「まんがで iPhone 使ってる場面」て見た事がないと思った。いま。

全てのまんがを読んでるワケぢゃないので「まったく無い」とは言えないが、音無芽留は国産ケータイでめるめるするし、皆本主任は国産ケータイで「解禁!」と叫ぶ。

たぶん片手で持って、効き指でフリックするんじゃ、めるめる「させにくい」のだと思う。あるいは親指でタップしながら解禁!てのは「叫ばせにくい」のだと思う。つまり使い勝手だユーザーエクスペリエン酢だ以前に、「iPhoneを操作する姿は絵にしにくい」の鴨しんないと思った。

1)平均的な国産ケータイを操作する際の「姿勢」

  • 持ち手は胸元から拳みっつぶんくらいの中空にある。
  • 筐体保持の主役は持ち手の4本指。親指が上から押さえつける。
    • 親指が筐体から浮く事はない。
  • 操作ボタンは親指の可動範囲に集中している。
    • 親指の可動範囲」は、筐体のヨコ幅が細い程ひろく取れる。
    • 全指の関節や手のひらじたいの曲げ伸ばしで、親指を付け根ごと移動できるからだ。
    • この「親指つけ根ごと移動」の際にも、親指を筐体から浮かす必要はない。

操作者は、首をキモチ傾けて、目線を落とした姿勢になる。これは読書よりも「うつむき加減」が少ない。これが電車の中でずらりと並ぶと、聖徳太子の軍団か、和歌でも流行ってんのかとゆう風情だが、まぁ「日常の風景」になって久しい。

2)国産ケータイと画面位置を揃える場合

  • この角度で親指を画面から浮かす事はできない。親指は常に画面のフチを抑えるか、筐体側面を掴んでいる必要がある。地味に気を使う。
  • 両手で操作するには、げんこつ一個 + 指を遊ばせておく分の空間を追加する事が望ましい。図では画面位置を国産ケータイとほぼ合わせたままスキマに拳をねじこんで見たが、コレ年齢によっては地味なセコセコ感がただよい人目が気になるかもしんない(特に平常の画面位置が近ければ近い人ほど)。

そこで図の高さのまま、もう少し持ち手の距離を離せば、ほぼ国産ケータイと対等の「うつむき加減」を保持したまま、かつ操作も快適にできる訳だが、そもそもこの高さは「乾杯と云えない事もない高度に手を上げている状態」だ。そんな姿勢でものを見るのは、先生に朗読を命じられた小学生と、二宮金次郎銅像くらいだろう。

3)国産ケータイと持ち手の位置を揃える場合


iPhoneは片手操作ができない」という事はない。できる。ただし「不安定感」を伴う。画面操作に使う親指は滞空時間が長いので、筐体保持のアテにはできない。此の結果 iPhone は、やや上向きにした掌の上に乗せ、重力を使って安定を図る必要がある。此の結果 iPhone の画面は、アゴよりも下の位置でやや上を向かせ、それを覗き込む形になる。

此の結果 iPhone 操作者の姿勢は、国産ケータイ操作者と比べて「うつむきがち」とか「背中を丸める」というに近いものになる。

4)タッチ操作とソーシャル・マルチタスキング

ずいぶんと昔、しかも又聞きだが、、、こんな話を知っているかね?(くわ)

さる高校の先生が生徒を叱っていたところ、生徒がポケットに手を入れっぱなしな事に気付いた。
先生激怒して手を掴んで引き出したところ、なんとそこには「セッキョーうぜぇ」と打ちかけのケータイぐぁ!
「え、コレいま打ったの?」
「うん、スゴい?」
「…スゴい」
説教終了。

みたいな。
これは指の触覚だけでメールを起動し、キーの操作数も正確にカウントしなければできない。ポケットの中でできるなら、トモダチと喋りながらでもできるだろう。タッチパネルでは、注意をヨソ(他人様など)に向けつつ、指先で操作するのはやりにくい、、、できなくはないと思う。例えば、自分は以前、机上なりポッケの中の Palm で、画面を見ずに新規メモを起動して、まぁまぁ意味の通るメモを残す事ができた。ただ、往々にして「できる」と「したい」は異なる。「これはスゴいとかより不気味だよなぁ」と思って、特に使いどころがないまま退化した。

5)iPhone で「チルドレン、解禁!」は可能か?

もちろん、iPhone は背中が丸まると言ったって違いは僅かなものだし、画面を見ずにタッチパネルを操作できても「ふつう」なせかいがいつか来ないとも限らないわけだが、決めゴマで「チルドレン、解禁!」を描くには、その微妙な匙加減が問題になるのだろう。

  • 皆本主任は、ケータイを、
  • 手はアゴの高さ、正面ではなく体の右前方ほぼ45度に保持して、画面を見ず、
  • 背筋をまっすぐ、目線を前方に向けたまま、「解禁ボタン」を押している。

また友達とダベっている時にメールが来たの来ないのと言う場面では、iPhone のうつむき加減や両手操作は、正確に描くと「重たい」ように思う。ノーパソを首からさげて音声合成ソフトで会話するスケット・ダンスのスイッチ君なら iPhone で喋ってもよさそうなものだが、そんなツマラナイ絵を描くまんが家は、

(ドブで)(おぼれて)(しね)!というカンジだ*1

日本社会は「指先のキタキタオヤジ」を許容するか?

1)「視覚ノイズ」

国産ケータイでは、持ち手も操作も片手で済む。動くのは親指のみ、可動範囲は「たなごころ」にとどまる。ゲーム機では持ち手も操作も両手になるが、動くのは親指メイン、可動範囲は「たなごころ」より狭い。どちらも操作は「押すだけ」だ。

これらに対し、iPhone を操つる指先は「たなごころ」を超え、ほぼ手のひら全面に比肩する面積を縦横に飛び回り、「フリック」を繰り返す。おそらくこれは、第三者により大きな「視覚ノイズ」をもたらす。ひらたく言うと、目に五月蝿い可能性がある。

実は最近、電車の中で iPhone を覗き込み、目にもとまらぬ早さで指を踊らせている人。というのを見かけたのだけど、正直、、、軽くヒイた。見た目はクリエイティブ・ワーカーなカンジのかっこいいおじさまだったが、うつむき加減な上に、ちと指先の動きに一心不乱の度が過ぎた。もしも、もう少し電車が混雑していたら、キタキタオヤジだ!たすけてゆうしゃさま!」と思っていたところだ*2

2)個人的没入感と社会的警戒感

高い没入感は、ユーザーエクスペリエンスの密度を高める一方、第三者の警戒意識も高める。

  • 目線を奪うというのは、主観的な没入感を高める。
  • 両手を奪うというのも、主観的な没入感を高める。
  • キモチの良いレスポンスも、主観的な没入感を高める。

モノゴトは没入感が高ければ高いほど魅力的(アトラクティブ)なわけだが、これらは、第三者との関係では「本能的に人目をひく」。知り合いであれば、「楽しそうじゃん?、なになに一生懸命なにやっとるん?」と聞けるが、そうでない場合は、微妙な警戒感を周囲に撒く事になる。なにかに没入している人間というのは、第三者から見ると、意図を掴みにくく、次の行動の予測が立てにくい。これは、動物的・本能的な警戒感をチリチリと刺激する。

これがあるレベルを越すと「う、ナニあいつキモイ」などの印象が生まれる。もちろん許容範囲は個人差が大きいものだし、「社会的な許容範囲」も常に変動してゆくので、〜 10Q1現在でも電車内でケータイ弄る世相を嘆く高齢者は少なくないにせよ 〜、ケータイやゲーム機のように社会の方が慣れてゆく「ふるまい」は多い。

一方で。車内通話のように、社会的に許容範囲外とされ排除されてゆく「ふるまい」もまた多い。ペースメーカーの誤作動問題が根拠を与える以前から、ケータイの電車内通話を不快とする声は地味に存在していた。まだ高価だった頃、これ見よがしに大声で通話するヤクザっぽいおっさんが目立っていたのだ。彼らとて別に「これ見よがしに自慢」したかったワケではなく、単に「電話」として使っていたに過ぎないとは思うのだが、多くの人の気に障った事は確かだ。個人的には、ペースメーカーの誤作動が事実か否かなんて、ホントは誰も気にしてなかったのぢゃないかと思っている。

ここまでは、旧来型のケータイやゲーム機の話。

3)タッチおじさん が あらわれた!

ここからがタッチ操作デバイスの話になる。

おそらく。他人から見た「操作」が目立てば目立つほど、「視覚ノイズの五月蝿さ」や、「高い没入感が周囲に撒く本能的な警戒感」は増す。指の運動範囲が広がるほど、筐体から指が離れる事が多いほど、「操作してる感」は目立つ。ペンであれば、違和感はまだ和らぐかもしれない。しかし、DSの画面を必死にペンでこする姿というのは、もはや電車の中ではあまり見かけない。初期にはそうした操作を要求するゲームもあったが、自分の知る限りでは、その手のタイトルはほぼ全滅している。

なにやらずーっと電車の中の話ばかりしているようだが、日本の都市部なみに混雑した通勤通学電車というのは、米にも欧にも珍しいものだと思う。東亜諸国の大都市にはあるかもしれないが、それらが猊下の視界の中心を占めて無いことは確かだ。

「指先のキタキタオヤジ」が、「大声でしゃべるオッサン」や「音漏れの激しい兄ちゃん」と同様に社会から排除されてゆくかどうかは予測できない。また、そもそもソレが排除されべき程のものとも思わない、、、別に思わないけど、自分は、ある程度はトラックボールと物理ボタンで操作できるヤツが欲しいな。片手でw。

*1:イヤすいません。rubyタグを使ってみたかっただけです。XHTMLルビサポート (XHTML Ruby Support) - Add-ons for Firefoxをつかおう!

*2:知り合いだったら「あんた学校でちょっとヘンとかいわれない?w」くらい言ってたと思う。