分かっているようで分かっていない(私が)なのは、二張はいつ孫策に仕えたか、である。 三国志演義をざっと調べて見ると両者は孫策が劉繇攻撃に赴く際に合流している。推薦したのは周瑜で、「江東有二張」という文句が出てくる。だが、二張はどちらも徐州人であって、江東(長江以南)の出身ではない。劉繇攻撃前に孫策に合流できるなら、その時点では江北にいた可能性が高いはず。江東(江南)に疎開する前だったはずだ。とは言え、これは小説の話であり、その詳細を吟味しても仕方がない。しかし、このような整合性のない脚色がなされたのはひとえに両者の具体的な仕官時期が不明だからだろう。 二人のうち、張紘の方が情報は豊富である。張…