Prins van Oranje(蘭)
オラニェ公とも。他、オレンジ公と表記されていた時代もある。 本来は南フランスのオランジュ公国の領主のことであるが、ネーデルラントに所領を持っていたオラニエ公ウィレム(1世)がネーデルラント諸州の総督となってオランダ独立戦争の中心人物となったことで、以後のオランダの総督家の称としてしばしば用いられる。
*1:1688年の名誉革命によりイングランド/イギリスと同君連合王
こんばんは!かるぅです。 昨日の夜は、久しぶりにヤバい腹痛でした。 僕はお腹が弱くて、月に一回くらいあります。 しかも、塾の直前に! 行く前にトイレに籠ってました、20分くらい。 いやー、辛かった。 そんなこんなあって、今日は朝からジムに行きました。 こちらはいつも通りですね。 最近筋肉もついてきて、唯一太りやすい顔周りもすっきりしてきました。 しっかり続けて、細マッチョを目指します! 午後は、以前お話ししたぬれおかきを温めて食べました。 めちゃくちゃ美味い! アルミホイルを敷いてぬれおかきを乗せ、2分~3分ほど温めます。 ぜひみなさんもお試しあれ。 やけどには注意です。 今日も少し早くから塾…
間が空き過ぎた!!!! プロイセンのぷの字もわからなくなっています。なんだっけ……あ〜、ヴィルヘルム1世にキレて洗面器割るビスマルク可愛いと思うんですよ 18世紀プロイセンの、変わった夫婦の文通を海藻(kaisou-ja)様と訳しています(⌒▽⌒) フリードリヒ2世:政治・軍事は天才だけど人付き合いが嫌いすぎて妻に公式行事を任せがち。弟が自分のせいで死んだり七年戦争) でボロ負けしそうだったり、あまりにプロイセンが負けるので退位を考え自殺未遂しかけたり、踏んだり蹴ったり。 エリーザベト王妃:人付き合いは上手だけれど政治に関心がないので夫に政治を任せ切っている。あんまりに プロイセン が負けるし…
ピンホール現象を応用して投影像を得る装置。17世紀初頭、オランダ人によって携帯型のカメラ・オブスクラが発明され、市販されるようになった。江戸初期の日本にも移入されており、日本ではオランダ語の音写として「トンクルカームル」、あるいは日本語訳して暗室鏡、暗室写真機、写真鏡と呼ばれた。 ピンホール現象と「暗い部屋」 レンズ付きカメラ・オブスクラの誕生 部屋型カメラ・オブスクラの普及 携帯型カメラ・オブスクラの登場 日本に移入されたカメラ・オブスクラ 参考文献 ピンホール現象と「暗い部屋」 小さな一つの孔を除き光の入らない暗い部屋で外が十分明るいとき、その小孔から差し込む光が反対側の壁に外の風景を映し…
来年2024年3月にピーター・グリーナウェイ監督の特集上映が開催されるとのこと。楽しみが増えた。そんなわけで、傑作を紹介します。シンメトリーな構図、緑と赤/黒と白の色調、屋外撮影による昼の光と夜の闇のコントラスト、バロック絵画をそのまま持ち込んだような映像体験が得られる『英国式庭園殺人事件』(原題:The Draughtsman’s Contract)です。 【あらすじ】 イングランドの大地主ハーバート氏は屋敷と庭が自慢で、妻のことは蔑ろにしている。屋敷で開いた招待客で賑わうパーティの夜、ハーバート夫人ヴァージニアは、ハーバート氏が執心する庭園の絵を贈って夫の心を取り戻したいと、有名な画家ネヴ…
これは 物工/計数 Advent Calendar 2023 の18日目の記事です。3日遅れらしいですね。どうして毎年間に合わせることができないのか...... adventar.org インターネット生まれインターネット育ちミリオタの中身を完全開示する記事を書く予定だと公言していたのですが、どう考えてもこのアドカレを追ってる層には需要がなさすぎるしあまりにも人生の切り売りすぎて苦しくなりそうだったので、今日は旗章学の話をします。普段だとググれば出てくるようなことを書いてもしょうがないやんみたいな気分になる内容でもアドカレなら布教記事(?)も多いし許されるだろうという魂胆です。(なお、学と付い…
[今日の絵] 9月前半 1 Andrea Mantegna:聖マルコ1448 マンテーニャ1431~1506はイタリア・ルネサンス期に、パドーヴァで活躍した画家、この絵は残された絵で一番若い時のもの、窓の欄干に左肘をついており、親指は顎を押さえている、「聖人」にしては意外な姿勢で、顔も面白いオジサンという感じだ 2 Adriaen Isenbrandt : ロザリオを持つ青年 アドリアン・イーゼンブラント1490頃~1551はオランダの画家、宗教画や肖像画を描いた、この絵は代表作の一つだが、かすかに不安を感じているような表情が、繊細に描かれている 5 レンブラント:自画像1650 レンブラント…
1765年7月24日、モーツァルト一家は一年三ヵ月に亘り滞在したロンドンを後にし、リール、ヘント、アントワープを経てオランダに入り、ライデン、ハーグ、アムステルダムといったオランダの都市に合わせて半年ほど留まりました。 もっとも、このオランダへの立ち寄りは元々の計画に含まれていたことではなく、レオポルトが予定を変更して彼の地への訪問を決心したのは、オランダ駐英大使を通じて若きオラニエ公ウィレム5世の懇請を受けたためでした。 それがさらに思いもかけぬ長期滞在となってしまったのも偶然の産物で、9月にハーグへ到着してすぐ、姉ナンネルが重いチフスに罹って一時は意識不明の重体となり、11月にはヴォルフガ…
ナポレオン戦争で一度国として滅びたあと、欧州の緩衝国家として復活させられた「小国」ネーデルラント連合王国。 しかし彼らはかつての栄光を取り戻し、世界最大の帝国となることを夢見て、その権益の拡大に努めた。 19世紀末の2度の大英蘭戦争を経てオーストラリアとカナダも獲得し、いよいよ「七つの海」を支配し始める。 英国に代わり列強1位となったフランスもロシアと手を組んで挑みかかるも、蘭墺同盟はこれも撃退に成功。 かくして、ネーデルラントはついに世界一の座を手に入れる。 しかし、国内では急進的自由主義者たちの政権が主導する失業者問題や女性の権利問題を巡って内部対立が激化。 かつて隆盛を誇った知識人や労働…
人類はこれからどのようになってゆくのか・・・。 100年後の人類について詳しい? 苫米地英人氏の動画を掲載させていただきます。 youtu.be この方は、100年後を予測しているのではなく、人口削減、人類支配、世界統一、世界支配・・・といった彼らの計画を暴露しています。 出典:100年後の人類はどうなっている!? Dr.苫米地 2018年10月29日 - YouTube なぜ、そんな風に思うかというと・・・ この方は、聖マウリッツィオ・ラザロ勲章を受章しているからです。 (参考情報)Category:聖マウリッツィオ・ラザロ勲章受章者 - Wikipedia これは、イタリア王家サヴォイア…