霊峰富士は、ある日とつぜん出現(あらわ)れた。 まるで太閤が若いころ、墨俣で演じた奇術の如く。それはほんの一夜のうちに忽然と聳え立っていたのだと、そういう俗伝が山梨県の各所にはある。 特に郡内、都留のあたりにこそ多い。 地名の由来と、往々にして結合している。 あくまで俗伝は俗伝であり、真実性の保証など、望むべくもないのだが。古人の想像力を窺う上で、なにかしらの取っ掛かりにはなるだろう。 大目村の人々は、東の空が白みはじめた未明ごろ、百万の銅鑼を一斉に叩きでもしたかのような大音響の襲撃を受け、瞬時に夢を破られて、なんだなんだと泡を食いつつどっと戸外へ走り出た。 するとこれはどうだろう、昨日までは…