夏の陣 道明寺の戦い

今日は、天気が気になりながらも、大坂夏の陣、道明寺の戦いの古戦場を巡ることに決定。なんとかんかん照りの暑さー。
近鉄大阪線河内国分下車、一路、住宅街の坂道を、汗たらたらで登る。森にぶちあたるところを左へ、すると玉手山公園の東入口に到着、ふ〜。

入口入ってすぐに古墳、階段を上ると、「夏の陣両軍戦死者供養塔」があり、手を合わせました。
古墳を降りると、広くなったところに、豊臣方の豪傑、後藤又兵衛基次の碑と吉村武右衛門の碑がります。



さて、道明寺の戦いは、・・
1615年、4月、大坂夏の陣が勃発。すでに大坂城の堀を埋められた豊臣方は、徳川方に野戦で挑むことに。5月6日午前0時、後藤又兵衛基次
が先陣となって2800の兵を率いて、河内方面へ出撃、後続の真田隊、毛利隊を藤井寺で待つものの、両隊が霧などで、遅れ、後藤隊は
待ちきれず、小松山(今の玉手山付近)へ進撃、しかし、徳川方は本田忠正、伊達正宗ら2万の大軍。後藤又兵衛は奮戦むなしく、銃弾に
負傷し、吉村武右衛門の介錯で自害、後藤隊は壊滅しました。

さてさて、後藤又兵衛の碑をあとに、山を下ることに、途中、さびれた歴史館で、道明寺の戦いの資料を拝見、


さらに下ると玉手山公園の出口に。

次は、誉田天満宮へ向かいました。途中、石川をわたりました。

玉手橋は大阪では珍しいつり橋です。つり橋から 小松山を望む。


道明寺から東高野街道を南へ、暑さでへろへろになりながら、歩きました。

ようやく、誉田天満宮に着きました、立派できれいな神社です。

ここには、誉田林古戦場址の碑があります。

道明寺の戦いの続きですが・・
後藤基次隊が壊滅し、薄田兼相・井上時利が討死した午前10時頃、やっと第三軍の毛利隊が藤井寺村に到着。真田隊の到着を待つ。
午前11時、続いて真田隊が到着。真田隊はすぐさま、毛利隊の右をすり抜け、苦戦している第二軍の北川宣勝隊の救出に向かった。
幸村は北川隊を救出すると徳川軍の追撃に備え隊伍を整え敵を待った。 そのうち両軍入り乱れての戦いとなり、幸村の息子・真田幸昌や渡辺糺が
負傷するなど激戦となったが、結局、重長が兵を退いた。それを見た真田隊は追撃をかけたが他の伊達軍の部隊が援護に来たため、真田隊も西に
兵を退いた。このあと、八尾・若江の戦いで豊臣方が大敗したとの連絡・退却指令を受け、真田隊は途中、志紀長吉神社で戦勝祈願しつつ、
天王寺方面へ退却した。
このあとは御存じのように、幸村は5月7日、家康を窮地に追い込みながらも、安居神社で殉死、5月8日には大坂城は落城、秀頼・淀君は自刃となりました。

さてさてさて、私は誉田天満宮をあとにし、帰路につきました。暑い中でしたが、夏の陣を想起しながらの得るものがあったひとときでした。