の県立美術館の所にちょっと移動し、昭和40年代半ばまで東署というコトでしたね。今は原尾島にあって中央警察署という名だ。

(年数回、お世話になってる…。って、逮捕されたんじゃなくって中国銀行本店前広場でのジャズフェスのための道路占有許可を出してもらってんの。ケッコウ手続きが面倒なんよぅ)


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余談はさておき、僅かな煉瓦の土台部分のみを残して天神町岡山警察署はなくなってしまったワケながら、逆に、今の今までその煉瓦たちが遺構として在ったことにも驚く。

ホントに、何でこれに誰も気づかなかったんだろう今まで…。

ま〜、それゆえ長々と、

「大事にしたいモノがあるよ〜」

と、申している次第でした。

何でもかんでも残せばイイわけもないけど、少なくとも天神町界隈での明治の遺構、かつ、空襲に晒されたことのこれは記憶なのでもあって…、たとえば甚九稲荷境内にでも移設して展示してもらえたらと、切望している本日ただいま。


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※ 模型 - 戦後から現在にいたる甚九稲荷拝殿と本殿

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※ 模型 - 本来の甚九稲荷拝殿と本殿 この姿への復興が望ましい

2017-07-15

さよちゃんが嫌いです

今から概ね2ヶ月先の、某ミュージアムで展示予定の模型製作をば、はじめる。

といって、以前に展示されたこともあるモノの修復改造がメイン。

1部パーツは金属に置き換え、部分そこかしこをつつく。

こういう作業は…、気分がなかなかノラナイ。

点数も多いのでそこも考慮し、それでいささか足早に作業開始の次第。

パーツ新造はあんがい容易だけど、旧に新を加味する頃合いと調整がメンド〜だ。

それは、パッと見では判らない程度の差なんだけど、工作する当人には波高し。新作を1つ造り上げるより、燃やさざるをえないエネルギーが過剰。

それでノラナイわけだけど、ま〜、エンジンをかけて只今は温まるのを待ってるというアンバイ…、かな。


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閑話休題にして本題。

この数ヶ月毎夜、晩ごはんを食べる時、amazonのプライムビデオを観てる。

1日1話を厳守で、

忍者ハットリくん

これは全話、みた。

『21エもん』

これも全話、みた。

で今は、

一休さん

だよ。

昔のアニメーションばかり。

ごはん食べ食べにだよ。


愉しんでるぜ〜! 

と云いたいところだけど…、そうでもない。

毎夜に接すると、面白さよりも、辛辣含みな見解でもってゴハンを食べ終えるというコトの方が、だんだん多くなる。


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忍者ハットリくん』の場合は、物語そのものが破綻してることが多くて、脚本家のセンスのなさが際立ち、せっかくのキャラクターを活かせてない。

ハットリくんの弟のシンゾウくんが、

「この子がウチにいたらなぁ〜」

と、そう思うくらい素晴らしくかわいいキャラなんで、余計に残念だ。


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おまけに、のび太くんじゃ〜なかったケンイチくんが恋してる夢子ちゃんというキャラがてんでサッパリで、イライラさせられる。

この娘はアホ〜でワガママで、ケンイチくんはこんなのに夢中になっているようでは、いかん。

またそれを幇助するハットリくんも、いけない。

こういうのに接してると歯がゆいんで、硬いモノ囓りたくなる。

そこでホザキつつ、厚めに切ったおコウコ、バ〜リボリ囓ってたわけだ。


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『21エもん』

意外や、しっかりした成長物語。

1話完結ながらもストーリーがしっかり続き、大団円をむかえる。スジの通った脚本が素敵。『ドラエモン』みたいに何時までも続けようという番組でなく、青春物語として区切りを入れてるのが、よかった。

隠れた名作…、といってもヨロシイかと。

ただま〜、何というか、それほどの良品ではあるけど、妙に印象に残らないのがいけない。グレシャムの法則の"悪貨が良貨を駆逐する"みたいに、この『21エもん』より『忍者ハットリくん』の方が印象にとどまるというのが不思議。

良い子はめだたない…、んだ。


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一休さん

第1話から、"中央児童福祉審議会推薦"なるアリガタイ推薦付き。

なんじゃいそれは? と調べてみるに、当時そういう審議会文部省内にあったんだね。

けども事前にその審議会アニメーションをチェックした上で推薦した…、という次第ではなかったようで、じゃ何で? と訝しむに、『一休さん』の番組スポンサーは、モーターボート公営ギャンブル日本船舶振興会

元A級戦犯容疑とか右翼の大物とか慈善の人とか、何かと明暗ありのウワサだった会長の笹川良一自身が登場して、「一日一善」とか「おとうさんおかあさんを大切に」とかの、アレだ。

長期の番組となったんで途中からは東芝がスポンサーに変わったようだけど(審議会は今はない)、なんだか推薦にあたり、配慮というか、ソンタクっぽい裏事情が見えもするけど、42年まえ、1975年の番組なんだから(82年まで続いた)いまさら、それはどうでもいい。


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どうでもよくないのが、さよちゃんというキャラクターだ。

この子が…、とにかく好きでない。

典型的な幼児的アニメ声なのがまず鼻につく。その声で大人びた発言だから虫酸がはしる。

たぶん、このさよちゃんあたりが今に至るロリータ系列な声優のスタートなんじゃなかろうか…。いまだ、馴染めないなぁ。(笑×1)

なにより、この子がいつも寺にいるのが、いけない。

僧は女人を遠ざけるが基本の時代だ。

むろん、史実の一休は年をとってからそこを打破し、盲の女性を愛人にして憚ることをしなかったワケにしろ、当時の史実として、室町時代のお寺が全面的女人禁制というワケではないけど、四六時中、娘っこが寺に出はいりしちゃ〜いけないのだ。

禅の修行中にやって来て横から話し出すなんて〜のは、もってのほか

ましてや一休にともなって足利将軍(義満)の面前に出たり、一緒に花見に出向くなんて〜ムチャは、ない。(笑×2)

子供番組なんだからイイじゃん…、と、甘やかしてはいけない。

つけるウソとつけないウソを混同してはいけない。

第2話か3話で、彼女が亡くなった母親の形見の櫛を大事にし、貧農ながら祖父と慎ましく暮らしてるという描写があったから油断してるうち、この子ったら、祖父の手伝いもせず寺に入り浸って、住職にタメグチをこぼす程に増長するんだから始末が悪い。(笑×3)


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さよちゃんに次いでダメなのは、装束だ。

これは室町時代中期の話。

なのに衣装や男性の髪型が、江戸時代中期以後のカタチで描かれてたりが多く、

「うわっ」

晩ごはん食べつつ、

「なんじゃ〜今のは?」

悪態ついて、ついごはんをもう一膳…、食が進んでこまるのだ。


以下、今後はじめて『一休さん』を観る方のために、チョットだけ、史実がらみでモノ申しておこう。(笑×4)


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● まるで足利義満(第3代の足利幕府トップ)の住まいのように常に出て来る金閣寺

彼が住まったのは通称「花の御所」とも云われた邸宅で、これは京都市内にあって、東西一町南北二町という広大さ。要は公家のトップたる天皇に対抗してのデモンストレーション、「権力を握ってるのは足利家ですぞ〜」と見せつけてたワケですな。

全国から取り寄せた花々を活け、天皇御所より絢爛を演出していたのが「花の御所」。

義満が所在する場所としてアニメーションで頻繁に出てくる金閣寺は別邸(別荘)であって、常の住まいじゃ〜ないし、金閣寺鹿苑寺)の呼称は義満が死没してからのものだ。

実際の一休が生きていた頃は息子の吉持(よしもち)がトップにいて、義満は頭を丸めて隠居の身だけど、ま〜、このアニメーション上ではそこはどうでもイイ。

けども、公家VS武家のポジション・バランスが実に危うい時代のさなか、それも京都という小さな場所での、その狭間に置かれたお寺と一休という存在を描くには、例え子供向けアニメーションとはいえ、も少しリアルに描いて欲しいような感が、ぬぐえない。


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※ 『洛中洛外圖』に描かれた「花の御所


● さよちゃんの重ね着。

室町期の庶民の衣装は実はあんまり判っていない。けども重要な資料はあって、それは『おあむ物語』という。

おあん(む)という、関ヶ原の戦いから江戸時代初期を生きた女性が綴った文章だ。公家でもなく武家でもない、ごく市井の庶民の記録。読み書きの出来る庶民は稀な存在。しかも女性が日常を綴っているから貴重なのだ。

おれが13の時、手作りのはなぞめの帷子(かたびら)1枚あるより他にはなかりし。その帷子を17の年まで着たるによりて、脛がでて難儀にあった。せめて、脛の隠れるほどの帷子一つ、欲しやと思うた…。

要は、彼女は13から17までただ1枚の着物しか持っていないワケなのだ。

帷子とは裏地のない麻の単衣(ひとえ)で、基本は夏から秋にかけて用いるものだけど、彼女は真冬も真夏もそれ1枚で暮らしてワケなのだ。しかも自分で作ったという。ただ縫い合わせたのではなく生地そのものから作った着物、なんだ。

問題は、おあんが超貧乏な家ではなくって武家階級にも接っする部類の農家の娘だったということ。

公家武家以外は、概ね衣類は自分(主として女性が)で作るものだったんだ…。


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室町時代よりはるか後の庶民がそ〜だったワケだから、さよちゃんの着重ねた衣装は、100パーセントありえないのだった。

衣装図鑑みたいな本が今はそれなりに出版されているけど、そこに描かれているのはいずれも公家武家のもの。国民の7割はそんな風俗とは違うんだ…。

だから、衣装でもって貧富の差、身分の差が露骨に出ていたのが室町から戦国の時代だったとも、いえるね。公家武家、僧侶に神職、百姓、商人…。その衣装をみればほぼ即行でクラスがわかった。当然のようにそこから差別意識も色濃くなった…。

そんな時代のさなかの物語として、さやちゃんの重ね着は…、あまりに違い過ぎなのだった。


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● ちょんまげ頭。

これの歴史はあんがい古い。平安時代に既にあったようだ。

頭髪薄きな御仁が苦肉の策として考案というのがカタチの基礎だったかもしれない。

けども実際のところ、そのカタチに髪を結うには額の上からテッペン辺りまでの髪を剃る必要がある。とても好く研がれたカミソリないしは小刀が必要なんだ。それなくば頭が血まみれだよ。

そのような高額かつ手入れしなきゃ〜いけない小刀を持てる人は、室町時代にゃ少ない。それ以前に、この時代の民家(お百姓の身分)では一家に一つ包丁があったワケではない。

鉄器(貴重品!)の刃物は家長たる夫が1本を所持している程度で、だから夕食のダイコンを切るには、家長自らが切り分けてやる…、というような時代だった。(『日本文化の原型』青木美智男著・小学館

だから、武家以下の身分の方々には、伸びた頭髪を後部でまとめてくくれはしても、まだまだ縁遠いのが"月代(さかやき)を剃る"という行為だ。一度そのスタイルになると毎日お手入れも必要だ。ということは多少にユトリのある人でないと出来ないのだ…。

庶民が、日々、頭髪を気にしてるような時代ではなかったともいえる。

一休さん』の登場人物たちはそこがメチャで、これがど〜にもヨロシクない。

平成の現代を描く番組に足にゲートル巻いた復員軍人が多数に出演してるみたいな…、けったいSF映画を見るようで…、ま〜ま〜、今となってはそこがおかしいので、以上、スケッチしてみた。


その可笑しみを"愉しんで"るというのが、我がプライムビデオ視聴の実態かしらね。

2017-07-10

少年ロケット部隊


放送局宛にと乞われ…、ほんの数日で提出出来ると思ってた書類作りに手間取ってしまった。

近頃は、1日で出来るコトは数日かけてヤレばよい、というスタンスでいるもんだから、そのクセがここでも出たかとも思ったけど、チョット違う。

アレも含め、コレも含めなくっちゃ〜な、そよぎに加えて、たぶんにいささか緊張が加わっている。

緊張の必然はないんだけども、どこか、

「ボクにしか出来ないじゃん、それって…」

な、おごりがあったからだろう。

それが昂ぶりになって、結果、数日で出来上がるものを、10日費やしてまだ完了しないというテイタラクを産んじまったようだ。始末が悪い。

スイ〜ムスイ〜ム ス〜イム スイムで行こう〜♪

昔、そんな歌詞の歌謡曲があったけど、泳ぐようには事が運ばないのだった。

けど一方で、そうやって時間をはむと、当初にはなかった新規も生じて、書類作りに幅と深みと高みも生じてくるのだった。

寝かせることで、味が増加するみたいな、発酵熟成みたいな、旨味が出てくるのもまた… 否めないのだった。当然にテキスト量も、多くなるけど。


それで、そこをイイことにして、日延べを自ら呑み込んでみるや、ま〜るで大昔に味わった、中間期末テストの前夜、一夜漬けオベンキョウモードのはずが、やたらとマンガを読みたくなって、しかも読むや、通常よりはるかにマンガの理解と魅惑にひたれるみたいなのと同じ…、奇妙な充実もまた味わうのだった。

実際、こたびもマンガを読んだのだ。

書き仕事を少し進めた後、書棚で埃を被ってた横山光輝御大の本をば取り出して、一巻から順に…、読み出したのだった。


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『少年ロケット部隊』は、幼少のボクが津山に生息していた頃、イトコの家で盗み読んだ月刊『日の丸』に連載されてたもんで、子供のボクはこれに相当かなり…、はまってた。

とはいえ、あくまでもイトコの家で、イトコの眼を盗んでの読書。自分で買っちゃ〜いない。

というより、月刊誌を買えるほどのお小遣いをもらってないので、イトコのを盗み読むっきゃ〜なかったんだ。

本誌の真ん中にドッチャリとオマケの冊子とペーパークラフトっぽい型紙なんぞが挟んであって、それがヒモで括られ、とにかく分厚いのを…、自分で買えるのを夢みた頃の淡い昔、だ。


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※ 当時の『日の丸』(集英社刊)。のちの「少年ジャンプ」の前身だ。


そういう時代を過ごしたもんだから、はるか後年になって、それが単行本になったさい、

「ワッ!」

てな嬌声あげて、食いついたのだった。

オリジナル原稿が紛失で大手出版社からは出ず、当時の市販本をスキャンしたカタチでまとめられた同人誌みたいな本で、1冊が1600~1800円と高額なのが嬉しくなかったけど…、有り難いことに変わりなし。

全8巻。それを、こたび再読したワケだ。


宇宙人が地球を侵略する。それに対抗するために日本は少年パイロットによる部隊が編成されて活躍するという話。

いまや子供の時のワクワクもドキドキもないけど、懐かしみある親近と、妙な探求心もまた生まれ、しばしホッコリとした次第。

このマンガでは米国の当時の大気圏外飛行に向けての実験機X-15が日本の戦闘機として登場しているのだけど、子供のボクは、黒1色のそれをずいぶんカッコ良く思ったもんだった。


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昨年だっけ、『インディペンデンス・デイ』の続編が公開されて、これに出て来たのが、"カッコいい戦闘機"で、前作でやっつけた宇宙人のテクノロジーを人類が吸収し、応用して量産化した宇宙船という設定だ。

大気があろうがなかろうが関係なく飛行出来て、地球から月までが20分ばかりという超速な仕掛けながら、きっちり翼があるのがご愛敬。

そういうテクノロジーを持った人類の前に、また宇宙人たちが攻めよってくる…。

この映画を鑑賞した時、なんだか「少年ロケット部隊」をボクは思い出してた、な。

かたやマンガは50年前、かたや映画は極く最近のものだけど、単純明快というかお気軽な展開は…、一緒。


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※『インディペンデンス・デイ リサージェンス』の宇宙戦闘機


『インディペンデンズ・デイ リサージェンス』は、前作同様にニヤッと笑って観る程度の映画だし、20年ぶりの続編ながらウィル・スミス以外の登場人物が一同にかいし、なかなかの同窓会っぷりにいっそうニタニタし、それらベテランの役者と今回の主役の若者(戦闘機パイロット達)に扮した役者たちとの演技力の差が際立ってた。

特にダメなのがリーダー役の若い人ね。眼ジカラがまったくなくって、とてもパイロット達のリーダーに見えないんで、これはミスキャスト。

そんなアラ探しもまた愉しめるという妙なアンバイな映画なのじゃ〜あったけど、中国人を意識しての映画の造りには、時代の流れを感じないワケでもないのだった。

マット・ディモンが1人火星で苦労する『オデッセイ』もそうだった、ね。

市場原理、というヤツだ。

90年代あたりの映画じゃ、『ブレードランナー』を含め、日本市場を意識したシーンが散見し、中には『アルマゲドン』だったっけ…、松田聖子が嬉々として渡米して撮影に挑んだら、隕石にグチャリ潰されるだけの役だった〜、なんて〜のも含めて、日本が意識されてたもんだけど、少子化で観客動員が衰退な国よりも、政治事情はどうあれ、所得水準があがってより多数が観る国向けの描写にシフトするのは、これはもう仕方ないこと…。

なのでボクらは人口減少による衰退をよく考慮した上で地球上の国家としての立ち位置を踏まえ、憲法改正だのがホントに今すぐ必要なコトなのかどうか、などなど、考えた方がいい。


『インディペンデンズ・デイ リサージェンス』は興業収入はとても良かったらしいが、誉めるには難アリの映画だった。

その源泉は、戦いが済んでの最後の顛末だ。

2度目の襲撃を打破した人類は、2度目の襲来でさらに宇宙人達の技術を"獲得"し、今度は、

「ヤツらを滅ぼそう」

独立自衛から一転、宇宙人の星への侵略宣言しちゃって映画が終わるんだから…、これは始末が悪い。



さてと『少年ロケット部隊』だけど、今読み返すと、子供の頃に関心したり感心したところとは違うところで、おや? と思えたりして、ま〜、そこが面白かった。

主人公の少年パイロットは撃ち落とされ、地表でもって市民のレジスタンスな方々に会い、そこからはX-15での痛快な活躍じゃ〜なくって、仲間を疑うしかない疑心暗鬼なドンヨリした話になる。

人間が宇宙人に浸食され、浸食された人間の血液は緑色…、なのでたえず血液検査を強いるというような、単純ながら濃厚味ある展開がゲリラ戦のさなかに折り込まれて、今のボクにはおもしろかったワケだ。

ま〜、おもしろいたっても…、そこは横山光輝流の軽量配分が優った描写なんでスルスル読めてしまうけど、ビールのおつまみにアンマンジュウを喰ったみたいな妙は味わえ、おもしろかった。


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思えば昭和20年で敗戦し、大いに"反省"のさなかの15年目のマンガ(1960〜63に連載)だよこれは。

根底には横山流の平和主義希求があるんだけども、世界平和に貢献するための武装が描かれてるワケで、ま〜、頼もしいというか、何というか奇妙に矛盾したバランスを思わないではなかった。

昭和30年代は今と違い、憲法9条がぶれたりせず、"活きた"時代だったとふり返られるけど、マンガ世界では、「紫電改の鷹」にしろ「サブマリン707」にしろ、平和主義と武装の引き裂けそうな狭間でもってケッコ〜見事な花が咲いてたな〜と、そこを考察する論者が出てくれないもんかしら…、とも思ったりもした。

ともあれ作業しつつ、読了。

こういうのは息抜き…、なんだろうか? 充塡なんだろうか?

ま〜、そんなコトはどうでもよろしい。

マンガ読みつつも、ともあれ、どうにか書類をまとめて本日に提出しました、めでたしめでたし、という次第なのでした。



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2017-07-05

カエル ゲコゲコ


茶バナシを長々連打したんで、今回はかる〜く…。

うちの小さな庭池に久々数年ぶりにカエルがやってきたのだった。

居ついて、四六時中、鳴く。

夜通し鳴き、昼も鳴き、いったい何時に寝てるのか?

居るのはただの1匹。

それゆえ仲間欲しさで、求愛かねて鳴き声あげてるんだろうけど、そも彼(彼女かも)は、どこからやって来たのか?

住宅街のそれもやや車の通行が多い道際。近辺に水っ気なし。

遠い宇宙の彼方から銀色な円盤でやって来たわけはない。

当然に、どこからか、とにかくも徒歩というか跳ねながらに、やってきたには違いない。

そこを思うと何やら、ご苦労がみえて愛しくもあるけど、四六時中の、

「ゲコゲコ・ゲッゲ」

が、うるさい。


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何年か前のNHKの「クローズアップ現代」で、

「川のせせらぎがうるさい。なんとかしてくれ!」

とあるキャンプ場の管理人が実際に受けた苦情の1つが紹介されて、いささか信じがたいホドの衝撃を受けたもんだったけど、このバカな事例と我が輩の"うるさい"は、同根なのかど〜かを…、まずは考えて、

「それとこれは別じゃ!」

と、見極めた上で、その

「ゲコゲコ・ゲッゲ」

は、自然音じゃ〜あるけれど、パブリックに属さないパーソナル・レベルな"ノイズ"だと、察した。


先日やって来てホッコリ笑った親族の昆虫学者氏いわく、

メダカ金魚稚魚、食べちゃうよ」

とのコトもあり、駆除でなく、移動をば願おうと…、ある日の午後、昆虫アミをば持ち出し、ただの1匹を追った。


ひどく苦労するものでもない。庭池は小さいし、彼は呼吸のために定期的に浮いてくる。水中にジッと逃れ潜むのを続けられない。

捕まえ、近場の用水路(今は田植えのシーズンゆえ水量がやや多い祗園用水の末端)に引っ越してもらった。

カエルめは、しばし、キョトンとし、我が身に何が起きたか掌握できない様子だったが、やがてひとかきし、水中に消えた。


さて、これで静かになった…、のは束の間。

某日某夜の雷をともなったかなりの雨の中、またどこからともなく一匹が侵入し、

「ゲコゲコ・ゲッゲ」

新天地ハッケンの悦びみたいな声をあげだした。

しかもこの1匹は産卵のためにやって来たのだった。

翌々日だか、睡蓮の浮き枝にビッシリ半透明なのが附いてるんで、

「あじゃぱ〜」

カエルめをまた捕らえて用水に移動させ、睡蓮は掃除してとにかくも産卵場とはならぬよう…、営繕にコレ務めた。


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※ 中央の色黒な葉の下方に透明な卵群あり…。


カエルめはど〜やって移動して来るのだろか?

四方をブロック塀で囲い、川とも離れ、おいそれとは探訪できないハズなんだけど、その予想を軽々越え、カエルめは庭池にやって来る。ここは安全とばかりに卵を産みつける。


思えば…、街のドマンナカ、弓之町(岡山です)に江戸時代の藩学校の入口部分が保存されているのだけど、そこに半月状の池(藩学校には特定のフォーマットがあって、全国概ねの藩学校は門をくぐると直ぐに半月状の池が置かれてたようだ。ほぼ完全なカタチで残っているのはこの岡山遺跡のみ…、らしい)があって、今は大量のスイレンが浮いてビッシリ。


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驚くことにここにもカエルめが、いるんだ。

街のドマンナカだぜ…。

夕刻訪ねると、ハスのあちこちで、

「ゲコゲコ・ゲッゲ」

鳴いている。

わいて出てきたような感が浮き上がる。

古池や かわずとびこむ 水の音

かつて芭蕉はそんな情景を詠んでくれたけど、かわずめがどこからやって来たかは詠んでない。まして地表の様相が今とは大違い。

かわずめは どこを跳ねてや いで来るや

と、対抗の句を捻出してみるものの、これでは思考停止だね。


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かつて1941年、ディズニーアニメーションに対抗してフライシャー兄弟が『バッタ君町をゆく』という秀逸な短編を創ったことがある。

車に怯え人の歩行に怯えつつも何とか町にバッタが辿りつく次第を描いただけのものじゃ〜あったけど、そこを踏まえると、うちの小さな庭池にたどりついたり、藩校のそこにやって来たヤツは、幸運と強運を兼ね備えた希有な1匹…、ということになるのかもしれない。


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が、しかし、うちの場合は必ずしもラッキーとはいいがたい。

アミを手にした我が輩が、

いざ捕らえん かえるピョコピョコ ミピョコポコ

悪魔的形相でもって、季語なしの排除モード全開なのだった。

2017-06-30

殿さんの茶の湯 part3


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近頃の"現代アート"な各種の催しと作品にボクはわりと辟易している方、だ。

わけても、空き地を利用のそれには"芸術ゴッコ"の感しか、受けない。

つい最近も、こんなのが天神山にポコンと置かれて、場にそぐわず、いっそ滑稽、いっそ醜悪を感じた。

場にそぐわない、というのはボクが天神山界隈の明治期あたりからの歴史をチョットかじってしまっているせいもあろうけど、唐突な異物、としか眼に映えない。

展示物なんだから触っちゃダメよ…、の柵ごしらえも滑稽。

この展示物の近くの小さな公園にある、セメントの滑り台の方が、よっぽどに魅惑あり。


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かつて「秘宝館」なるケッタイな見世物舘が全国にあって、ほぼ100パーセントそれは温泉歓楽街の場末にあった次第ながら、猥雑の中のエログロゆえの硬質っぷりといった…、1本の俠気に似る"思想"が充満していたという気が今となってはしないでもない。

ボクが直に接したのは四国の某温泉街で、それも40年ほど昔日のことだから、かなり記憶があいまいになってるけど、男女の"性事"におけるアレコレを、赤面するような熱心さでもって果敢に展示している、その熱心温度にびっくリした次第が、「俠気」としてボクの中では知覚され今にいたる。

ここでの"俠"は、それがためなら命も惜しまないといった一生懸命っぷり、その気概という感じで使ってるんだけど、いっそ、現代アートのそれよりはるかに、思想の厚み有り…、とボクは思ったりもする。

秘宝館」の展示物は観念的なものでなく、徹底の具象なのだけど、徹底ゆえにいみじくも壮大を引き寄せてしまっているような、あげく、

「カッカッカッ」

大笑するような妙なアンバイにくるまれるのだった。


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茶の湯のことを伝統的芸風…、とはボクは思わない。いっそ現代アートの域に本来はあるものだと、思ってる。

茶の湯エログロ秘宝館ゴッチャ煮るのはヨロシクない流れだけど、感じられる共通点は、ラジカルな美に裏打たれた仁義…、みたいなとこ。

井伊直弼の『茶湯一会集』を読むと、どうもその仁義配分が重すぎる感もあるけれど、ま〜、そこは見立ての問題。

自身を型にはめつつ同時に型から脱出するみたいな、あるいは、ヤクザのメチャなふるまいと一方での仁義任侠を重んじるアンバランスなラディカリズムみたいな、同時発生の2極な分離に面白みをおぼえる。


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茶の湯には、強烈な求電力と放電力が同時におこってバチバチ火花をあげている…、と見ている次第。

それゆえ最近やたら、茶の本に接して、いわばラジカル・ミステリー・ツアーをやってるわけだけど、まちがっても"茶道検定"の類いは読まない。本屋さんのお茶関連のコーナーの大半がそれだね。

それじゃ〜発火しないよ。


しかし、江戸時代から明治時代になった時、茶の湯がひどく廃れたのは事実なのだった。

閉じた国が開かれ、途端、一気怒濤で入ってくる西洋のモロモロ。

それと同時に日本の伝統的なモノモノを、

「古臭ぇ〜!」

と思ってしまう風潮がおきた。

だいたいが…、右へならえが好きな国民性。なが〜い江戸時代の諸々な強権に対しての処世術がそんな体質を育んだとボクは思ってるけど…、昨日まで愛でたものを突然に捨てることもする。

銀座珈琲よネ〜っ」

がカッコ良いとなれば皆なが倣う。

この伝搬速度は速かった。

馴染みない苦みに砂糖の需要もドッカ〜ンと増えた。輸入の砂糖が珈琲の魅力をアップさせ、その勢いで、大日本製糖といった独占企業も出て、どえらく儲けもした。

さらには、土壁より煉瓦でごじゃる…、と西洋建築が全国で一気にニョキニョキ。

当然に煉瓦国産化に向けて見よう見まね、全国アチャコチャで工場がニョキニョキ。


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※ 明治錦絵小林清親の「日本橋夜」


ただし土足で歩ける室内環境構築までは進まない。

靴の製造という新規事業に、「皮を扱うのは…」と頑強頑迷差別意識が邪魔をした。

神道の「穢れ」「不浄」といった概念のこれは悪しきトンデモ弊害だったと思うけど…、さらには、明治政府神道国家を標榜し、仏教を軽くにあしらったもんだから新たな誤解が生じ、廃仏毀釈というメチャも起きた。

茶の湯はその仏教文化と密にからんでいたから、打撃もまた大きかった。

もちろん1つには、幕府や諸藩が援護していた茶の湯の緒流家元および茶坊主組織が、幕府と藩の瓦解によって禄(収入)を失ったという事情もあるけど、西洋的なるものへの蠱惑が茶道をふくむ日本独自の芸術を一挙に軽視させてった。


れんめんと続いた茶の湯文化は、明治のスタートと共に最大の危機を迎えたわけだ。

その期間はおよそ40年におよぶ。

ラフカディオ・ハーンはこの時期に日本に居て、なくなってしまった(part1を参照)。

だからこそ、岡倉天心の踏ん張りなくば、はたしてどうなってたかしら? と思わずにいられない。天心の面目は、かの思想書『茶の本』を米国で英語でもって出版したことだろう。


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茶の本』は日本で日本語で書いてもさほど話題にならなかったと思える。

『The Book of Tea』として、外からやって来た日本再発見というカタチがよかった。


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天心の著述で、けったいな西洋一辺倒の潮流に堰が出来た。(むろん、それだけじゃ〜ないけど)

鹿鳴館での過度の模倣や激情から醒まされ、復古の温度が上昇した。

滑稽な自分たちの姿にやっと気づき、赤面もした。

(上の写真・板垣退助とその奧さんと娘さんの不本意な洋装)

岡山の場合でいえば、明治到来と共にまったく売れなくなった備前焼が、また売れだしはじめる…。

池田家の大庭園・御後園(後楽園)を残そうという運動もおきる。

その点でとっても損したのは島根の方々だったかもしれない。


テンヤワンヤの元凶は、黒船というカタチでの外圧だった。

ノックの強さに日本はあわて、拒絶の意志として、急ごしらえのお台場(重い砲を置く台座)を品川湾中に設ける。

そこにあったのが島根松江藩江戸屋敷。かの松平不昧がかつて造り、自慢した大崎園だった。

(不昧についてはコチラを)

坪数2万2千の大庭園。茶室はいったい幾つあったやら。

(今に残る初期の図面によれば、その数は11棟。庵の増築の可能性も高い…。ちなみに岡山後楽園は1万7千坪)


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※ 園内のごくごく一部の図面


これを、幕府が臨戦の危惧に泡くって没収、周辺の海際の土地を含めてブッ壊しての大砲設置なのだった。

伝統的芸能的かつ心を磨きに磨くような茶事の場が、いわば外圧がために踏み躙られフッ飛んだワケだ。

不昧が生きてりゃガックリ以上の憤怒に色をなしたろうし、今や「お台場」は誰もが知る所だけど、そうなる前の、お茶のための巨大施設のことは忘れられてるんだから、損という他コトバがない。


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※ 谷文晁が描いた蔟々閣(不昧の庭園内の茶室の1つ) 島根県立美術館


ボクが今接したい本は、「茶の湯の歴史」とかではなく、「茶の湯から見る日本」というカタチのもの。

これが意外とない。なのでこうやって一文してるワケでもあるんだけど、ね。

明治の日本は水いっぱいのバケツがひっくり返ったようなアンバイな時代だったとは、思う。

大量の雑巾が必要だったわけだ。で…、部分はまだ乾いていないの。

2017-06-26

殿さんの茶の湯 part2

茶の湯の普及。仕掛けを造ったのは信長だ。

室町期の寺々でもって一気に萌芽し、同幕府歴代の将軍達を悦にいらせ、けどもあくまで嗜好的文化事象だったのを、パンにバターを塗って濃くみを増すよう…、政治事象に組み入れた。

無粋な田舎豪族の頭どもに、領土より茶事のための一品、名器名物なる瀬戸物に価値ありとブームさせ渇望させた信長はこのコペルニクス的大転回でもって、もっと顕彰され、この部分をより深く考察されてよい。

鉄砲の威力より茶の湯に、彼は豪快と深淵を見、五段活用フル動員でビジョンを描き、そう運ぼうとした。茶の湯でもって日本統一を企てたといっても過言じゃないだろう。

"名物狩り"なる過度な強制などやりつつも、平和主義への転換とはコトバが過ぎるけど、信長の中で変化が起きていたことはたぶんマチガイない。

けども、断たれた。


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※ 九十九髪茄子(つくもなす)。室町幕府第3代将軍・足利義満が秘蔵した唐物茶入。代々が使い、15世紀末頃に村田珠光が九十九貫で購入し、その名になった。さらに後に持ち主が転々。千貫で手にいれた松永久秀が半ば脅され松永家の安定と交換のカタチで信長に譲った。

本能寺の変で焼けたと思われたが、奇蹟的に掘り出され秀吉の所有となる。


秀吉信長の振るまいをコピー踏襲し、大いに真似たあげく、宗二(そうに)や利休を刑死させるほどの茶番をやらかして迷宮に踏み入り、そのあとをリアリスト家康がカタチとしての茶の湯の効能を引き継いだ。

大坂城落城で彼が手に入れたのは、最高権力と、秀吉が収集した名物の数々の没収的継承だ)

茶の湯の"しきたり的行動"の基礎基板は孫の家光あたりで定着したと思う…。


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※ 徳川家3代目将軍・家光の肖像。


家光が鎖国で国を閉じるや、茶の湯はいっそう裾野を拡げてく。

戦闘がための刀が次第に美の含有率を高めて象徴的かつ芸術的なモノへと昇華したように、茶の湯もまた、利休の頃の生と死の端境における美学的何事かから、その理念は残したものの芸道へと昇進してった。

すでに戦国期ではない事実を事実と波及させるに、茶の湯の"定義"の変更もまたこの時点では必需だったろう。

安定剤の核としての茶の湯の政治的ルール化がここで起きる。

ルールの基板が硬められ、幾つもの茶道家元を興隆させ…、定着させてった。

求道が芸道に色を変え、所作という定形を産んで、ルールは時計みたいに動き出す。


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※ 曜変天目茶碗(国宝)。家康の時代から徳川家が秘蔵していたらしきだけど、家光が乳母春日局の病気見舞いに贈った。

実母より乳母に強く愛を抱いた家光…。その後は局の出身地・淀藩稲葉家が所持。それで「稲葉天目」とも云う。最近テレビの鑑定番組で国内で4つめが出たと話題になり、でも鑑定評価額が数千万だったので、「低すぎる。おかしい!」とニュースになったのが、この曜変天目

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※ 曜変天目茶碗を贈られた春日局(かすがのつぼね)


茶を核にしたルールは、城内での茶坊主というカタチに良く示される。

幼い頃より茶を学び、所作を体得し、帯刀せず、剃髪ゆえに"坊主"ながらも歴とした武士階級の者たち(僧じゃない)。

かれらが茶の湯の手配、来客接待、案内…、諸事万端なんでもこなした。

茶事のみならず、秘書のようにふるまい、常にトップクラスの方々と接するから、禄はさほどでないけど階級は高いという、そこいらの武士を軽く凌駕する影響力ももった。

(茶坊主ピラミッド構造の組織なので位が高いのは1部のヒトね)

秀吉と利休の関係がより合理的組織的に再整備されたと思えばいいか。


この辺り、今の時代劇映画やTVドラマで殿さんが出てくる時に、まったく描かれず登場しないのは、何故だろね? 

きっと予算がないんだね…。実際は、江戸城にも諸藩のそれにも、城内には坊主頭で僧侶のカッコ〜の人物が多数いるんだけど、1978年の深作欣二の駄作『柳生一族の陰謀』あたりから、描かれなくなっちまっただよ。背景の細々よりも千葉真一たちのアクションを"見せ"たワケだ。ぅ〜ん、残念。


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※ 式典準備中の茶坊主集団。1962年東映映画『天下の御意見番』より。セリフのないシーンながら、城の規模、殿さんの格、とかが品良く描かれ、結果、映画に重層な深みが出てる…、とボクは思ってるんだけど。


ここ岡山、池田藩では「御茶道」という役職名がついて組織化され、城を機能させる重要な役を担ってた。

たとえば、5代目藩主の池田治政が天明元年(1781)の5月に岡山へ戻ってきたさいの記録が今に残るが、翌日早々には後楽園内をまずは視察、あれこれ「御茶道」に指示をした上で、翌日から6月の末まで2ヶ月、ほぼ連日に茶会を催している。

5月19日には城内の表書院で「御茶御稽古初めの儀」なる式典も催し、藩主家臣ともどもが茶事の稽古にはげむという構図を、「御茶道」が仕切ってた。

家臣たちも、武芸より、茶の湯の体得が大事というワケだ。


ちなみに、例の赤穂浪士たちが襲撃した吉良家にはその夜は80名前後の職員が寝泊まっていて、うち23名死亡、重傷16名という大惨事となったけど、死亡者の中には無帯刀の茶坊主(たしか15歳で、どこかの茶商の息子で、茶道役の見習いみたいな位置にいて事件の犠牲者にカウントされたと記憶する)もいた。吉良家が屋敷内に茶坊主を抱え(夜間の泊まりとして)るホドの"家柄格式"ということが、ここでも知れる。

昼間はより高位な茶道役が同家に駐在していたはず…。


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※ 1960年東映映画『水戸黄門』の江戸城内のヒトコマ。

このシーンでは訪ね来た武家の手土産を持って茶坊主が殿さんと応対させているんだけど、余談ながら、映画が娯楽の筆頭だった昭和30年前後の東映映画の絢爛は、素晴らしい。

むろん史実無視の娯楽作だけども、殿さんというトップの周辺の描写は以外や克明。なにより撮影規模、セットの大きさが圧巻。江戸城あたりのいわば格式のみが特化した"特殊世界"の描写に映画セットの綺麗キレ〜なセットセットした感じがピタリ符合して、価値あり…。


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※ 『天下の御意見番東映・1962より。将軍(デビュー直後の超イケメン北大路欣也)が茶をたて臣下(片岡千恵蔵)に振る舞うの図。


京都宇治の茶葉を江戸に運ぶがための「茶壺道中」が、諸般の大名行列よりも上位に置かれるというケッタイもおきたのが…、江戸時代というもんだ。

(この詳細はコチラを参照)

茶の湯という形式をメイン柱にしたワケなんだ。


城内での茶坊主の存在は、たとえば、『梅津政景日記』で読み取れる。

梅津政景(うめづまさかげ)は、安土桃山江戸初期における出羽国久保田藩家老ケン茶坊主の武将。

この人の日誌で、茶坊主の日常業務やポジションが推測できる。


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岡山での茶坊主関連のエピソードを1つ、あげる。

池田慶政(よしまさ)が藩主だった万延元年(1860)の2月に、御後園(後楽園)専属の奥坊主筆頭・高取利全の娘と、御後園奉行(園の最高責任者)・安東金四郎の世継ぎたる子息清四郎とが、駆け落ちした。

惹かれ合い夢中になったんだね…。

明治になるチョット前だよ。

当時、そ〜いうのはゼッタイ許されない。ましてや両家ともども、藩主に直かに会うご身分の家柄。

探索され翌月になって2人は、現在の井原市でひっそり隠れて生活しているのを発見され、連れ戻され引き離され…、清四郎は父の金四郎に、娘は父の高取利全に…、首をはねられて死んだ。

(「池田家文庫」と「御後園諸事留帳」の2誌に記録がある)

タイムマシンがあれば、救ってあげたい若い2人とその父親たちだ。

痛いね。


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※ 岡山後楽園-栄唱の間。能舞台正面にあって、能見所(のうけんしょ)とも。


後楽園を舞台に、そんな悲痛この上ない悲恋もあったわけだけど、こういうのも今は知られていない。知って、近所のスーパーのポイントが増えるわけでもないけど…。

ともあれ、お江戸時代の殿さんの周辺には茶坊主あり…。

茶の湯が核にあった時代なのニャ。


またつづきます (^_^)

2017-06-22

殿さんの茶の湯 part1

大作『神国日本 解明への一試論』を書きあげ、小泉八雲と名を変えたラフカディオ・ハーンの日本在留期間と、茶の湯の衰退期は一致する。

だから彼の本には、どこにも(ボクが読んだ範疇で)お茶が出てこない。

急死なく、も少し長生きしていたら…、茶の復興を直かに見聞し味わって、きっとそれは本になったろうと思う。これは不幸だった。

日本というカタチを構成した大きな柱の1本に、彼は接することが出来なかった。


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ハーンの眼に映じた松江の城は異様なもんだった。

かの茶道フリークの松平不昧の城でもあったそれは、主を失い、機能を失い、エンストして放置されて埃にまみれた大型車みたいに、巨大な廃墟と化している。

彼は「神々の国の首都」で、


灰色一色の広大で不気味な形をそびえ立たせ----------

異様な厳めしさ----------

巨大な仏塔が、二層、三層、四層と、自らの重みでだんだんと押し潰されたかのような----------

怪奇なものを寄せ集めて出来た竜のようで----------


異様、不気味、怪奇、とダークな単語を連ねる。(池田雅之訳/角川ソフィア文庫

おごらず、素朴で、しかし神々と共に日々をおくる庶民的日本の姿に魅了された彼の眼にしてみれば、権力者の廃屋はドラキュラ城のそれに連なる強張った古怪なものであったに違いないし、おそらくは畏怖もおぼえたろう。

彼は、荒廃した松江城に登って下界を展望しての感想で、


鷹のような気分を味わえ----------

眼下に城内の道が見下ろせ、そこを歩いている人たちは、蝿ぐらいにしか見えない。


立場の違う眼がどう動いていたかを知覚してもいらっしゃる。


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※ 明治初年に撮られた松江城


けども、その権力者らがどう跋扈し、機能し、何を中心に置いて生活していたかまでは思いを深めない。

極めて日本的行事たる"茶事"がそこで行われ、それがどれほどの文化的度合いで裾野を拡げていたかまでは、眼が届かない。

色の3原色から1色を抜いたようで…、これは実に惜しい。


けども一方でハーンは庭園について、かなり詳細な部分にまで眼を向け賞賛する。

「日本の庭にて」(『日本の面影』の1篇)を読むと、庭に親しみ、さらには活花に接し、自ら活けたこともわかる。


その実践的な知識を得るには、直感的な美的感覚に加え、何年もの研鑽と経験を要するため、あくまでも見よう見まねで学んだ程度に限られるが----------


そう大いに謙遜した前書き(これが素晴らしい)を記してから、活花の本質を探ってみせる。

ただの一輪を活けるために時に正座したまま一時間以上かける、エネルギーの有りよう、精神に、彼は感嘆し、その美への探求姿勢を賞賛する。

そして大胆にも、

「西洋のフラワー・アレジメントに関する観念がいかに通俗的なるものか----------」

と比較し、こうも書く。


西洋人が「ブーケ」と呼んでいる花束などは、花を生殺しにする卑劣な行為であり、色彩感覚に対する冒瀆であり、野蛮で忌々しい蛮行に他ならないと思うようになった。

日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを作っていったい何を残そうとしているのか----------


数ページにわたって極めて強い批判を紡ぐ。

しかし、ここでビックリするのは、その対比、花一輪への思考についてが、かの岡倉天心の『茶の本』の第8章「花」と、ピタリと一致することだ。

部分を抜き書きすれば、天心が書いたのかハーンが書いたのか皆目ワカランほどに心情が合致してるんだ…。

もう1人の岡倉天心が、ここにいるワケなのだ。


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※ 小庭のハス1輪。さすがにこれは活けられない?


日本の面影 1894(明治23) ホートン・ミフリン出版社刊

茶の本   1906(明治39) フォックス・ダフィールド社刊


実は上の通り、天心よりハーンが先んじて、花を書いている。

けども、惜しいかな…、一輪の花を活けるという行為の根底部での茶の湯という"事象の存在"が、彼には欠けてるんだ。

ハーンには、花を活けるという動作と、茶をたてる動作が、1つの流れ、1つの閉じた宇宙、としてあったという事の仔細が抜けている…。

その欠落理由こそが、江戸から明治への激変期での茶の湯の衰退なのだった。


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天心の場合は、そうでない。彼は明治以前の日本を存分に知っている。自身が庵を造ってそこで日々を送ってもいる。

でも、来日のハーンには、

「先生っ。このように茶はふるまいます」

そう教えてあげる人がいなかったと想像できる。

松江は今は山陰山陽地方最大のお茶文化の地を誇るけど、それほどにこの時期、茶は衰退していたんだ、な。

おもえば惜しいことだった。


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明治以前、なが〜く続いた江戸時代の支配階級社会を、ヨウカンをカットして芯部分に何があるかと眼を近寄せ顕微鏡っぽく眺めると、栗も小豆も出て来ず、茶の湯がドデ〜ンと座っているのが見える。

茶の湯と能がセット・メニューになっていることも、多い。

しかし歴史書は、そのことにページをさかない。


江戸期の殿さんの"仕事"は、ベチャっといえば、子供を作ることと茶の湯だ。

子作りはその体制維持の要め、継続な血統こそイチバンの世界なんだから、殿さんは夜ごとお励みになる。

"性治"だ。

一方の茶の湯は、儀礼の要め。これは心得がしっかり出来てないと対面に関わる一大事。茶事をこなせない殿さんは殿さんでない。

それに能が加わる。概ね、殿さんは自身で能を舞える。

岡山の場合で一例すると、池田綱政は元禄9年(1696)の8月6日、江戸城内「御座の間」にて、将軍綱吉に能「三輪」を演じ見せている。

帰省のたびに後楽園岡山の)の能舞台にたってもいる。


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※ 曲「三輪」のシテ。池田綱政もこの写真に似通う小面(こおもて)と装束で舞ったんだろう…。

池田家の後楽園(御後園)利用で特筆なのは、能を家臣らだけでなく一般ピープルにも見せたこと。この綱政の場合でいえば、たとえば宝永4年(1707)の9月17日公演では467人、正徳4年(1714)の公演では806人の民衆込みの観客の前で、入場料もとらず…、藩主自身が舞っている。(池田文庫「日次記」)


能と茶はコインの表裏ではなくって、どちらもオモテ面だ。

ただ、江戸時代の大名茶は…、利休の頃の革新も前衛もなく、利休の頃の模倣を出るものではなかった。

後楽園江戸時代は御後園が正式名)には大きな茶畑があり、毎年かなりの茶葉が園内で蒸され干され、造られた。

イチバンに出来の良いのを江戸備前岡山・池田屋敷の殿様に送り、次ぎのを城内で使用し、残りは売った。

売って、後楽園の維持費を捻出していたようだ(それでも足りないけど)。

これはちょっと…、ボクには意外だったけど、茶の湯に用いる抹茶京都から取り寄せていた。

後楽園の茶葉は日常での煎茶に用いたようである。

極上は宇治に有り、という既成を越えようとはしなかったワケだ。


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それは茶の湯前提の庭造りにもいえる。いわば形式が踏襲されるばかりで昔の庭のコピーの量産といって…、いいかもしれない。

徳川体制は変化を嫌い、ただその温もりの中での"しきたり的行動"に軸足がおかれた。

だから多くのモノ造りもその範疇にあって、建築も作庭も、まずは棟梁がいて、職人はそれを真似てくコトが大事、徒弟制度が極まり、独自カラーを出すというようなコトも出来ないし、しなかった。

「前例がない」という役所コトバと態度に代表される現状維持を好む癖は、ながい江戸時代発酵させたといえなくはない。

ただし、重箱の隅を突っつくみたいな細部へのこだわりはメチャに深くなってった。たぶんにこれが今のオタク的文化の根底にある水脈につながっていく…。

材質素材の吟味、工程の精度、仕上げの丹念、ちょっとのメダマと感性じゃ判らない部分でとんでもないエネルギーが費やされる。


停滞した日本式な庭園を見直したのは、前回記した重森三玲が嚆矢だろうけど、今回は触れない。


つづく (^_^;

2017-06-17

庭と茶室 ~重森三玲記念館~

重森三玲が産まれ育った吉備中央町に、彼の庭園と茶室がある。

見学に出向く。


あえて最初に苦言を申せば、吉備中央町のオフィシャル・ホームページはよろしくない。

重森三玲記念館」で独立したページを設け、一見判りやすいが、実はこれがトラップだ。

そこに記載の緒施設は、1つ場所にない。

出向く直前に気づいて、

「あっれ〜〜」

眼を丸くした。


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たとえばホームページ・トップの写真「夕琳の庭」は、これは吉備中央町役場にあり、重森三玲記念館とは10Kmばかり、離れているのだった。

ホームページ上では1カ所に全てがある、としか読みとれない。


一家に遊女も寝たり萩と月


ではなく、萩なるはヒトツヤにいないんだから、さてさて、もっと丹念に"情報"を発信して欲しいと願わずにはいられない。

三玲が生まれ、諸々を残してくれているんだもん…、もっと堀り込んで、

「えっ、これが行政ホームページにゃの?」

ビックリするほどの飛びっぷりを発揮してくれなきゃ〜、イケマセン。

町(加賀郡)にとって資産だよ…、もったいない。


明治に生まれ、昭和の前半に躍動した重森三玲は33歳で「いけばな宣言」を出し、やがて独学で日本庭園を研究しはじめる。

停滞しきった日本庭園のカタチを再呼吸させ、やがて自ら多数を造園する。

日本庭園』などとボクらは4文字で書いて一括りにしてしまいがちだけど、一括りで語れない歴史がそこにはうずくまる。

平安期と室町期では庭はまったく違うカタチをみせる。三玲はそれを丹念に分類整理し、かつ新たな息吹をふきこんだ。


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彼をおぼろに意識したのは、シャープのCM、吉永小百合の背景として京都の「重森三玲庭園美術館」が使われていた頃だから、も〜、だいぶんと前になる。

その頃のシャープは、文字通り、尖ったところのある企業だった…。


こたび訪ねたのは、岡山吉備中央町の「重森三玲記念館」など。

公民館をかねたそこには資料を収集した舘と「天籟庵」がある。

「天籟庵」は三玲が19歳の時に設計し自宅に設けた茶室

籟(ライ)とは風がものにあたって発する音だから、天の音が聞こえる茶室ということになる。

ひょっとすると三玲は、この作品を"解説するため"に生涯に渡って作庭をし続けたのかも知れない。

庵の手前には晩年になって露地として造った庭。

今や重要文化財の指定を受け、写真撮影禁止とものものしい。


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写真で見ていた限り露地は平坦な感だったけど、実際は、凪いだ海面のように、一面うねるように大小の起伏がある。

処女作の茶室と晩年作の庭の響宴。

最初と終わり、1人のアーチストのカタチが円として閉じてくような様相を感じてしばし息をのむのじゃあるけれど、庭南面の腰掛待合の背後にでっかい電信柱と無数のライン。


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※ 垣の向こうが庵(左)と庭。右手の電柱と伸びたラインがすべてを壊している…。


これは庵が移築された後に出来たものらしいけど、行政と電力会社とNTTの無粋が極まる。

せっかくを台無しにしている。というよりメチャだろう。

寄り添うようにして解説してくださった同館の学芸員さんにそのむね告げると、

「でしょう…」

苦笑ってたが、ボクとしては、

「笑ってる場合か…」

じゃ〜あった。

借景となる山も遠く広がる田舎の光景。狭少な場所じゃない。埋設させることは容易なはず。この無粋に今の日本の悪しき本質が横たわってる。


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さてと、「友琳の庭」。

これは「重森三玲記念館」にはない。

10Kmほど離れた、吉備中央町役場にある。

昭和44年に京都に造られ、後、この役場に移設されたもの。

近代日本庭園の傑作、という。


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いまだボクは…、正直な感想をいえば、重森三玲の良さが判っていない。

かねてよりコンクリートやセメント造りに拒絶がおきる方なので、傑作です、と云われてもそのまま呑み込めない。

なので、はじめて役場の中庭(それが夕琳の庭)に接して、けっこ〜揺れた。


自分の中で既成化され固まっている茶室や庭園のカタチに、融通のない保守をおぼえさせられた。

この浅い水のある庭を、例えば自宅に持ってきても、ボクは愛でるかしら? そういう声がお臍のあたりから湧いてでた。

でも同時にまた、茶ー茶室ー庭、3つ揃いの意図的限定空間を最上に意識しての心の置き方を研ぐなら、むろん役場なのでお茶はないにしろ…、これこそが現代のそれなのか…、とも思わなくはない。


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ま〜、さほどそれほど、アチャコチャの庵にも庭にも接したことがないんで、迷妄がうずいてグラつくのはあたりまえなのだけど、そんな気分を味わうということは、利休や宗二たちが"運動"した革新精神が三玲作品にはみなぎっている…、というコトにもなるんだろう。

燃焼と昇華、そして加速の度合いが三玲は、デッカイ。


例えばかつて…、利休の茶室を夜明けと同時に秀吉が訪ねるというコトがあったさい、利休は庭のアサガオの花を全部刈った。

秀吉は早朝の花の華やぎと勢いの中での茶湯を求めに利休を訪ねたというに、アサガオがない。

しかし茶室に案内された秀吉は、竹筒にさされたアサガオのただの一輪を見て、

「あっ」

と、息をのまされる。


三玲の作庭は、そこだ。

奇をてらうものではなく、セメントという素材が新規だったのでもない。核となるものをどう抽象し極めるかに、かかってる…。

だから余計に判らないとも云える。

デザインをするというコトと、事物を抽象化しようとするコトの2つの点がここで溶融しているとは判るような気もするけど…、その真髄をボクのような入門者にはまだ解けない。


本質は、「幽玄」なのだろう。

暗くて、かすかで、静かな…、とかな今風な"幽玄"ではなく、14世紀南北朝時代にまで遡っての「幽玄」。

世阿弥は、

幽玄の風體(ふうてい)の事 諸道諸事に於いて幽玄なるをもて上果とせり」

と云った。


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"優雅な美こそが最上"

とでも訳したらいいのかしら? そこを三玲は三玲の感性ではこうだと、極める作業をおこなったと思える。

世阿弥のそれは具象から抽象へと進化すべきな方向を示唆しつつアレコレを含有して単純でなく容易でもないけども、たぶん、三玲はそこの深い部分で共振をおこしてらっしゃる。

能の舞台装置、茶の湯、花…、それら要素中の時空を越える消息に共振してらっしゃる。

いや、だからこそ、借景を含む空間そのものが作品と思えば、あの電柱とラインは冒涜以外のナニモノでもない、ひどい障害物。


次いでゆえ付け加えるが、役場中央に置かれた「友琳の庭」の、センサーで自動的に再生される解説アナウンスの、そのバックに流れる琴の音は、やめていただきたい。

日本庭園イコールお琴の調べという陳腐な使いようは、正直、辟易なんだ…。

アナウンスは許せても、安易に邦楽を使ってはいけない、それは音楽に対しての冒瀆でもあろう、とそう感じる。

安直なイメージを押しつけないで欲しい。

ほぼマチガイなく、こういう音楽使用を当の三玲は、イチバンに忌避したはず。

むしろ、いっそ、彼の作庭の根幹理論では、たとえば80年代のセックス・ピストルズのような、あるいは、その80年代後半のコミックス「アキラ」を原作とした映画の芸能山城組のサウンドのように、ブッ飛びこそが合致するよう、思える。


車を駆けらせ、生家跡にも出向く。

信号がほとんどなく、駆ける車がメチャに少ないのもいいけど、吉備中央町はとにかく広い。

やや判りにくい場所。

我が車にはカーナビというチャーミングな機器を搭載していないんで、同行者が農作業のおばさまに、

「あの〜、スイマセンがぁ〜〜」

と、尋ね、やっと判る。

記念舘に「天籟庵」が移築され、そこには広い屋敷跡と19歳当時造った茶庭が残る。

ちゃんと整備されている…、のだけど案内の掲示がないんで道が判らなかったわけだ。


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見るに、なるほど、若く、荒く、シロウトの眼でも傑作とはいいがたい。

が、原点だ…。ビックバンはここから生じた。

2017年の今も、そこは…、な〜〜んにもないド田舎。いったい、どうやって三玲は三玲として自身を跳躍させたろう…。

このビッグバンは無からはじまったワケはない。

その大爆裂の元となったのが、生家に近い吉川八幡宮だったろう。

幽玄が何であるかを、おそらく幼少の三玲は、ここで遊びつつ自然学習したのじゃなかろうか?


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10月1日から丸ヒトツキを費やす、古代から今につらなる「当番祭」の神事にも充分馴染んでいたはず。

平安期から今に至る時空のつらなりも大きく意識したろう。空間概念と時空概念を、ここで彼は意識し、独自解釈したよう思える。

ご神木たる巨木にも圧倒を見いだしていたろう。

その木は、三玲の頃よりさらに背丈を伸ばし、1枚の写真に納めきれない。


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その上でもって、ただの伝統的延長ではなく、三島が『近代能楽集』で今の能表現としてそれらを書いたと同様、三玲は擬古的でなく、今だからこその活花を考え、茶室を考え、庭を考え続けた。

ったくもう、眩い存在の三玲さん…。

三島由紀夫重森三玲は同時期に同じくして、「美しい日本」を幻視していたと思えるが、美しい、というのは難しい。

『近代能楽集』の一篇「卒塔婆小町」に倣うなら、少なくとも100年の単位でそこを見た方がいい。

100年先にもう1度、吉備中央町に出向いて三玲の庭で、どのような感じを受けるか…。

2人の対談がもし可能であったら、日本文化の有りようを示唆する大きな収穫だったろう、とも密かに惜しむ。


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山間を車で移動。

宇甘川の近くの片山邸へ。

三玲とは関係はないけど、昔日の豪商宅。

一見は平屋だけど総2階の構造。

ここはもう何10年も前から見学可能だと…、存在は知ってたけど、通過するのみだった。

食事をとれるとも、思ってもなかった。

はじめて探訪。


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とても凝った食事という程じゃ〜ないが、味のしみたアミダイコンやボリュームあるが淡泊に味付けのチキンの揚げ物など、プライス含め素朴の程が、とても良かった。

無愛想じゃ〜ないのだけど、こちらとは距離を置いた同館同店の女性スタッフの対応も、商売っケがないと云えばそれまでだけども、初探訪の印象として悪くはない。

気兼ねなく、ユッタリする。


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同屋敷の、江戸時代後期のお風呂。

ユッタリには遠いサイズだけど、お江戸の昔も今も、湯につかって「ホッ」は同じだったろう、な。

蝋燭の灯りの中で淡く揺れる、おじさんの背中をこっそり想像した。

10年前なら女性の背中を思い浮かせたろうけど、あれまっ…、枯れたもんだ。

2017-06-12

神秘の島 ~ネモの描き方~

海底二万里』と、ネモの晩年が描かれる『神秘の島』。

どちらがよりたくさん映画化されたかというと、後者の方。

ドラマに仕立てやすいからだろうし、そも『海底二万里』はディズニーの名作があって、これを越えるにはJ・メイソン級のカリスマ的卓越の役者や、かのノウチラス号より素敵と思える秀逸デザインを打ち出さなきゃいけないし…、気づくと1つの規範みたいに立ちはだかる。常に比較されもする。

その点で『神秘の島』は島1つが舞台で狭い艦内というワケではないから脚色しやすいし、膨らませ方次第でパンにでもケーキにでも転用出来る。

なので、『SF巨大生物の島』みたいな1時間半の映画も作れるし、『ミステリアス・アイランド』みたいなTV用の連続シリーズも組み立てられる。若年向きな『センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島』のようなバラエティっぽいのも造れちゃう。


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でも、どの作品も皆な、ネモに不幸をあたえているのはどういうワケか?

『神秘の島』を原作とした長編TVシリーズは、ネモをパトリック・スチュアートが演じた『ミステリアス・アイランド』と、カナダ米国のタスマンフイルム&テレビジョン共同製作でNHKだかで放映された30分全43話の『ミステリアス アイランド』があるけど、いずれもネモはヤッカイな人物のうえ、何やら悪役に近似の位置で描かれているようでもあって、描かれ方もステロタイプにして平坦、魅力的とはいいがたい。しかも、最後は悲壮…、およそ合点がいかない。

ディズニー版とても、メイソン演じる彼は撃たれて致命傷を負い、さらに大渦巻きの中に沈むノウチラス号を描いて、結末は苦い。

まるでもう、社会に順応しない奴の末路はこうなるんだ的な物語りの閉じよう。ただの1作品も、ネモを好意的に描かないから、不満がくすぶる。


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なるほどたしかに、ネモはメンド〜な人物に違いない。

気難しく、いっさい自己流で偏執のさいたるカタチを取り続けるし、"国家からの独立"を主張する反社会的存在、アウトローである。

けどもそれらはあくまでも体制側大勢な立ち位置からの視点なのであって、作者のヴェルヌはそこに軸足を置いていない。むしろネモの傍らに寄り添っているのじゃなかったか。

あえて孤独の渦中に身を投じ、それゆえ苦悩が次第に嵩むネモに"人間"をみている、のではなかったか。

ネモが文化の破壊者でないのは原作を通読すればすぐ判る。

2万冊を越える蔵書、数多の絵画、数多の楽譜…、「人類が作り得た良品」の数々をノウチラス号にアーカイブし、大事にする。

人に嫌悪しつつ人を愛する、その自己矛盾を抱えたままに、原作の『神秘の島』でのまことに静かなネモの臨終は、ヴェルヌのネモへの愛情と憧憬が交ざっているようでもある。

その消息が…、どの映画でも描かれない。

常に対立する人として描かれ、ま〜、そこは了解出来るとしても、彼は主人公らにとってのヤッカイな巨壁、ときにマッド・サイエンス、ときにテロリストのごとき有り様で、往々にわざわいの元凶と描かれるに終始する。その挙げ句として彼の破滅が結尾に置かれる。

これは、歯がゆい。

そうじゃないだろうと…。


ヴェルヌが描いたネモは、皮肉の嘲笑はたえず自身にも向かい、他者を嘲るほどに彼は自傷に苦しむのではなかったか。その孤独なエゴイズムエゴイストとしての自身を造型し、ついにその繭から手足を抜け出せなくなったと思われた刹那、彼は、

「もう充分だ…」

と、荒れ狂う波頭にノウチラス号を委ねるままに兇猛な苦痛をついに吐露したのではなかったか…。

ヴェルヌの描きたかった核たる部分、人としてどう生きるかをネモという人物に託し見せたそこを、いまだ映画は表現していない。


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シェーン・コネリーのほぼ最後の主演作となった『リーグ・オブ・レジェント』ではネモとノウチラスが重要な役として出てくるけれど、ここでのネモはなるほど原作通りに彼をインド人に設定したものの、カースト的悪しき身分制度の頂点に君臨するただの戦闘潜水艦(しかも原子力船)の艦長でしかなく魅力に乏しい。乏しいというよりも…、"使い方"をまちがっている。

目くじら立てるような作品ではないけれど、キャラクターの本来の芯を抜きとって、ただの名義使用じゃいけない。


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マイケル・ケインがネモを演じた『海底二万里 ディープ・シー20000』は、原作を大きく脚色して別種の色合いも混ぜこぜているけれど、意外や脚本に1本スジが入って、数多あるノウチラス号ものの中ではやや上位に置いてもいいようなところがある。

ケインはこの作品でもまた強烈に好演。でもノウチラス号デザインはダメだ…。

この作品ではネモの父性を最大のテーマにする。

従来なかった企てゆえ、これは評価する。

でも…、これとて、その最後を暗く閉じる。

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※ マイケル・ケインのネモ

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※ 同映画でのノウチラス船内


偏屈で卑小な海洋学者の父親に徹底して嫌われた、不幸な、けれどやはり海洋学者として生きようとする若き主人公がノウチラス号に救われ、船内でのネモとの確執と反撥の末に片腕を潰されもするが、血縁でもないネモに大きな父性を見いだすという顛末は…、かなり面白い結末が紡げるはずなのに、なぜか…、破滅でドラマを閉じてしまう。ネモも主人公もがノウチラス号ともども炎に包まれる。

「ぅうう… 救われね〜〜」

と、なので、期待が沈んでガックリ呻いてしまう。


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※ ジョン・パーチ演じるネモ


1995年の30分全43話の『ミステリアス・アイランド』でネモを演じたのはジョン・バーチだけど、彼は上記の、1997年の『海底二万里 ディープシー20000』では若き教授のその父親を憎々しげに好演していらっしゃる。

連続でヴェルヌものに出た俳優は、たぶん彼だけだろう…。

海底二万里 ディープシー20000』では、なぜに我が息子をそのようにサディズムのターゲットとしているか…、はは〜ん、なるほど、再婚相手の若いレディが我が息子の方へホントは興味を濃く抱いてるという描写が添えられているから、先に書いた父性をテーマとするにこれは逆説な意味でも合致して、なかなかホントは面白い。


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※ ジョン・パーチ演じるアロナックス(父)教授


バーチはアクの強い個性があるから、良い脚本があれば、それを活かす監督に技量さえあれば、実によさげなネモになったかもしれないと思うと、メチャに惜しい。

彼が気の毒になるくらい…、キャラクターとしてのネモの造型が際立ってよろしくないのが、この『ミステリアス・アイランド』。ジョン・バーチという良い役者をいかせず、全編を通し観る価値もない…、というレベル。ただもうグッタリの凡作。


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※ 原作『神秘の島』


という次第で、ボクは、ある種のハッピーな終わり方のネモの物語を観てみたい。

いやハッピーでキャッホ〜♪、でなくていい。

ネモは常に全てにおいて悩む人じゃ〜あるけれど、少なくとも原作者ヴェルヌはネモのその晩年に善なる人を見いだしているのは顕かだし、ネモに寄り添っている。

そのあたりの"人間"としてのネモを描いて欲しいな、映画でも。

いや、映画だからこそ、ネモの眼を通したネモの主観を味わいたいんだな。そうすると当然に短絡なゼンダマ人間なんて描けるワケもなかろうし、より複雑味をおびたネモの輪郭をトレースすることになろうけど、今のところ、彼を描ける監督は少ないだろう。

古典を現在と結べる人はそういない…。

ごく個人的感想では、オール欧米の俳優で、大道具小道具の類から特撮部門に至るもすべて欧米スタッフ。その上で監督は原田眞人を推薦したいけど、ネ。

イーストウッドが『硫黄島からの手紙』で、E・ズウィックが『ラスト・サムライ』で日本人を描けたように、原田なら…、ネモを描けるような気がしないではない。

あるいは、『エリザベス』と『エリザベス ゴールデン・エイジ』のシェカール・カブールだな。ネモと同じインド出身というのは偶然だけど、『リーグ・オブ・レジェント』のようなマチガッたネモ像を、彼は造ったりはしないと期待する。


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もう1人、監督候補にしたいのは石井聡互かな…。

今は石井岳龍と名を変えてるようだけど、彼の『GOJOE 五条霊戦記』を観るに、真摯さに驚くばかり。ボクはこの作品を、ボクが観た範疇でのベスト20位の中にいれている。

時代考証のうまさ(平安時代の装束がキチンと描かれていて素晴らしい)、話の巧み、色の使い方、リアリティとファンタジュームの合わせ方、観るたびに新発見のある映画はそう有るもんじゃない…、ので、それで彼も候補

2017-06-07

ネモ船長と海底都市


配給権を持ってる映画全部、大昔のものから最近作まで6000本ほど、DVDとしてホームユースに市販されていないものを、たった1本の注文でもオンデマンドDVD-Rに焼いて個別対応で提供する米国ワーナー・ブラザース。

いわば川の底に埋もれた古鉄(しさん)を回収して販売するような細やかな仕事。映画会社の栄枯盛衰が厳しいから、著作権利が移動した古いMGM映画など、かなりの数が含まれる。

それを1本単位でオーダーでき観賞できるというのは… ありがたい。(2009年より)

残念ながら、基本として米国内でのサービス。


幸いかな、膨大なコレクション中からチョイスという形で、日本国内で字幕をつけて販売という作業もはじまって久しい。

その流れの中、入手した2本。

見れば確かにDVD-R。1枚ごと焼いたのね…、と判って、何やら妙にくすぐられる。

安いわけでもないけど、稀少ゆえの価格とこれは了解しよう。


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『ネモ船長と海底都市』 

  原題:CAPTAIN NEMO and Underwater City

アトランティスの謎』 

  原題:Amazing CAPTAIN NEMO


前者は1969年作。後者は1978年作。

どちらも名作でも傑作でもない。怪作ともいいがたい。ベチャ〜っと云えば駄作。

50年代から70年代にかけての米国の田舎町に多々(4000館オーバー)あった、"ドライブ・イン・シアター"で、彼女とイチャイチャしつつ車内で眺める程度な作品。

米国内向けのTV用に作られ、1回放映され、その後に編集を加えて劇場仕様にしたというだけの、モノ。

スクリーン・サイズは4対3。

「なんでこんな映画をワタシと観たいのよ」

いま彼女がいるとすれば…、当方への失望で爪をこっそり噛むだろう。


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『ネモ船長と海底都市』では、ネモが築いたドーム都市が深海1万8千mに設けられたと説明されつつ、主人公たちがダイバースーツで泳ぐ景観と魚たちは、ロサンゼルス界隈の水深2m程度な所で幾らでも見られる珊瑚や魚だと憤慨するだろうし、いかにもミニチュア模型でござい〜の特撮にも、きっと彼女は鼻白むであろう。

カブトガニの親族めいたノウチラス号のデザインも秀逸には遠い。

「くだんね〜」

彼女の顔にそう書いてある。

けれどボクは、黄金まみれ…、というか、そのドーム都市の中心的装置たる水を生成するマシンの、余剰副産物がゴールドだという、それでゴミ捨て場に黄金が山と積まれている、11歳の少年でもアホらしいと思う逸脱な設定にこの映画の"華"をみる。


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水の生成マシン。この"神像"感覚は、とてもヨイ。

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海底1万8千mでの客人の歓待にテルミンが用いられているところなんぞにも、「ほほ〜」と撮影当時の時代の香りを味わう。

全体はダメダメなれど部分に光るところがアルジャジ〜ノと、細部の温度の高そうなところで眼もぬくもる。


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きっと原作者ヴェルヌとて大いに悲憤の内容ながら、作品として生を受け、こうしてDVD-Rとなってはるか後年のボクがそれに接することが出来ているという、その悦びを歓びとして味わえるのがポイントだ。

999人にはショ〜もない作品でも、ただの1人はこうして評価し、マルとペケをあたえることが出来る、このDVD-Rでのサービスは… とてもいい。


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1978年の『アトランティスの謎』。

なんとも牧歌な脚本。『スター・ウォーズ』第1作目の公開翌年の作品とも思えぬ、けれどちゃっかり『スター・ウォーズ』的光景を挟み込み、音楽に至っては1部で、

「あれ〜!?」

と、耳が立っちゃうようなパクリあり。


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柳の下のドジョウスペースオペラじゃ能がないだろう… とヒトヒネリして海底へ…。

冷凍睡眠中の19世紀末のノウチラス号とネモを現代に蘇らせたのはよかったが、アメリカ国防省と手を組んで、マッド・サイエンティスト率いる謎の潜水艦と闘いだすネモの動向は…、ジョン・レノンが夏の盆踊りで30cm口径程度なスピーカーで声を張り上げているようで、よろしくない。

その過程でネモが海底王国アトランティスを発見するというのは許すが、王国にしちゃ〜登場するのはたった1室。しかもセットの横幅が小さく、登場人物たちは全員棒立ちで会話。

映画は時に想像力要求する場合もあるが、この場合、あり過ぎ。

数万の人が住まう海底王国を6畳の間1つで描こうとする、その凝縮が光る。


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ネモ役は『砂の惑星』で大王皇帝を演じたホセ・ファーラー。マッド・サイエンティストはTVシリーズの『バットマン』でたえず滑稽ゆえ時にバットマンを上廻る人気となったペンギンを演じたバージェス・メレディス

この2大俳優のキャラクターを活かせきれない演出のまずさが… また、とにかく光る。

低予算モード全開で苦笑が続く。

が、また一方で、豪奢なマンション建造を夢見たものの出来ちゃったのは4畳半と3畳の間の文化住宅でトイレは共同ね、もちろんお風呂ナシ…、というアンバイな低予算がゆえに出来なかった諸々を抱えた製作者の悲しみもチラホラ感じられ、奇妙な同情もわく。

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なるほど、観客動員出来なかったワケもよ〜く判りますワ、という再確認も出来る希少性が、このDVD-Rという次第。

万人向きではない。

デートの電圧もさがるに違いなく…、推薦しかねる。

というよりも…、デートに選ぶかこの2本を…、が本音。1978年当時の"ドライブ・イン・シアター"で、もしもこの映画を観た後に、

「良かったね〜」

「ええ、ホント」

しっかり絆を結んじゃうようなカップルがいたなら、ボクは逆に、

「ぎくっ!」

訝しむ。

けども繰り返すが、こうして今、DVD-Rというパーソナル・メディアで観られるのは、ありがたいコト。

貧して鈍した末で1粒のお米の煌めきにうたれるみたいな、逆説を"愉しめる"という点もポイント。

180人には無価値でも、1人にはイミテーション・ゴールド。一瞬の輝きこそが命の2本だて。

2017-06-02

パッションフルーツ移動 ~伊曽保物語~

毎年の冬から春に至るおよそ半年、室内で越冬させていた2本のパッションフルーツ

内1本がダメになった。

薔薇農家みたいに夜間も暖房を入れ、けっこう気を使っていたものの、徐々にグリーンが色褪せ、全体が茶色になってしまった。


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同じ条件下に置いた2本ながら、1本は元気。原因不明。上からユックリ下へと緑が茶に変じてったから、水分摂取がうまくいかなかったのかもしれない。

かなり残念。

けども昨年に、何本か挿し木に成功し、内1本がそれなりに育ってくれた。


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もう6月。

世代と新世代を、小庭に移動。

世代は昨年同様、鉢ごと土中に埋める。

(鉢底の水抜き穴から根を下ろすので、これで良い。また、そ〜しないと、後述するけど根が拡散し過ぎる)

世代は鉢を変えるにとどめ、土には埋めない。


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あたたかくなったとはいえ、室内から室外というのは環境激変。

明け方は気温が下がるし、日中は陽射しに負けもするから、グッタリした姿をみせ、水やりを怠ると大変なことになる。

しばし眼がはなせない。

面倒なこっちゃ。

けども落ち着けば半年の越冬我慢を忘れ、南洋の大らかさでもって、伊武雅刀云うところのモジャ・ハウス的な伸びっぷりを見せるから、そこを楽しみに面倒をば…、呑み込む。

アイビーやアサガオと違い、パッションフルーツの葉が艶やかでとても柔らかな感触があるのも好感。


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成長5年めでダメになったのを、鉢から出し、土を落として根を観察する。

毛細血管のような細い毛根が特徴。

ひと夏で4〜5mも枝葉が伸びる秘訣がここに有り。土中の水分をドンドン吸収するわけだ。当然に根もよく奢る。

この毛細が土中に数メートル拡がる。小庭ゆえ他の植物の根に干渉するのは困る。ゆえに鉢ごと…、のワケだ。


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さてと。

作業(というホドのものじゃ〜ないけど何かそ〜いうとカッコいいので)後、『伊曽保物語』とそのオリジナルを並べ、拾い読む。

「漁師と鮪」がいい。


漁師が海に出て丸1日悪戦苦闘したけど何も獲れない。

ガックリ途方にくれていたら、何かに追われたか鮪(まぐろ)が水面にはねあがり、うっかり舟の中に飛び込んできた。

漁師は捕まえ、町へ持ってって売り、いつも以上の収入を得た。


『伊曽保物語』は、かのイソップ寓話の日本仕様。

原型は室町の末期、戦国時代に入ってた。

現存のイチバン古いものは、信長がなくなってチョット経った頃、天正19年(1591)に、イエズス会宣教師島原加津佐というところに設置した活字印刷機で、その頃の日本口語体でもってローマ字で刷ったもの。

おそらくたくさん刷られて配布されたろうが、その後の弾圧だ…、『華氏451』さながら焼きに焼かれ、日本からはすべてが消え去って、今は英国大英図書館にあるきり。

江戸時代になっての島原での大弾圧までは、1部の日本人はローマ字に馴染んでいたというコトの証拠品でもある…)

ローマ字活用法と当時の日本の口語は今とはかなり違うから、実にまったく読みにくいけど、宣教受難を生き残った稀覯本。たしか大英図書館では国宝級の扱いになってるはずだ。


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いちばん上の2行。

「エソホ(イソップ)が生涯の物語 略」

と、読める。X-Oはショウだ。


イエズス会の方々は離日し、残された信者はメチャな迫害を受けたのが史実だけど、けどもそのイソップ寓話は、シッカリと日本に定着した。

口から口に伝わり、丸ごとおぼえたヒトもいた。『華氏451』の"ブックピープル"をボクは思い出す…。

やがて江戸時代キリシタン断固禁止ながら、滑稽話のような体裁にカタチをかえて出版が相次いだ。

それが、『伊曽保物語』。


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元より、イソップは紀元前のヒトだからキリシタンと関係もないけど、取り締まる側はそうでないから、江戸時代の出版人はなかなか気骨があるとは、いえる。

とはいえ、「漁師と鮪」のような話には宗教的疑念をはさむ余地はないから、取り締まりの役人側もまた、知らず愛読していたにも違いない。

今は美術館や図書館稀覯本として収まっている江戸期のそれらが、多くは武家の蔵から出てきた…、というのがその辺りの事情を物語ってる。

たぶん、その家の子女や世継ぎの息子なんぞに読み聴かせていたんだろう、な。


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※ 1659年(万治2年)版の1ページ


ま〜、「漁師と鮪」的に、やらなきゃいけないコトがピョピョ〜〜ンと片付かないかなぁ、

「果報は寝て待て」

と云うしなぁ、などと本日は気休め半分にこれを記してるワケだけど、でもこんな一篇もあったよ。


腹ペコの狼が食物を求めてうろついてたら、とある家の中で老婆が、泣きわめく子供に、

「泣き止まないと狼にやるよ」

というのを聞いて、

「しめた」

と思って外でジ〜〜〜ッと待った。

でも日が暮れても何もおきなかった。

狼は失望し、

「いうコトとするコトが、別々じゃんか…」

立ち去った。


オリジナルでのイソップは結びに、

「言葉と行いを一致させない人達に適用の話」

としているけど、この場合、果報は寝て待ってもやってこないぞ〜、とも取れるね。

「ものくさ太郎」の自堕落をボクは好むんで…、期待して待機の狼に同情出来ないけど、そんな感想と共に、でもイソップのバランス感覚にいまさら、驚いたりした。彼もまた苦労したんだな〜(ながく奴隷生活をおくっていたという)、そう確信しつつ、そこをうまくテキストにまとめていったワザに攫われる。


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彼はかたよらない。

複眼で1点をとらえ、点が球になるまで凝視し、事象を3D化してる。

イエズス会の連中がこれを1つの教材として用立てたのも、うなずける。

当時の仏教勢力、とりわけ地域の末寺は権威にアグラしてかなりに堕落退廃もしていたようで、そこにイソップのようなピュアな心象世界をキリシタン的世界と結んで布教に用いれば、一休さんの頓知じゃ追っつかない、カトリック優位な"良き武器"になったとは思える。

著作権者としてのイソップがもし生きてりゃ、「そんな活用はこまります」だったかも知れないが。

2017-05-28

びっくりメガマウス ~オウムガイの謎~

目撃例とごく少数の標本ありで存在は知られていたものの、動いてる写真がなかったメガマウス

こたびやっと、定置網にかかって撮影が出来たという次第だったけど、デッカかったね〜。

このような巨体生物の動画が今の今まで撮れなかったというのが、ま〜、おもしろい。

いかに地球が広くって、まだまだ未知がございますよ〜、と告げられたようなもんだ。


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遠方の火星ではかねてから探査が続けられているけど、いまだ「生き物の証拠」は出ずで、ちょっと長嘆息ついちまうようなところもあった。

でも、そうですわな。

容易に見つけて写真に撮れようワケもない。

メガマウスのような巨体が生息できる環境時代ははるか大昔に終焉した火星なんだから、いても、せいぜいがバクテリア的なミニ・サイズだろうし…。


けども何だか常に、未知なものへの憧憬というか興味というか、遭遇したいなぁ、の気分というのは、誰にもあるね。

ネッシー、クッシ〜、雪男…、この岡山じゃ〜ツチノコとかね、いずれも生物学的常識の範疇では無理でしょうけども、でも何だかいて欲しいと思わずにいられない…、というのは何ナノでしょうな?


といって、じゃ〜実際に海で泳いでてメガマウスに遭遇したら、メチャ慌てるよ。

山中でツチノコに遭えば、心臓凍るよ。

パニックだな。

恐怖だな。

メガマウスは肉食じゃないから、よもや喰われたり囓られたりはないだろうけど、異形なデッカサに圧倒されて、痺れちゃって卒倒もんだと思うな。

でも、見てみたいと…。

だから、怖いモノ見たさがかなりのパーセントをしめる。

こういうのは、海遊館のぶあつい透明アクリル板の向こうで泳いでるのもイイけど、そうでなく、出会いガシラでビックラこいた〜ぁ、がイイのだね。

ま〜、こういうのを"希望的憧憬"と云うんだけど、いいじゃん。


もうズイブンと前だけど、世界中でトップ・ニュースになったのがあったね。

衝撃度も高かった。


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あまりの腐敗臭にすぐに捨てられてしまって、残ったのが複数枚の写真のみ。

何たら鮫の死骸にマチガイないとか、いやそうでないとか、物証がないから議論白熱で、けどもヒトツキ後にはもう誰も話題にしなくなったね、確か。

経験豊富な海の男達をして、

「?!」

だったから、彼らはわざわざ貴重なフイルム使って写真を撮ったりもした(デジカメ時代じゃないよ)わけだけど、調査船じゃ〜ない。あくまで魚を獲って船内で加工する私企業の船だからね、強烈に腐敗している巨大なのは即座に捨てるのがアタリマエだったろう。

思えば惜しいことだったな〜。不明が不明なままで終わった次第だ。

いまだにボクは密かに、「アレは何たら鮫とかじゃ〜なくって、名前もない何か判らんものの死骸」だったと思ってる、ヨ。


けど、もう1つ思うんだけど、万が一にそれが未知の新発見だったとして、そしたら、それに名がつくでしょ。名があたえられ、個体数は非常に少ないが生息していると決まったら…、その途端、今までの興味がフイに萎んで、

「なんだ、つまらん」

というコトになるんじゃないかしらね。

未知だから興味あったけど、既知となれば、もはやシーラカンスご同様、

「ぁ、それが何か?」

って〜なアンバイに成り下がるじゃないかしら。

ま〜、だから、未知は未知のままで有り続けるのがよいのかも、ですな。

ネッシー雪男ダンコ捕獲されちゃ〜いけないんだよ。

あくまでもどこまでも、"いる"ような気配が大事。


おもえばスピルバーグは『未知との遭遇』で、ニッコリ微笑の宇宙人たちを大勢出しちゃって、前半から中盤にいたるワクワクが台無しでボクを相当ガッカリさせてくれたもんだけど、捕獲された翌日にもう呼吸をとめたメガマウスには、どこか、

「神秘のままにして欲しかったな〜」

の、意思表示として自ら死を選択したような感がしないでもない。

(その死の翌々日だかに、また1匹出て来たのもオドロキだけどね)


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ニッコリ宇宙人より、宇宙人を見てる方々に何だか宇宙人を感じた『未知との遭遇』…。


一方で、そんな気配の関数っぽいポエジーではなくって、リアルな科学探求もまたおもしろいね。

ピーター・D・ウォードの『オウムガイの謎』は、調査研究の歴史を紐解くみたいな趣きの本だったけど、生きた化石のように一般には思われるオウムガイが実は比較的新しい種類の生物というコトを示唆してくれて、

「あらまッ」

微かに驚いたりもした。

新しいたって古生代のハナシだけど、そのはるかはるか以前およそ6千万年も続いたカンブリア期で青春や老春を謳歌して悠々の三葉虫が、ある日突然に喰われるコトになったというドラマだ…。

喰われつつ三葉虫は自分をついばむモノの正体が判らなかった…、のがオウムガイ(の仲間)。まだ魚類は登場もしないロング・ロング・タイム・ア・ゴ〜に連なる長い話。


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オウムガイの特徴は殻の内部が幾つもの隔室にわかれ、そこに水を入れたり出したりすることで浮力を造っていることで…、ヴェルヌの『海底二万里』のノウチラス号は云うまでもなく潜水艦はすべていっさい、オウムガイNAUTILUS)の構造模写な物体だ。

その隔室たるや建築デザイナーもビックリの見事な螺旋構造…。


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しかし、ヴェルヌの時代にはその隔室にはガスが詰まっていると思われてた。

すべての魚は浮袋を持っていて、そのおかげで水中に浮いている。

オウムガイも同様、隔室にガスをためてると思われ続けてた。

それが覆ったのはついこの前の、1966年英国の2人の学者さんの「オウムガイ類の浮力について」という論文によってだ。


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深い場所に住む魚を一気に海面まで連れ上がると、浮袋が破裂し、魚は死ぬ。

浮袋はある一定の深さ、一定の圧力にしか対応していないから、圧の低いというか1気圧の海面にまで運ばれると、内圧で膨れ上がってパチ〜ンなワケだ。

しかしオウムガイは、たとえ水深460mから0mまで一気に移動させてもヘッチャラだ。

硬い殻は膨らむことが出来ないから内部の隔室は上昇に連れて高い圧力になるはず…。

なんで壊れない? なんで平気なの?

そこで殻に小さな穴をあけて実験してみる。高圧だからプシュ〜とかバッシュ〜とかな勢いでガスが漏れるだろうと予測された。

でも、出なかった。それどころか穴に海水が入っていった。

海水が入るというコトは隔室は1気圧以下の空洞というコトになる。

さぁ、ますます判らなくなった。

その解明のヘルプとなったのがレントゲンだ。

元気なオウムガイに大きく息を吸わせて「ハイそのまま」と撮影したところ、隔室は大部分が空洞だったけど、ハッキリ白い影も映ってた。

ガンか? ちゃうちゃう…、液体があるのだ。

それで、

「殻の中の液体の量を変化させることで比重を調整している」

オウムガイの生態がやっとこさ判った。

でも今度は、短時間のうちに水(体液)をどうやって隔室(およそ30数室ある)にいれるのか、排出するのか? という疑問にぶつかる。

潜水艦には必ずある排水バルブや排水孔みたいなものも、ない。


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その解明経緯を書いてくれてるのが、『オウムガイの謎』なワケだ。

血液が浮力を得るための透明な液体に転換し、隔室に満ちるその様子は…、神秘としか云いようもない光景だろうね。

60年代に『ミクロの決死圏』というSF映画があって、人体内をプロメテウス号という潜水艇でめぐる過程が描かれ、当時の特撮技術をフル動員して、呼吸で入ってきた酸素が血液に転換するシーンを見せてくれたけど、読みつつボクはそこを思い出してた。

とてもおもしろい。


しかし、科学の現場じゃ、1つ謎が解けたら、ではそうなるには何が機能してるの? 次ぎの問いが出て来る。

「什麼生(さもそん)」

「説破(せっぱッ)」

ま〜るで禅寺の問答のように問い続けられ、解き続けなきゃいけない…。

オウムガイ研究者たちは当然坐って沈思してるんでなく、南洋のねっとり汗ばむ大気の中、何日も海に出ては問いに応えるべく、乏しい資金をやりくりしつつ研究してらっしゃるのだから、頭がさがる。

徒労に徒労を重ねて年数も必需。仮説を証明するに価いする結果が得られないコトも多。大変だ。


オウムガイはその寿命のながさなど…、まだまだ判らないことだらけらしいが、硬い顎で大きなロブスターの抜け殻なんぞをバリバリ食事し、かなりな深いところまで潜る能力(1000mくらいまで)、逆に浅いところまで上がってくる性能(垂直移動する)といい、適応力の幅を広くしようと努力している。

数千年先の海では、このオウムガイあるいはその仲間が海洋の水深400m前後あたりでの王者…、ということだってあり得ないことじゃない。

ま〜、その頃に人類はすでに「生きた化石」程度の希少種になって、ひそかに山中で細々おびえて暮らし、その頃の陸の支配者となった何かの文化的生物に、

「あのさ、●○山にはユキオトコがおってさ、何か煮てさ喰ってさ…、怖いけど見てみて〜な」

みたいに噂されるコトだって、あってイイや。