とらちゃん

近所の書店で中島らも『とらちゃん的日常』(ASIN:4167585022)、『ネットランナー』、『日経エンタテインメント!』を買う。『日経エンタ』は「水曜どうでしょう」の特集記事が載っているので、宿主の厳命でなかば強制的に購入させられる。『ネトラン』はビスケたんフィギュアがほしかったので。しかし作るのが面倒くさい。ここで「面倒くさい」と投げ出してしまう時点で、オレが真性のオタクではないことが露呈されているわけだが。この週末にしてもコミケには行かず、実家に戻って墓参りに行く。

『とらちゃん的』はアマゾンのカスタマーレビューで、「猫と暮らしてる人間として、絶対許せないことをする記述があります」と批判しているひとがいる。それはおそらく文庫版の46ページから47ページにかけての記述を指すのだろうが、「死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許して貰いたいと思います」。*1

まだ半分しか読んでいないのだが、心に残った一節を引用。中島らもがある年の「年越しライブ」をやることになったときの話である。


 ロックバンド*2の前に大喜利

 内容は、

「一」

 と司会者が言うと、回答者が、

市川崑がどうした」

(中略)

 といった趣向であった。

 ところが、

「四」

 になったとき、誰だか知らない落語家が、

「枝雀師匠。何で首吊って死んだんやなあ」

 とぬかしたんである。バカな客が何人かヘラヘラ笑った。

 おれは全身の体液が逆流した。

 はなくそ落語家が、あの落語殉教者に対して何を言う。

オレは中島らもを「何で階段で転んで死んだんやなあ」と揶揄するような、はなくそライターにはなりたくない。それこそ「絶対許せない」ことだ。

*1:林芙美子の葬儀における川端康成の挨拶より。出典は嵐山光三郎『追悼の達人』(ISBN:410141906X)。

*2:中島らもがメンバーの一員である「PISS」というバンド。大喜利に出たのは落語家中心のおちゃらけバンド。本番の前から、中島らもはこのバンドを快く思っていなかった。

かくも残酷な冷淡さ

28歳兄がひきこもり

これはすごい。2ちゃんねるでさえ、ひきこもりに対してここまで冷淡ではないだろう。ちなみに「大手小町」は讀賣新聞のサイト内にある女性向けのコンテンツ(「讀賣」本紙にも同じコーナーがあるかどうかは不明)。ハンドルや文体からして、掲示板に書き込んでいるのも女性が中心だろう。

多くの発言から伝わるのは、彼女たちが社会現象としてのひきこもりを批判ないし改善しようとしているのではなく、自分の家族にひきこもりがいるのを「恥じて」いることだ。これはまったくの推測にすぎないが、20代から30代前半の独身女性は、同居している家族にひきこもりがいることが、恋愛や結婚の上で障碍になると思っているのかもしれない。たしかに「あたしのお兄ちゃんって、すっごいオタクなんだ」だったら冗談半分で言えるが、ひきこもりとなるとそうもいかない。

以上のような理由があって、若い女性はひきこもりを過剰に嫌悪するのだと推測するのだが、違うだろうか。