スイス中央銀行と日銀:コミットメントとウェイトアンドシー

ブルームバーグより。
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920020&sid=a.MRvB9AjT54

9月6日(ブルームバーグ):スイス国立銀行(SNB、中央銀行)は6日、スイス・フランの対ユーロ相場に上限を設定すると発表した。上限設定は30年余りで初めて。中銀は、必要となれば「断固たる決意」でのこの水準を防衛すると表明した
  中銀は電子メールで配布した声明で、「大幅で持続的なフラン安を目指す」とし、「即時実行で、ユーロについて1ユーロ=1.20フランを下回る為替レートを容認しない。この下限レートを断固たる決意をもって防衛する。無制限に外貨を購入する準備がある」と表明した。
  フランはユーロとドルに対し最高値を更新、スイスの輸出と景気に打撃を与えていた。中銀は先月、短期金融市場の流動性を高めるとともに政策金利をゼロとすることでフラン相場の押し下げを図ったが、ユーロ圏債務危機悪化を背景にフラン高が続いていた。
  UBSウェルス・マネジメント・リサーチの経済調査責任者、シーザー・ラック氏(チューリヒ在勤)は「SNBは相当のリスクを伴う勇気ある行動を取った」とした上で、「大問題はSNBがこの水準を守るためにどの程度闘わなければならないかだ」と話した。
  SNBは前回、1978年にドイツ・マルクに対してフラン相場の上限を設定した。
  中銀の発表後にフランの対ユーロ相場は一時8.7%下落した。チューリヒ時間午前10時51分(日本時間午後5時51分)現在は1ユーロ=1.2035フラン。1ドル=0.8490フラン。フランは8月9日に1ユーロ=1.0075フランの最高値に達した。
  日本も先月、円高抑制のため介入に踏み切った。安住淳財務相は6日、今週の主要7カ国(G7財務相中央銀行総裁会議円高についての懸念を伝えたいと述べた。
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このスイス中銀の行為はゲーム理論でいうコミットメントの非常に分かりやすい例だ。日銀・財務省の行為と対照的なところも分かりやすい。そこで梶井厚志『戦略的思考の技術』(2002)を参考にコミットメントについて書いてみる。

まずコミットメントとは<自分が将来にとる行動を相手に知らせ、それを確実にとるという約束をすること>または<その約束の内容>をいう。いつものことだが一般的な用語法より限定されている。コミットメントの具体例は「予約」である。この例は後述する。本記事のスイス中銀は「1ユーロ=1.20フランを防衛する」という自分が将来にとる行動を投資家に知らせ、その行動を「断固たる決意」をもって確実に実行すると約束している。まさにコミットメントだ。

コミットメントの対概念はウェイトアンドシーである。ウェイトアンドシーとは<成り行きを見守りつつ意思決定をぎりぎりまで遅らせること>である。この時点で日本はウェイトアンドシーばかりだということが分かる。日銀・財務省の「円高を懸念している。動向を注視していく」といったコメントはまさにウェイトアンドシーの表れだ。本記事でも安住財務相がG7で円高についての懸念を伝えたい」などと言っているが何も意味もないだろう。G7には通貨安競争という「囚人のジレンマ」を解決するような強制力がないためだ。

ただ、ウェイトアンドシーにもメリットがある。状況の変化に対応できることだ。例えば、レストランの予約であれば「満席になって食事ができなくなる」という不都合を回避するというメリットを得ている。日銀・財務省はウェイトアンドシーをとっているが「状況の変化に対応」できているか?
一方、コミットメントにもメリットがある。そのひとつは<自分のコミットメントに基づき相手に「自分にとって好ましい行動」をとらせるようインセンティブの仕組みを変えることができること>だ。例えば、歩道を自転車で走っていると向こうからも自転車が走ってくる。この場合ためらっていると衝突するかもしれない。そこで自分が左右のどちらかに寄ってしまうのがよい*1。すると相手はこちらを避けるため反対側に寄り衝突を回避できる。本記事におけるスイス中銀の行動はこの理論どおり「投資家のスイスフランを買うインセンティブを下げること」を目的としている。

コミットメントにおいては<自分がその行動を実際にとるか>よりも<相手にその行動をとると信じさせるか>がより重要である。ここでもスイス中銀の行動は理論的に正しいと評価できる。本記事にあるスイス中銀の「断固たる決意」「無制限に外貨を購入する準備がある」といった表現は、投資家にスイス中銀がその行動(スイスフランの上限設定)をとると信じさせるための手段といえる。

以上からスイス中銀の行動はコミットメントの理論どおりだと評価できるものだ。そしてスイス中銀のコミットメントは現実に<スイスフランを対円で10円弱下げる>という効果を上げた。一方、日銀・財務省の行動はウェイトアンドシーだが、それにより状況の変化に対応できているとは思えない。小出しに為替介入しているが、結局1ドル77円あたりで止まっている。
このような違いの原因は何か。やはり意思決定の問題だろう。意思決定の問題とは組織の問題だ。経営学*2ハーバート・サイモン社会学者ジェームズ・マーチは<組織とは意思決定の連鎖である>と主張した。自分はこの考え方に賛成しているので「意思決定の問題は組織の問題だ」と考える。本記事でスイス中銀の行動は「リスクを伴う勇気ある行動」と評されているが、この数年(または数十年)、日本の政府(日銀含め)が「リスクを伴う勇気ある行動」をとったことがあるだろうか。このあたりに日本の組織の問題を感じる。

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)

*1:ゲーム理論では調整ゲームという種類のゲームとして表現される。

*2:ノーベル賞を受賞した経済学者でもあり、チューリング章を受賞した認知科学者でもあり、行動経済学の前史をつくったともいえる人物。wikipediaでの紹介にも「アメリカ合衆国政治学者・認知心理学者・経営学者・情報科学者。心理学、人工知能経営学、組織論、言語学社会学政治学、経済学、システム科学に影響を与えた」とある。