大正、昭和期の政治家。(1884年8月15日〜1956年7月4日)
香川県出身。1917年(大正6年)に衆院選に初当選。以来11回当選。大正末期から昭和初期にかけて時の首相に噛み付き、政治家として、絶頂を極めたが、1934年の京成電鉄疑獄事件で1度失脚する。実業家で活動したのち、1942年に政界復帰。だが、時は太平洋戦争で戦争責任に関与。これが原因で戦後公職追放を受ける。(その後解除され、3回目の政界復帰を果たした)。反吉田茂の急先鋒に立ったのち、1955年の保守合同後、病死する。三木が悲願とした衆院議長にはついに果たせなかった。また、閣僚も務めたことはなかった。
補足として、三木武吉と戦後の政界で活躍した三木武夫と混同する人も多いが、2人は親類ではない。