yuhka-unoの日記

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ひきこもりの品格―精神的扶養家族からの脱却―

前回記事『無意識に理想が高い人』を書いたところ、予想外にブクマが付いてしまった。良い機会なので、以前から思っていたことを書こうと思う。
 
母に誘導され洗脳されて行った進路先で学んだことは、今となってはほとんど覚えていない。「今となっては」どころか、一年も経たないうちに忘れていたと思う。
その理由はよくわかっている。当時は洗脳されていたので、「自分で選んだ道なんだ。自分がやりたいからやっているんだ」と、自分自身に思い込ませている状態だったが、本当は、最初から全くやりたくなかったし興味もなかったし向いてもいなかったからだ。
母はその進路を、「学費があまり掛からず、そこそこ安定している」という理由で選んでいたのであって、肝心の「私に向いているかどうか」を考慮に入れていなかった。いや、母の意識上では、娘はこの進路に向いていると思っていたのだが、それはただの後付けで、娘を自分にとって都合の良いように解釈しただけだった。
 
では、結局今までした勉強の中で、私の頭の中に残っているものは何だろうと考えたとき、ひきこもりになってから、自分自身のことを知るために調べた、共依存や機能不全家庭やアダルトチルドレンの構造、発達障害やパーソナリティ障害のことなのではないかと思った。これらは全てただの独学で、知識も十分とはとても言えないが、きちんと学校に行って習ったはずのかつての進路よりも、ずっと私の頭の中に残っている。
ということはやはり、ひきこもりになってからが私の人生ということだ。自分自身を救うために、切実な必要性に迫られて身に付けた知識であり、自分自身の経験と強く結びついていることなので、頭に残ったのだろう。
 
あとは、子供の頃から本を読むのが好きで、学生時代は学校の図書室と地域の図書館に入り浸り、通学途中に本を読むのが習慣になっていたので、それは知らず知らずのうちに身に付いていた勉強と言えるかもしれない。国語の成績だけは昔から良かった。こういったブログを書けるのも、それなりに本を読んでいた時期があったからかもしれない。
いずれにせよ、自分から興味を持ったり必要に迫られてした勉強が、自分の血肉になっていくのだろう。努力は夢中には勝てないものだ。
 
今までの人生の選択が、自分で選んだものではなく、母に誘導されたものだったと気付いた時は、ショックだった。
「私の人生を返せ!私の青春を返せ!私だって、自分の可能性に思いっきり挑戦してみたかった!その機会を奪いやがって!自由に生きて良いはずだった私の一番若い時を返せ!」母に対して、今まで感じたことのない、ドロドロした感情が湧き上がって来たが、その時は母には何も言わなかった。
私の母は、何事においても「なるべく金を掛けずに」という考えだが、たとえ母が私にいくら金を注ぎ込んだとしても、それが母のための人生ならば、それらの金は全て、母が自分のために使った金であり、私のためには使われていない。逆に、私のほうが、母の不安や心配を宥めるために、自分の貴重な人生の時間を提供してあげていたと言える。
母は、自分では子供の自主性を尊重する親のつもりでいたが、本心は決してそうではなかった。
 
それに気付いたからといって、いきなり自分の好きに生きられるわけではなかった。弟が生まれた3歳の頃から、親の望む「しっかり者で面倒見の良いお姉ちゃん」として生きてきた私は、自分の人生を自分で選択し行動していく能力が、3歳児の時点で成長が止まっていた。私は、この3歳児を、自分で育て直していかなければならなかった。また、「やりたい」という気持ちを抑圧されながら育ったため、その気持ちを取り戻さなければならなかった。
気付いた時点は、あくまでもスタート地点であり、そこから自分を変えていかなければならなかった。それは、母に舗装されたコンクリートの道路を掘り起こし、本来の自分という地面の道を表に出していくような作業だった。
 
私がひきこもりになったことを、母は心配したし、私に働けるようになって欲しいとは思っていた。だが、『ひきこもりとインターネット』で書いたように、母は無自覚に、私がひきこもりから脱出するのを妨害する壁となっていた。私はある時点から、自分がひきこもりになった原因を知っていたし、自分自身を救うために何をすべきかも知っていたが、母は私を救う術を知らず、逆効果のことばかりをしていた。自分自身を救う方法を母に話しても、母には理解できないことはわかりきっていたので、結果的に、私は母を騙す行動を取ることになった。
世間の常識は言う。「親に迷惑かけるな」「親に養ってもらってるんだから」「親を騙してはいけない」「親に感謝しなさい」と。
だが、ひきこもりという状態から脱出するため、自分自身を救うためには、これらの常識を捨て、ことごとく真逆のことをする必要があった。自分自身を救うためには、親に迷惑をかけ、親を騙すことも辞してはならない。これらの世間の常識を守って、一生ひきこもりでいるよりは、これらの常識に背いて、ひきこもりから脱出したほうが、ずっと自分と親のためになる。
 
世間からの「お前は人間のクズだ」という声は、容易に人を追い詰め死に至らしめる。私も、そういった世間の声を内面化してしまい、自分のことを怠け者のダメ人間だと思い込んで、毎日死にたい死にたいと思いながら生きていた。ひきこもりから脱出する努力とは、まず死なない努力だった。そして、自分の親子関係について調べ、分析する努力。理解のない親と交渉してカウンセリング代を捻出する努力。親から植え付けられた認識の歪みを直す努力。親と対決する努力。自分を解放する努力。世間の偏見を跳ね除ける努力。これらの努力をして、私は自分自身を救ってきた。
今では、私は「ひきこもり」という経験をしたのだと思っている。同年代の「普通レベル」の人と比べて、社会経験は乏しいが、人生経験という意味でなら、決して劣ることはない。ひきこもり期間は、本来の自分を取り戻すための戦いであり、私は休んだことはあっても、怠けたことはなかった。だから、世間がどう言おうと、私は私のことを悪く思うことはないと思っている。
 
いくら世間的に「安定している職業」と言われていても、自分に向いてなくてすぐ辞めてしまうようなら、それは「安定していない職業」と同じ。逆に言うなら、世間的には「不安定な職業」であったとしても、自分が続けていけるようなら、それは「安定した職業」。
自分で自分を安定させていくこと。世の中に「定職」というものがあって、それに就くのではなく、自分の「定職」は、何年もかけて自分で創っていくもの。
他人に迷惑をかけないことや、親に心配をかけないことを、人生の目的にしてしまってはいけない。自分の人生をより良くしていくことを、人生の目的にするべき。
 
私は、これまでの人生で、こういった価値観を持つようになった。そして、これらのことを実行していくためには、自分は何が向いていて、何をやりたい人なのかという問いが、必要不可欠だ。だから私は、「自分探し」はとても大事なことだと思っている。勉強も経験も、これが根底にあってこそ、積み上がっていくものだ。「個性を伸ばす」とはそういうことだ。
これからは、義務感ではなく、興味と好奇心をベースに生きていこうと思う。私は、自分のモットーを「人生エロエロ」にすることにした(詳細は『人生エロエロ(プラトン的な意味で)』を参照)。20余年も母のために生きてきたのだから、これからは好きに生きさせてもらう。
 
唯川恵の「OL10年やりました」という、タイトルそのままの、著者自身の体験を書いた本を読んだことがあった。おそらく、「女は25過ぎたら買い手がつかないクリスマスケーキ」などと言われていた時代の話だと思う。このまま会社にいても自分の居場所がない、未来がない、結婚しか逃げ道がないような状況の中で、「売れ残り」の著者は焦燥感を募らせる。
そんな時、かつて会社で最も幸せな結婚をしたと言われた女性が、会社に仕事を紹介して貰いに来る。彼女の結婚相手は実業家の息子だったのだが、親の事業が失敗し、彼女は子供二人を抱えて安アパートに住むことになってしまった。夫は貧乏生活に慣れていなくて働けないので、妻である彼女が働かなければならなくなったのだ。
人生に疲れきったような顔をした彼女を見て、著者は思う。会社が自分を幸せにしてくれるわけではない。結婚が自分を幸せにしてくれるわけではない。自分の幸せは自分で創っていかなければならないのだ。自分で決断できないようでは、いつまでも精神的扶養家族のまま暮らしていかなければならない、と。
 
私はこの「精神的扶養家族」という言葉が気に入った。親世代、バブル崩壊以前の時代の人たちは、一見自立しているように見えても、実際は精神的扶養家族という人が多いように思う。精神的扶養家族の親は、子供を精神的扶養家族にしてしまう。経済が安定していた時代は、それでもやっていけたのかもしれないが、これからの日本人は、精神的扶養家族ではやっていけないだろう。
若者のひきこもり問題は、経済が安定していた時代に覆い隠されていた親世代の問題が、経済が低迷した時代になって、子供に表れているのだと思う。だから、若者のひきこもり問題に、親世代の常識は通用しない。何せ、親世代の常識こそが、若者のひきこもり問題の原因なのだから。
私は、退職後鬱も同じ構造なのではないかと思っている。一見、会社を立派に勤め上げた人が、実は精神的扶養家族で、これから自分のすることを自分で決めていかなければならない状況になった時、何をして良いのかわからなくなって、精神の拠り所を失い、鬱になるのではないかと。若者のひきこもり問題ばかりが取り上げられがちだが、実際は、高齢者のひきこもりも相当多いと思う。
自立するということは、精神的扶養家族から脱却するということだ。
 

親の自立 - 不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局
 
ぼくは、どちらかというと、『不登校・ひきこもり・ニート』の経験者が、理解のない親からどうやって自立するかということについて、調べることが多いのです。


なぜかというと、「親が変われば子も変わる」っていいますけど、でも、実際のところ、親が変わったというのはあまり多くないんですよ。

変わらないか、変わったつもりになっているだけというのが大半。


だから、親が変わらない(援助を受けられない)子どもがどうやって、独力で『不登校・ひきこもり・ニート』から脱していくかということに関心が向くわけです。

為末大さん「我慢と部活動と鬱について。」 - Togetter
 
耐えたいという気持ちがどこかにあるかどうかを観察せずに、ただひたすらに耐えようとすればそれは只の習慣として自分を縛り、危ないと身体が叫んでいてもそこに居続けて自分を壊してしまう。耐えた経験は成長をもたらすのは、それが能動的だった人に多い。受動的に耐えた人は忍耐が習慣化しやすい
 
成功者やトップアスリートは苦しさを乗り越える事が大事と言う。でもそれは成功したからだし、そしてそれが好きだし頑張りたいとどこかで思っていたから。まずその心があるかどうかを確認せずに、とにかく耐えればいいという人が多い。そして鬱になったら気合いが足りないで済ます。

2012年5月26日(土): 星野智幸 言ってしまえばよかったのに日記
 
 バッシングを受けて政治が生活保護水準を下げたりしたら、どのようなことが起こるか。ただでさえ、社会から経済的社会的にこぼれ落ちて、生存の瀬戸際にいる大量の人たちを、死の側へ押しやることになる。背中を押したら死ぬとわかっている人に対し、複数人で背中を押したら、これは殺人になるのではないだろうか。今の社会が行っていることは、そのような行為である。有権者も政治家も、報道も含め。

 
 
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