020128「ゆかこのとかたまができるまで・お豆腐工場見学」
プロローグ
2002年1月11日。その日はやってきた。
もちろんデザインをやらせてもらった人間として、そのおとうふがどのように作られているか、という事に興味を持つのは当然である。
しかし、その「とかたま」が作られている三和豆友食品の工場は茨城にあるのである。
けっこうな遠出。
そんな時に三和豆友食品、Iさんもとい、伊藤信吾さんのほうから「工場見学にいらしてくださ〜い♪」という神のようなお言葉。
そんなに言うなら!(そんなに言ってないけど)喜び勇んでこの計画を実行にうつすことにしたのである。
ここで集まったのは村上ユカ、うちの10ヶ月の娘(強制)、千の小鳥の山兄氏&尚子さん、うちのダンナ、の名付けてシンクシンク遠足部員。
おいしいものならどこへでも!楽しい事ならどこまでも!
の精神を強く持つ僕らは当日おたまとうふのように期待に膨らんだその胸で上野駅に終結したのだった(うまいな私)。さてさてどんな旅になりますやら!
ついに!
上野より東北本線に乗り、荒川を超え、東京脱出。だんだん家が減り、畑が増え、空も広く、時々栄えたところがあり…をくり返して1時間ぐらいだろうか、ちょっとした街が高架の下に広がってきた。
そう、それが三和豆友食品のある茨城県の古河(こが)という駅。
案外早く着いた。
改札を出るとスーツを着た三和豆友食品の方々がお出迎えして下さった。
用意して下さった車に分乗して我々は工場へ。30分弱で到着。入り口はなんか学校の来賓の入り口っぽい感じだ。
応接室のような所に通される。いきなり入り口の所になんと「とかたま」ポスター!
少し説明&名刺交換などを。
「もちろん試食もして頂きます。ユカさんの一番の目的はそれだと思うので」
どき☆!(笑)!
そんなこんなで待ちに待った試食、じゃなかった、工場見学をすることに。
もちろん白衣アンド帽子&長靴着用のこと。
なんとなくこのシチュエーションを楽しみにしていた。一度着てみたかったのよ〜。娘もとりあえず帽子だけ。手を消毒し、びゅーっと風を浴びてホコリを落とす(娘号泣)。クリーンな体になったところで工場内へ。中はむわっとしてる。室度は25度以上はありそう。長靴も消毒する。機械の音が響く。
まず最初に「とかたま」の製造過程を見せて頂く事に。
工場内に隔離されたブースに我々は入る。そう、「とかたま」、そして「おたまどうふ」の2つのとうふは工場内にまた小さな工場を作って作られているのだそうだ。どうしてか。なんとこの2つのとうふはまぎれもない手作りだったのです!えええっ、機械じゃないんだ!?
とうふは巨大な寸胴にたんまり入っていた。この大きさだったら風呂に代用できるかもしんない。
上にビニールでふたがされていて、おやおや、赤マジックでなにか書かれている。
「十勝秋田NO.1あなたのためにspecial version with love by KOSANO」
...ぷっ。
ちょっとあなたウケ狙ってるでしょ(怒)!!
笑っちゃったわよ。
こんなに愛のこもったとーふをさめないうちに、まずはまずは試食をさせて頂く。
おおきなおおきなずんどうから、ほんとうにその名の通りおたまですくわれてきた美しいおとうふ。はあ、やっと出会えたよ。これが、非常に甘みがあって、無論無論うまかった。
そして特記すべき点は非常にやわらかい、ということ。するるん、って感じ。アイスクリームみたい。そう、しょうゆかけるの忘れてました。かけなくっていいんだもん。ごめん、もうスーパーにあたりまえのように四角四面に並んでるとうふと一緒にしないでくれ!って感じ。これがとうふ元来の味なんだなー、っ思いました。
さて、今度は実際に商品としてパッケージされていく行程を見せて頂く事に。手作り、といっても、一応はメカにのっかっている。とはいっても長さ2〜3mのほんとにパッケージを効率良くするためだけに作られた機械であるようだ。
でも一番驚いたのはとうふを容器にいれる作業までほんとうに手動なのだ。製品化する、というよりは、我々が普通にごはんをよそうようにどうぞ、って「もりつける」ような感じと言った方が適当だと思う。この手間はすごい。ここを私はキョーチョーしたい。うまく「まあるく」盛り付けられない場合はなんと廃棄しちゃうそうだ。
手前の方で大きな寸胴になみなみと入ったとうふが丁寧に入れられて、その容器がじょじょに前進してあのゆかこでシールされていく、という構造になっていた。ほんとうにアナログで、ほんとうに丁寧に作られてるお豆腐。ああ、ほんとに出会えて良かった。
とかたまのヒ・ミ・ツ
ひととおり見せていただいたところで、途中合流したこの商品を作るきっかけのやりとりをさせていただいてた、伊藤さんも交えて色んな話をさせていただきました。
「とかたま」はやはり三和豆友食品さんにとっても特別なおとうふであった。
いままでは、北海道でよくお豆腐にする大豆の品種というと、十勝の「トヨマサリ」という品種が常識だったんだそうだ。
でももっと大豆の甘味・旨みを味わえる大豆を使いたい!ということでとかたまは、「十勝秋田大豆」というものを使用することにしたんだそうだ。けれど、豆腐にするにはすんごく難しい固まりにくい品種なのだそうだ。
それでもこの大豆を使って豆腐を作りたいという気持ちにさせたのはやっぱりこの「甘味」。やっぱりそれは我々が思ってる事と同じで、まず、豆腐に味があるんだ、って初めて知らされたのはこのお豆腐だった。
思うのは簡単。でもそれを商品にするのにはなみなみならぬ苦労があり、一回目の実験では成功したものの、それが不幸の始まりだったそうで(笑)、それを商品として、安定して供給するまで、ほんとにたくさんのお豆腐を無駄にしたのだそうだ。
ここの工場も以前は全部オートメーションでほとんど無人でお豆腐を作っていたそうだ。
でも、そこで悟ったのは、
機械で作ったお豆腐はそれ以上の味にもならないし、そのかわり、それ以下の味にもならない。
そこで、人の手のかかった、本当においしいお豆腐を作ろうと思いたってできたのが「とかたま」と「おたま豆腐」の2つの商品だった。
ここまで聞いて、なんか音楽と非常に似ているような気がした。たとえばprotoolsで録るともちろん動作は安定しているし、SNもよい。
けれど、やはり味というものは少なからず損なわれてしまう。やっぱりアナログテレコで録られたものはやはりあたたかみがあるし。レコードの方がなんかどきどきするよね。
まさに今千の小鳥は最先端のスタジオでアナログテレコで録音するという、とかたま工場のような事をしている真っ最中で、ほんとに意外な所でシンクロしていたのには小鳥の2人ともとても驚いていました。
そして
トーフ屋さんもアーティストなのだなあ、って思いました。
こんなところで共通してるなんて思ってもみなかったんです。ものつくりっていうのはどんな職業でも共通しているものなんだなあ、って。
そして、もうひとつ意外だったのは、このとかたまを考えた伊藤さんは、ある意味豆腐屋ではない。足であちこちのお店でこんな豆腐があったらいいのに、とか色んな声を集められて作られた豆腐なのだ。もちろん自分が食べたい、というのもあっただろう。だからおいしい。無理を可能にしたゆえんはここだ。
今日はほんとうにいろんな話をきけて、ほんとうに良かった。
他にも工場内を色々案内してくださいました。本当に広くて、多分学校の体育館ぐらいあるのではないかと思う。
もちろん一般的な四角いお豆腐やあげも作られていて、それはわりと想像していたようなベルトコンベア状のものにのっけられてパッケージされていました。
意外とおもしろかったのはあげ関係。「あげ津波」っていう感じ。
そうそう、お話の時にできたての揚げを頂いたんです。それもしょうゆをつけるだけで。これがすごくおいしくて。
揚げってなんか印象うすかったんだけど、あげたてってこんなうまいんだー!ととにかくまあ、今日はびっくりとおいしいと感銘!のくり返しでした。(以来あげが好物になりました。あは。)
これだけ楽しませて頂いて、タダで帰るわけにもいかない(!)ので、サインさせて頂きました。しかも白衣です。はい。こんなの初めて(笑)。
左から山兄&尚子さん(千の小鳥)、村上ユカ
ほんとに今日は貴重で楽しい旅をさせて頂きました!ありがとうございました。
エピローグ
今回の旅はほんとに楽しかった。思ってもみないこと、そしてためになること、そしておいしいこと(!)たくさんたくさん凝縮して体験できちゃった。
しめくくる前に、子供がこれだけ小さいと(当時10ヶ月)なにごとにもことをおこすのもおっくうになってしまうことがほんとうに多いところをそれをある意味、そういう苦労をを知らない千の小鳥のお二人だからこそ(失礼!)、行こうよ!と言ってくれて、その心意気が無理を可能にして、そして楽しい旅になった。
サイコーじゃん!
なのです。ええ。
今回はそして特記すべきは、三和豆友食品さんの伊藤さんはじめ、工場の方々の後押しがあっってなしえた旅でした。ほんとにお誘い頂いてありがとうございました。このお豆腐にそして三和のみなさんにめぐりあえて良かったす。
くいしんぼでよかったす。私!!!
つーわけで
食いしん坊バンザイ!!