仁義なき戦い 練馬血闘編

本日よりうちに新しいお猫さまがお住まいになることになる。宿主の知り合いのHさん宅にいつの間にか上がりこんできた野良猫を譲り受けることになった次第。なかなかに百鬼園先生めいたシチュエーションである。このためだけにわざわざ群馬から上京してくださったHさんに感謝。ちなみに名前は「春野」となす。

しかし同じ猫でも「格」の違いは歴然としてあるのだね。人間以外の哺乳類に接した経験がほとんどなく、マンションの一室で蝶よ花よと育てられてきた狩野が警戒心むきだしで「きっしゃあああ」「がうるるるる」とうなりまくっているのに対し、野良社会の過酷な生存競争を生き抜いてきた(やや潤色あり)春野は春風駘蕩泰然自若、部屋に着いてから10分後にはオレの仕事用チェアの上をちゃっかり確保して、寝息を立てている始末。春野が菅原文太、狩野が川谷拓三に見えてくるの致し方あるまい。

初対面から12時間経過した4:00現在、狩野も最初に較べればかなり落ち着いてきたが、やはり春野が至近距離まで接近すると「きっしゃあああ」となってしまう。全面和解の日は訪れるのであろうか。

ボブ・ディランがやって来た

NHKアーカイブスの「ボブ・ディランがやって来た」を観る。芥川賞を受賞して間もないころの村上龍が、ボブ・ディラン初来日をめぐる各界著名人の反応を探っていくルポルタージュ。つかこうへいやら泉谷しげるやら岡林信康やら秋田明大やら(もっと大物も登場したはずだが、忘れてしまった)、コメントを寄せている面々が豪華絢爛。しかし個々のコメントは正否はどうでもよい。そもそも正否を判断できるほど、オレはディランに詳しいわけでもない。

ただ「自分の意見」を確信に満ちた眼差しで語ることのできる当時の20代、30代のインテリやクリエイターを見ると、「ああ、何と麗しい時代であったのか」と思わざると得ない。オレも含めて微笑と苦笑と皮肉と韜晦とジャーゴンのなかにおのれを埋没させなければ何も語れないいまの20代、30代のライターは、それに較べて何なのだ。もちろん「むかしは良かった」という気はまったくないのだが。