いやはや、ブログの更新はいつ以来?そろそろ2ヶ月ほどご無沙汰になろうかと…
映画鑑賞に至っては昨年末に「ゴジラ−1.0」以来…
こんなに映画を観ないことあったかなぁ…コロナ禍を経て、それは度々あったか…
クリストファー・ノーラン監督の最新作で、先のアカデミー賞でも高く評価された本作。公開は3月だったけど、観に行くことができた4月末は、もう1日1回上映になっていた(汗)
なぜかと言えば、まず我が家の生活に変化があった事が大きい。出かける時間も金銭的余裕も、それ以前に心の余裕が無くなった。だから、今回の鑑賞は結構一大決心だったのだ
それでは、そこまでして観た本作、内容的にどうだったかを…
オッペンハイマーという人については、クリストファー・ノーラン監督作の主題として、広く世間で語られていた。日本にも大きく関係のある人物だったし。だけど、観る前の知識はその程度
映画「パール・ハーバー」のように本国と日本ではシーン差し替えがあったのだろうか…
クリストファー・ノーランならそんな手は使わなそうだけど…
全体の感想として、まず強く思ったのは「テレンス・マリックの映画みたい」ということ。観念的というか、「事実」は事実として語るけど、映画の主題は、そこに生きる人々の心のうちの風景を映し出すみたいな…
主演のキリアン・マーフィーが苦悩の主人公を演じきった。彼は顔も端正だし、佇まいもシュッとしてて絵になる。その彼が困難に挑み、結果を得て有頂天になった結果、厳しい現実を突き付けられ、1人苦悩する姿はなかなか胸に迫る
オッペンハイマーの成功と苦悩に焦点を当ててるので、実際にスパイ活動をしていた科学者や彼を裏切り続けた同僚についてはそれほど言及しない。そこを広げちゃうと3時間じゃ収まらないし…
私達は原爆開発と投下成功に沸くアメリカという国の本体より、それに関わった人々の人間ドラマを観たわけで、だからこそ、日本人でも観られる映画になっていたと思った
ドキュメンタリー風に味付けしたら、日本ではもっと賛否が問われたと思う
特に印象に残ったのはアインシュタインの描き方。オッペンハイマーが世に出る頃にはアインシュタインはもう時代の流れから振り落とされかけていた。映画の序盤でオッペンハイマーに一言、二言語りかけ、怒りに顔を震わせながらその場を後にする場面はラストでその意味が回収されるが、それがこの映画の全てのような気がする
国の加熱する核開発にがんじがらめにされる科学者たち。1人の人間にはどうすることも出来ない時代のうねりの中で、アインシュタインは自ら一線を引き、オッペンハイマーにヒントを与えた
そのヒントに気づくのはオッペンハイマーがもう引き返すことが困難なところまで走り切った後だった
アインシュタインってホントに優秀な人だったんだな…と。でも、彼も若かりし頃は自分の研究の行く着く結果を正しく感じ取ることは難しかったのだなと…けれど、これ以上進めてはいけないデッドラインを固く守り、オッペンハイマーのように後に続く若い世代にどんなにコケにされようとけして色をなして相手にせず、引いた。自分たちを利用する輩から距離を置いた。そこが強く印象に残った。アインシュタインは全て含めて5分も登場しなかったはずだが、クリストファー・ノーランが「彼」に託した部分は大きかったように思う
科学技術の革新は人々の生活を画期的に塗り替える。それは素晴らしいことだが、行き過ぎに気づいても、既にその加速の度合いに人間はただ怯えるしかなくなる
一緒に観た相方は「最後までよく分からなかった」と言っていた。
多分、世間の感想は極端だろうな…と思った。私は好きなタイプの映画だったけど…