Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2018-08-16

中国文学十二話

あの大雨以来の雨。久々に庭木に向けてホースを伸ばしたり巻いたりから開放された。

おしめり程度ながら、若干の涼を感じないでもなかった。

お盆さなかの昨日までは暑かったね〜。

その暑熱の中、墓参り。

日中より朝がラクだろうと、午前9時にお墓に出向いたけど、なんのなんの…、早や強烈に暑く、蠟燭に点火しお供えたら、な〜〜んとアッという間に半分溶けちゃった。

あまりのコトに写真撮るのも忘れた、ワ。

別に怪異でも何でもなく、ただも〜ひたすらの暑さが石を熱くして蝋を溶かせただけのコトながら、とろけるチーズみたいな蠟燭にゃ、おでれ〜た。


かつてその昔、大雲寺に「岡山模型」というのがあって、そこの女主人が県北は奈義の日本原高原・自衛隊駐屯地に戦車見学にいったさい、鉄板の塊たる戦車がどれくらい熱くなるものか…、隊員が生卵1つをエンジンを止めた戦車のデッキ部に割り落として見せてくれたが、たちまちに煮え、透明の白身が瞬時で真っ白になったというハナシをしてくれたコトがある。

今は搭載の電子機器冷却にクーラーが内蔵されているけど、乗員用のクーラーというのは依然としてないようだから…、戦車というのは「住まう」場所じゃない…。女主人いわく、

「夏場の戦車は手袋なしじゃ〜触れんし、中は蒸し風呂なんて〜もんじゃぁナイ。ありゃ蓋したフライパンじゃ」

フイにそんな、遠い昔の声を思い出したりもした。


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ともあれ、墓所の暑さと熱さで喉カ〜ラカラ。

そこからほど近い所にコメダ珈琲東岡山店というのが出来たばかりだから、都合よし。

アイスコーヒーで喉湿らそう。

既に汗いっぱいかいたから、コーヒーはノー・シュガーを好むが、ちょっと糖分をと思いシュガー入りを。11時までモーニングというから、ゆで卵のをオーダーしたら、さすがお盆だ、早朝から来客多しでタマゴが直ぐには茹で上がらないという。しかたない、小倉餡のトーストをチョイス。

ところがま〜、運ばれてきたアイスコーヒーの甘いのなんの。

近年これほどの甘汁を吸ったコトなし。くわえてオグラアン。

甘味ダブルス。というかオグラアンすら霞むコーヒーの甘さ。

名古屋ビトは朝からこんなアミャ〜のか…。

脳、溶けないか?

またぞろ怪異をおぼえた。

「加糖にしますか?」

以後、同店で問われたら、「NO! NO! NO!」三連チャンで応えるっきゃ〜ない。

しかし次は、みそかパンじゃな…。


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怪異といえば、仙人やらオバケやらの怪異談。やはり中国が本場かな…。

本場というのもおかしいけど、はるか大昔からオモシロイのがあるし、そこから想を得て、国木田独歩芥川龍之介などなどが新たな小説を作ったりもして、なかなか奥深い。

けど奥深いというのは、それだけ永きに渡ってアレコレな話が創られているというコトでもあって、そこに分け入るには、ちょっとしたガイドがあった方がいい。

キリスト登場前の紀元前1000年頃の「詩経」から紀元後1300年代の「西遊記」やら「水滸伝」までだけでも、も〜2300年をかるく越えるから、ハンパでない。


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※ 「邯鄲夢の枕」より。茶店で横になる主人公の盧生。今から変な夢世界に落ちるという場面。唐の時代の喫茶店は憩いの場ゆえ横になってもイイという文化事情もチラリと判るの図。


明治33年に生まれ1968年に没した、奥野信太郎という人がいる。

慶應義塾大学文学教授だった人で、昭和30年代にNHKのFM放送で12回に渡り「朝の講座」という番組の中で「中国文学十二話」というのをやったそうな。

没後にこの放送の速記録が本にまとめられた。

これがガイドブックとして、素晴らしいんだ。

時折り引き返すみたいにボクも読む。

3000年を越える時空の中に綺羅星めく生じた数多の作品とその背景をば、この先生は実にうまく案内してくれ、かつ、そこに見解を含み入れ、硬くなく、柔らか過ぎず、芯のある良い湯加減というアンバイでもって誘ってくれる。

という次第で、本日の読書は『中国文学十二話』。

はるか前、何かのおりウッカリ表紙に油染みをつくってしまったけど、これもま〜、この本の味わいとして…、ワンポイント。甘いコーヒーをこぼしたワケじゃない。


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しかしまた奥野先生は、実は奥野先生そのものがオモシロくもある。

なにしろこの先生ときたら、戦前は外務省北京在勤特別研究員というチョットないポジションにつき、戦中は中国の人に中国文学を教え、戦後は日本で中国文学一筋だったにも関わらず、えらい学者でござ〜いの証明書みたいな論文はほとんど書かなかった。

昭和30年代頃は、このヒトは随筆家として知られ、また酒場でのハナシがメチャに面白いヒトだった。

専門である中国文学のことは随筆の中や酒場で雑談的に披露されるだけだった。なので学者仲間や門下生は酒場にノートを持ち込み、先生の話す文学エピソードを「うわ、おもれ〜」とメモってた。

そんなんだから、学問における出世をめざすような人には奇異で奇っ怪な存在、

「なんで論文書かないの?」

ズイブンに惜しんだようだ。

けど本人は平気。学内に籠もったベンキョ〜の虫より、かつて神仙と遊んだ中国詩人めく酒を傾け大いに談笑磊落するをよしとした。

NHKの講座も、講座終了後にNHKは本にまとめたく、大先生に依頼してはいたけど氏は自身の語った速記録を受け取ったものの、結局、書き起こさないままこの世を去った。

それでこの本は弟子というか門下生の村松暎がまとめた。

村松によれば、大先生は放送時、原稿もメモもなくほぼ’即興だったというから、やはりスゴイ。

どうスゴイかは、読んで知って欲しいが、長大な中国文学とその歴史を奥野信太郎はあったかい血として体内に循環させ、講義や酒場で多くを魅了させたと同様にマイクの前に立っていたようなのだ。


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この奥野大先生をしてガ〜ンと云わせたヒトが、かつてあったそうな。

彼は学生になった頃にどこかのお寺さんで森鴎外が話すのをライブで聴いたことがあり、その席で鴎外は寺の、とある碑文の解説を頼まれ、しばし一読後、『春秋左伝』の中の一節を原文のままにスラスラと口にし、ややこしい碑文の中にその『左伝』を典拠とする部分があることを一同に、これまたスイスイ〜っと告げたんで、それでガ〜ンだったという。

上には上があるというコトだろうか…。時代に応じたスーパースターが出てくるのは当然として、何か、明治の日本はその輩出量が大きいよう思えるのは、それほどに明治が苛烈な時でアレコレの摩擦係数が高いから研がれるモノもヒトも多かったと短絡に解釈したいような…、気がしないではない。むろん、奥野信太郎も含め。


ちなみに最晩年頃の奥野や教授になった村松暎に学んだヒトに、草森紳一がいる。

あのおびただしい多岐に渡った探求と随筆的書籍の数々は、門下生としての本領発揮という次第だったか。

後年、草森は昨品社の「日本の名随筆 別巻95」の『明治』を編んださい、「板垣退助の涙」という一文を自ら寄せ、明治期の演説と70年代学園紛争でのアジテーション演説を比べ、かたや漢文調が入って大袈裟だけどリズムがあって情念を煽るに適していたが、70年代のそれは漢文調(脈)がないから、ただの怒号でしかなかった…、と奥野信太郎同様おもしろいところをついて読ませてくれた。

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2018-08-11

足攣りバス

帰宅中にバスの中で、左足のふくらはぎが攣った。

ま〜、痛いのナンの。

バスは慣習として同じ席に座るけど、宇野バスの場合、その席がやや広いのとやや狭いの2種があって、たまたまその時は狭い方だ。

膝が手前の席にあたって居心地がとても悪い上に、足攣りだ…。

身をよじらせ、シューズを脱いで片足をあげたりさげたり、片足のみアグラをかくような按配で他方の足にのっけ、足首を伸ばしたり縮めたりして緩和に務めるも、不自由な姿勢、狭いシート…、よろしくない。


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※ これは広い方。狭い方はエコノミークラス症候群を招きそうなホド不自由。


なので、いつもなら退屈の30分の乗車時間が、1人ジタバタしてる内、あっという間に過ぎちゃった。

下車。

自宅門前まで3分のところを脂汗浮かせつつ、トホトホ5分ほどかけ、ウチに転がり込むよう入って、居間でストレッチ。

短時間での過度のアルコール摂取と運動不足と水分補給怠りの3要素が見事にからんでの足攣りだったんだろうけど、あんまり経験したか〜ナイね。


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大事なご友人が、ピーター・オトゥールの『チップス先生さようなら』を観たいというので買い、同時次いでと、オトゥール主演のDVD『ロード・ジム』も買う。

『闇の奥』のコンラッドが原作だし、前々から観たいとも思っていたので、良い機会。

例によって速攻で観られないけど、手元にあればいつでも…、という次第。

はじめて彼の映画をみたのは、『アラビアのロレンス』じゃなくって、1966年作の『天地創造』での天使役だったかな…、中学校の時だ。体育館に生徒全員が着座して見せられた。

で、あの青い眼の透明さにはずいぶんビックリしたもんだ。それが天使という役(ソドムの町の頽廃を検分にくる)にピッタリで、いっそ畏怖めいた戦慄すらおぼえ、ちょっと人間に見えなかった。ま〜、天使だからな…。

文部省指定の優良作というコトで体育館鑑賞だったんかな? オトゥールの青い眼以外、印象がない。


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そういう天使が足攣りバスに乗り合わせていて、ちょいと足に触ってくれてスィ〜〜ッと痛みが引いていく…、なんて〜目にはあわないね、残念。

ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』では、なるほど天使はヒトに寄り添ってはいるけれど何も関与は出来ず、ただヒトの痛みに共感するばかりで、結果、天使自身が勝手に疲弊してるって構図で、ヒトと天使の物理法則的な乖離をおぼえたもんだけど、しかしバスの窓から外を眺めるに、たとえば岡山駅前とかの歩道を天使のような少女やお姉さんやおばさんが歩いていたりもして、眼はどうしてもそれを追うね〜。


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疲弊で思うけど…、翁長雄志沖縄県知事はとても残念だった。

地方自治とは何か。民主主義とは何か。その事を一身に背負い、その矢面に立っての奮闘が彼を疲れさせてもいたろう。

闘病しつつ最後まで職務についた知事の廻りには多数の天使らが寄り添い、共鳴した無念を抱えて悶々とし、何も出来ないままにただただ肩を落とし、うなだれたはずと思いたい。

一神教の神さんの使徒だから、天使もまた選民主義…、そこに知事も選ばれたであろうという前提で。

チップス先生が惜しまれつつ退場したように、知事もまた…。


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で、お盆。しっかり仏教…。

天使じゃなく、坊さんが間もなくやって来るんで、華宵庵の本店で和菓子を数個。

あとは、悪癖じゃ〜ないけど、習癖として、お布施なんぞを包んで…、南無阿弥陀ぁ〜ぶつぶつぶつ。

2018-08-06

ありそうでないハレー伝

この前、マイ・マザーの部屋にいたらTVのクイズ番組で、司会のタレントが、

ニュートンといえばリンゴですが…」

そう切り出したんで、

「まだ、そんなコト云ってるんかぁ〜ン」

鼻で笑って、つい悪態をついてもみるのだった。

米国でもヨーロッパでも、もう14〜5年前から、リンゴに言及されることはないらしきだから、したがって14〜5周の周回遅れな感じをおぼえたわけなんだ。


それは後世に創られた美談的創作として認識が進んでいるようで、いまだニュートンのリンゴがテレビで語られたりするのは、どうも我が国だけのような感もなきしにあらず。

いわば真顔で、義経モンゴルに渡ってジンギスカンになったんだぞ〜、みたいなコトを云っているに等しい。

なるほどニュートンのウールズソープの家の庭にリンゴの木はあるけれど、その落下が、決定的な何かを示唆するものではなく、関係も証拠づけられないんだから、当然にその言及はなされないというのは、まぁ自明のこと。

昨今はもっぱら、アイザック・ニュートンエドモンド・ハレーと、敵対するカタチでのロバート・フックの人間関係で語られていることの方が多いようだ。

もちろん、この関係はすこぶる面白い。誰もが知る「細胞」という単語をつくったフックも、ニュートンら同様にスーパースターながら、この関係においては悪役だ…。


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※ ニュートン肖像画。荒ぶる金髪(かつら?)がおよそ250年後の英国ロックシーンの到来を物語るヘア・スタイルかどうかは知らん…。


けど一方、TV画面に文句云いつつも、ボクとて、リンゴの話に愛着がないワケでもない。

ウィリアム・テルの、息子の頭上のリンゴに向けての矢と同じく、良く出来たハナシ。内心はかなりお気に入りであったりもする。

着想が素晴らしく、この”作家”の技量に感服もする。

たぶん1番によかったのは、ミカンとかトマトではなく、リンゴを持ち出したことだろう。

リンゴの形と重さの感触は誰もが知るところで、それが重力という存在の頃合いにうまくフィットしているとも思える。スイカだとハナシが重すぎ、ココナツは硬すぎる。かといってメロンだと…、甘すぎる。

メタファーとしての「禁断の果実」とか「善悪の知識の実」とかいうのもからめたろう。カトリック教会批判的だったニュートンのハナシゆえリンゴが1番に象徴的でもあったろう。彼は教会には批判者だけど熱烈なキリスト教徒で、イエスの復活の日を数式で見極めるというような試みにも熱中したヒトだった。


けどまた逆に、リンゴに関して云うと、そのサイズと重みに重力というのが規定され拘束されちゃうようなペケなアンバイもこの逸話にはあるワケで、ま〜、そのようなことで誤解されても困ります〜〜という「公平な科学的見解」もあってアチャラの国々ではリンゴ話を止めにしたのかもしれない。


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しかし、アイザック・ニュートンにしろエドモンド・ハレーにしろ意外や日本には伝記本がない。

ハレーはかの彗星で、ニュートンはリンゴで、共に誰もが名を知る有名人だけど、その業績じゃなくって人物の履歴となる伝記が翻訳されてない。変だね〜〜。

記述としてまったくないワケでもなく、彼らの業績を記した本にその付随的エピソードは紹介されるけど、単体の伝記書籍は探しにくい。


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※ 竹内先生の本は判り良い。初歩の初歩を知るに最適。

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※ ハレー肖像画。荒ぶらないけどニュートンより長い黒髪かつら(たぶん)がちょいとクール。


引力を受けて運動する物体はどういう軌道を描くのか?

この問題を数式で解いたニュートンに対し、ハレーは驚愕歓喜し、強く出版を進める。

英国王立協会から出版がきまる。

けど協会では前年だかに出した超豪華な「魚類誌」がさっぱり売れずで大赤字を抱え、ハレー達協会員の給料さえ出せなくなって、その本を支給することで給料とするという大赤貧だ。

そこをハレーが頑張って、ニュートンの本「プリンキピア」を協会から出させた。

ハレーが出資、自腹をきったらしい。

彼はどうやって印刷費を工面したか? 支給されていた『魚類誌』を売ったとして、どれっくらいのマネーと交換できたのか…? 彼の奥さんはそのことでエラク苦労したんじゃないのか…?

そんな下世話を知りたいんだけどねぇ。

そこを物語ってくれる伝記本が出てね〜〜の。

なんで?


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※「魚類誌」は、稀に今でもオークションに出品されたりする。

最低落札額が£ 8,872.93というから…、だいたい1億2千万円以上用意しておけば、手袋なしで自室でページをめくる楽しみを味わえる。むろん、ハレーが生きてた頃は数万円くらいの、ま〜、それでも当時としてはとんでもなく高い本だったはずだけど。

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※ 展示中の「魚類誌」と、欲しそうなヒト。


云うまでもなく、ハレーは彗星の発見者じゃない。

過去の古文献を丹念に調べ上げ、目撃例としてあった幾つかの彗星が実は同じものというコトをニュートンの引力の法則に基づいて計算し合致させ、軌道を導いて次の到来も示した。

嘘だと思うなら50数年先の某年某月が来るのを待ちんしゃい…、そう「予言」して世を去った。

で、その通りに彗星が現れた。ハレーの計算は立証され、そこでやっと彗星に名がつけられた…。


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※ セーガン先生の良書。


台風だの大雨だのの天気図でおなじみの風向きを表す線と矢羽根記号は、実はそのハレーが発明したものだし、彼は海中に大きな瓶(かめ)を沈め、空気を送る管をそれに連結させて自身が乗り込み、3時間以上海中生活を送って、これを事業化。港湾界隈に沈んだ船の金属パーツなどを回収する仕事を成功させたりと、後のヴェルヌも驚く冒険をやってるユニークさ。

彼の伝記を読みたいじゃないか。


かつて英国王立協会にあったロバート・フックの肖像画は現存しない。

協会に復帰したニュートンが焼いちゃったというのがモッパラな噂。

やはり荒ぶる金髪…。


ハナシ次いでの余談ながら–––––––。

理科大のK先生から、本1冊、

「これオモシロイ」

とのことで借り受ける。


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※ 『宇宙に命はあるのか』小野雅裕/著


ややタイトルと中身が乖離しているけど、内容良し。ジュール・ヴェルヌのことから昨今の宇宙に向けての技術者の話など開拓史的なノリで綴られ、映画『ドリーム』を観たさいと似たワクワクした知る喜びをあじわえた。

しかし、表紙はいけない。

偏狭なナショナリズムすら感じて、かえって損してるような気がしないでもない。それに、本がこっちを挑み見てるようで愉快でない。

こういうのって、ちょっと不思議。絵の人物視線をそらしてりゃ、ここでブ〜たれるコトもないんだけどね、視線が強すぎ野望ギラギラなんだよね。

眼がいやらしいんだ、この絵は。

自分の本ならマジックでサングラス書き加えてもいいけど借り物ゆえ、ねぇ。

その点、ハレーの肖像画はいいね。こっち見てるけど穏やか。こっちに眼をやってるけどコッチに興味を示していない。

だから逆に、「先生っ、ボクいますよ〜ここに」とこちらがこの絵を注視しちゃうんだ。

アップでハレー先生をば…。チョイとモナリザっぽい蠱惑あり。

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2018-08-01

ユスラウメ弱る


今日の時点でまだ迷走中らしきだけど…、過日の逆走台風通過。

風もなく雨もない前日の夕刻に携帯電話に届く「避難指示」の奇妙な乖離感。

「狼が出たぁ〜〜〜」

イソップ童話の可笑しみをおぼえないワケでもなかった。

でもまた一方、

「狼、出た〜〜」

を言い募のってなきゃ〜いけない予断なき進行形の不自由も、思わずにはいられなかった。


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某日夕刻。

グッタリげっそりな暑さの中、丸の内のRSK岡山映像ライブラリーセンターへ。

閉館後の同所にて、ちょっとした会合の場を設けさせていただく。

同所所有の古い映像が事前に用意され、視聴させていだだく。

会合出席の大学関係の方々から、

「お〜〜っ!」

ってな、感嘆の声あがる。


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同席しつつも、それに関しては実はそこまで詳しく探求しているワケでない我が輩は、さほど興味の温度は上がらない。

むしろ同館に展示されている、B-29の、昭和20年の8月に岡山を火の海と化させた爆撃機の精緻な模型に、これは確か米国レベル社製プラモデルじゃな…、など、あらぬ所で感じいっていた。

ミュージアムなどで岡山空襲の災禍が常設的に展示されたりもしているけれど、はたしてこのB-29というのが、どういうモノであったか、何人乗っていたか、何歳くらいの人達であったか…、などなど、まだまだ、その辺りを”岡山空襲展”という括りの中では伝えてはくれない。

被害者側視点でない眼も必要だろう、展示構成を見直した方がイイとも思って久しいから余計そのプラモデルに見入った。


この施設に出向いたの実は初めてのことだったけど、意外な展示や収蔵物あって、この先、何度かは出向くことになるだろう、な。

ここには、進駐軍岡山軍政部の初代部長だったエドウィン・C・ホイットニーが自ら撮影した8ミリフィルムの映像がある。ホイットニーの遺族から寄贈されたもので、貴重だ。

DVDに起し直されて常設で見られるから、我が輩は会合そっちのけで見入ってた。

終戦直後岡山の映像だ。しかもカラーだ。

いささか眼をみはる。真新しいベニヤ板らしきで焼け跡に再開してる表町の服部時計店とかを見て、

「おほっ!」

密かに感嘆してた。

一体、その新品らしきベニヤ板はどう調達されたのか?

興味が逆巻いた。復興はどういうカタチでもって浸透していったのか…、今も大雨の後始末に苦労されてる地域の方々とそれがダブって、いっそうに大きく逆巻く。


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会合後に懇親会。

距離の離れた場所にある「土手下麦酒」。

なんで、そんな遠方の店に予約入れとんじゃ〜!?

密かにブ〜イングしつつも、懇親会イキマセンとはいえないし、そんな勇気もない。

正直、暑いんで、場所はどうあれ、冷っこいのを喉に触れさせ通過させたいじゃないか…。黙して移動につきあう。

で。

毎度のことながら、出向いて着座しちゃえば、最前の不平なんぞは霧のように失くなって、

「ボクちゃん、もイッパイね」

ケタケタ笑ってる。

この3月で文化系お役所仕事を自ら辞してフリーになったT女子が、やっと思い描いたことに近寄れると眼を細めるのもヨシヨシで、こういう酒席でのハナシは濃くてオモチレ〜。

形而上と形而下がウズみたいに巻いて何時までしゃべっていても飽きない。


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※ トイレにあった張り紙


さてと…。

庭のユスラウメが枯れつつある。

数年前にフクロミ病というのを患い、完治しないままに数年が経って、いささか弱ってもいたろう。追い打つみたいに、4日間の水責め。次いで、獄暑な日照り責め…。

ついにダウンしたように見える。


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クロミ病を完治させてやれなかった当方が悪いのだけど…、それゆえ寂しい申し訳なさをおぼえる。

ネット情報を探ってみるに10年ほどでダメになったとか、50年以上元気とか…、個体差もあるようだけど、ある園芸店の記述によれば、挿し木苗で生育のものは10数年でダメになるともある。

我が庭で10数年、毎春を楽しませてくれたから、この枯れは悲しい。


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応急の処置として枯れ部分を太い幹ごと伐採。

傷んだ部位を取り除くや全体のボリュームが半分以下のサイズになっちゃって変なバランスじゃあるけど…、しばらく様子を見ることにする。


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※ 伐採した幹にある謎の穴2つ。キツツキか? んなコトはないはずだけど、謎だ。けっこう深い穴がうがってた。


ユスラウメだけじゃなく、この夏は幾つかの樹木が暑さにやられてる。

アジサイは毎夏は大いに葉を茂らせグリーン凜々に勢いづくが、過度の雨と暑さに、これも葉を黒くさせ萎れぎみ。新たな葉を造る元気がない。


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イチヂクも葉が黄ばんで落ちている。


ある温度まではオッケーだけど一線を越えるとダメというアンバイは、蚊やハエも同じだ。

実のところ、この夏は庭に蚊が少ない。

まったくいないワケもないけど、夕刻に庭に水をまいてると毎年なら10ヶ所くらい刺されてカユイカユイが、今年は2ヶ所程度のカユイ〜だ。

だから、すべては絶妙な日照や温度の中でのみ生息している…、という感じ在り有りだ。


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けども、2年前だか某医師どのに頂戴のフウセンカズラのみは、これは直射光にあたらない場所に置いていたものだから妙に元気がよい。一株だったものが今や数株となって数個の鉢を占拠する。日々確実に水分補給を怠らなかったら、9月には窓辺を葉が覆いつくすだろう。

減退と旺盛は薄い被膜の上で踊ってる…、という感じな7月でしたな。

2018-07-26

甚九郎稲荷 今年も


極端な雨に次ぎ、極端な暑さ、しかも無風で湿度も高い…。

庭に出ただけで汗ダ〜ラ。

きっと皆さんもグッタリでしょ。

4日降り続いた時には庭は水田状態で根腐れをあんじる程だったのに、一転、カ〜ラカラ。

葉も萎れ、毎日確実にお水をあたえないと芯枯れちゃう。


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急転はなはだしい。

なので、ドシャ降りの雨中、ホースで庭木に水やるシュールなおじさんの姿なんぞを想像してつかの間の涼味を想う。

むろん水害でえらい目に遭ってまだ仮設住宅もあてがってもらえない方々多数なワケで、冗談やめてよなハナシじゃあるけど, この暑さの次はまた台風か…。


この数年、ウチの庭はセミの住処になっちまい、厚かましい暑さの中、夜明け早朝よりミンミンミンというかグヮンワンワンの大音声。

金木犀を住まいにして20匹くらい。

これが一斉に鳴くんでご町内最大ボリューム、野外ライブハウスになりにけり。


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でも不快じゃないね、夏の声だから。それどころか住処にしてくれているのを悦ぶ。

求愛の声。一夏限りの命と性。

とはいえ…、なぜ一斉に鳴くのだろう。しかも一斉に中止したりもする。

大コーラスじゃ、個々が目立たない。

それでは本来の目的の、パートナーを見つけにくいのではないか。

しかし抜け駆ける者がいない。1人ソロをとる者がいない。目立とうとしない。

徹底した横並びの平等主義

悪くいえば、個人より共同が重んじられる全体主義

比喩として、いささか今の日本のようでもあると云いたいところだけど、ま〜、セミ社会はそんな薄っぺらじゃあるまい。

きっとセミ女子は、大コーラスの中の1つの声のみウットリ聞き分ける感度のいい耳を持ってるんだろう。

鳴き声をよく聞くに、最初のミはグ〜ッと伸ばすの。ミ〜〜〜ンって。

それからミンミンミンミンをしばし続け、最後はミミ〜ッ、で閉じるんだ。ちょっと尻下がりに終える。

「届いてるぅ? 君の耳ぃ〜ッ」

ってな感じの閉じ方で、最後の所に小さく、”ッ”を置いてるから、今度聞いてミミ。


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日はめぐって、またやって来た祭。

明治の後半から今に至る、甚九稲荷の夏祭。

この稲荷そばに住んでるわけもなく、ましてや氏子でもなく、あくまでもビジターとして本年もまた詣でる。賑わいを眺め、クジを引き、巫女舞いに眼を細める。

祭は去年と同じ、一昨年と同じ、その前と同じと、曜日に関係なく毎年7月の24日と25日に決まってる、というその絹目のような整然なパターンがとてもいい。

1年の真ん中あたりで1つ必ず打つ句読点、ともいえる。

ここで行を換えるとかいう大袈裟な次第はないけど、要は、毎年参加の恒例が高齢のボクに何か不可思議のワンポイントを付与してくれるわけだ。

災害多きな風土ながら、日本に住まい生きてることを、わけてもこの岡山という1地域に生息しているのを、シミシミ沁み染みと、感じさせてくれるワンポイントなのだ。

世界視野では神社神道というのは実にマイノリティながら、そんなシェア的なことはど〜でもよく、その神道的なものと仏教的なものとが明治以前には実に仲良く合体していたというようなコトもチラリンコと考えつつ、過去あって今があり、そこに立ってる自分をチョイっと意識する。

といって昨今台頭ぎみなヤスクニ的愛国戦隊に加担するというワケはない。


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という次第で手を合わせたり手をうったり一礼したりと、神妙顔で稲荷の拝殿に立つ。鈴は鳴らさない。

神社の神さんは呼ぶもんじゃない、あくまで依ってくるものと思い決めてるんで鈴には触れない。


ぁあ、それにしても暑かったねぇ、暑いというか蒸すんだね〜、境内が狭いから余計に汗がダ〜ラダラ。今回は、某L新聞の編集長女子たちと稲荷で合流。

巫女舞が終わり、しばし稲荷関係の方々と歓談。

誰が蚊にイチバンさされたか…、と笑う。


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そのあと、近場で冷っこいのをグ〜ッと。


ちなみに、え〜っと、今年の福引はこんなのが当たり。

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2018-07-18

冷血


真備や倉敷方面がメチャになって以来、毎朝、我が宅の上空近くを自衛隊ヘリコプターが4〜5機、東から西へと飛んでいた。

どこかの基地から支援に出向いている。

夕刻の5時頃、今度は西から東へ戻っていく。

それが日にちを増すに連れ、少しづつ機数が減って、今朝は1機も飛行しなかった。

ある種の段階が過ぎたというコトだ…。むろん、ハッピーエンドを意味しない。


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※ 真備の模型店「エラヤ」の惨状。朝日新聞ネット版のスクリーンショット


フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作となった『カポーティ』は、彼がアカデミーの男優賞をとったり、作品賞など5部門でノミネートされたりと話題の作品だったけど、今ひとつという気がしないワケでもなかった。

むろんホフマンアカデミー賞に輝いたのはアッタリマエくらいに思うし、『ツイスター』での竜巻観測員や、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』でのCIA局員で、彼にはアカデミー賞助演男優賞をあげていいと僕は思ってたから、おそすぎるくらいだった。

けど、『カポーティ』は映画としては、あまり刺さってこなかった。

『冷血』を書き上げるためのトルーマン・カポーティーの苦悩が、今ひとつストレートに伝わってこなかった。


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まったくの赤の他人である田舎の善良な家族全員を惨殺した2人の若者は逮捕され、やがて死刑に処せられるが、その過程でカポーティは徹底した取材を行い、獄中の彼らにも接していく。

その行いの残忍に戦慄し、罰は当然の報いと思いつつも、同時にまた、牢の中のその若者に人間をみる。一種の救済を願わなくもないという心も動く。

しかし、既に全米で名の知れた『ティファニーで朝食を』の原作者で有名人でもあるけどカポーティは一作家に過ぎない。牢内での犯人との面会という特権は得ても、彼には何も出来ない。

この題材を作品化させたい気分は、時に、牢中の犯人に嘘もつくことにもなる。筆が進むに連れて周辺の期待も高まる。刑死を前提に書く以上、さらには2人の若者の早い死刑を望むというようなことにもなる。

だからカポーティはゆらぎ、ゆすられ、ぶれる。

そして刑執行の日、面会した直後、刑場で吊られる若者をみる。

自ら、ノンフィクション・ノベルと名付けた手法による『冷血』はその後に書き上げられ、1966年に出版されて以来1500万部を越える超メガヒット作となる。

この作品ではカポーティは自身の主観を排しに排す。

けど…、カポーティ自身は、この”事件”から足を抜け出せない。殺害された家族、処刑され彼の眼の前で吊られて痙攣を起こしながらやがて動かなくなった2人の犯罪者の死が、彼から離れない。それでいて自分という作家は本にまとめてしまった…。被害家族の死と犯人らの死を下敷きに彼は巨額の印税を受け取る身になり…、タイトル『冷血』は自身に跳ね返っている。


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ま〜、そういう経緯を知って、だいぶんと前、この映画を見たわけだけども…、刺さってくるものの感じが薄かった。

100くらい感じたかったのに、40くらいしか、情動しなかった。

これには、カポーティーという実の人物の繊細を、充分に僕がまだ皮膚感として理解していないからだろう。

だからこの映画は、まずそこの部分、彼が尋常でない繊細を持った男であるのを承知の上に承知を重ねて観るべきなのだ。

そうでなくば、彼が『冷血』以後は長編をただの1冊とも書き上げられなくなる事実もまた見えてこない。

しかし、ごく最近、再見しようかなという気になっている。


オウム事件の犯罪者たち7名の一斉死刑があった前夜に、その執行の最終決定者たる上川陽子法務大臣首相らとパーティし、笑顔でピースしちゃってる。

この衝撃が大きかった。

人7名を一気に死刑にするゴーサインを出した人が、執行の前夜、平然とピースだかヴィクトリーサインだかで指を突き出し、カメラに向かって笑ってる。

驚いた。

巷じゃ、その議員パーティが大水害の警報が出てるさなかだったゆえ、その事で非難されるようだけど、死刑を明日執行しようという法務大臣やら首相がお酒のんで楽しくピースしちゃってる、その心情の置きどころに戦慄した。

冷血が、ここにいる。


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※ スクリーンショット


僕は必ずしも死刑反対を唱える側にいない。が、そうであっても、オウム事件の一斉処刑は余韻をひく。腑に落ちないままに幕を下ろされた感も濃ゆく、不快が残滓する。

もし自分がゴーサインを出す立場にいたなら、たぶんゴーサインを出せない。仮りに出せても、刑の前夜は落ち着かない。カポーティではないけど、ゆれて、ぶれて、ぐらついているはず。

ところがこの上川という大臣は、大量死を決め、その前夜に笑顔でピースだ…。

ありえないでしょう、その振る舞いは。

いっそ、この厚顔かつ冷血な人物を題材にした映画を造ったがいい。そう思うくらいに気分が悪い凄惨な光景だった。


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先月に亡くなった加藤剛が犯人役だった松竹の『砂の器』(1974)は、松本清張の原作から複数の因子を外し、ハンセン病にテーマを絞ったことで視界を明快にし、さらに芥川也寸志のオリジナル交響曲で加藤演じる気鋭の音楽家の”心のカタチ”を耳に聞かせてくれて全体の輪郭を際立たせてたけど、刑事役の丹波哲郎が調査に調査を重ねたあげくに確信を積みあげ、逮捕理由を警察署内での会議で披露するシーンは圧巻だった。

丹波は声が次第に枯れ涙声になるのを懸命にこらえている。

犯行に及んだ犯人の生い立ちと被害者の善良のその歯車の軋みに同化して、ついに大勢の署員の前で落涙する。予期しない涙だった。あの『大霊界』のヒトが犯罪者たる人物の心情に触れ、泣いている。

思えば、『カポーティ』のホフマンもそうだった。死刑直前の面会シーンだ。演じるうちに感極まった。メーキング映像によれば、予定外の涙ゆえ、ふさわしくなくカットすべきとの意見もあったようだ。


そんな情動を…、こたびの死刑執行の責任者たちからは、皆目、感じられない。笑顔のピースには心のコの字も顕われない。

これほど寒々しい光景もそうない。

けどまた一方で自分はどうなの? そう跳ね返ってくる。

なので『カポーティ』の再見を…、思ったんだ。

でもまだ、たぶん…、繊細の目が荒すぎて電圧が足りない。

2018-07-13

ハン・ソロとドリーム


ハン・ソロ』は、ピカピカのミレニアム・ファルコンを見たいという思いが先行していたから、実際に映画館で接したら、拍子抜けを感じないわけでなかった。

晴れて一気に暑くなった日、単身で出向いたわけだけど、館内はボクの年齢に近っぽいオジサン1人がいるきりの閑散で、またまた映画館独占しちゃった〜な感じを味わいつつ、いいのか、こんなことで…、ディズニー印となった「スターウォーズ」の今後にイエローなライトが灯ってるような気がしないでもなかった。

要は、若い人を引きつけられないんだ…。この映画の製作者たちは観客の世代交代というか、さらなるジェネレーションを観客に迎えたいのだろうけど、失敗している。

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ノンストップ高速なめまぐるしい展開であっても、シーン描写は、過去作品を見ていないとチョットよく判らない、いわばマニアライクな小道具やら人物配置にウェイトが置かれ、その過去作品との大河物語としての整合性は確かにそれなりに描けてるけどもだ…、いささか媚びを売られてるような感もあって、何か、どこか、興奮させてくれる要素が希薄なんだ。

1つには、もう既に、ハン・ソロは息子に殺害されてしまったという”事実”を知ってるから、彼の過去をどう描こうと、どのような彼女がいようと、ワクワクする気にはならないという次第が横たわっている。

その上で、今回の若いハンを演じた役者さんとハリソン・フォードとの整合性、ヒロイン役はこの起用でよかったのかどうか? そこいらの見極めもあって、簡単にはノレない性質も帯びているからヤッカイだ。

このヒロインは女のコなのか、女なのか…、そこの狭間にブレが垣間見えるようでいささか不安定をおぼえた。


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単身で観たのは失敗だった。

これは女子といくべきだ。

女子の見立てと男子の見立ては全然違うからね。そこを観終わった後にア〜ダ〜コ〜ダ〜と言い合うべきなのだった。むろん、呑みつつが望ましい。

それともう1つクエスチョンがあって…、この映画は妙に全体の画面が暗いんだね。作品の質なのかメルパ岡山の映写装置のせいなのか判らないけど、最初から最後まで雨のあとに霧が発生して視界やや不良みたいなビジュアル。だから、それがノリの悪さを増加させてた。

おそらく、『ハン・ソロ 2』なんて〜のも造られるんだろう。彼女喪失の悲劇をテーマに…。まっ、ドンドンやってちょうだい。つきあうから。


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しかし強いて希望をいうなら、出来たらスットボケてるほどにノ〜テンキで明ッかる〜い「スターウォーズ」を見たいんだけどね。近頃のは、古い油で揚げたトンカツ、しかもコロモが大き過ぎって〜感じでねェ。


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『ドリーム』はBlu-rayの廉価版が販売されるのを待って、こたびの7/5発売日に届く予定だったけど、かの大雨と重なって配達が遅延し、数日遅れて我が宅に届いた。

で、昨日の早朝やっと観る。

『HIDDEN FIGURES』を『ドリーム』と邦題しちゃった日本の配給会社は愚鈍で悶絶もんだけど、内容は、かの『ライトスタッフ』の黒人女性バージョンと云ってよし。実際、同映画をうまく踏襲している。引用を越え、オマージュを越え、事の運びを盗んでるよう思えるシーンもある。

しかし存分に鑑賞できる作品には違いなかった。

いっそ『ライトスタッフ』を補完し、マーキュリー計画でのアレコレを別角度で見てるようでもあって、喰いいるように観た映画はお久しぶりだった。

超エリートが努力するという図式もまた『ライトスタッフ』と同じだけど、”輝ける資質”とでもいう部分においては白も黒もなく、むしろ黒がゆえに苦労が大きかった彼女たち実在の人物に焦点をあてたこの映画は、硬度が高かった。

だからこそ原題を活かし、『影の主役たち』とか『陽はあたれねど』とか…、工夫すべきで、邦題の『ドリーム』はあまりに安直。いっそ腹立たしいほど映画の価値を貶めている。


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60年代初期に発足したNASAの施設では白人用のトイレはフロアにあれど、黒人用のは800メートル向こうの黒人用施設にしかない…、という、その人間の生理に基づく描写を綴ることで人種差別されている側の気分がよく伝わって、秀逸だった。むろん、これは史実とは少し違う。違うけど、映画という表現手段でこの嘘は許される性質のもの、象徴的誇張というもんだ。

100メートルでは意味がなく、1200メートルだと誇張過ぎ、800メートルという距離の頃合いが差別の存在を見事についている。差別距離で見せた初の映画かもしれない。走ってそこに行き、また走って戻る彼女の心情の奥にある鬱屈たるや…。


監督は男性ながら、原作も脚本も、そしてカメラまでが女性というのが頼もしい。

この映画は脇役の方々が全て良いのも特徴で、どの顔も印象が残った。

わけても、上級管理職役のキルスティン・ダンストがいい。彼女の職業的立ち位置による身についてしまった傲慢と、彼女自身の苦労と脆さと、彼女の中の差別的意識の変化、あるいは変化していないのかも…、が見もの。調理に山椒をくわえることで旨味の背筋がシャンとするように、この女優さんはそこをわきまえ、ピリカラ風味をのっけてくれ、我がメダマの注目度が高かった。たしか『スパイダーマン』のヒロイン役だった人だね。


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マニアっぽい眼でいうなら、宇宙飛行士がマーキュリーに乗り込む描写は良くなかった。たやすく乗り込んでいるようで良くなかった。

あのカプセルの狭さこそがマーキュリー計画の”人間を宇宙に送る”のカタチを示してるわけで、実際は技術者にヘルプされながら機械装置の中へ潜り込む。まず左足を入れ、装置に触れないよう注意しつつ身体をひねって右足をいれ、さらに…、という体だった。それほどの小さな物体を宇宙に運び、コントロールして無事に戻すために主人公たちは計算式と組み合い、格闘しているんだから、だから、その辺りの描写の克明が追加されていればと…、惜しい感もチビリあったねェ。


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※ マーキュリーの模型。搭乗口の1/3はフロント・パネルがせせり出ていて…、簡単には乗り込めないのデス。

2018-07-10

幸災明暗錯綜之国


メチャな災害となった数日前の大雨…。家を失ったり水浸しでまだ茫然とされている方も多かろうし、亡くなった方の口惜しさは計りようもない。

台風のそれなら、中心の接近と離脱が概ねで承知されるからまだしも、こたびのはかなりの難儀もんだった。


東京在で来年に銀座のどっかで個展をやるMOMOちゃんより、「大雨ダイジョウブかぁ?」との問いあって、「だいじょ〜ぶ〜」っぽい返信を送ったりしていたのは前半の頃…。

昼夜4日降り止まない雨というのは、ボクもおぼえがない。気づけば道路が冠水。ジワジワ水位があがるじゃないか。


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※ 我が宅門柱の向こうは一気に水路と化す


昨年の豪雨で若干の対処法を学んだから、宅の敷地内でイチバン脆弱な、すなわち道路とつながった門の部分に、横長プランターを複数置いて水の侵入をある程度防ぐというようなコトをやった。

けども、4WD系の座高の高いクルマが強硬に冠水道を通るたび、波がおき、土をいれたプランターはいともたやすく1メートルほど流されちまうのだ。

波のチカラというのは凄い…。

それでさらにブロックやら石をプランター背後におき、プランターの上に水を入れたバケツをおくなどして、固定に務めた…、のはいいけど、さてそのようにすると今度は外に出られない。

ま〜、もとより道路も側溝も水没しているんだから外に出る必然はないし危ないし、結果その後まる一昼夜ほどは籠城状態、軟禁状態となって雨が止むのを待ちぼうけなのだった。


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※ 道路向かいの民家は車の水没を危惧し、強硬に玄関横に車を移動…。


4日めとなった土曜の昼前、小雨になって水が引きはじめ、車高の低い我がミニでも何とか駆けられるという頃合いで近所のスーパーへ出向けば、あじゃ〜〜、どえらい客数。車を止めるに待ちぼうけ、店内も人でいっぱい、レジは長蛇の列。正月前の光景より繁華。

皆さん、身動きがつかなかったゆえ、この時とばかりに押し寄せたんだろうが、食パンなど含めて棚の多くがカラッポだ。

被害の大きい真備や総社に食品企業が集中し、製品供給が止まってるわけだ。

表町界隈で音楽イベントのプロデュースをやってるF氏も同じ地域の住人で、彼も買い物列にくわわってた。いわく、

「もう2時間ほど強雨が続いたら、ウチは床上までやられてた」

苦笑する。

苦笑ですまない災にあった方々は本当に気の毒でしかたない。着の身着のままに避難し、家も、そこにある思い出ある品々も失ってる人に、どう声かけたらいい?


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※ スーパーの空っぽの棚


今回は10数年に1度の大災害とか報道されているけど…、はたしてそうか?

災害のニュースは毎年繰り返し見聞する。ほぼ毎日どこかで地震もあるし、毎年の台風もある…。だから10年に1回ってなアンバイじゃなく、

「またもや」

と報じた方がいいような、災害が常駐し日常化してるのがホントだろう。

実態としては不安定極まりない国土ゆえ、といった方がいい。そういう地理的条件と気象的条件の上にボクらは住んでることを自覚するためにも。


逆にいえば、その不安定がゆえ世界屈指のメリハリある四季があるわけだ。

自然そのものが安定しようと務めるがゆえの、四季だ。

で、そこにボクらは情緒を見いだして久しい。

四季を愛して久しいし、ありがたがる気分も高い。

だけど、自然そのものは情緒は持ち合わせない。

風が吹くのは大気が自身のバランスを保つためのもの。それゆえ、自然自体の安定がために時に強風になり時に大雨になる。都合良い微風ばかりじゃない。

その頻度が実に高いのが、この国だ。しっぺ返しみたいに情緒を粉砕されて痛いメに遭う。失くすものが大きい。一喜あっても一憂もまたでかい。


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※ ネット版朝日新聞スクリーンショット


でも結局、ここにしがみついてなくちゃ〜いけない。

ひどく熱しやすく醒めやすい心情のうつろいは、この風土が根っこにあるのかもしれない。

前にも書いたけど、自然の中に神々を見いだす神道という他国にはちょっと了解出来ない精神世界も、この風土あってのものだろう。

それで…、

倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 倭しうるはし

まほろ」、のような住みよさを表す古語もあれば、

ねぬる夜の夢をはかなめ まどろめば いや はかなにも なりまさるかな

「はかな」、のように無情を謳いあげる心情語も発明されて同居する。

諸々考えさせられる我らが国土と人。揺れる大地に住まって、文字通りに浮いた感もアリアリ。

浮世処世術、なんて江戸時代に出て来たベタベタなコトバも、ある意味、適語とも思う今日この頃だけど、災害に呑まれた方々の折れた心を思うと、コトバはさほど役立たない。

言霊(ことだま)という脅迫観念に裏付けられた平安や鎌倉時代の方がコトバは有益でパワーがあったと思えるけど、

「気の毒でした」

の一語に、今は科学の知見がボクらを赤裸にしちゃって魂を吹き込むことが出来ないから、いささか、もどかしや…。

2018-07-05

サバ缶が売れている


最近ちかごろ、缶詰業界に異変があるとのコト。

サバ缶が売れているらしい。

じっさい、この数ヶ月、立ち寄るスーパーの缶コーナーでサバ缶が妙に品薄とは感じてた。

このブログでくどく書いてたせいで、あろ〜ワケはない。


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※ 売れちゃってガランとしたサバ缶コーナー。近所のスーパーにて。


しかし、サバ缶が売れていると判って、ボクが喜ぶかというと、実はそ〜〜でない。

むしろ、訝しみと嫌疑を混ぜつつ、

「話題になって欲しくはね〜なぁ」

かねてよりサバ缶の地味に舌鼓をうってた特権階級的ヒッソリな孤高が、これで打ち砕かれるようで、不穏な気分を募らせているのだった。


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この数週で、見たこともない缶がスーパーに並ぶようにもなった。

新製品が出てるワケだ。

…むろん、買いますわな。

けど、けど…、なんか腑に落ちない。

誰が、何のために買ってんだ?

いやさ、そりゃ食っちゃうためにだけど…、ブーム的動向がどうも気にいらない。

かねて当方としては、サバ缶はサバ缶のままに、封をあけそのまま喰うを原則としてきた。

ぬくめない。何かと混ぜたりしない。そのまんまを味わう、これを守って数十年の身の上だ。

いわば純血主義…。

その上さらに、500円を越える缶は缶として認めね〜、ゼッタイ買わね〜…、と、マイノリティーなその価値観の保持にこそ昂悦していたワケなのだ。

なのに、多くがサバ缶を求めるようでは、まるで自分がお水で薄められたコーヒー薄味みたいな感じになって、まこと感じ悪い。

が、そこを強く云い立てると、まるでアルカイダ偏屈原理主義が自分の中に台頭するようで、ちっと嫌な気分も出てくる。

聖戦の戦士をきどる程におろかなことはない。ましてや生鮮でない缶詰加工のサバを愛しちゃってるだけの貧しい舌の持ち主たるを愛おしく、いわばその自己愛に耽溺してるだけの者がボクちゃんだ…。


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なのでこの先、右肩あがりにサバ缶が売れてくのか、あるいは一過性なブームで収束するのか…、ま〜、そこが気がかりだけど、あんがいと楽観する気分もないではないのだ。

スーパーの棚を観察するに、小気味よく売れてるのは味噌煮のものであって、水煮はやや低調のようなのだ。

フフフ。

なので、仮りにブームであるなら、ヘヘヘッ、ちょろいもんだ。直にあきられブームは終わる。

と、ま〜、そう密かには期待してるワケ。

サバ缶のスーパースターは水煮だよ、諸君。

水煮特有のいいささかの生臭さを極めて初めて、サバ缶の持つ宇宙的地味の深淵が悟られるんだ…。


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けれど、しかしだ…。

も少し真顔になって考察を加えるなら、ABE政権の長期化に伴って貧富の差がジワジワ浸透し、いわゆる庶民は、いわゆる庶民感覚でもって…、食事に関する費用算段にシクハックしているのが本当で、それゆえ廉価なサバ缶でもって時に夕飯の調理材料費の削減を”強いられて”いるのかもしれないのだ。

いわゆる庶民というのは、数10円の差に翻弄される存在であることは明白で、それが数100万の単位になるや普段的でないその額面に朦朧としちゃってよく判んなくなる性質を持つ。

シーチキン缶よりサバ缶が売れている真相は、その10円に庶民がいよいよ追い詰められていると、いえなくもない…。

この辺りの見解をABEに問うてみたいとも思うが、ま〜、この男は…、たぶんサバ缶食ったこともないだろうから、その口から出るコトバもつまらんだろうけど。

生活保護受給者介護サービス受給者が加速度的に膨れ上がってる、世界指折りの老人国になりつつあるというに、だからこその10円の差の杞憂なのに、この男のアタマは富国強兵の幻想でイッパイなんだから、ね。


なので、サバ缶好調の理由は2つのうちのどっちかだろう。

1. 多くの方がサバ缶にめざめちゃった

2. 多くの方がビンボ〜になっている

しばし、サバ缶の売れ行きを注視していよう。


と、それにしても今日はよく降ってるなぁ。大雨の様子。

皆さん、足元にお気をつけを。

2018-07-01

CAFE & SWEETS AOYAMA


先夜、唐揚げの店に並んでる夢をみた。

だいたい、並んでモノを買ったりするのは大嫌いというか、並ぶことを由とはしない方なので、なんで夢の中で並んでんのか…。腹立たしい。

しかも猛暑。さらにすごい湿気。不快。

唐揚げのカラッとした上がり具合とは対比的。

こりゃやってらんない…、行列から離れようとすると後ろのカップルが、

「逃げるんですか?」

妙な文句をいう。

ワケ判らんな〜と腹立たしくって反論しようとすると、店の看板がなんかマクドナルドだ。

あれ〜?

唐揚げじゃないの〜?

居心地の悪さにジタバタして眼がさめたら、Tシャツの首筋グッショリ。

室温高くって、寝汗にまみれてた。


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高屋クリニックの院長が急逝して、もう何年になるかしら?

たしかボクとは同い年だったよう覚えるけど、いっときは主治医的に診てもらってたもんだ。

マイ・マザーの通院都合があって自分の検診もマザーと同じ医院に変えて高屋クリニックから遠のいてしまったけど、お久しぶりに近場に寄ってみると、病院のお隣にCAFE & SWEETS AOYAMAなる店が出来てら〜。

あらまぁ、いつのまに出来たのかしら?

イーツはどうでもよろしいが、ランチがあるので入店してみると、店内はゆったり広く、コップ利用の照明具など演出がオシャレなれど、

あっちゃ〜!

女子率がめっぽう高い。


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というか、女子だらけの満席状態。左隣が若い女子2人、右隣はちょっと中年女子2人、後ろは小さいお子を連れた女子3人、さらにその向こうも女子、こっちもあっちも女子、スタッフもオール女子。

どのテーブルのどの女子もよくおしゃべりし、あちゃらこちゃらで笑い声がたえない。

その喧騒が良い意味でこの店の特徴となってると咄嗟に判っちゃう。店は客が創る…、の好例かしら。

サービスランチのパスタは悪くはないし、サラダは自由に幾らでも選べるし、コーヒーポッドには3杯分くらいが入ってそれで1人前らしきだし、食後に抹茶のムースも1切れ出てきて、これで1280円ほどだからプライスもよろしいが、けど、男子孤軍にして一身に視線浴び、居心地いささか…。

入口サイドの待合に、ジョブス・フィギュアの椅子と同じもの(断定は出来ないけど)が2脚あり、ムロンこちらは実物として、お席が空くのを待ってる女子がお座りになってたのが印象良し。


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2018-06-26

不器用に造るが宣い 〜三遊亭円朝〜


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土曜にTetsuya Ota Piano Trioのライブ。久々の会場係。

上写真はリハーサルでのヒトコマ。

片付け後、BARへ。退院直後のママさんに慰労のいっぱい。思わぬ出会いもあって数杯に。


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日曜に桂そうばと小鯛の落語会。

先々週あたりから三遊亭円朝を拾い読んでるさなかでの落語会。なんだか不思議のタイミング。

そうばは聴くたび成長を感じる。いつも思うが”枕”がうまい。今回はじめて彼の創作も聴く。期待継続中。ただ「代書」はちょっと力が入りすぎた感。

小鯛は、2年前に聴いたさいは小骨ばかりで身が薄い…、と感じたけど、今回の「青菜」はま〜、少し肉がついた感あり。ある種の速度感も維持され、「おや?」ってなトコロもあって、やっと小鯛の名にふさわしい個体になってきたなとも…、思わないでもない。


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月曜に某イベントの時間打ち合わせ。まだ先の事ながらそこは要め。

午後数時間、関連の資料探索に費やすも、出てこず。しかたない。これは日をあらためるコトに…。

以後、寝っ転がって円朝の続きを読むうち、ウトウト甘睡にひたる。


江戸の末期から明治初頭を駆けた三遊亭円朝三遊亭圓朝と書いた方が、時代気分に手が届くような錯覚があって良いのだけど、ここでは円朝で統一。


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円朝が創作し演じた題目のほとんどは当時の誰かに速記され、たびたび本にまとめられたから、言葉遣いがそのまま炯々とした文になって踊る。

だから明治の時代、文学を志した方々は皆さん、それを読んで驚いた。

説明としての言葉とセリフとしての言葉が溶け合い熱しあって、蔦のように高々に登ってく…。皆さん、激しく揺すぶられ、影響された。


陰々寂寞世間がしんとすると、いつも変わらず根津の清水のもとからこまげたの音高くカランコロンカランコロン…


上は「怪談牡丹燈籠」の一部だけど、擬音までが1つの文に溶け込んでるから、さぁ大変。

坪内逍遥二葉亭四迷、山田美妙、などなど…、皆っ、その口述を範とし、自身の作品に反映させた。”言文一致体”なる手法用語もここに登場をする。

文章大革命といって過言でない。

いわばテキストという乾燥物がテキスタイルな柔らかげな織物になった。

文章という代物がここではじめてライブ感を得たわけだ。グル〜ヴィ〜なうねりとスィングで、ジャズ&ロックしはじめたワケだ。

先例がないわけでもない。例えば坂本龍馬土佐のお姉さんに出した手紙などには、口語へのアプローチがあって今眺めても随分に鮮烈だけど、当時はま〜、メチャな文章として定形外の外に置かれてたし、龍馬とてそれを意識していたハズもない…。けども、円朝は肉声がテキスト化される事をキチリと意識しての創作だった。カランコロン…の擬音に、この幽霊には足があるとの暗示の含め入れに成功した。


円朝怪談モノや人情モノと共に日常のちょいとしたスケッチを高座で話すことも多であったから、事物の細部がくっきり見える。

例えば、手燭(てしょく)、懐提灯(別称は小田原提灯)、行灯(あんどん)、弓張提灯、ぶら提灯、雪洞(ぼんぼり)、などなどの灯り道具だけでも、その呼称と用例が当時を立体物として立ち上がらせてくれる。


暗ぅなりましたんで、小田原ぁ、取り出し灯(ひ)をいれましてね


と、あれば懐から小さい提灯を出したというコトだ。小田原提灯は灯りとしては広範囲を照らすものでないが、携帯することを前提に折りたたみ式なのだった。なので当然に小さいというコトも知れる。


また、話し言葉1つでもって心情の根ッコまでが透けてくる。

ま〜、そのあたりの感触を、明治の事物混ざりの空気を、気っ風を、学習したいわけで拾い読んでる次第。

円朝は創作にあたっては、ほぼ必ず取材した。題材とした土地を歩き、そこに住まう人に話も聞いた。そのあたりの真摯は森まゆみの『円朝ざんまい』に詳しい。彼女自身が円朝の足跡を追歩しての労作。良いガイド本にまとまって素晴らしい。

”考察本”としては矢野誠一の『三遊亭圓朝明治』に教わるところも大だけど、いささか望遠レンズでの光景が過ぎ、森まゆみのような体温は伝わらない。


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ボクがはじめて円朝の作品に触れたのは、10数年前、6代目三遊亭圓生の4〜5枚組CD『真景累ケ淵』で、これは弓之町のY理容室のY氏から、「怖いですよ〜」と頂戴したものだった。いや、じっさい怖かったの何の…、鳥肌だって髪の毛ェ抜けちゃってぇ、え〜、それでY理容室に行かずとも済むようになりまして。


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森まゆみ円朝のセリフ、

『言葉は国の手形さ』

を心の内に深く刻まれているようだが、確かにそうだろう、合点がいく。


下記は「指物師名人長二」の部分。眼でかじるもよし、声に出して読むもよし。静謐な佇まいながら堅牢な美しさシミジミ。


 誰(たれ)いふとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所(どこ)か仕事に下手なところがあるのかと思ひますに、左様(そう)ではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是(これ)は長二が他の職人に仕事を指図するに、何でも不器用に造るが宣(よ)い、見かけが器用に出来た物に永持(ながもち)をする物はない。永持をしない物は道具にならないから、表面(うわべ)は不細工に見えても、十百年(とっぴゃくねん)の後まで毀(こは)れないやうに拵(こしら)えなけりゃ本当の職人ではない。早く造りあげて早く銭を取りたいと思ふような卑しい了簡(りょうけん)で拵へた道具は、何所にか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない。是は指物ばかりではない。画(え)でも彫物でも芸人でも同じ事で、銭を取りたいといふ野卑な根性や、他(ひと)に褒められたいといふおべっかがあっては美(い)い事は出来ないから、其様(そん)な了簡を打棄(うっちゃ)って、魂を籠めて不器用に拵えて見ろ、屹度(きっと)美い物が出来上がるから、不器用にやんなさいと毎度申しますで、遂に不器用長二と渾名をされる様になつたのだと申すことで。

2018-06-22

ひしお

過日。雨の日。どこか胃がどんよりとして食欲ゼロ。

風邪みたいな症状もあって熱っぽくもある。

どうかした弾み、吐き気すら兆し、こりゃ〜ヤバイな…、でも何か食べなきゃな、夕飯時だもんな、どうせ食べられやしないけどと…、お粥を作って「ひしお」をのっけてモグモグモグ。

ところが、これが意外やうまくってペロリたいらげ、もうイッパイ食べちゃえる感じ。

お粥って…、めったと食べないから舌がおひさしぶりを喜んだんだろう。


およそ十年程前、Kosakaちゃんの車でお仲間と四国に出向いたさい、どこかの道の駅で手作りの「ひしお」に遭遇。買って旨味をおぼえたけど、なかなか入手難が続いたもんだった。でも近頃は近所のスーパーで容易に買える。ありがたい。

「ひしお」、「もろみ」、「金山寺味噌」…、色々あるけど我が舌は「ひしお」を歓迎する。

とはいえ、それらの区別をボクはよく判っちゃ〜いない。

総じていえば「醤(ヒシオ)」だろ? 

では商品名の「ひしお」はどういう位置づけか?

下写真の”ひしお”と”もろみ”の上下関係は、ど〜なってんだ?

もろみ科目の中のひしおか? ひしおという名のもろみか?


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ま〜、詳細はこのさいド〜でもいい。

似通うものが縄文時代後期の遺跡から発見されているらしいから、随分とレキシある発酵食品という事に拍手をおくろう。

数千年経ってもまだボクらはそれを食ってると思うと、太古と今が一つの円の線上にあるようで、なにやらウレシイ。


過日。やや曇り。奉還町の某所にて会合。

大阪在住者が一人いて、新幹線で来岡。

阪神淡路とあわせ二度もでっかい地震でしょ。も〜ヤダよっ」

浮かない気分をビールで呑み込んでらっしゃる。

しかし彼でなくとも、皆、地震は苦手。怖いもののナンバーワン。

だから間違いなく、縄文時代を生きた方々も大いに怖れたはず。

というか、そのメカニズムも知らないだろうから、恐怖はボクらの数倍上だったと思う。

家族総出、集落総出で、怯えきり竦みきって肩寄せ合い、しばし数週は風のそよぎにさえ過剰反応しちゃってビクビクするのを懸命に鼓舞しつつ…、小さなカメに造り溜めてた「ひしお」をちょっと舐めたりして、生存の幸をジンワリ味わったような。

ま〜、基本的にそのあたり、現代も変わらんと思うなぁ。

克服に遠く、むしろ、降伏に近い感アリの揺れる国。なのでキリストさんやマホメッドさんのリーダー的存在を求めた一神教的なものより、自然信仰神道が萌芽して今も続くのは、ま〜、当然だ。


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古い商店を改修し6/12にオープンしたばかりのブリューパブアルマジロで、二次会。

1階が醸造所で、螺旋階段をあがって2階が店。

雰囲気は良いけど、オリジナルのビールはボクの舌には今ひとつ…。

でも安いね、グラスいっぱい300円。

ピザはうまかった。


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