もう1つ、違う出入りを紹介したい。やはり同じ慶誓が参加した「跡式の出入り」だ。先の「山分けの出入り」からわずか1年後、1556年に発生した出入りである。 それにしても、慶誓が参加していない出入りもあったはずなので、こうした戦いが常時、境内において繰り広げられていたということになる。随分と物騒な環境だ。関係ない学侶方の僧はさぞかし迷惑だったろう――案外、どちらが勝つかで賭けをしていた僧なども、いたのではないかという気もするが。 この出入りだが、泉識坊系の「威徳院」と杉乃坊系の「三實院」との間に、相続を巡る争いがあったのが事の発端らしい。ずっと話し合いが続けられていたが、破綻して「跡式の出入り」が…